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ヘイト・アーマー ~Hate Armor~  作者: 山田擦過傷
2月 英雄と使徒
29/189

27話 ラグナル・ヘダン ~その2~

 



「私を殺して欲しいのです」


 時間が止まったのかと、そう思った。


 テーブルに集まった全員が、

 信じられない、という表情でテアちゃんを見ている。


 店内に満ちる酔った村人たちの喧騒(けんそう)が、どこか遠くに聞こえた。




 酒場の女将(おかみ)さんが、テアちゃんの前にジュースの注がれたコップを置いた音で我に返った。普段は騒いでいる僕たちが静まり返っているからか、怪訝(けげん)な表情を浮かべている。


 ヒルさんとの仕事を終えた日、いつも僕たちが集まっている酒場を(たず)ねてきたテアちゃんは、立っている僕の目の前に座っている。

 三つ編みにされた綺麗な髪を身体の前に垂らしていて、(ほの)かなろうそくの灯りが、細く白い首筋を照らしている。




「それじゃ分かンねぇよ」

 と勘治先生が呟いた。僕は先生の斜め後ろに立っていて後ろ姿しか見えないが、きっと眉間にシワを刻み込んでいるに違いない。



「はい……はじめから、お話しします」


 テアちゃんは、この世界に召喚される前のラグナルさんについて語り出した。






 主人(マスター)は故郷で漁師として働いていました。誰よりも力が強くて、勇敢(ゆうかん)で、仲間思い。皆から頼りにされる、そんな人です。


 マスターには妻がいます。同じ故郷で幼い頃から一緒に育ってきた優しい女性で、仲睦(なかむつ)まじく暮らしていました。


 平和で幸せな暮らしでしたが、悩みがひとつだけありました。ふたりは子供を望んでいましたが、長い間(さず)からなかったのです。


 ふたりは諦めず、夫婦で支え合いながら様々な方法を模索しました。



 やがて、努力は実を結びます。

 女の子が無事産まれた時、マスターはそれはもう嬉しそうでした――


 夫婦は待望(たいぼう)の娘に、テア、という名前を付けます。



 "テア"は愛情を一身に受け、両親を笑わせるのが好きな、ふたりの笑顔が好きな、優しい子に育っていきます。夫婦はそんな娘との暮らしに、幸福を感じていました。








 ですが、幸せはそう長く続かなかった――


 テアが10歳の誕生日を迎えてから数週間後のことです。

 マスターが漁からの帰り、ちょうど港に着いたその時に、(しら)せが届いた――



 娘が、何者かに刃物で切り付けられた、と。


 マスターは急ぎ、娘が運び込まれた病院に駆けつけましたが、そこで泣き崩れる妻の姿を見て(さと)ってしまいます。







 地元の警察により犯人はすぐに捕まりましたが、それで何かが変わったように感じられませんでした。




 顔を上げると、テアが好んで使っていたマグカップや、お気に入りで汚すのを嫌がった洋服がある。


 目に入るものすべてに、娘との思い出が詰まっている。


 絶望を、マスターは受け止めきれませんでした。




 マスターは家に居ることができなくなって、妻を置いて酒場に()(びた)るようになります。


 家に居る妻と話すことが少なくなり、あれだけ仲の良かった夫婦には距離ができてしまった。


 マスターを気遣(きづか)う仕事仲間や友人たちの言葉は心に届かず、


 幸せだった10年間のことを思い出すたびに、その続きが永遠に来ないことを知って、言いようのない悲しみが襲ってくる。



 マスターは失ったものに耐えられなくなっていき、そして――


 気が付くと、この世界に来ていました。






「ま、待ってくれ。何故(なぜ)君がそんな――ラグナルの個人的なことを知っている?君に話したのか?」

 ローマンさんが(たま)らず口を挟んだ。テアちゃんの口振(くちぶ)りは、まるでその場で見てきたかのようだ。


 ラグナルさんがそんなに詳しく話したのか。


 いくらなんでも、子供に話すような内容じゃない。


 それに、ラグナルさんの亡くなった娘がテアなのだとしたら、同じ名を持つこの()はどういった存在なのだろう。ラグナルさんがこの世界の孤児を同じ名で呼んでいるのだろうか。




