31話 3月1日 慌ただしい日々の始まり
「ヘイト、これ持って行って」
「は、はい」
厨房のフベルトさんに渡された木の皿には、一口大にカットされ、串に刺さったサンドイッチが盛られている。
燻製肉と葉野菜を挟み、トマトソースをかけられたサンドイッチが、バゲット2本分。
席には額に汗を浮かべた修道女が数人座っている。片腕しか動かせないので、皿をひっくり返さないよう注意しながら急いで給仕すると、すでに食事前のお祈りを済ませたシスターが――
次々と口にサンドイッチを詰め込みアルコールを飛ばしたワインで流し込み礼を言って小走りで出て行った。
あまりの早さに唖然としながら、白い修道服を見送る。
彼女らが昼食を食べに椅子に座ってから、数分ほどの出来事だ。
「ヘイト」
「はい。何か仕事ですか?」
「これから夜の仕込みだから、他手伝ってきて」
「……はい」
燃料持ってこないとな、とフベルトさんはふらつきながら呟いている。もう僕が出来ることはないようなので、邪魔にならないよう厨房の出口に向かった。
今月が始まってから、教会内は徐々に慌ただしくなっていた。次々と運び込まれて来る怪我人の治療にあたるため、聖職者たちは白い修道服を血液で汚しながら、病棟の中を縦横無尽に動き回っている。
波状攻撃を仕掛ける怪我や病気という敵を、医療技術と祈りの秘跡という武器を以て退け続ける。
その様子はまるで、戦場のようだ。
僕が神の使徒としてこの世界に召喚されてから2か月が経った。思えば、周辺の農村で暮らしていた時間の方がはるかに長く、これほど長く教会に滞在するのは初めてだ。
教会での共同生活。もとい軟禁が続いたことで、聖職者の皆さんが普段どのような生活を送っているのか間近で見ることができた。
当然というか、教会には主の教えを広く人々に伝える、という目的がある。それに加えてこの街における医療や福祉という役割を担っている。
中世欧州のような風景が広がるこの街で、医療は元居た世界とは異なる独自の発展を遂げている。
聖職者たちの祈りの力、秘跡。このファンタジーな能力は、万能とまではいかないようだが、細かい傷であればたちまち治ってしまうし、消毒などもできる。
そして過去、この街には医療関係者の使徒が何人も滞在していた。
そうした者がもたらした消毒や外科手術の概念と、祈りの秘跡が混ざり合い、ブレイクスルーを引き起こしたことで、死亡率は大幅に低下したようだ。
今でこそ教会に医者の使徒はいないようだが、その技術や精神性は脈々と聖職者たちに受け継がれている。
一日だけだったが、アイシャさんの仕事を手伝ったことがある。小麦色の整った顔には、笑顔に疲労が乗っているし、頭巾の隙間から見える黒髪も、心なしかくたっとして見える。
つい、何か手伝えますか?と聞いてしまったのだ。
「我が信仰を、主より賜る聖油に」
孤児院にいる少年が高熱にうなされていたが、アイシャさんが"病者の秘跡"とやらを使い、その額を指で撫でると荒かった呼吸が徐々に落ち着いた。
彼女は少年の身体に浮く汗をタオルで丁寧に拭うと、年下の修道士に引き続き看病するよう指示を出して、次に向かう。
洗濯物の山とご婦人方が格闘している。彼女らの多くは聖職者ではなく、何らかの理由で夫を喪い、家族を養うため教会まで働きに来ているのだと聞いた。
聖職者たちの家は教会であり、入院している者も多い。電気は見たことがないから、洗濯機なども無いのだろう。洗濯だけで大仕事だ。
アイシャさんは数時間手を動かすと、次に向かう。
病棟に急患が運び込まれたと聞くと、飛んで行って治療にあたる。ベッドに乗せられた男性は、右腕と右足を魔物に攻撃されたようで、患部を覆っている布切れは血液に塗れている。脂汗を出しながら呻く姿は見ていられない。
アイシャさんを含める数人の修道士たちは、"解毒の秘跡"で部屋、道具、そして自身を消毒すると、屈強なブラザーが痛みで暴れる患者を押さえつけ、外科手術と"癒しの秘跡"を施していった。
