34話 3月11日 合同訓練 ~餓鬼~
「両手に花だなあ?ヘイト」
横に並んで歩くイザベルさんが、呪いの鎧から生えている尻尾を引っ張り、ニヤニヤと笑いながら挑発するように言ってくる。
「イザベル、使徒様に対して失礼でしょう。いち聖職者としてそれでいいの?」
横に並んで歩くメサさんが、松明の火を乾いた薪に移しながら、イザベルさんをたしなめている。
「……どうして」
僕は見目麗しいふたりの女性に挟まれて、とぼとぼと歩いている。この状況は難易度が高すぎる、何を話したらいいのか分からない。
少し肌寒いのか外套を着てくれているのが唯一の救いだ。これでイザベルさんがいつもの少ない布面積だったなら、地面を見て歩くしかない……一応警備なのに。
トレンチコートを着たふたりの男に連れられる宇宙人も、こんな不安を抱いていたのだろうか。
「ああ?良いんだよ、こんなんで。我らが創造主も使徒様も寛容であらせられる。なあ?ヘイト」
「あ、え、べ、別に気にしません……」
話を振られるたびに思考が遅延し、自分が何をしゃべっているのか分からなくなり、声量は尻すぼみになる。
夜の帳が落ちるにつれて自然と訓練は終わり、皆が食事を摂りに行き始めたことで、野営地は閑散としていった。
篝火を灯して周りながら、僕たち三人で本日最初の夜警に出ている。
交替までこの緊張感が続くのだろう。このままではまずい。どうにかしてふたりに会話してもらい、僕は空気になろう。
夜風と化すのだ。
「あ、えっと、イザベルさんとメサさんって知り合いなんですか?」
「ああ、メサは魔女なのに領主の補佐をやってる変わり者だからね。魔物のことで顔を合わせる機会も多いし」
「へ、へえ」
「ちょっと、変わり者はあなただけ。さっきだって伯爵に剣を当ててたじゃない。暗殺者以外であんなことしないでしょう?」
「甲冑狙ったから問題ないよ。それに魔法をふたつも使われたら手加減できないだろ。下手すりゃ死んじまうぞ。
ヘイトじゃないんだから。なあ?」
無理だった。
よく考えたら、適切に会話を誘導するようなコミュニケーション能力など僕には無い。
こうなったら仕事の話をしてみよう。相槌くらいは打てるかもしれない。
「そ、そうですね、伯爵凄かったですね、ふたつも魔法を使える人っているんですか?」
「みっつです」
「え?」
メサさんの答えに驚いてしまった。
「ディマス伯爵は3つの魔法を使うと聞いています。身体能力を強化する"戦士"、状況の先読みをする"調和"、悪魔の炎を借りる"火炎"です」
「へえ、メサさんは何個使えるんですか?」
「ひとつ。普通ひとつです。複数の悪魔と契約を維持するほど、供物は用意できません。私も毎月支払いが大変で……」
「伯爵は金持ってんねえ、万年金欠だと思ってた」
「騎士団を維持するための予算確保が大変なだけで、伯爵家としては結構な資産家よ。
確か……"火炎"の悪魔には毎月家畜を、"調和"の悪魔とは毎年馬の繁殖を契約しているって言ってたような。
伯爵家は長年、軍用馬を育てる牧場の事業主をやってるから、調和の悪魔との契約は簡単そうね、真似できないけれど」
「へえ、供物で馬の繫殖とかあるんだ……あとひとつは?」
「"夜宴の兜"。身に着けると好きな魔法をひとつ、悪魔との契約なしで使えるの。呪物でさえなければ、私も欲しい」
「それに魔剣、"エレンスゲの棘"だろ。あの貴族は珍獣だよな」
「あなたね……」
「『攻撃を7つに複製する』、『使うたび身体に蝋が溜まる』だっけ?試合で使ってなかったし、聞いても想像つかないね。
――領主の隣に髑髏かぶったお前が立ってたら笑えるな。私から頼んでみようか?」
「結構。あなた『面白そうだから』くらいの理由で、騎士団に入るから譲ってくれ、くらい本気で言いそうで怖いわ」
「あぁ!それなら伯爵も良いって言いそうだな」
「ホントにやめてよね?」
メサさんとイザベルさんは軽口を叩き合っている。
――ハッ。
いつの間にか空気になっていた。
交替の自警団員がふたり、歩いてくる。
「おっ、そんな時間か。寝みぃ……一緒に寝るか?ヘイト」
人間は空気になれないみたいだ。
「け、けけ、結構です」
突然そういった冗談を飛ばすのはやめて欲しい。
「傷つくなあ」
イザベルさんは声のトーンを落とし、顔をそむけてしまった。