 問われたテアちゃんは視線を落とし、そして――


「私はテア、ではないのです。私の名は"ヴィ・シース"。


 マスター……ラグナル・ヘダン様の才能(レガロ)です」



 驚愕(きょうがく)が、音を奪う。

 テアちゃんの言葉が、時間をかけて脳に入っていく。


 テアちゃんは神がラグナルさんに与えたレガロ、フベルトさんの神馬の子(グラ二)(リン)欣怡(シンイー)さんの鳳凰(フォンファン)みたいに、生き物の姿をした――



「人の形をしたレガロ……」

 静寂の中、教授の呟きが聞こえる。




「はい。私は"テア"の半分、私はマスターの身の内から(あらわ)れたもの、私は、マスターと共にすべてを見てきました。喜びも、悲しみも、すべて――


 私が近くにいることで、マスターは人の身を超える力を行使することができます。


 ですが、マスターにとってそれは重要なことではなかったのです」



 テアちゃんは目を()せて続ける。



「マスターが初めてレガロを発現させたとき私を"テア"と、そう呼びました。それ以来、私を実の娘と信じて疑いません。


 ラグナル・ヘダンにとって、"ヴィ・シース"はただのレガロではなく娘になってしまった」


「自分が娘ではないと、ラグナルには言ったのか?」

 返答が分かっているかのような諦念(ていねん)を込めて、教授が問う。


「マスターの案内人をしているシスターと一緒に、何度も話しました。私はあなたの娘ではないと……あなたの娘はもういないのだと……


 どれだけ言葉を重ねても、何を言っているのか分からない、という表情をするのです。


 マスターはテアと過ごした10年間の中にいる」



 彼女の肩が、何かを(こら)えようと小さく震えている。



「最近になって、私の身体が(ほころ)び始めました。枝葉が(ほど)けるように崩れたり、傷がないのに首から出血するようになったのです。


 マスターは私が呪われたと思うようになりましたが、原因はおそらく送還です」



「君と離れてしまう、と?」


 テアちゃんは首肯(しゅこう)する。

「娘との二度目の別れが近付いている、と心のどこかで気付いてしまったのでしょう。マスターの精神状態が悪化したことが、私の身体に影響を及ぼしているのだと思います」


「呪いではないんだな」


「はい。他に心当たりがありません」





「なんでお前を殺さなきゃならねえ」

 勘治先生が問う。テアちゃんを手に掛けることが、彼女の話したことにどう(つな)がってくるのだろう。


 テアちゃんは一呼吸おいて――



「マスターは異世界に来てしまいました。


 マスターにとってここは――



 テアを守れた世界。


 テアと笑っている世界。


 テアが死ななかった世界。



 このままタイムリミットを迎えても、同じことの繰り返しになるだけです。娘が消えて、それで終わり。


 そうなる前に――」



 テアちゃんは顔を上げて、背筋を伸ばした。

 凛とした声で言い放つ。



「皆様にはマスターの目の前で、私を殺して欲しいのです。


 ()()()()()()()()を解体して、元の世界……テアのいない世界へと帰るために」



「それで、現実に向き合ったラグナルはどうなる。また娘を失って、立ち直れなくなるだけなんじゃないのか?」

 教授が聞く。



「――あの神と名乗った男が、レガロ(わたし)をテアに似せて与えたのは、マスターと娘をちゃんと別れさせる、そのための機会(きかい)を作ったのだと、そう思うようになりました。