巡礼者たちが利用している簡易的な宿泊施設は、軽症の入院患者を受け入れる大部屋になっている。
怪我の痛みで苛々している人が多いのか、些細なきっかけで患者同士のいざこざが起こってしまう。
騒ぎを聞きつけたアイシャさんと数人のシスターが、身近な物で武装し鎮圧に向かった。
アイシャさんは、「忙しいんだから大人しくしていてくださいっ!」と叱りながら、患者をフライパンでボコボコにしていく。
情けない悲鳴が、石造りの病室にこだましていた。
1日だけの手伝いだったのは、アイシャさんに、
「ヘイト様は他の場所を手伝ってもらえますか?」
と強めに言われてしまったためだ。
要は解雇である。
当然だと思う。聖職者のような専門技能は持ち合わせていないし、少しずつ感覚が戻ってきた右腕は、十分に動かせないので固められている。
せいぜい水の入った桶を運ぶ程度で、大した手伝いはできなかったのだ。
足手まといと言っていい。
正直なところ、アイシャさんは怖かった。
これも当然で、アイシャさんが携わる仕事は人の命が関わっていて、その責任は大きいし、日夜問わず想定外のトラブルが起きやすい。
その割には、仕事ができるくらいに専門技術を持った人材というのは貴重で、簡単には増やせないのだ。
自然と個人にかかる精神的、肉体的負担は大きくなる。
余裕が無くなりピリピリした雰囲気になってしまうのは、義務感が強いことの現れだと思う。
僕は自身がアイシャさんのストレッサーにならないよう、速やかに逃げた。
一緒に軟禁生活を送っている他の使徒も、教会で何かしらの仕事を手伝っている。僕は何か仕事を分けてもらえないかと彷徨うようになった。
ローマンさんはある病室で働いている。そこは普通の病室と違い、心なしか美形のブラザーが多く働いており、看病されているのは怪我人ではなく教会のシスターだ。
真面目に働く人が多いからか、激務によって戦線を離脱してしまう聖職者が少なくない。そんな人が身体を休めるための場所がここだ。
同じ男性でも見惚れるような美しいご尊顔のローマンさんが、ハーブティーを淹れ、目を合わせ、頬に触れて、時に微笑み、心からの労いの言葉を口にして看病する。
ローマンさんは男性だが、神の遣いたる使徒である。貞淑を誓ったシスターでも気後れする必要はない。
不思議とシスターたちは、以前より肌ツヤを取り戻して、戦場に舞い戻る。
悪魔的だと思った。
「ヘイト」
「は、はい」
「あー、その。君の鎧姿は、とても頼もしいんだが……ここでは少しだけ威圧感があるかもしれない。他の場所を手伝ってあげてくれないか?」
「……そうですね」
確かに、厳めしい甲冑姿で病室をウロウロされては、落ち着いて休めない。僕は重い足取りで出口へと向かった。
アントニオさんは応急処置ができるので、聖職者たちに交じって臨機応変に動いている。
猫の手も借りたい状況だからか、止血や包帯を巻くだけでも助かります、とお礼を言われていた。
「ヘイト!」
「はい!」
「他当たってくれ!」
「はい!」
全然ダメだった。のろまなうえに片腕が使えない僕は、目まぐるしく動く皆についていけなかった。
ブラザーがふたり、小走りで担架を運んでくるのが見えた。邪魔にならないよう、石壁に張り付くように避け、道を空ける。
無力感に殺されそうだ。
穏やかな陽光がガラス越しに入る教会内を、とぼとぼと歩く。
勘治先生の姿はちょこちょこ見かけるが、すぐにどこかへ行ってしまう。
教授は農村に戻り、先月末にあった暴動の件で、宿の女将さんや木こり達に事情を説明しに行ってくれている。それを知ったエルザさんが心底残念そうにしていた。
教授の頭脳労働スキルは、教会の管理に必要なものだったのだろう。
いっそ部屋にこもっていた方が良いだろうか。いや、皆自分にできることを一生懸命にやっているのだ。
僕も何か、何か仕事を――
