36話 3月12日 反省会とは
コツコツ、と顔に着いている面をノックする音が聞こえる。
呻きながら仰向けになり、重い瞼を開くと、巨大な馬が僕を覗き込んでいた。
「わっ」
神馬の子。フベルトさんの才能だ。
戦闘時のような鬼の形相ではなく穏やかな表情だ。つぶらな瞳がゆっくり瞬きしている。
グラニの黒い顔越しにオレンジ色の空が見える。夕焼けだ、どのくらい眠っていたのだろうか?
顔を横に向けると木造の荷台が見える。どうやら荷運びに使う馬車に、寝かされているようだ。
荷台のへりに手をかけ、より一層の呻き声を出しながらだるい身体を起こす。
グラニが首を動かしたので同じ方を向くと、基地本部に、修練場、広い敷地を囲う木柵がどこまでも続いているのが見えた。
その他の施設も見覚えがある、中継基地だ。
黒い森から、戻ってきている。
少し遠くの方で人が集まっていて、笑い声が届いてきていた。遠目ではっきりとしないが、バーベキューでもやっている雰囲気だ。
小走りでこちらに向かってくる人影が見える。
長めの金髪を真ん中分けにした、ヨーロッパ系の男性。
「今回は早いね」
微妙に呂律が回っておらず、やる気のなさそうな顔に笑みを浮かべて声を掛けてくる。
フベルトさんだ。甲冑は脱ぎ、ラフな服装に着替えている。
「グラニが起こしてくれたみたいで……」
「ふぅん――ま、いいや。反省会やってるよ」
生まれたての小鹿の如くよろよろと荷台から降りようとすると、グラニが筋肉の詰まった太い首を上手に使って、僕を背に乗せてくれた。
あれが……反省会?
手綱を握り、グラニに揺られて人だかりに近付いていくが、とても反省しているようには見えない。
幾つも設置されている、食べ物で埋められたテーブルを訓練に参加した二百人近くが囲っている。騎士も木こりも自警団員も使徒も一緒くたになって、コップを片手に大騒ぎして笑っているのだ。
皆は気分が良くなっていくうちに席を立って歩き回るようになるから、半数くらいの人は立ち飲みだ。役目を果たしていない椅子がそこここに転がっていて、当たり前のように誰も直さない。
どう見ても宴会だ。
「最初は反省会っぽかったんだけど」
フベルトさんが僕の思考を先読みしたように話し出す。
「木こりは事故起こしたから、親方衆は申し訳なさそうにしてたし、俺たちは最後まで余裕を持てなかった。被害は少なかったけど、訓練としては微妙」
フベルトさんはグラニと並んで歩きながら、呆れたように話す。
「酒入ったらダメだったね。あっという間に宴会」
起きたかあ!とか、
英雄の凱旋だな!、とか、
僕たちに気付いた人が、お酒の入ったコップを掲げながら挨拶を飛ばしてくる。かなりできあがっているな……
フベルトさんに手を借りながら下馬する。
「ローマンに声掛けとこう」
「ヘイト、すまない。大丈夫かい?」
柔らかな長めの金髪に、フベルトさんと同じくヨーロッパ系の男性。
創造主が本気出して作ったように整った顔に、心配しているような色を浮かべてローマンさんが言う。
「いえ。ローマンさん、ナイスショットです」
ローマンさんは暗闇の中で炎の光をたよりに、あの距離の狙撃に成功している。判断の速さもそうだが、その弓の腕に助けられた。そう思って称賛の言葉を口にすると、
ローマンさんはちょっと驚いたあと、
そうか、良かった、と苦笑した。
フベルトさんとローマンさんは、倒れている椅子を人数ぶん直して席を作ってくれるたので、腰を下ろす。
「あの……どのくらい寝てたんですか?」
ローマンさんが答えてくれる。
「ああ、半日くらいだよ。憑霊を倒して、日が昇ってからすぐに基地まで戻ってきたから」
「そうなんですね、襲撃はどうなりました?」
「最初の攻撃での被害を抑えられたから、こちらの態勢が整ってから戦力差で押し返した。君が仲良くしていたアレホとセナイダだけど――
アレホは全身傷だらけになったけど致命傷は無し。セナイダは肋骨が折れてて重傷。教会送りになったけど、命に別状は無いってさ」
「良かった……伯爵とレオンさんは?」
伯爵はあそこ、とフベルトさんが指を指した方には、コップを持ってフェルナンドさん、メサさんと話している髑髏兜が見えた。大丈夫そうだ。
「レオンは打撲と足首の捻挫くらいだ。応急処置を受けて歩けるようになってるよ。どこかにいるはずだけど……」
「あ、えっと、無事ならそれで――」
ローマンさんがレオンさんの姿を探して人混みを見渡し始めたので、つい断ってしまった。どうにも、何を話したらいいか分からない。
「ヘイト、起きたか」
千鳥足で近寄ってきたのは教授だ。まとまっていない白髪交じりの髪と無精ひげが、長年放置された庭を思わせる。しゃんとしたら格好良い英国風の紳士になると思うのだが、残念だ。
まあ親しみやすくはなっているのだが、彼の肝臓が心配になる。
「おはようございます。また相当呑んでますね」
「これも当初の目的である和解のためだ。仕方なかろう」
教授は顎をボリボリと掻きながら、自分の椅子を用意して腰を下ろした。
和解か。そう言えばそうだった。お酒をかっ食らう木こり達は、勘治先生派もラグナルさん派も問わず肩を組んでいたりする。
「大成功みたいですね――」
「ああ、領主もひと安心だろうよ」
「え?ディマス伯爵では……セフェリノさんですか?」
思わぬ名前に呆気に取られてしまう。この辺りの領主であるセフェリノさんがどう関わってくるのだろうか?言いだしっぺはディマス伯爵だと聞いていたような。
「セフェリノが伯爵に裏から話を持ちかけたんだと思うぞ。証拠はこれだ」
教授はそう言って木のコップを掲げる。中身はお酒だ。提供元が領主、つまり国会ということか?
