37話 死の舞踏
死の舞踏が始まる。
炎に身を包まれた幾人もの死者たちは、火葬台の上に仰向けになり、天に向かって思い思いに手足を伸ばしている。
曲がった手足の影が陽炎の中で揺れると、ゆっくりと踊っているような、どこかそんな風に見えた。
儀式。
その言葉に、どんな印象を持っただろうか。
前に学校で見た資料映像で、ある集団が文化や宗教に基づいた作法に則り、延々と祝詞を唱え、踊りに耽っている姿を見た。
奇抜だな、とその程度の感想しか抱かなかったのを憶えている。
それが無知と無理解から来るのだと自覚してはいたが、その儀式が祖先の霊を呼び助言を乞うものだと知った後でも、高尚なのだな、と思うくらいしかできなかった。
心のどこかで、時間と物資を消費するだけで実益が伴わない行為を、冷ややかに見ていたのだろう。
だが、そんな無信心な自分も意識していないだけで、いつの間にか疑問を持たず儀式に参加しているのに気付く。
例えば、冠婚葬祭。
成人を社会の一員として認め、運命の相手との結婚を祝福し、命の終わりを悼み、盆には祖先に思いを馳せる。
そうした行事も、普段の生活や文化に浸透して一体化しすぎているせいで気付かないが、要は儀式なのだ。その場その場に適応しながら現代にも伝えられる、参加する人間だけに意味を見出すことのできる儀式。
だから、今この場で行われているお葬式やこのあとの召喚祭は、この街に生きる人々にとって自然なことで、意味のあること。
街の教会を出て目の前にある大広場には、大勢の人が集まっている。
珍しく礼服に身を包んだラロさんを中心に、白い修道服を着た聖職者たちが並んで、旅立った者たちのために祈りを捧げている。
僕や教授を始めとする使徒たちも参列し、それを見送っていた。
曇り空の下、共同で弔われる死者たちは、木材で組まれた火葬台の上で物言わず自分の出番を待っている。
この街に家族でもいれば棺桶に入れてもらえるが、身一つで大規模侵攻に参加した者などはそうもいかない。
僕らと同じ神の使徒であるラロさんが、この世界に召喚されるときに授かった特殊な能力、才能を発現させた。
彼の右手首が黒く染まっていき、指から黒い枝のようなものが伸びていく、小指ほどの長さに伸びたそれは自ずと纏まり始め――
瞬きをひとつすると、彼の人差し指と親指の間には漆黒のマッチが一本収まっていた。
デコピンをするようにそのマッチを爪弾きにすると、目の前が明るくなり、一斉に木材を燃え上がらせて十名ほどの遺体を焼いていく。
ゴウッ、という炎の音に生者たちのむせび泣く声が混じる。レクイエムのように響き渡る聖職者の祈りを伴奏にして、また、新たな舞踏が始まる。
「火葬、なんですね……」
僕はその光景を厳粛な気持ちで眺めている。死者への敬意故か"基礎精神耐性"によるものか、熱によって筋肉が収縮していく遺体を見ても、気分が悪くなったりはしない。
「そうだな。この世界でも"審判の日における復活"は信仰されているようだ」
隣に立つ教授が、僕の呟きに淡々とした口調で答えてくれた。
「復活……ですか。来るべき日に全ての死者が復活して、裁きを受けるんでしたっけ……」
「ああ。かつてはこの街でも、魂の器である肉体が失われてしまうことは忌避されていたようだ。だが"身体の状態は復活に関わらない"として、今では殆どがこうして火葬になってると聞いている」
「これまで死んだ人たちが皆、神様と一緒に帰ってくるなんてことが起こるなら、身体の有無なんてどうにでもなりそうな気がしますね」
「確かに、"創造主"だしな。まあ、なにぶん死者が多すぎるんだろう。土葬するスペースがあまり残っていないと聞くし、現実的で切実な問題なんだな。
そもそも黒い森に行けば、ここまで帰ってこられぬ者も多い」
黒い森から、遺体となってさえ帰ってこられない人。森に飲み込まれてしまった人たち――
そうなればこうして丁重に弔ってはもらえない。
「もし審判の日が来るのなら、彼らこそ復活して祝福されなきゃおかしいです」
「ああ――そうだな」
街や家族のために戦った人たちが、身体が残っていないという理由で蔑ろにされるなんてこと、想像したくない。
数人の聖職者がラロさんの灯した炎を、別の火葬台に移している。すると、弱まっていた炎が勢いを取り戻していく。
