32話 髑髏公
この街から北北東の方角に100㎞ほど進むと、この国の王が居を構える王都がある。
そこからさらに北西に、北方諸国との国境線を成しているいくつかの領地がある。そのうちのひとつを治めているのが、ディマス伯爵だ。
北方諸国とこの国とは、長年にわたり険悪な関係が続いているようだ。小競り合いは絶えず、戦争に発展する場合もある。
伯爵が率いるディマス騎士団は、他国の侵略からこの国を守る盾の役割を担っている。物語になるような誇り高い役割だが、発生する軍事費はすべて領地持ちである。
とにかく常設軍というのはお金がかかるものなのだ。
騎士たちは戦闘のプロフェッショナルであるが、扱う剣や槍、甲冑や馬具、毎日食べるパンだって、生産はしない。
領地が内から瓦解するから、税も無尽蔵に吸い上げられるわけではない。
平時には軍事訓練をしているし、治安維持のための抑止力にもなっているが、基本的に消費する一方だ。
そういうわけで、常にお金の工面には頭を悩ませているらしい。
とどのつまり、年に2回、国内有数の軍事力であり、知名度も高いディマス騎士団がこのティリヤに来る目的は、割りの良いアルバイトをするためだ。
得意の戦闘能力を遺憾なく発揮し、1ヶ月間みっちり魔物を殺し、木こり達を守り、この街の領主と商会からたっぷりと報奨金を貰う。
神敵である魔物を討伐し、土地を取り返す。よってこれは聖戦である。という建前があるから、風聞を気にすることなく、騎士団の紋章をでかでかと掲げて自分の領地を離れてこられる。
ディマス騎士団だけではない。剣を持って大規模侵攻に集まる者は、皆似たり寄ったりだ。
領地を上げての侵攻作戦は、国会、商会、教会といった派閥が関係なくなる。また戦略も人数頼りの力押しだ。労働力は多ければ多いほど良い。
金に困っているなら、老人、孤児、寡婦、奴隷、ごろつき、犯罪者、傭兵、なんでもござれ。
国会相手なら警備関係、教会相手なら医療関係、
商会相手なら木材など買い取り可能な物や、魔物の決められた部位を持ち帰れば、報酬が支払われる。
これを機に生活を変えようとする者や、ティリヤに根を張る者も多い。
――――と、中継基地に向かう馬車の中で、教授に教えてもらった。
「年に2回なのは治安の崩壊を防ぐためか」
アントニオさんが納得したように言い、
「医療もね」
フベルトさんが補足した。
依然として忙しい教会を離れるのは気が引けたが、アイシャさんに、
「怪我人を減らしてきてください」
と言われた。
死なない僕が敵を引きつければ、その分怪我人は出なくなるだろう。アイシャさんを始めとする聖職者たちも仕事が少なくなるはずだ。
有無を言わせぬ口調だったし、額には血管が浮いていたように見えたが、彼女は僕が戦いに赴けるよう背中を押してくれたに違いない。
違いないのだ。
もうすぐ、中継基地に到着する。
「ヒル、付き合わせてすまない。こう面倒なのは苦手でな」
低く、威厳のある声の男性が、ヒルさんと話している。
「別に構わねえけど。ディマスの旦那、俺みたいな下民相手にそんな接し方してていいのか?『頭が高い、控えおろう』って言うところだろ」
「やめろ、そういうことから逃げるためにここまで来たのだ。騎士団の目的は金と訓練だが、私個人の目的はストレス解消だ」
「ふうん。領地ほっといて、そんなちょくちょく魔物なんざ倒しに来てていいのかね」
「フアニート男爵に任せてきた。貴族に珍しく真面目な男だ。問題ないだろう」
「信頼してるねえ。会ったことないけど、優秀らしいな。旦那の部下は大変そうだ」