いくらなんでもぞんざいな返答だっただろうか。何と言って取り繕ったものか焦っていると、
くっくっくっ、とイザベルさんは肩を震わせて笑っている。
「イザベル、ヘイト様をからかわないように」
メサさんの口調には諦めが滲み出ていた。
それからふたりに挨拶をして、女性用兵舎に戻る姿を見送る。
非常に疲れた。
夜が明けて、今日も訓練が始まった。
昨日までとの相違点がふたつ。
ひとつは伐採している場所だ。昨日までは野営地からほど近い地点で戦い、野営地の敷地を広げるように侵攻していた。
だが、今日は野営地から離れ、黒い森を縦断するように整備された太い道、その先を進んでいる。
伐採部隊の後ろから整備部隊が進んでいて、切り出した木材を搬出し、踏み固めて柵を設置している。森を切り開いて道を敷設しているのだ。
目標地点は数キロ先にある"聖なる泉"と呼ばれている場所だ。そこは黒い森の只中にあるが、魔物が近寄らない安全地帯らしい。
大規模侵攻ではまずそこを目指して道を敷き、より大規模な拠点を設置して伐採地を円形に広げていく。そして次の目的地を目指して侵攻していく。
百年前、黒い森に飲み込まれた"城塞都市"に向かって、進むのだそうだ。
そもそも、大規模侵攻作戦における最終的な目的は、その"城塞都市"の奪還だ。しかし長年にわたり、外郭にすら到達できていない状況が続いていると聞いている。
そういった目的はあるものの、参加者側がその目的を共有して、士気を高めているかと言えばNOである。
人々が集まる目的は稼ぐためであるし、お金を持ち帰るためには、目の前に迫りくる大きな問題を解決せねばならない。
自分や仲間の、生命の危機という問題を。
話を戻して、相違点のふたつ目――
弓の扱いに熟達した斥候が数名、散らばって戦闘部隊の前を歩いているのだ。
防御力に長ける盾を持った前衛、そのさらに前をスカウトたちが弓を携え、遅々とした歩みで進んでいる。普通の戦場であれば逆だろうが、ここではこれでいい。
彼らは茂みと藪だらけの森で、ある特殊個体を早期発見するために、精神を擦り減らしている。
戦闘部隊の右翼にいるスカウトが、右手を挙げて、足を止めた。
「全隊停止」
ヒルさんの命令が部隊に響くと、甲冑を着た前衛が盾を構え、姿勢を低くする。
右手を上げたままの彼は、仲間のスカウトに目配せしている。頭巾の隙間から見える横顔からは強い緊張が窺えた。
彼が示したハンドサインは20m先。
居る――
「防御態勢」
前衛が盾を頭の位置まで挙げると、近くの者はその後ろに下がる。スカウトは矢筒から矢を引き出し、弓に番え、弦を引き、狙いを定め――
ドンッ――
と爆発音が森に響き渡った。瞬間的に聴覚が麻痺し、耳鳴りが遠ざかるにつれパラパラと砂が当たる音が聞こえてくる。
特殊個体。
黒い森の餓鬼。
等身が低い、栄養失調の子供に似た体躯の魔物。体表は黒く樹皮のようで、頭部はクルミの殻に酷似している。
移動速度は遅く、また魔物の中で最も脆弱な肉体を持つ。
だが、その危険性は高い。奴らは、水がたまったかのように肥大した腹部に刺激を受けると爆発を起こすのだ。
奴らは人間を見つけると、よたよたと細枝のような足で接近し、針金のような腕を自らの腹に突き立て、自爆する。
爆発時、広範囲に鋭利な骨を飛散させるため、多少離れていても人体を損傷させてしまう。
黒い森の深い地点から稀に出現し、その際は数匹の群れを成して現れる。アントニオさんが言うには、1匹で破砕手榴弾くらいの威力はあるらしい。
もし、茂みに紛れてうずくまっているペタを踏み抜いてしまえば、神に祈る暇もない。
「襲撃に備えろッ!!」
スカウトは木立を背にして衝撃をやり過ごすと、素早く木に登り、他のペタを探すため警戒に入る。
爆発音に釣られて狗が襲撃してくるから、前衛の邪魔にならないよう回避したのだ。
間を置かず狗が駆けてきて戦闘が始まった。無傷でペタを処理できたことで戦闘自体に危うさは無い。
だがもしも、爆発によって前衛が崩され、そこから狗が雪崩れ込んだら部隊は瓦解するだろう。
僕は普段より積極的に斬り込んでいった。不意にペタが接近していた場合、最前線で鞘無を振るっている勘治先生を庇うためだ。
もし僕の近くで爆発が起きても死なないだろうし、先生が倒れるより僕が倒れる方が、戦力の低下は少ない。