「ラロさんって、教会で働いてたんですね」
諦観の籠もる眼差しで、粛々と火を点けて周る痩身が見える。
最初会ったとき、南米系の顔立ちに、剃り上げた頭までびっしりと刺青が入ったあの姿には面食らったものだ。
教会に関わっていると何度も聞いていたはずだが、こうして目の当たりにするまで実感が湧かなかった。
「あいつのレガロが判明して、教会側が嘆願したらしい。聖職者からしたら、神が遣わした者が炎を操る。あれはまさしく聖火なんだな。それはあいつの過去や素性によって揺らぐものではない」
「聖火、ですか。神様のところへ連れて行ってくれそうですね」
「ああ、神の遣いと、神の力によって弔われる。死者と生者も安心して別れることができるだろう」
涙を拭う女性が、きょとんとした表情の幼い子供と手を繋いでいるのが視界に入った。
神聖な葬儀によって神の元に送られた死者たちとは、審判の日に再会し、きっとまた天国で一緒に暮らせる。だからこの別れは一時的なものだ。この寂しさも、悲しみもまた、一時的なもの――
この世界に生きる人々はそう信じているから、悲しみを乗り越えることができるのだろう。親しい者の死を受け止め、また前に進むことができる。
「ヘイト、そろそろ時間だ。準備しよう」
ローマンさんが僕を呼んでいる。午後から闘牛場で始まる"召喚祭"に参加するための準備で移動しなくてはならない。
「分かりました。教授、またあとで」
「ああ、後から儂も見に行く。しっかりな」
「はい――あ、教授、ひとつお願いがあるんですけど――」
「なんだ?改まって。言ってみろ」
「えっとですね――」
思い付きのアイデアを話すと、教授は納得したように笑みを作って快諾してくれた。
闘技場には、修道服を着る年配の男性が立ち、会場を満たす観客に向かって控えめに手を振っている。
熱烈な音楽、歓声、拍手が新たな使徒の来訪を歓迎している。その迫力に対して、コーヒーのような肌色をした愛嬌のある顔は、どこか呆気にとられたような表情を浮かべていた。
彼の名はドミニクさん。
今月召喚された使徒。
僕の出番は彼の次の、そのまた次。
ドミニクさんがこの街の人々に挨拶をするのを、暗い入場口から見ていた。召喚祭の実行委員との打ち合わせが終わったので、こうして見学させてもらっている。
まあ、話を纏めたのは主にローマンさんで、僕は行儀よく座って頷いていただけだが。
そもそも今回の召喚祭では、有名人であるディマス伯爵が騎士団の数名と共に登場し、魔物と戦って締めくくる予定だったそうだ。
だが伯爵は、先日の合同訓練での無理がたたり、しばらく戦えなくなってしまった。騎士団の面々も中継基地と野営地に残って仕事をするのだという。
役者がいなくなったので代役をどうするか考えていたところ、ちょうど良くお披露目をしていない使徒が近くにいたので、白羽の矢を撃ち込まれたわけだ。
半ば連行されるように街まで来たときは、目立つのが嫌だったし出番が最後だと聞いて、どうにかして逃げられないか抗議したものだが――
午前中のお葬式に参加して、ちょっとだけ気が変わった。
今は腹を括れている。
「君、佐々木くん?」
「え?」
不意に、後ろからコケティッシュな女性の声がかけられて振り向く。長い黒髪をオールバックポニーテールにまとめた、細身の女性が立っていた。
「黒い鎧を着てるって、ホントなんだね」
「あ、ええと、初めまして?」
誰だろう、同い年くらいの日本人に見える。向こうはこちらを知っているようだが……
「初めまして、私は螺良杏里。この間は挨拶してくれなかったでしょ。なんで?」
「その節は大変申し訳ございませんでした」
びゅんっ、と45°礼をする。その名前は確かに聞いた。先月教会に行った時、新たな使徒が来たから挨拶するか?と聞かれ、即答で断ったのだ。
クッソ、先方まで話が行っていたのか。気まずいじゃないか。
「ふふっ、まあいいや――私も出演するんだ。先月私が来た時には、このお祭り終わってたみたいで。
あ、そろそろ出番だから……クライマックスは任せたよ、佐々木くん」
螺良さんは入場口から堂々と闘牛場に向かう。音楽隊が演奏を始めると彼女はレガロを発現させた。
フラフープのような形状と、長いリボンのような形状を切り換えながら、舞うように演技を始めた。種目が混じっているが、あれは……新体操か?
