26話 ラグナル・ヘダン ~その1~
「相手は最強の使徒だ。ヘイト、本当にやるんだな?」
アントニオさんの問いに、決意を籠めて頷く。
「今の時点では、何人を敵に回すことになるか想像がつかない。俺たちとフェルナンド、メサちゃんは手伝えないかもしれない。
その時は、お前ひとりで戦うことになる」
「分かっています」
「――失敗したら、俺たち全員死ぬかもな」
「そんなことにはさせません。やり遂げて見せます」
アントニオさんはちょっとだけ驚いた表情を見せたあと、顔をほころばせた。
「ああ、そうだな――ヘイト、
ラグナル・ヘダンはお前が倒せ」
もう一度、強く頷く。
明後日の夜明け前には、侵攻作戦が始まる。
熟練の木こりが、一抱えも太さのある木に斧を入れる。
木を倒す方向に三角形の受け口を作ると、若い木こりがふたりで大きな鋸を持ち、幹を反対側から切り始めた。
鋸があっという間に受け口の近くまで達すると、バランスを失った木がゆっくりと傾いていき、軋んだ音を辺りに響かせて倒れる。
音が静まると、鉈などの道具を手にした子供たちが倒木に取り付き、親方の指示のもと枝打ちと玉切りを行う。
僕よりも体格が良さそうなご婦人方が、ひっかき棒を使って馬が引く橇まで木材を運んでいく。
そんな伐採を、何十回も繰り返す。
今月の侵攻作戦が始まり、すでに数時間が経過しているだろう。
黒い森に入った部隊は、扇状に広がりつつ伐採を続けており、じわじわと裸の土地を作っている。
材木!という掛け声と、木が軋んで倒れる音が、そこかしこから響いていた。
今月は先月と違い十分な戦力を確保できたと聞いている。
頭は弱いが、足元は固めてある。今月の侵攻作戦はうまく行く、と教授が真剣な表情で言っていた。
総責任者が評判の悪いシリノであることは変わらないが、ヒルさんが戦える自警団員を率いて参加。
"髑髏公"、ディマス伯爵が配下である騎士を連れて街に到着し、侵攻作戦に加わった。百余名の甲冑を着た騎士たちは精鋭だと聞いている。
ディマス騎士団より前にティリヤへ入ったレネ傭兵団は、積極的に戦闘には加わらないものの、組織力を生かして兵站を強化している。
経験豊富な使徒と木こりも多い。
もちろん、死者や負傷者が少なく済むのなら、そちらの方が良いに決まっているが、各自の負担が分散すれば、それだけこの後に不確定要素が残る。
10歳くらいの子供たちが、薪を運んでいるのが見えた。
背負子には小さな体格に見合わない量の薪が積まれている。よたよたと歩いているが、足は止めない。
皆と同じように、歯を食いしばって自分の仕事を全うしている。
手伝うことは容易いだろうが、それはできない。後方部隊に戦える使徒がいるのは、魔物の襲撃から皆を護衛するためだから。
薪を運んでいて魔物から守れず死なせちゃいました、なんて許されない。
木を伐る伐採部隊と、木材や物資を運搬する兵站部隊を合わせて後方部隊だ。老人や女性、子供も多いこの部隊の働きが、侵攻作戦全体の利益に直結している。
勘治先生やラグナルさんを始めとする前方部隊は、僕の所属する後方部隊より森の奥に侵攻して、魔物の接近を抑えている。
万が一にも僕が倒れる訳にはいかない。
信じられない量の木材を満載した橇が、フベルトさんの神馬の子に引っ張られていった。
「9時方向から7!」
作業の手を止めた木こりの怒鳴り声が聞こえる。
ここは黒い森の中だ、後方部隊とはいえ散発的な襲撃は避けられない。
「ヘイト様、少しでも剣の扱いに慣れていた方が良いかと」
後方部隊と、それから僕の護衛として同行しているフェルナンドさんがそう提案してくれる。
数日間という短い間だったが、フェルナンドさんと勘治先生には西洋剣を用いた稽古をつけてもらった。
