2話 1月23日 黒い森撤退戦 ~人狼~
必死に斧を振るううち、いつの間にか魔物の攻勢は弱まっていたようだ、時々数匹が駆けてくる程度だったが。ある1匹を最後に襲撃は止まった。
どれだけ戦っていたのか分からない。
日は完全に落ち、闇を照らすのは時折顔を見せる月の光、街の方に焚かれた篝火、それと数の少なくなった揺れる松明の明かりだけ。
篝火が大きく見えるのは街に大分近づけたということだが、少なくなった松明の分だけ、魔物の餌食になった木こりがいたことに気付き、小さく毒づいてしまう。
もう少し自分が強ければ、手際よく連中を殺せれば。もっと犠牲者は少なかったかもしれない。
あの後も何度か木こりをかばい、狗に噛まれて引き倒された。だが呪いの鎧は一切の牙を通すことなく、逆にナイフで滅多刺しにすることで難を逃れていた。
先生はひたすら自分の役割に徹していて、他の木こりを助けることは無かった。いや、しなかったのではなく出来なかったのだ。1匹でも多く狗の脚を切り、機動力を奪っておくことが全体の生存率を上げるために必要なことだから。
狗の数は多かった。こちらを助ける余裕など有りはしなかった。それは僕を含めて皆分かっている。
つらい役割だ。助けられるかも知れないが、見捨てなければならない。
僕にはきっと出来ないだろう。
他の木こり達も余裕が無いのは同じで、もはや武器を持っていることすらつらそうだ。
僕もいつもより身体がだるく、斧が重く感じる。鎧が無ければとっくの昔に狗のエサだろう。
襲撃は止まったものの、警戒は解けない。
部隊は限界だ。もうこれ以上の戦闘には耐えられないだろう。
雲から月が見え隠れするたび、月光が辺りをモノクロに照らし出した。伐採のおかげでこの辺りは木がまったく無いのもあって、思ったより鮮明に辺りを見渡すことができる。
月明かりってこんなに明るいのか……
と場違いな感想を抱くほどだ。
一歩、また一歩と進むたび、中継基地の篝火が大きくなっていく。森の外はもう目と鼻の先だ。
この地獄が終わるのも近い。
あと少し。もう少し。
月明かりが一際辺りを明るく照らした。
その時――
「人狼だあああああぁぁぁぁ‼︎」
部隊の端の方にいた木こりのひとりが、断末魔に似た叫び声を上げる。恐怖に支配されながらも仲間のために発した警告は、未だ悪夢は終わっていないことを……
最悪の展開になっていることを実感させた。
咄嗟に声のした方向を向くのと、叫んだ木こりが、振り下ろされた剣に両断されるのは、ほぼ同時だった。
一瞬前まで生きていた人が血飛沫になる。
瞬きひとつする間に命が散ってしまう。
月明かりによって照らし出された姿は、猟犬とは違う、そこに立つのはまさしく化け物だった。
ヒトのように二本足で立ってはいるが、その身長は2メートルをゆうに超えているだろう。
張り詰めた筋肉がさらにその巨躯を大きく見せている。
右腕には木こりを殺した、夥しい量の血液が付いた武骨な剣が握られている。
首から上は狼に似ている、石か何かで出来た面をかぶり、正面から見ると口角が上がっているように見える。
獲物を仕留めた愉悦を感じて、嗤っているかのようだ。
伝説や怪談に出てくるような――
武器を持ったミノタウロスや狼男に似た存在――
いつの間にこんな近くに、こんな化け物が――
あんなのに暴れられたら、と最悪の想像をしてしまう。
皆の絶望に染まった顔が見えた。
瞬間、全身の神経がスパークするように感じ、人狼と呼ばれた化け物に向かって駆け出した。
待て!とか聞こえた気がするが、気にしていられない。
このままじゃ皆殺しにされる。これ以上はやらせない。
呪いの鎧を着けた僕があいつの相手をするのが最善に思えた。
距離が縮んでいくほどに、僕の二倍はあろうかという巨体がより大きく見える。
相手の間合いに入った……
全力で相手の右足の方に飛び込むと、風を殴りつけるような音が後ろから鳴る。
巨大な剣が袈裟懸けに振り下ろされたのだ。
飛び込んでいなければ当たっていた。剣が地面を深く抉っている。
あんなのが当たったら、いくらこの鎧を着ていてもどうなるか分からない。
両断された木こりの姿が脳裏に焼き付いている――
「早く行ってください‼」
僕は短く叫びながら、皆の方を見ないで撤退を促す。
この化け物から目を離している隙はきっと無い。