「男爵に収まるような男ではない。そうだな……奴にも休暇をくれてやるか、私が帰った時に心労で死んでなければだが」
中継基地の会議室。本来であれば侵攻作戦の責任者であるシリノが座っている席には、今は別の、大柄な男性が座っている。
素朴だが上品な木の椅子にどっしりと体重を預け、ヒルさんと雑談をしているのがディマス伯爵なのだろう。すぐに分かった。
頭蓋骨を模した兜が、彼の頭部をすっぽりと覆っているのだ。
その造形は恐怖を想起させるものではない。
漆黒の滑らかな曲面には金色の装飾が施されており、どこか静謐さや、上品さを感じさせる。美術館に展示されていたら見入ってしまうだろう。
髑髏公。
彼がそう呼ばれている理由が分かった。
部屋の隅には甲冑と深紅のマントが掛けられている。どちらも金色の紋章が装飾されていて、特別な身分にある者が着用する装束だと一目で分かった。
どちらも非常に高価そうだと思うものの、あの兜ほどではないと思う。素人考えだが。
「遅れてすまない」
扉が開いて、レオンさんが入ってくる。いつか見た気持ちの良い笑顔ではなく、どこか浮かない表情している。
僕は彼の姿を見てつい視線を落としてしまった。とても目を合わせることができない。
「さて、親方衆と使徒の皆様も揃ったようだ。ヒル、紹介を頼む」
ディマス伯爵がヒルさんに声を掛けると、顔合わせが始まる。名前を呼ばれた人が片手をあげる程度の簡単なものだ。
勘治先生、ローマンさん、フベルトさん、アントニオさん、教授、僕。
レオンさん、ビダルさん。
イザベルさん、ラロさん。
メサさん、フェルナンドさん。
勘治先生派の木こり達をまとめる親方。同じくラグナルさん派の親方。
ヒルさん。
先月末に起こした暴動の関係者たち。つまりセフェリノさんに大目玉を喰らった馬鹿者たち。雰囲気的には反省会だ。
最後に――
「で、顔役のシリノを追い出してここにふんぞり返っているのが、我らがディマス伯爵だ」
「ディマスだ。
本訓練は案山子に斬りかかるようなものではない。実際に魔物を相手にして戦い、戦闘における技術や知識、状況判断や心構えを実地で学んでいくことが目的だ。
ただ、今回は木こりや自警団の若い衆。そして我が騎士団からも戦闘経験の少ない者が参加する。常に余裕を持ち、我々が有利な状況で戦うことを心掛けてほしい。よろしく頼む」
以上だ、と挨拶を終わらせるのを聞いたヒルさんが、場を仕切る。
「ようし、じゃあ、今から言う奴らでまとまって馬車に乗れ。黒い森に向かうぞ」
通常の侵攻作戦では、黒い森を広く浅く伐採する。それに対して今は、太い直線が遠くの方まで伸びていて、まるで街道のような伐採地が続いていた。
黒い森に作られた馬車四車線分の道路は、切株ひとつ残っておらず踏み固められている。森との境目には柵が作られており、統一感のない装備を着る傭兵たちが警備していた。
人の往来は絶えず、物資を運搬する橇や、怪我人を運ぶ幌の無い馬車と何度もすれ違う。
中継基地に到着した時も人の多さに驚いたが、魔物が蔓延る黒い森の中にまでこれほど人がいるとは思わなかった。野営地までできている。
これまで地獄にいるような体験をしているだけに、信じられない。
合同訓練に向かう僕たちは、いくつかの馬車に分乗して車列を作っている。僕が乗る馬車は一際豪華なもので、車列の中央くらいに位置していた。
乗っているのは、
僕、教授、ラロさん、騎士がふたりと、ディマス伯爵。
「どうして……」
この班分けは偶然ではないだろう。
まさか貴族であるディマス伯爵と一緒にされるとは思わなかった。失礼があったらどうしよう。肩身が狭い。