「そうですね、ありがとうございます」
だが、真剣での戦闘は初めてになる。
フェルナンドさんと僕は、盾と武器を持った木こり数名と共に、敵襲があった方向へ走る。
見えた。
黒い森の猟犬――狗が小規模の群れを成して、今にも崩壊しそうな木柵に体当たりを仕掛け、噛みついている。
数秒と保たずに木柵が壊れ、飛び込んできた狗に対してフェルナンドさんが先陣を切った。
ロングソードを両手で構え、飛び込んでくる狗を半身で避けつつ袈裟懸けに叩いた。
狗の身体に剣が深くめり込み、ひしゃげる。
返す刀を水平に払い、もう1匹の胴を砕いた。
剣は身体の一部であるかのように動き、歩幅や体捌きにも経験の深さが見て取れる。いとも簡単に見えるのだ。
自身の身長よりもかなり低い位置の相手に対して、的確に攻撃を当てている。
見事だ。
僕もあんな風に――
今日はいつものように殴る蹴るはやらない。剣に慣れなければ。
魔剣を握りしめ、走りこんでくる別の1匹に狙いを定める。
瞬く間に狗が間合いに入り――
駄目だ、懐に入られすぎて苦し紛れに魔剣を振ってしまう。
体重の乗らない斬撃は狗の身体を浅く傷つけるだけに留まった。
クソッ、この程度では奴らの勢いは止められない。
「無理に斬らなくても良い!棍棒で殴るように振ってください!」
フェルナンドさんの助言が飛んでくる。
「はいッ!」
狗の脚に向けて渾身の力で魔剣を振り上げると、切っ先が腐葉土を削りつつ直撃する。
剣としてではなく金属の棒として振ると、簡単に骨を砕くことができた。
狗が態勢を崩した隙に、逆手に持ち替えた魔剣を肋骨の隙間に刺した。ほとんど抵抗を感じずに挿入された刀身が、狗の命を奪う。
フェルナンドさんの方を見ると、接近していた3匹目の狗を背開きにしていた。
侵攻作戦が始まってから襲撃がある度に戦っているが、彼が狗を多く受け持っているおかげで、僕と木こり達は安全に戦えている。
「フェルナンドさんって、狗と戦うのは今日が初めてなんですよね?」
魔物の襲撃を退けたあと、フェルナンドさんに話しかける。
「はい。話には聞いていましたが、厄介な敵です」
「苦戦しているようには見えませんでしたが……恐くはないんですか?」
殺意を剝き出しにして襲ってくる狗を見たら、足が竦んで動かなくなりそうなものだ。だが、彼の動きからは緊張のようなものは感じられなかった。
「ああ――若い頃から戦場にいましたし、慣れですかね。まあ、魔物ではなく人とばかり争っていましたが」
「慣れ、ですか……すごいですね」
「そうでもありませんよ。命を賭けて戦うことが、私の役割だったというだけです。
木こりには伐採という役割がありますが、木を伐ることを怖がっていたら仕事にならない」
「自分の役割……」
「はい。役割を果たすという覚悟さえあれば、人はどんなことでもねじ伏せることができる。
敵や恐怖、堕落や過去――罪悪感ですらも」
フェルナンドさんは遠く、過去を見ているかのように呟く。責任感で罪悪感をねじ伏せた人間がどうなってしまうのか、見てきたのだろうか。
「ヘイト様」
「なんですか?」
「ラグナル様とは、私が戦いましょうか?」
……確かに、フェルナンドさんの技術ならラグナルさんに勝てるかも知れない。
だが殺し合いになった時、どちらも死なずに済むなんてあり得るのだろうか。
ラグナルさんの戦ってる姿を思い出す――
武器を振るう度に狗を両断するほどの、人の身を超えた強さ。
どちらかが――他に誰かが死んでしまったら、意味がない。
「ありがとうございます。でも、大丈夫です。
きっと、それは僕が果たすべき役割ですから」
「――分かりました。ご健闘を」
僕の方を見て笑顔を浮かべたフェルナンドさんは、それ以上言葉を重ねず、僕の意思を尊重してくれる。それを心強く思った。
