25話 アイシャと魔剣 ~その2~
教会に帰着したのは、お昼頃だろうか。
正確な時刻が分からないため推測になるが、大広場を通るときに鐘が鳴り、街の人々は仕事の手を止め始めていた。
お昼時の緩慢な雰囲気が漂っている街とは対称的に、アイシャさんは、「鑑定をしてしまいましょう!少々お待ちください!」と言って元気よくどこかへ行ってしまった。
"聖遺物"とやらを借りに行ったのか、才能の判別には何かの道具を使うようだ。
教会の長椅子に座り、朝と違って人が少なくなった礼拝堂を眺めていた。
壁の隅には装飾が凝らされた小屋のようなものが設置されている。木で造った試着室をふたつ並べたようなものだ。
あれは、懺悔室なのだろう。
神父と信者がそれぞれの扉へ入り、お互いの顔を見ないまま話をするための場所。
神父を通じて、犯した罪の告白をする場所。
天国へ行くために、神へと許しを乞う場所。
扉が開き、男性が出てくるのが見えた。あの人はどんな罪悪感を抱えて、ここへ来たのだろうか。
必ず後悔すると理解していれば、人は罪を犯さなくなるのだろうか。
ひとりで居ると、買ってきたばかりの魔剣を握りながらそんな考えが頭を巡ってしまう。
「ああ、やはり。ヘイト様、お久しぶりです」
後ろから声を掛けられて振り向くと、30代後半くらいの大柄な美丈夫が立っていた。
「ヒッ。あっ。フェルナンド、さん?」
「驚かせてしまい申し訳ありません。その節は、大変お世話になりました」
初対面かと思い疑問形になってしまったが、"トールレディ"の一件で知り合ったフェルナンドさんだ。
見間違えかけた、というより見違えたのだ。あの時は憔悴していて浮浪者のようだったが、今は穏やかな雰囲気をまとっている。頬は少しこけているように見えるが、顔色は随分よくなっていた。
「お元気そうで」
「はい。これもすべてヘイト様のおかげです。教会で会えたのは主のお導きでしょう。
ヘイト様こそお加減はいかがですか?」
「大丈夫です。もう不自由はありません」
そうですか、と僕の返答を聞いたフェルナンドさんは安心したように微笑んだ。
座ってもよろしいですか?と聞かれたので、どうぞ、と答えて座ってもらう。
ふたりで並んで座り、大きな十字架を眺める。
彼は2メートル近い身長があるから、座っていても目線の高さが違う。
「王都に居る妻と子供たちから便りが来ました。街に越してくるそうです。私の無事を喜んでいるとも書いてありました。
また、家族と暮らせるようになる。本当にありがとうございます」
当然というか、彼にも家族がいるのか。報告してくれるフェルナンドさんは本当に嬉しそうだ。
「それは、良かった。本当に。
――侵攻作戦が終わったら、王都に帰らなくても良いんですか?」
「ええ。私が呪われ、使い物にならなくなった時点で国会からは放逐されたも同然でした。それに私が仕えた王はもういません。未練は無い。
領主様の許しが得られれば、この街に根を下ろそうかと思っております」
「黒い森が近いことを除けば、この街はいいところです。ご家族も気に入ると良いですね――」
礼拝堂の静かな空気の中、しばらくの間他愛のない会話をして過ごした。
「ヘイト様……申し訳ありません……」
肩をがっくりと落として戻ってきたアイシャさんは開口一番そう言う。聖遺物とやらは借りられなかったのだろう。
僕がどんな才能を持っているかの鑑定は、またお預けとなったようだ。
「数日前に使徒様が召喚されまして、そちらで使用中だから貸せないと断られてしまいました」
「あ、今月も使徒が来たんですね」
神からレガロを持たされた使徒は、毎月この世界に召喚されているらしい。
最近召喚された使徒が、先月の自分のように案内を受けているのだ。
そう言えば、僕がこの世界に来てからもう2か月も経つのか。
「はい。今月3人目の使徒様となります。確かお名前は――螺良杏里様、と聞きました。ご挨拶なさいますか?」
「結構です」
名前からして日本人女性だろうか。絶対に人見知りが発症し、話せなくなるので遠慮しておく。
「あっ。こちらフェルナンドさんです。この間知り合いになりまして」
なんだか残念がっているアイシャさんを見かねて、フェルナンドさんを利用して話題の転換を図ってみる。
僕の気持ちを察したのか、フェルナンドさんは、
お任せを、とでも言いそうな表情で挨拶してくれた。
「初めまして、フェルナンド・イエルロと申します。縁があり、ヘイト様には危ないところを救って頂きました。
シスター、お名前を伺っても?」
「あ、はい。申し遅れました。私、アイシャ・アリと……イエルロ?