ディマス騎士団から、アフリカ系の男性で知的な雰囲気を感じるアレホさんが同乗し、ラテン系の女性で意思の強そうなセナイダさんが、御者をやっている。
ふたりとも若く、僕より少し年上くらいだ。
「ご挨拶が遅れまして申し訳ございません。初めましてヘイト様、ディマスと申します。この兜は呪物故、ここで脱ぐことはできません。素顔を晒さぬご無礼をお許しください」
「やややややややめてくださいそんなかしこまらないでください。こっ、困ります。ヒルさんと話すようにしてもらって構いませんから」
ディマス伯爵とお付きのアレホさんが丁寧な挨拶をしてくれた。偉い人に頭を下げられると居心地が悪い。
「フフッ。では、そうさせてもらおう」
そうしてもらわなければ、肩身が狭くなりすぎてぺちゃんこになるだろう。
「ヘイト様は使徒でありながら才能ではなく、呪いの装備を纏い、魔剣を使って戦うとヒルに聞いた。
君に興味をそそられてね。行動を共にできるよう頼んだ。迷惑だったかな?」
「い、いえいえ、全然……その兜にも呪いが?」
僕の全身を覆っているこの鎧と同じく。
「うむ。この"夜宴の兜"も呪いの装備だ。多数の呪物と同様、着用すれば解呪の秘跡を受けなければ脱ぐことはできない。
――食事はできるがね」
そう言って、ディマス伯爵は耳の後ろに手を当てた。すると兜の顎関節の辺りが動き、開いた隙間から髭を蓄えた口が見える。
「私も呪いの装備、魔法、そして魔剣を用いて戦っている。お互い良い刺激になれば、と期待している」
教授と伯爵の雑談を聞きながら、移動していると、馬車が急停車し、身体が前につんのめってしまう。なにやら辺りが騒がしい。
敵襲だな、とディマス伯爵が呟くと、外からドアが開けられた。強張った表情のセナイダさんが報せる。
「ディマス様。魔物です、ご注意ください」
「分かった、出るぞ」
ディマス伯爵はどこか上機嫌な声で言う。アレホさんの表情が引き締まり、帯剣して我先にと馬車から出た。
伯爵と僕も、アレホさんに続いて馬車を降りる。
「Vamo、ヘイト」
「儂が殺されないように頼むぞお」
力ない声援を送ってくれる教授とラロさんは、馬車から降りる気はなさそうだ。
少し離れた柵に、黒い森の猟犬――狗――が群がり、取り付いている。縦に割れた口と頸の強靭な筋肉で木を嚙み砕いている。あれが人の身体だったらひとたまりもない。
……いつになっても、あの畜生共が目に入ると気分が悪くなる。
警備の傭兵がふたり、柵越しに槍で突いているが多勢に無勢だ。
間もなく突破されるだろう。
アレホさんとセナイダさんはロングソードを構え、僕、というよりディマス伯爵を守るように立っている。ふたりの手が震えているのに気付いた。
伯爵がふたりを押しのけて前に出る。
「私とヘイト様で敵を足止めする、お前らが止めを刺せ」
「ですが――」
「指示に従え。訓練の目的は連携の強化だ。己の役割を全うしろ。
ヘイト様。このふたりは経験が浅い。魔物との戦い方を見せてやってくれ」
「了解しました」
ふたりの騎士の前に出て、調子の戻らない右腕で魔剣を、問題の無い左腕で、木こりから借りておいた斧を握り締める。
「我が信仰を、災禍を退ける力に」
アレホさんがセナイダさんの甲冑に手を触れ、祈りを呟いた。彼は秘跡が使えるようだ。
確か"堅体"の秘跡だったか。教会で力仕事をする修道士から、身体能力を強化してより長い時間働けるようになると聞いた。
柵がもう保たないことを察した傭兵が、引き攣った顔でこちらに逃げてくる。
