38話 3月15日 過去の清算は利息と共に
「いやあぁ~、今月の召喚祭は大盛況でした!これもヘイト様のおかげでございます!ささやかながら宴席をご用意いたしましたのでお楽しみください!」
「ど、どうも……」
丸々と太った、七福神に紛れ込んでいそうな男性が揉み手をしながらおべっかを使っている。この人は昼間の召喚祭で興行主をやっていた方だ。
「これが今回の謝礼金です!どうかまたご出演ください!その際は大々的に!告知をさせて頂きますので!それでは私はこれで失礼いたします!」
「は、はあ……」
プロモーターさんは酒場を駆け巡って挨拶回りを済ますと、時間という資産を無駄にしたくないといった様子で退出した。
掌に視線を落とすと、いつの間にか硬貨の入った木箱を押し込まれている。出場給だろうか。
いやしかし、顔が近くて圧が強い人だった。あれが商人という生き物か。
プロモーターさんから解放されたので、勘治先生やローマンさんたちがいる席に着く。
……精神的に疲れた。やっと座ることができてほっとする。会が始まってからずっと入れ代わり立ち代わり、誰かと挨拶をしていたから。
今日の主役であるドミニクさんや螺良杏里さん。見物に来ていたラロさんやフェルナンドさん。アイシャさんや教授も『ナイスファイト』と言ってくれたので、試合はまあ悪くはなかったのだろう。
一安心だ。
昼間の召喚祭のあと、街の酒場に出場者と見知った顔ぶれが集まって打ち上げをやっている。召喚祭は使徒を歓迎するもので、ある意味神事だから直来と呼ぶ方が正しいだろうか。
今日はもう遅い。この酒場の2階から上は宿になっているそうなので、お開きになったらそのままここに宿泊だろう。
席に着くなりアントニオさんがニヤリと笑いながら聞いてきた。
「ヘイト、いくら貰ったんだ?」
「え、えっと」
報酬として渡された木箱の蓋を開けて、テーブルの中央辺りに移動させると皆が中身を覗いてくる。
「金貨が1枚に、銀貨が――4、50枚ってところかな。奮発してるね」
「次の出演を期待されているな。観客の反応に手応えを感じたんだろ」
「素手で戦うヤツ、いないもんね」
ローマンさん、教授、フベルトさんがそれぞれ論評をしている。勘治先生はお酒の入った木のコップを傾けていて、いつもの通り無口だ。
数十分ほど1匹の狗と戦っただけだが、侵攻作戦に参加した時の半分ほどを頂けたようだ。先月末の報酬――問題を起こしたせいで減額されているが――と合わせて全財産は金貨3枚くらいになるだろう。これだけあれば1カ月間宿屋暮らしができる。
特に僕の場合は何故か飲食をしなくても生きている。エンゲル係数は驚異の0%だ。
宿代以外の固定費はかからないので、悠々自適に過ごせるだろう。その生活に面白味があるかどうかは別にして。
「結構な金額ですね……貯金しておいた方が良いのかな」
「それも良いが……お前いつになったら借りた物返すんだ?」
ほとんど独り言のような言葉に、アントニオさんが反応した。
「か、りた、物――」
「ああ、確かにヘイトは木こり達に借りたまま、破損させたり紛失させたりしている物が多いな――ちょっと待て」
教授はそう言い、自身のタブレット端末のような才能、"25番の書"を発現させて何やら確認を始めた。そして――
「斧が2本、ナイフが4本、革のハーネスが2本、村や木こり連中に未返却だと聞いている。そのほかにも、斧の刃研ぎとかの手間賃も払っとらんだろ」
「うっ」
思い当たるところは――――ある。無茶苦茶にある。
つい先日も憑霊戦の前後で斧を失くし、ハーネスを炎と衝撃でボロボロにしたばかりだ。
決して忘れていたわけではない。だが、必ず返そうと決心した物を次々と失くしてしまうので、どうしたら良いのか分からなくなってしまったのだ。
魔剣を購入したときほぼ一文無しになったのもあって、目を逸らしつつ後回しにしてしまっていた。
すべて言い訳なのは理解している。結局のところ"ごめんなさい"を言いに行くのが恐いのだ。
「ど、どうしましょう。皆怒ってますかね?」
「いや、それは無いよ。木こりの中にはヘイトに命を救われた奴もいるだろ?