右足の腱を目掛けて抜き放った斧を振るう。
相手の足に当たるが、硬い。浅い傷をつけだだけだ。
横薙ぎの二太刀目を、また地面に転がりながら避ける。
相手が体制を立て直す隙にまた斧を叩きつける。駄目だ、こちらの攻撃は有効打になり得ない。
右足元から大きく離れないよう、まとわりつくように駆ける。
相手の剣が体を掠める。掠っただけで物凄い衝撃が全身の骨に伝わった。
それを無視するように、化け物に肉薄する。
森の外まではあと少しなんだ。これ以上はやらせない。皆が逃げる時間を稼いでみせる。
例え――
自分が――
死んでも――
斧を握りしめ、全身で振るう。
やはりというか、あの巨大な身体と剣では足元にいる僕に攻撃は当てづらいようで、直撃は避けられている。
足を止めずに動き回り、なんとか必死で敵の攻撃を掻い潜った。
剣は暴風のような速度で振るわれるが、勘治先生の太刀筋と比べていくらか読みやすい。
先生に木剣で何度もボコボコにされた経験も、少しは役に立っているようだ。
だが、短時間の攻防で数太刀が身体を掠めている。鎧が無ければ千切れているだろうか。
痛みこそは感じないものの、利き手である右腕はもう上がらないから、左手のみで斧を持っている。ますます僕の攻撃は通らない。
相手も仕留められないことに苛立っているのか、攻撃が大雑把になってきている。
そして、突然――
バアンという轟音が辺りに三度響き渡る。
音は町の方向、撤退の目的地から鳴り響いたようだ。
やった、と内心安堵する。
森に入る前のミーティングで聞いた。
三回の破裂音は撤退完了の合図。
全く見ていなかったか分からなかったが、皆逃げ切れたようだ。
勘治先生も森の外に出ただろうか。
破裂音に反応したのか、化け物が注意を町の方向に移す。
まだだ……
中継基地には怪我人も大勢いるはずだ。
こいつを森の外には出させない。
こいつを皆の元には行かせない。
この化け物には僕に付き合ってもらう。絶対に、どうにかして食い止めてやる。
こちらから注意を逸らした相手の右足に、斧を振り下ろす。片腕で振るった一撃だったが、幸いにも一本、指を切断することができた。この調子で足の指を全部落としてやれば、首を狙えるかもしれない。
化け物が痛みからか、体勢を崩して片膝をつく。
あれだけ高かった目線が、ほぼ同じ高さになる。
呪いの鎧と、石の仮面。
互いの面越しに目が合った気がした。
「どこ見てんですか?」
面の中で化け物と同じように口角を上げて、化け物に言葉をかける。
こちらだ。こちらを見ろ――
互いの動きが硬直した時、月明かりがまた辺りを照らした。
動きが止まった化け物の巨体、その胸の中心に鈍い音と共に矢が突き刺さる。
一拍遅れて風を切る音が聞こえた。
月明かりが照らした間隙を狙った一射だった。矢は厚い胸板をキレイに貫通している。
シェイブと呼ばれた化け物が、丸太のような両腕で胸を掻いてもがきながら、仰向けにゆっくり倒れる。
急所を貫かれたのか、ズシンという音と共に倒れた化け物は、それきり動かなくなった。
矢の飛んできた方向を見ると、黒い馬に乗った甲冑の男と、弓を構えた男の二人が立っていた。
援軍だ――
フベルトさんとローマンさん、勘治先生や僕と同じ使徒だ。今回は伐採部隊の護衛をしていたと聞いている。
たった一撃でシェイブを仕留めたのは、弓の才能を持つローマンさんだろう。
見知った姿を見たことで安心し、思わず腰が抜けて座り込んでしまう。自分で思っている以上にストレスがかかっていたようだ。反動のように、忘れていた身体のだるさがぶり返してきた。
左手を地面について、倒れ込まないようにするのが精一杯だ。
伐採は終わった、魔物は倒した、生きている者は森の外にたどり着けた。
――終わったのだ。
顔を上げると、ふと疑問が頭をもたげる。
何故だろうか――
スローモーションのようにゆっくりと時間が流れる。
ローマンさんが弓に矢をつがえている。
フベルトさんがまたがった馬に鞭を打ち、槍を構えて駆け出している。
「ヘイトッ‼後ろだッ‼」
とフベルトさんの叫び声が届く。
腰が抜けたまま後ろを振り返り、見上げると。
胸板を貫いたままの矢――
振り上げられた武骨な剣が――――
両断された木こりの姿が脳裏に焼き付いていて――――――
衝撃を最後に意識が途切れた。