洗練された螺良さんの一挙手一投足に、会場から歓声が巻き起こる。
彼女の演舞が終わったらいよいよ僕の出番だ。
「ヘイト、出番だ。要望通り足枷の着けていない活きの良いのを用意してもらった。本当に素手でいいのか?」
「はい、大丈夫です。行ってきます」
螺良さんの出番が終わり、ローマンさんに合図されて、暗い通路から光の射し込む闘牛場へと向かう。
僕の歩みに合わせ音楽隊が演奏を始める。それはまるで、入場曲のようで――
ここ最近で思い出した記憶の中にどうでもいいものが混ざっていた。もっと重要で取り戻すべき記憶があると思うのだが、ままならないものだと思う。
小学生の頃。図書係として廃棄図書の整理をしている時に、"触らないように"と注意書きされている段ボールを見つけた。
僕はこういった警句を守れない星の下に生まれたようで、ちゃんと注意していたものの、何かに蹴躓いた勢いでその段ボールをぶちまけてしまったのだ。
床に散らばった内容物が視界に入って、どうしようと思ったのと同時に、『見てしまったのね』と司書である恵子先生の声がかかる。
段ボールに詰まっていたのは――
『佐々木君、私ね。武藤敬司が大好きなの』
大量のプロレス雑誌――
先生はこっそり趣味の本を学校に持ち込んで、暇な時間に読んでいたようだ。それを知ってしまった僕はお菓子を貰いながら、図書室で書籍や映像を一緒に見るようになった。
黙らせるために、餌付けされて共犯者にされたのだ。
――僕はディマス伯爵のように華麗な戦い方はできないし、螺良さんのように美しい演技もできない。依然として記憶は曖昧だし、昔のことだから詳しく憶えているわけじゃない。
だが、今こそあの経験を生かすべきだろう。
反対側の入場口から1匹の魔物が姿を現す。
四足獣のシルエット。発達した筋肉が全身を包んだ、口が水平ではなく縦に割れた魔物――黒い森の猟犬、狗と呼ばれる醜悪な敵。
僕が今できること、街の皆の慰めに、少しでもなれるのなら――
恵子先生、僕、やるよ。
魔物と、プロレスする!
目が合った、その瞬間に敵が走り始める。数秒で距離を詰めてくる狗を姿勢を低くして真っ向から迎え撃つ。避けたりはしない。
衝撃――
「ぅぐっ」
勢いの乗った突進を顎に受け、たまらず仰け反ってしまう。間髪入れずに馬乗りになった狗が、楔のような牙を首に食い込ませた。
衝撃映像を見たようなどよめきが観客に広がる。
普通ならこれで終わりなのだろう。
真っ直ぐ揃えた指先を狗の喉元に突き立てる。
一発、二発――
狗が仰け反ったところでエルボーを放ち、蹴り飛ばして立ち上がった。
遠く観客席まで見えるよう、過剰なくらい動作を大きくする。
さっきと性質が違う、驚いたようなどよめきが広がった。
四足獣相手にこんな戦いをすることになるとは……異種格闘技戦もいいとこだ。
こうして戦っていると、魔物相手に素手で立ち向かうバカがいない理由が分かる。単純な肉体的の勝負では勝てないのだ。
こちらに走り込んできた狗の顎を、踏み潰すように蹴る。大して距離が開かず、スピードが乗っていなかったから勢いを殺せた。
すかさず狗の頸を小脇に抱え、釣り上げるように背中を反らし、後ろに倒れ込んで頭を地面に打ち付ける。
「DDT――!!」
だから人間は武器を持ち、鎧を着て、連携を取り、智慧を絞って立ち向かう。強大な敵に負けて、大切な物を失わないように。
すぐに体勢を立て直した狗が、尚も食らい付こうと口を開ける。迎撃で繰り出した踏みつけを躱され、噛みつかれ物凄い勢いで引き倒された。