まあ……だからこそ直接"弁償してくれ"なんて言い出せないのかもな」
そうアントニオさん言われて、やっと現状を理解できた。
僕なんかに恩や義理を感じてくれているのなら、そんな面の皮が厚いことは言いづらいだろう。問題は、僕の方がそれに甘んじて貸しを踏み倒そうとしていることだ。
今までの不誠実さを自覚して段々と焦りを感じてくる。
「農民にとっちゃ安い買い物じゃねえ。借りたもんは返しとけよ」
追い打ちをかけるように勘治先生がこちらを睨んで言う。
「ヘイトはどうしたいの?」と、フベルトさんがこちらの心中を察したように訊いてきた。
「か、返したいです。ちゃんと――どうしたらいいですか――?」
「儂なら現金を渡して自由に使ってもらうだろうが、品質の良い物を購入して現物で渡すのも良いんじゃないか?ちょっと高価くつくかも知れんが」
「有名な使徒からもらった、ってあとで自慢できるかもね」
教授の提案にフベルトさんが同意する。
「明日、勘治とエルザが街へ買い物に行く用事があるから、同行したら良いんじゃないかな?」
「は、はい!そうします!」
こうして、ローマンさんが話をまとめて、明日の予定が決まった。
明くる日、勘治先生と修道女であるエルザさんと共に街へ繰り出す。エルザさんは教会にいることが多いから、妙な取り合わせだ。
空を、昨日よりも黒く厚い雲が覆っている。
一雨来そうな雰囲気ではあるものの、街の大広場には沢山の露店が立ち並び、その隙間を埋めるように大勢の人が往来している。
雑踏が、店の呼び込みが、大道芸人の掛け声が、吟遊詩人の歌声が、人々の笑い声が、街中に反響していた。
昨日の午前中は同じ場所でお葬式をやっていたのに、物凄い変わり身の速さだ。
「人が多いですね……」
「ええ。この時期は国内外から様々な人が集まりますから、大規模侵攻中は毎回こうですね」
エルザさんが涼やかな声で説明してくれる。
「貴族の皆様にとっては人脈を作る機会。学者の皆様にとっては使徒様がもたらした知識を学ぶ機会。そして商人の皆様にとっては大きな金額が動く商機でもあるんです。
――当然のようにトラブルも絶えません」
エルザさんは陶器のように白い整った顔に、苦笑を浮かべながらそう言う。
教会には否応なしに人が集まるだろうし、苦労させられているのだろう。
「こんなことしてて良いのかよ」
先生は鬱陶しそうに独り言ちている。確かに、怪我人が延々と運び込まれてくる教会を離れていて良いのだろうか。
「仕事の量は変わりません。ですが他所からの応援が増えてきましたから、少しは手を離せます――それに、案内人も大事な仕事です」
ふんっ、と先生は鼻を鳴らした。
意外なことだが、隙なく答えるエルザさんの前では流石の先生もたじろいでいる。
「もしかして……勘治先生の案内人ってエルザさんがやっているんですか?」
突然この世界に召喚された使徒が、混乱しないように面倒を見るのが案内人。その重要な役目を負うのは聖職者たちだと聞いている。
「はい。私は現在、勘治様とアントニオ様の案内人を務めております。
とは言え、おふたりともこちらの世界に慣れるのが早かったので、楽をさせて頂きましたが」
「そうだったんですね。あの……もしかして僕はお邪魔でしたか?」
使徒と案内人がふたりで街を歩くのに、僕がいることで水を差してしまっただろうか。
「余計な気ィ回すんじゃねえ」
「そうですよ。この人とふたりで歩いても会話なんて生まれませんから。ヘイト様が来てくれて助かりました」
エルザさんは爽やかな笑みをつくって言い放った。
それを聞いた先生は、けっ、とだけ言って、苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべている。
気安い会話だと思うが、険悪な雰囲気にはならない。エルザさんのコミュニケーション能力が突出しているのもあるが、そもそもふたりの仲は悪くないのだろう。気の置けない仲、ということか。
なにせ僕が先生に対して舐めた台詞を言ったら、立てなくなるまで殴られるだろうから――
エルザさんは凄い。
「おっ!にいちゃん。先生とエルザも一緒か!寄っていきな」
見知った顔に声をかけられる。呪いの鎧と魔剣を売ってくれた武器屋のおじさんだ。人混みの中でもこの特徴的な鎧は見分けやすいのだろう。
「あっ、ご無沙汰してます」
「にいちゃん、昨日の祭りじゃ大立ち回りしたみたいだなあ。で、今日はどうしたんだ?」
「借りっぱなしだった物を、この機会に皆へ返そうかなと……」
「良い心掛けだ。その鎧は金貨1枚だったな!」
「うっ……」
木の小箱から金色に光る硬貨を1枚出しておじさんに渡す。そう言えば今まで"試着"のままだった。
「利息はあの時置いていった銀貨と果物でいいや」と、おじさんはそう言っている。
どけ、と勘治先生が僕を退かして商談を始めた。
「準備できてるか?」