 私が、"テア"として別れを告げれば、そうすれば――ラグナル・ヘダンは強いひとです。きっとまた、前に進める」











 話を終えたテアちゃんを、ローマンさんが送っていくことになった。

 いつの間にか、酒場にいる客は家路(いえじ)について、人影はまばらになっている。



 テアちゃんが酒場を出る前、教授が質問を投げかける。

「テア、もし君が倒れた時、ラグナルは衰弱(すいじゃく)するか?」


 テアちゃんは少し考えてから言う。

「マスターのレガロは失われたことがない――私はこの一年間、一度も魔物の攻撃を受けなかったので分かりませんが、


 初めて私を発現させたとき、マスターの身体に影響はありませんでした。私が死ねば、マスターはレガロを失った反動を受けるはずです」


「そうか、分かった」

 質問に答えたテアちゃんは、マスターをよろしくお願いいたします、と最後に一礼して酒場を後にした。




 酒場に残ったのは勘治先生、アントニオさん、教授、フベルトさん、そして僕。誰一人しゃべろうとしない。どれだけ時間が()ったのか――




 思えば、根絶作戦でテアちゃんが魔物に刃を向けられた時、ラグナルさんの動揺(どうよう)は尋常ではなかった。彼が娘だと思っているテアちゃんが殺されれば、間違いなく襲ってくるだろう。


 勢い余ってラグナルさんを殺してしまうのは問題外だが、彼を生半可(なまはんか)な抵抗で止められるとは思えない。一歩間違えればこちらが殺されることも容易(ようい)に想像がつく。


 だが、このままでいいのか?街のために尽力したラグナルさんのことも、テアちゃんの(おも)いも知っていて、ふたりが帰るのを見過ごして僕はのうのうと暮らしていくのか?




「断るでしょ?」

 とフベルトさんが口火(くちび)を切った。


 それを聞いた教授が半分(ひと)(ごと)のように同意する。

「そうだな。ラグナルがレガロを失ったことで倒れなければ、奴と殺し合いか」




 何も、できることは無いのか……


『実はな、死なないヤツを探してるんだ』と言ったヒルさんの言葉を思い出す。


 誰も死なないように……少なくとも殺されないためには……





「あの、僕なら――」

「俺がひとりで――」


「ダメ」


 口を開こうとしたのは僕だけではなかった。勘治先生も同時に言葉を発していて、言い終わらないうちにフベルトさんに釘を刺される。


 勘治先生も引き受けるつもりになっているのか。ついあっけにとられていると、アントニオさんが苦笑する声が聞こえた。



「いや、すまん。笑うところじゃないよな。あー、俺もひとりで引き受ける気になってたから。俺のレガロなら回避に専念すれば、ラグナルが疲れるまで戦えるんじゃないかと、そんなこと考えてた。お前らも同じようなこと言い出すとは思わなくてさ」


「トーニォまで」

 フベルトさんが(あき)れた顔でアントニオさんの方を見る。


「そう言うなよフベルト。お前だってグラ二で逃げればいいや、とか考えてたんじゃないのか?」


 ちょっとだけおどけた様子のアントニオさんの言葉を聞いて、フベルトさんは黙ってしまった。

 図星だったのだろうか。



 テーブルに着く皆の表情が変わったのを見て、教授が深いため息を吐く。

「決行は、多少なりともラグナルが消耗する侵攻作戦の直後か。だが、そんな騒ぎを起こせばラグナルと一緒に仕事をしてきた木こり達やレオンが、何するか分からんな」



「そうだな……まあ、侵攻作戦までに詳細は考えよう。ローマンにも話してみないと、ま、今頃あいつも作戦考えてるかもしれないな」



 その時、テアちゃんを送り終わったローマンさんが戻ってきた。彼は席に着くなり深刻な顔をして、

「引き受けようと思う」と言い出す。


 予想通りの反応にすっかり脱力してしまって、皆は呆れたような笑っているような、微妙な顔をしている。


 ローマンさんは反対されると思っていたのか、驚いたような表情を浮かべている。状況を飲み込めてないようだ。



 表情を引き()めたアントニオさんが皆の意見をまとめる。

「ラグナルには世話になった。あいつも一緒に戦った仲間だ、このまま送還させるわけにはいかない。引き受けるなら、全員で、だ。


 別の世界を見てるラグナルの、呪いを解こう」



 問題は、誰が手を下すか。


 僕はその答えを、(なか)ば決めている。




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