伐採をしている木こり達が騒がしくなり始める。次の狗共が来たのだろう。
「敵襲のようです、行きましょう」
僕はそう言うと、フェルナンドさんと共に走り始めた。僕の戦いが始まるまでに、やれることはある。
日が傾いてきた。
夕焼けが空を染め上げ、中継基地にある建物の影が伸びている。
オレンジと黒のツートンカラーに彩られた世界に立っている。
侵攻作戦は終わりかけていた。
前方部隊の撤退開始の合図である、二度の破裂音が鳴ってしばらく経つ。
基地まで帰ってこられた木こり達が、多くなってきた。
勘治先生たちはいつものように殿だろう。皆、無事だろうか。
「ヘイト様。ご報告いたします」
中継基地で待機していたメサさんに話しかけられた。領主の補佐をしている彼女にも、フェルナンドさんを通して事情を説明し、協力を頼んだ。
「皆のことですか?」
「はい。シンイー様からの連絡によりますと、撤退戦は順調に進んでいるようです。教授の方にも使徒が負傷したという報告は来ていません。
間もなく基地まで帰ってくるでしょう」
「それは良かった」
「まだ終わってはいませんが、今月の侵攻作戦は順調に進みました。ラグナル様とテア様の疲労も少ないかと」
「そうですか……」
メサさんの濡れたような瞳が愁いを帯びる。
良いことばかりではないと、そういうことだろう。
「修練場を空けて頂くように手配致しました。基地で最も開けた場所になりますので、作戦決行はそちらが良いかと。
いざという時は馬車を待機させておりますので、私の魔法とフベルト様のグラニで逃げられます」
「あぁ、何から何までありがとうございます」
「礼には及びません――ご健闘を」
彼女の綺麗な赤毛が夕日に照らされて、より紅く見えた。
広い修練場で待っていると、テアちゃんと勘治先生、アントニオさん、ローマンさんが黒い森の方向から走ってきた。
その向こうから遅れて、穏やかな表情のラグナルさんが見える。
花火のような破裂音が三度鳴る。撤退完了の合図。今月の侵攻作戦は無事に終了した。
僕と目を合わせたアントニオさんが、悲痛な表情で首を横に振る。
状況は良くない。ラグナルさんを消耗させることはできなかった。
「ヘイト様、お願いします」
僕のそばまで来たテアちゃんが、呪いの鎧――その黒い手甲に、白い手を重ねる。
視線を下げると、目が合った。
彼女の、僕たちの誰よりも覚悟を決めた瞳の中に、
あの時、憎悪の鎧になると決めた僕の姿が映った。
テアちゃんの意思が乗り移ったように肝が据わる。
鞘から刀身を滑らせるように魔剣を抜く。
「マスター!」
テアちゃんがラグナルさんに呼びかける。
ラグナルさんは声を掛けられて、どこか戸惑ったような笑顔を浮かべている。僕たちの様子に違和感を感じているのだろう。
戦いは終わったはずだが、まるでこれから決戦に挑むかのように、
勘治先生、ローマンさん、アントニオさん、フベルトさん、フェルナンドさん、メサさんが、
僕とテアちゃんを背にして、武器を構えて取り囲むように立っているから。
「さようなら」
彼女が頭を垂れると、透き通るような白い肌のうなじが見えた。
魔剣を振り上げ、構えを取る。
狙いは頸椎の隙間。
魔剣を振るう。
一刀。
力を失った、
小さな身体が、
倒れた。
「全員動くんじゃねェッ!!」
勘治先生が鋭く警告を発する。
中継基地に集まっている人々は、皆凍ってしまったかのように固まっている。
目の前で何が起きたのか理解できないのだろう。
侵攻作戦が終わったあとに、子供が殺されたこと。
徐々にどよめきが波紋のように広がり、女性の悲鳴が空気を割くと――
中継基地は混沌に陥った。
テアちゃんの祈りは完遂する。
ラグナルさんの呪いを解く。
僕の戦場は、ここからだ。