「おう、もちろん」
「上等な物を一通り、3人分追加しといてくれ」
「分かった。一緒に中継基地まで送っとくぞ」
強面と武器屋が仏頂面で会話していると、違法な物品の取引でもするように見える。
「助かる、支払いだが……」
「いらん。先生には何度も大口の取引回してもらってるし、前に黒い森で甥っ子が世話になった。これ以上金はとれねえよ」
「ンな訳にいかねぇだろ。ホラ、受け取れ」
「ダメだ。主の御許に行けなくなっちまう」
払う、貰えん、の応酬だ、普通の商談なら逆ではないだろうか。
結局、先生がお金を押し付けるような形で、輸送費含めて金貨を3枚渡していた。横で話を聞く限り、相場から3割引きほどされている。かなりまけてくれたようだ。
何だかおじさんの対応は、僕の時と全然違う気がする……
「おい、行くぞ」
「いや、まだ僕の買い物……」
「フフッ。大丈夫です、ヘイト様。行きましょう?」
僕の買い物が済んでいないのに店から離れてしまった。
しとしとと雨が降り始めている。
「元々、勘治様は木こり達に贈るために、数十人分の装備を手配していたのです。
この街の商人はがめついと言うか、ちゃっかりしていると言うか、できるだけ良い条件で取引をしようとしますから――
ヘイト様が言われるがままに支払いをされているのを見て、代わりに商談をなさったのでしょう。
――ですよね?」
エルザさんが先生に笑顔を向ける。
なるほど、先生は僕の買い物を代わりに済ましてくれたのか。僕があのまま商談をしていたら、会計が幾らになっていたか分からない。
「先生、気を遣ってくれたんですね、ありがとうございました。あの、これ、足りない分はあとで必ず」
「もう要らねえよ。お前は金と物に執着しなさすぎだ。そのうちケツの毛まで毟られるぞ」
財布代わりの木箱を差し出すが、あえなく断られてしまった。
――何だ。今、不安が――胸がざわついた。
少しづつ雨足が強くなってきた。
大広場に集まって買い物をする人々も、徐々に屋根がある場所に逃げ始めているのが見える。
僕たちも大広場に面した商会の拠点、商業会議所に向かいながら会話を続ける。
「勘治様は口数が少なすぎですね。出会った時からそうでしたが」
「放っとけ」
「先生が無口なのは前からなんですね」
「はい。勘治様が召喚された日も、こんな天気でした」
「そういや、そうだったな……」
「勘治様。才能を鑑定した時のこと、憶えていらっしゃいますか?」
「ああ」
「その名が"鞘無"だと判明した時の表情ったら、それはもう恐ろしくって――忘れられません。主との対面を覚悟しましたもの」
「あんなに蒼ざめたお前の表情見たのも、あの時だけだな」
「使徒様の相手は慣れたもの、と思っていたこともありましたが、慢心だと気付かされました」
「だから案内人やめンのか?」
「ふふっ、いいえ。どちらにせよ教会の管理に専念することは決めていましたから。アントニオ様を最後に案内人は卒業です。
心配してくれるんですか?――」
エルザさんは会話が生まれないと言っていたが、ふたりは思い出話に花を咲かせている。仏頂面は変わらないが、こんなに和やかな先生も珍しい。
何も問題は無いはずだ。それなのに、ふたりの会話を聞いていると落ち着かない。
何か他にも、目を逸らしていることがある気がする。
「してねえよ。お前のことだ、上手いこと息抜きするんだろ」
「うーん、どうでしょうか。これまで以上に教会に居る時間が増えるでしょうし、そうもいかないかも」
召喚祭を行ったら、次は送還祭がある。
この世界で1年暮らした使徒は元の世界へと送還される。
僕より先に来た使徒は、僕より先に還る。
「あんまり無理するんじゃねえぞ」
「ふふっ。やっぱり心配してる」
ざあ、ざあ、と雨はいつの間にか本降りになっている。
ふたりの口振りは――
そう――
「ひとりでも大丈夫ですよ――いえ、やはり説得力がありませんね。勘治様には随分と助けて頂きましたから」
「こっちの台詞だ」
――そう、まるで、別れ際にする会話のような。
「……もう1年ですか。過ぎてしまえばあっという間でした……」
「――――え?」
僕の反応を見たエルザさんの表情が、変わった。
「勘治様。もしかして、ヘイト様に話されていないのですか?」
信じられない、とでも言いたそうな目で、自分が担当している使徒を睨んでいる。
彼女の様子は僕の考えを裏付けているようで――
「アントニオ様たちにも?」
「他は知ってる」
憮然とした先生の返答に、エルザさんは身体中の空気を抜くようなため息を吐く。
エルザさんは決心したような、真剣な表情でこちらを見た。その目は少しだけ泳いでいる。
信じられない――
信じられない――――
「ヘイト様。今月の送還はラロ様だけではありません」
そして――
「勘治様も、今月の終わりに元の世界へと還られます」
目を背けていた過去が、追い付いた。