食らいついてくる狗を、無理矢理に押しのけながら戦い続けた。
嵐が去ったように、狗の襲撃がぴたりと止まる。
今僕たちは、例月の侵攻作戦で戦闘部隊が入る場所より、森深い地点まで来ていた。苦労せずここまで侵攻できているのは、森の中にできた道と野営地のおかげだろう。
悪い面もある。黒い森はより深い場所ほど、現れる魔物の数が多くなるのだ。それを証明するかのように、辺りには夥しい量の魔物の死骸が転がっていた。
地雷原の中で戦うような、神経を衰弱させる状況が続いたからか、皆の疲労は訓練初日の比ではない。
見回すと武器を杖代わりにして立っている者が多く、荒い呼吸音がいくつも聞こえる。
怪我人はちらほら出ているが、幸いにも死者はいない。
これで終わりならいいが、そうはならないだろう。この静けさはあくまで一時的なものだ。すぐに次の嵐は唸って襲い来る。
その時、どれだけ余裕を持って戦えるだろうか。
「撤退しよう」
とヒルさんが言った。
ディマス伯爵も同意し、騎士の数人がスカウトをひとり連れて、連絡係として後方に向かわせた。僕たちの撤退を伝えて、作業を終わらせてもらわなければ。
幸か不幸か、ペタを警戒して行軍のペースは遅かったため、野営地からそれほど離れていない。伐採部隊の仕事も進んでいるだろう。
巨馬のレガロ、"神馬の子"を駆るフベルトさんの騎兵部隊や、規格外の威力を持つ弓のレガロ、"衝撃波"を持つローマンさんの弓兵部隊による援護を受けられれば、撤退戦は上手く行くはずだ。
――ふと、人影がこちらに走ってくるのが見えた。方向は、伐採部隊のいる後方。連絡係が戻ってくるにしては早すぎる。
木こりだ。4人が切羽詰まった表情で駆けてきている。
木こり達は息を切らしながらヒルさんとディマス伯爵に何かを告げると、ふたりの雰囲気が重苦しいものになった。
ヒルさんは黒髪を掻き揚げ、後頭部から手を放さず苦渋の表情を浮かべている。伯爵は腕を組み、横目で疲労した騎士たちを見ていた。
「皆、聞いてくれ」
ヒルさんが口を開いて注目を集めた。嫌な予感がする。
「事故が起きた」
「伐採途中の木が蔓に絡まっていたらしい。引っかかった幹に強い力がかかり、裂けて根本が跳ねた。
作業にあたっていた木こりの若い衆が、跳ねた木に当たって重症。予定外の方向に木が倒れて、足を挟まれた奴が動けなくなったそうだ。
ついでに対魔物用で設置してた急造のバリケードが、倒木に巻き込まれて損壊、撤退ルートの障害になってる。
救助作業と撤去作業をやってるが、狗の襲撃があるせいで難航中だ。
――防衛戦をやるぞ」
ヒルさんは早口で、尚且つはっきりと説明をする。話し方からは焦りを感じさせないが、部隊のストレスを思ってのことだろう。
今の状況で後ろに下がっても、もたついてしまうだろう。トラブルの発生により撤退できないのだ。
それに僕たちが、敵を作業中の部隊まで引き連れていく格好になったら最悪だ。疲弊した部隊でここに留まり、後方部隊の作業が終わるまで戦うしかない。
ベテランは早くも気持ちを切り替えて息を整えているが、経験が浅い者たちの士気は落ちている。
魔物と相対して恐怖に飲まれれば、腰が引けて戦えない。頑張れば勝てるものも、勝てなくなる。
――危険かもしれない。
「剣を掲げよ」
ディマス伯爵が地鳴りのような声を出す。それを聞いた騎士たちが、脊髄反射のように動く。両手で柄を握り剣で顔を隠す構えを取り、直立不動になった。
「我々はこの地を守る鋼鉄の盾である。その在り方を何処であろうと変えてはならぬ。
その剣が折れようが、残った柄で敵を殺せ。その肉が朽ちたとしても、残った骨で敵を阻め――」
伯爵は、脅すような口調で言葉を続ける。
「狗が来るよ」
イザベルさんが警告を発した。
レオンさんや勘治先生を始めとする使徒たちが、各々のレガロを携えて前に出る。
「主より授かりし我らが運命、剣を以て尽くすことこそ悲願である。
総員、戦闘態勢」
騎士団は構えを解き、敵が来る方向に向き直る。動揺がすでに払拭されたことは、彼らの動作を見れば明らかだ。
彼らの装備する無骨な兜。その奥の瞳には、覚悟の光が灯ってぎらついている。
ディマス伯爵は数分の演説で、騎士団の雰囲気を一変させてしまった。
「正面から敵襲!数が多いぞ!」