その時、窓から中庭の景色が目に入り、身体に衝撃が走った
「あ、あれは……!」
あれなら、あれであれば自分にもできる――
僕は走って中庭に向かう。
「危ないから走らないでくださいっ!」
シスターのひとりに叱られて早歩きで中庭に向かう。
教会の広い中庭、よく洗濯でも使われるここは今、大量の薪が積まれていて少し狭く感じる。
その周りでは、十数人の修道服を着た子供たちが働いていた。
何故気が付かなかったのか、沢山の人が食べる料理を作るのにも、手術器具の消毒にお湯を沸かすのにも燃料は必要だ。それこそいくらあっても足りないだろう。
人よりできないことをやるより、人よりできることを頑張った方が効率が良いはずだ。
うず高く積まれた割られていない薪が、僕を呼んでいる。
そう、薪割りだ。
これならば、誰にも負けない自信がある。
その時の僕には、斧と薪割り台が輝いて見えた。
設置されている薪割り台は3か所、斧も同じ数がある。うちひとつを担当している少年はまだ小さく、体格に合わない大きな斧と、節がある薪に四苦八苦している。
「任せて下さい」
「?あなたは……使徒様?」
僕は小さく頷き、少年の手から斧を貰う。
周りにいる子供たちは手を止め、何が起きているのだろうとこちらを見ている。
普段の自分であれば緊張しているところだが、役に立てると少々興奮していたのだろう。気にならない。
「離れていてください」
確かに、節は大きい。
しかし、強敵ではあるものの、左手一本あれば十分だ。
無理に節を割る必要などない。
繊維を読み、90度回転させる。
左足を下げ、肩幅程度にひらく、斧を振り上げ、その重心をしっかりと感じる。
集中し、一息に斧を振り降ろすと――
狙い通りの箇所にあたり、節に沿うように刃先が走る。
中庭に薪が割れた音が響き渡った。
斧の切っ先は薪割台に食い込んでいる。
一撃だ。
素晴らしい。
「す、すごい……」
少年は両手を祈るように組み、こちらを羨望の眼差しで見つめている。
「皆さんには運ぶのをお願いしていいですか?難しい薪は僕の所に持ってきて下さい」
小さな聖職者たちは僕の言うことを聞いてくれた。
他のふたりには簡単な薪を割ってもらい、枝分かれや節がある物をこっちに回してもらう。
最初は全体の動きがぎこちなかったが、徐々に効率が良くなってくる。
新しい薪を乗せる子、割れた薪を片付ける子、必要な場所に燃料を運ぶ子。
続けるうちにコツを掴んできたのか、まだ大きい薪を運ばずに乗せてくれるようになったり、薪の繊維を見て、割りやすい向きに置いてくれるようになった。
一体感を持って動き出すと、みるみるうちに燃料ができあがっていく。
普段からテキパキと働くアイシャさんたちを見ているせいか、皆、年齢関係なく懸命に働いていた。
その姿を見て、僕もやる気が湧いてくる。
一週間、息つく暇もなく斧を振り続けると、教会の燃料事情はかなり改善されたようだ。皆に貢献できているという満足感には、大分助けられたように思う。
なにより、悩みを忙殺されることが、ありがたかった。
「はぁ」
という声が四つ。
フベルトさん、ローマンさん、アントニオさん、それに僕のものだ。
ため息というより、疲労を言葉に乗せて出そうと試しているかのようだ。
結果は芳しくないようだが。
静謐な月明りが射し込む部屋で、地べたに座り、壁に背をもたれさせて誰一人として動こうとしない。
燭台の灯をただ眺めているのは、皆同じだろうか。
「労働法、欲しいね」
フベルトさんが空に向かって呟いた。
「安息日は働いたらダメなんじゃなかったですか?」
怪我人が待ってくれないのは百も承知で、そう聞いてみる。
「あぁ、怪我人の治療も祈りの内だって。教義を拡大解釈してやってるらしい」
ローマンさんがそう答えてくれる。
「結構柔軟ですよねえ」
さっきからぼうっとした会話しか出てこない。
無賃労働を始めて一週間経った。