何故この街では、使徒の召喚や送還を祝う、大事なお祭で魔物と人が戦うのだろうか。きっと大衆の娯楽や興行的な側面というのもあるとは思う。だが――
振りほどき、立ち上がる。相手の攻撃をすべて受け、こちらも渾身の攻撃を食らわせていく。お互いの体力を削り合うように戦いを続ける。
これは、プロパガンダなのだろう。神が使徒に力を持たせて遣わせる以上、神意は人に在る。神が我々の味方であると人間側が一丸になることで、敵愾心という種を蒔く。
魔物と戦うという意識を全員に持たせ、同じ方向を向かせるために。
強大な敵と、戦うために。
後ろ脚で立ち上がって噛みつこうとする狗に手刀をぶつけ、宙に浮いた前脚を掴み、膝を捻じ切るように自分の身体を回転させる。
「ドラゴンスクリュー……!」
狗の前脚が明後日の方向に曲がっている。靱帯でも損傷したのだろう。
倒れ、頭を上げる相手に向かって勢いよく駆け出し、左足で地面を蹴って右膝で相手の顎を打ち抜く――
「シャイニング!ウィザード!」
力を持った者や希望の象徴である使徒が、人の叡智で身を固め、魔物を滅ぼす。この儀式は簡略化された侵攻作戦に他ならない。
狗はぐらつきながらも立ち上がろうとしている。さんざん打撃を食らい、脚を破壊されてもなお、こちらに向けて牙を剥いてくる。
まだ殺そうと、戦おうというのか……
「終わりにしましょう――」
観客の方に目を向けてやっと、歓声が僕を包んでいることに気付いた。素人格闘でも少しは楽しんでくれたようだ。
一瞬、席の一角で炎が煌めく。
目を奪われると、教授、斧を両手に持ったアイシャさん、そしてレガロを使って合図してくれたラロさんが見える
お葬式は終わったのだろう。教授はアイシャさんとラロさんを連れて、見に来てくれたのだ。
まだ生きている狗に背を向けて皆の方に近付いていく。観客席の方は小高くなっているから、僕は見上げるような格好になった。
真面目な表情のアイシャさんは歩み出て、闘牛場にいる僕の方へ、そっと斧を放る。
こういった演出も一興だろうと、最後に教授から武器を渡されれば盛り上がるのではないか?と考えたのだ。所詮思い付きだから、深い意味など無いのだが。
アイシャさんを呼んでいたのは予想外だったが、僕の案内人で、シスターである彼女に協力してもらった方がそれっぽいだろう。
回転しながら落ちてくる斧を見て気付いた。まずい、これで格好良くキャッチできなかったら締まらない。
――緊張で身体が強張った瞬間、鎧の尻尾が動いた。
「えっ?」
初めて呪いの鎧を着たとき以来、感覚だけあってウンともスンとも言わなかった尻尾状の装備品が、ひとりでに動いて器用に斧をキャッチする。
尻尾は僕に面頬を装着したときのように、恭しく斧を手渡してくる。
おおっ、と観客が驚いているが、一番驚いているのは僕だ。
……まあいい。考えるのはあと。
アイシャさんに一礼して、斧を肩に担ぎながら、ふらついている狗の方に戻る。
肉薄すると襲いかかってくるが、もう大した勢いは無い。思い切り水平チョップをかまして転がす。
ちらと目配せすると、遠くのラロさんと目が合った。
そう、僕がやっているこのプロレスは、僕たちが身を投じているこの戦いは、普通じゃない。
転がった狗の胴を踏みつけ、動きを止める。
集中し、何百回と繰り返した所作で、斧を振り上げる。
互いに出せる手札を全て使い、どちらかが滅ぶまで続ける――
ルール無用、時間無制限、一本勝負――
人と、魔物の――
「死の舞灯だ……!!」