木に登って退避したスカウトが、警告を発する。
僕は右手に魔剣を、左手に斧を握り締めて、勘治先生と肩を並べた。
「"エレンスゲの棘"を」
最前線に歩み出てきた伯爵が短く指示を出すと、老兵が一本の剣を恭しく差し出した。柄は大理石のような白色で、刀身がブロンズの光沢を放つ、硬質なクレイモア。
「間もなく接敵ッ!」
「"火炎"の悪魔よ、契約を履行する」
エレンスゲの棘と呼ばれた1.5mほどの大剣、その刀身が炎を帯びる。
狗が顎を左右に開いて飛び掛かる――
ディマス伯爵が魔剣を大上段に構え――
灼熱が奔った。
迫りくる狗が炎に飲まれ、炭化し、崩れ去る。
空気が熱せられて爆圧となり、身体を揺らして木々が騒めく。
相当な耐久力を持つはずの狗が、炎に触れただけでその高熱に怯んでいた。
あれが伯爵の奥の手――
魔法と魔剣による広範囲攻撃。
"火炎"の魔法によって発生した灼熱の奔流が、"エレンスゲの棘"によって7つに複製される。
伯爵を起点に7方向に迸る炎は、40mほど先まで届き、途中の生物と可燃物を燃やす。
炎に巻かれてその数を半分以下に減らした狗を、次々と騎士団が殺していく。
ペタが巻き込まれたのか、いくつかの爆発音が混じった。
悪魔の炎を纏ったエレンスゲの棘が横薙ぎに振るわれると、扇状に炎の壁が発生する。跡に残った炭と灰の大地を、髑髏兜が、甲冑に炎光を映した騎士団を率いて進んでいく。
空気が熱に炙られて発生した陽炎が、彼らの輪郭を揺らして曖昧にすると、その姿は死神の軍団に見えた。
――だが、疲労がなくなったのではなく、死力を尽くしているだけ。保ってきた余裕を使い潰しているだけだ。
魔剣を振るう伯爵の動きが徐々に緩慢になる。
盾と攻撃をかいくぐった狗が、騎士たちを引き倒し始めた。
まだか――
魔剣を狗の肋骨の隙間に差し込むと、筋肉の塊のような身体が倒れた。まだ掩護はできるが、数が多くなれば手が足りなくなる。
勘治先生は脚を斬り飛ばして、機動力を失った狗を量産している。だが、僕も躍起になって足止めしているから、止めを刺す余裕がない。
まだか――
斧はもうダメだ。さっきから刃が鈍り、血と脂で鈍器になっている。使い慣れない剣一本で戦うしかない。
剣で脚を払うが、骨に当たって切断できない。
「クソッ」
そして――
「伯爵!いけるぞ!」
ヒルさんが声を張り上げる。伐採部隊から作業完了の連絡が来たのだ。
「撤退する!」
ディマス伯爵が荒い呼吸混じりの指示を飛ばし、エレンスゲの棘を振った。視界が炎で一色になり、狗の勢いが大きく削がれる。
そのタイミングで撤退戦に移った。
アレホさんと他の騎士が、ふらつく伯爵に肩を貸して歩き始める。
残党もいるし、そう間を置かず新手がくるだろうから殿は必要だ。僕も最後尾に残って撤退を援護する。
イザベルさんが指揮を引き継ぎ、魔法で巨大な獅子に変身したヒルさんと、デスマッチを地雷にしたラロさんが、狗を散らして撤退を支援していた。
中途半端な伐採跡を抜け、開けた場所に出る。
連絡係が野営地まで連絡に行っていたようで、戦える木こり達と騎兵隊、弓兵隊が待機していた。
彼らの支援で、瞬く間に魔物が殲滅される。
ようやく、撤退完了だ。
勢いの弱まった魔物を傭兵たちに任せ、野営地に着いた頃には日が暮れていた。
戦闘部隊の面々は到着するなり、地べたに座り、仰向けに倒れている。緊張の糸が切れたのだろう。
ディマス伯爵は手と膝を着き、激しく嘔吐し始めていた。アレホさんは兜をかなぐり捨てて、秘跡を使っている。
吐瀉物は白く、透明、あれは――
「アレホ!ディマス様は!?」
セナイダさんが心配そうな表情で聞くと、アレホさんが苦渋の表情を浮かべて答えた。
「魔剣の使用により、体内に発生した蝋のせいで窒息しかけています……ディマス様は、しばらく戦えません」
それを聞いたセナイダさんの表情が沈む。反動を受けているのが自分であるかのようだ。伯爵の身体を気遣ってのことだろう。
「アレホ、セナイダ。ディマス様は聖職者たちに任せる。お前たちは装備を片付けて、今日は早く休め」
年嵩のある騎士がふたり来て、アレホさんとセナイダさんに声を掛けると、伯爵の大柄な身体を支えて野戦病院へ運ぶ。
しばらくの間、アレホさんは何も言えず伯爵の背中を見送り、セナイダさんは地面を見て立ち尽くしていた。