まだまだ忙しいが、別の街から来た応援の聖職者や秘跡の使える巡礼者が教会を訪ねてきたことで、人手不足が少しだけ解消してきたようだ。
「なんだか、木こりじゃない奴らが怪我してくるんだよなあ」
応急処置に奔走しているアントニオさんが呟く。
あぁ、と反応したのはフベルトさんだ。
「トーニォもローマンも初めてだっけ。大規模侵攻」
と続ける。
「なんだっけ、それ?」
「半年に一回、国中から人が集まってやる、規模が20倍くらいの侵攻作戦」
「前に聞いたな、そういえば。俺たちは行かなくていいのか?」
「一ヶ月間続くから、いつでもいい」
「あぁ、なるほどな。だから怪我人が多いのか」
フベルトさんがちょっとだけ首肯した。首を動かすのも億劫そうだ。
アントニオさんとの会話を聞く限り、毎月行われている侵攻作戦と異なり、一日で終わらず、参加人数も桁違いなのだろう。文字通り大規模だ。
教会がてんやわんやなのは、それだけ魔物と戦って怪我を負う人が多いからなのだ。
「細かい説明はめんどくさいから教授にやってもらおう」
フベルトさんはそう言うと口を閉じた。
いや、閉じれていない、半開きだ。表情筋まで疲れているのだろうか。
「教授はどうしてるかな。無事だといいけど」
「酒断たれて吊るされて干物にされてるかもな」
ローマンさんの言葉に、にやりと笑ったアントニオさんが軽口を返すと、
「干物が帰ってきたぞ」
と部屋の入り口から声が聞こえる。
目をやると、話し合いに行った教授が立っていた。
用事が済んで帰ってきたのだろう。噂をすれば影が差すというやつか。
「やあ、教授。心配してたんだぞ」
アントニオさんが白々しく言うと、
「そりゃありがたい。感動的だな」
そう教授は返した。
気を取り直し、地べたではなく椅子に座る。アントニオさんが率先してハーブティーを淹れて、真っ先に教授の前に置いた。
「すまんな、トーニォ。歓迎してくれて感謝する」
「悪かったよ。で、教授。話し合いはどうだった?」
先月末に僕たちが起こした刃傷沙汰が原因で、ラグナルさんと親交の深かった木こり達と衝突することになってしまった。
そこへ、勘治先生派の木こり達が味方してくれたことで、暴動になってしまったのだ。
ラグナルさん派の木こり達は僕が凶行に走り、ラグナルさんと戦うのを目撃している。その上、街からの発表は要約すると、僕たちは悪くありません、だ。
これでは内容がどうあれ、彼らが不満に思うことは想像に難くない。
ここしばらく教授はふたつの派閥に事情を説明し、和解するために街の外に赴いていた。
「時間はかかったが、結局全部話した。いくらなんでも誤魔化せん。勘治が何人か怪我させてるのもある」
「ああ、やっぱり」
「こればっかりは利益がどうこうとか保証がどうこうとか、そういう問題じゃないしな。彼らが腑に落ちなければ意味が無い。
一応、納得してもらえたんだが……」
そう話す教授の表情は晴れない。気がかりなことが、思い残したことがあるのだろうか。
「……レオンは?」
フベルトさんが聞くと、教授は首を横に振った。
「……言われたよ。『他の方法を探すべきだった』と。ラグナルの送還まで時間がなかったとは言え、一理あると思ってな」
レオンさんとの話は、こじれてしまったのか。
赦されるようなことをしたとは思っていなかった。だが、こうして和解できないという現実を叩きつけられると、心が重くなる。
「そこでだ。ヘイト、右腕はどうだ?」
「え、えっと、あの、斧は握れるようになりましたが、まだ――」
突然話を振られてどもってしまう。
「十分だ――良いか?
実際に魔物を相手にして味方の連携を強化する合同訓練の話がある。儂らと木こり達も参加するぞ」
「なるほど。ついでに仲直りしようって訳か。良い考えかもな――言い出しっぺは?」
アントニオさんが同意する。
「髑髏公。ディマス伯爵だ」
「え?」
こうしてこの世界での、走り抜けるような3か月目が始まった。