「お酒の準備をしてくれた……?」
「ああ、酒だけじゃなく食い物や他の消耗品もな。安価なビールだけじゃなく、ワインやブランデー、ウィスキーの樽も幾つかあったし、アルボールドラド家の、狼を模した紋章が入っている箱が混じっていた」
アルボールドラドはセフェリノの家名とこの領地の名前、とフベルトさんが補足してくれる。
「この訓練の援助をこっそりしてくれたってことですか。ありがたいですね」
「あいつはそんな生易しい男じゃないぞ。いいか、領地に莫大な経済効果をもたらす大規模侵攻中に、木こり同士や使徒同士に軋轢があると領主として面白くないんだ。
魔物と戦える木こりや使徒は戦力の中核で、人を集めれば増えるという訳じゃない」
「医療技術を持った聖職者と同じように?」
「そう、だから伯爵に金を積んで訓練を企画させた。利益で釣って関係者を全員死地に放り込み、連帯感と疲労感が生まれたところに酒と肉を突っ込む。元々仲は良かったという前提はあるものの、その結果がこれだ」
教授が宴会――もとい反省会の方に目配せする。
一体感を持って異様な盛り上がりを見せる会場には、だみ声の歌が響き渡り、度重なる乾杯でコップは破壊され、空いた皿をどけて腕相撲に興じている。
とても2週間前に棒でシバき合っていたとは思えない。
「もう潰れそうだな、セッティングしてくる」とフベルトさんが呟いて、席を立った。どういう意味だろうか?
「理屈は分かりますけど、リスキーと言うか、多少の犠牲は承知の上って感じですねぇ」
「お前の言う通りだ。木こり連中もその辺は良く分かっておる。『ウチの領主様は俺たちの命なんてなんとも思っちゃいないが、払いだけは良い』との評判だ。
だが、おかげでディマス騎士団は経験値と賞与を得、木こり達は和解できて腹を満たせる。で、儂もこうして良い酒にありつける」
そう言って教授はぐいっとコップを傾けて、
「国会の連中と付き合うのはほどほどにしておいた方がいいぞ。判断に迷う仕事を頼まれるからな」と続けた。
「なるほど。最初のミーティングで、伯爵も面倒くさそうにしてましたもんね。断れなかったのかな」
今思えば、仲違いしている僕たちをまとめて戦うのは大変だっただろう。連携が取れない味方と敵を前にはしたくない。
「年齢と領主を務めている時間はディマスが上だが、辺境伯であるセフェリノの方が地位は上だな。
代々家同士の付き合いもあるようだし、金を積まれちゃ断れんだろう」
そう言って、教授はコップを空にした。
「ヘイト、次こっち」
「ああ、はい。教授、またあとで」
「うむ、行ってこい」
戻って来たフベルトさんに呼ばれ、教授と別れてよたよたと向かう。
「ヘイト様、ご無事で何より」
「ああ、ダメかと思ったよ」
「えっと、あの、お疲れ様です」
僕の姿を見たフェルナンドさんとレオンさんが声をかけてくれる。僕が生きているのは当然と言いたげなフェルナンドさんと、ほっとしたような表情のレオンさんが対称的だった。
山賊の親分のような勘治先生はいつもの仏頂面で焼き目の付いた燻製肉を口に運んでいる。
フベルトさんが呟いた"セッティング"とは、彼らをひとつのテーブルに集めていたのか。昨夜は成り行きで一緒に戦ったが、気後れしてしまう顔ぶれだ。
「ローマンの攻撃食らって、よく無事でいられるよね」
「て、手加減してくれたのかな、と」
フベルトさんが軽い口調で話し出したので、他愛のない返答をする。
「どこで覚えたんだ、そんな戦い方」
「勘治が"子"を速く倒していれば、もっと楽できたかもね」
「お前だって苦戦してたじゃねえか」
「ふふっ、そうだな」
先生とレオンさんも気安く会話をするが、その口調からはどこか空気を読んだような、一抹の気まずさが感じられる。
「いやあ、そもそも私は助太刀できませんでした、柵の方に向かってしまったので。不覚です」
「混乱してたからね、仕方ない」
フェルナンドさんは後頭部を搔きながら困ったような笑みを浮かべ、フベルトさんがフォローしている。
会話の雰囲気は穏やかなものだ。当然か……皆大人だからせっかく一緒に行動したことで溝が埋まりそうなのに、関係性をこじれさせてまで我を通すようなことはしない。