他の馬車から騎士が降りているが、狗と接触する方が早いだろう。
後方に下がったアレホさんとセナイダさんは緊張している。
彼我の兵力差に余裕は無い。
「有利とは言えないですね」
「問題ない」
「安全マージンは?」
「フフッ。私さ。
――"調和"の悪魔よ、契約を履行する」
逃げて来た傭兵たちとすれ違った時、柵の一部が壊れ、狗が飛び越えてきた。
数は8匹。
「半分受け持とう。"戦士"の悪魔よ、契約を履行する」
ふたつ目の魔法!?いや、驚いている場合ではない。
僕が相手にするのは4匹。殺さなくてもいいが、確実に足止めしなくてはアレホさんとセナイダさんがつらいだろう。
狗が駆けて来た。
こちらからも近づく。
みるみるうちに距離が詰まる。
――集中。
先陣を切った狗の口に向かって魔剣で突く。突進の勢いを受け止めた右腕に物凄い衝撃が走り、剣を放してしまう。
が、狗の腔内から入った刀身は、肉を割いて頸の横まで貫通している。こいつはこれでいい。
2匹目の狗に斧を上から叩きつける。狗は転倒し地面に転がったが、浅いか……
できればもう1匹――
斧を手放し、僕の足に喰らいつこうとした狗の口を蹴り上げ、爪先を捻じ込む。
突進と真っ向勝負した身体はバランスを崩し尻餅をついてしまった。
まだだ――
左右に分かれた顎を両手で掴んで、渾身の力で靴下を履くように引っ張り、喉の奥まで鉄靴の爪先を飲み込ませる。
狗の顎関節が破壊される音が響き、ぶちぶちと肉が裂けるのが見えた。
4匹目に体当たりをされ地面に叩きつけられた。馬乗りになった狗に抵抗できぬまま首に嚙みつかれる。
良し、4匹とも足止めできた。自己最高記録だと思う。
アレホさんとセナイダさんは、勢いを失った狗を剣で斬りつけている。僕よりずっと剣の扱いは上手だろう。
ふたりの剣技によって、馬乗りになっていた狗も4手ほどで肉塊になった。
「ヘイト様!ご無事ですか!?」
ふたりは僕を覗き込んで心配してくれる。
「あ、平気です」
と答えると、
えぇ、と狼狽えられてしまった。何故だろう。
セナイダさんに手を借りながら起き上がる。
伯爵の方を見ると、周りにはすでに3つの死骸が転がっていて、残りの1匹と戯れている。遊んでいるように見えるくらい圧倒的だった。
狗の飛び込みを最低限の動きで避けつつロングソードで斬りつける。
敵の攻撃はかすりもせず、喰らい付こうとするたびに、カウンターを受けた身体に生傷ができる。
アレホさんが援護しに向かおうとすると、伯爵は2手で両顎をそれぞれ斬り飛ばし、逆手に持ち替えた剣を狗の腹に突き刺した。
肉塊から無造作に剣を引き抜くと、血が赤い糸を引く。
「たった4匹ではな……」
剣を鞘に戻しながらこちらに戻ってくる伯爵は、なんだか欲求不満そうだ。
「アレホ、セナイダ、前言撤回だ。ヘイト様の戦い方は真似しないように。できるものではないがな」
はっ!とふたりは良い返事をした。
足止めしてから止めを刺すのはセオリーだが、ちょっと鎧の防御力に頼りすぎだろうか。
援軍の騎士が到着して周辺の警戒をする。傭兵のふたりも無事のようだ。
いいぞー、という教授の声と口笛が聞こえた。その方向に目をやると、教授とラロさんが馬車のステップに腰かけて、お酒を呑みつつニヤニヤ観戦している。
こっちが必死にやっていると言うのに、あのひとたちは……
目的の野営地に着くころには、馬車の揺れによってふたりは悪酔いし、顔を真っ青にして口を押さえていたのだが、自業自得だと思う。
「伯爵の前なんですから、口から粗相はやめてくださいね?」
と、声をかけておいた。