僕にとっては都合が良いのだろう。話す機会は作れたのに、それをしないまま、なあなあで終わらせられるかもしれない。
反省会の方に目線を向ける。皆が騒いで料理を地面にこぼすから、野良犬がそのおこぼれにありついている。
反省会か……
このまま穏やかに話していれば、表面上の人間関係は取り繕えるのかもしれない。
だが――
「あの、レオンさん――」
何となくで済ましてはいけない。言わなくてはならない。そんな気がする。僕たちがレオンさんと関係の修復を望むのなら。
「どうした?」
「先月末の、ラグナルさんとテアちゃんのこと、申し訳……ありませんでした。一言相談するべきだった。貴方には……」
どう話せばいいか分からず、喉に突っかかった言葉を吐き出すように、謝罪の言葉を述べ、首を垂れる。
ラグナルさんとテアちゃんを間近で見て、一番心配していたのは彼なのだ。彼にとって僕らは、寄ってたかって仲間を追い詰めたのと変わらない。
「君に、謝られてしまうか……」
レオンさんは空に向かって呟く。
「……テアは、私には何も言ってくれなかったよ。彼女には分かってたんだ。私では何もできなかったと……信頼されてなかったのだろう」
「あ、えっと」
それは違う、テアちゃんはそんな子じゃない。きっとレオンさんに気を遣ったのだ。そんな思いが湧いて来るのに、一向にまとまらない。
「お前にまで裏切らせるワケにはいかねェだろ」
と、そう言ったのは勘治先生だった。
フェルナンドさんが先生に同意して、レオンさんの目を見て諫めるように話す。
「レオン様。勘治様の仰る通りかと。貴方は私たちを否定しなければならなかった。
レオン様が最後までラグナル様とテア様の味方であったことを、ラグナル様は感謝しておられるはずです」
「そうか――そう、なのかな――――」
レオンさんは目を瞑り、ゆっくりと息を吐いた。そして――
「すまない。どうしても私は君たちのやり方を肯定できない」
レオンさんはそう言って、席を立つ。
……駄目だった。仕方がない、どんな結果になるかは覚悟していたから。謝ったところで過ちが消失することは無い。
仕方がない。仕方がないが、レオンさんとの和解は果たされなかったのだと、そう思うと、どうしてもやるせなくなる。
下を向いたまま頭を動かせない。
「だが」
言葉が続き、目線を上げる。
「――盾が必要になったら、声をかけてくれ」
レオンさんは少しだけ微笑みながらそう言い、テーブルを離れていった。
フェルナンドさんは、遠ざかっていくレオンさんの大きな背中を見送りながら話し始める。
「先日レオン様と立ち合い、妥協を許さない、強い信念を持った方だと感じました。そんなレオン様だからこそ、私たちのやったことが納得できない。
何より、ラグナル様の力になれなかった自分自身のことが、許せないのでしょう」
「……はい」
「気持ちの整理をつけるのに、時間が必要な時もあります」
「時間が、解決してくれますか?」
「はい――きっとまた、共に戦えます」
フェルナンドさんは笑みを浮かべて、そう言ってくれた。
「おーい、ヘイトぉー」
ずいぶんと気が抜けているがアントニオさんの声だ。そう言えばあの小麦色に日焼けした顔を見ていない。
声のした方向に目線を向けると、裸足で肌着になり、頭からワインをかぶったアントニオさんが満面の笑みを浮かべて近寄ってきた。
「うわっ、どうしたんですか?」
「イザベルちゃんに賭けカードで負けて、身ぐるみはがされちゃった」
「えぇ……」
濡れた黒髪をかきあげるアントニオさんは本当に楽しそうだ。お酒も相当呑んでいるのだろう。勘治先生は彼を汚物を見るような目で見ている。
「あとちょっとでイザベルちゃんの芸術的な身体を拝めたんだが……」
一体何をやっているのかこのひとは。さっきまでとの雰囲気との違いに気が抜けてしまった。
「まあ、それは関係ないな――お前まだ戦えるか?」
「え?あ、まあ、ちょっとなら」
突然の質問に、内容を良く吟味せず答えてしまった……どういった用だろう。
「よし!じゃあ、お前も召喚祭に出ろ」
「は?」
こうして、反省会を以って合同訓練は終わった。
思いがけない予定を作りながら。