イエルロって、あの宝剣の?」
昔の話です、と否定しないフェルナンドさんに、アイシャさんは口を半開きにして固まってしまった。
「そんなに有名人なんですか?」
「有名って、それどころじゃないですよ!?この国に住む人々ならだれでも知ってます。"12の使徒"は最も古く、そして"王の宝剣"は最も新しい英雄譚だって!」
「あれはかなり誇張されていますね……吟遊詩人たちの生計を立てる手段、飯の種ですよ」
フェルナンドさんは苦笑交じりにそう話している。狼狽えているアイシャさんを見るに、彼は偽りなく有名なのだろう。
視界の端で、誰かが懺悔室に入っていくのが見えた。
礼拝堂で使徒と英雄が長話というのもなんだ、ということで僕とフェルナンドさんは教会内にある一室に通された。僕は飲めないが、アイシャさんが飲み物を持ってきてくれる。
「気になっていたのですが、ヘイト様がお持ちのその剣は?」
「ああ、これですか。今日アイシャさんと一緒に買いに行きまして。魔剣だそうです」
「魔剣ですか――見せて貰っても?」
「あ、はい。気を付けてください」
危険があるかとも思ったが、フェルナンドさんはこの国きっての遣い手だと聞いた。自分が購入した物を達人に見てもらうのも良いかもしれない。
フェルナンドさんに剣を手渡すと、彼は席から立ち、慣れた手付きで剣を鞘から抜いた。
素振りをしたりはせず、その薄緑色に光沢を放つ刀身をじっと見ている。
「どうですか?」
「これは――良い剣ですね。私が目にしてきた中でも最高の物でしょう」
称賛の言葉を口にするが、眉をひそめている。その表情からは剣に対する強い嫌悪感を感じた。
フェルナンドさんは流れるような所作で魔剣を鞘に納めた。数えきれないほど繰り返した動きなのだろう、一切の無駄が無い。
お返しします、と言って魔剣を両手で差し出される。
か、かっこいい。
「尋常ならざる魅力がある――
手放したくない、と強く思わせる剣でした。生半可な者が手にしてしまえば、その身に災いが降りかかろうとも手放せなくなるでしょう。
魔性の剣、まさに魔剣ですね」
そうフェルナンドさんは諭すように続ける。感想と言うよりかは、暗に警告してくれているような口調だった。
「誰かに譲ったりしない方が良さそうですね。気を付けて扱います」
「大丈夫ですよ。抜き身を地面に置いていたでしょう?その剣を大切にしていない、執着心が無い証左です。ヘイト様ならいつでも捨てられます!」
アイシャさんがそう力説してくれる。褒められているのだろうが、微妙に嬉しくないのは何故だろう。
「そうですね、呪いには滅法強い御方です。この剣もきっと使いこなせるようになるでしょう」
ふっ、と笑ったフェルナンドさんがそう言ってくれた。
「ヘイト様、私は実を言いますと魔物との戦闘経験はあまりございません。どうでしょう、次の侵攻作戦では魔物との戦い方をご教授願えませんか?」
「へ?」
フェルナンドさんがそう言うが、僕から教えられることはあまりない。勘治先生らの方が詳しいのではないだろうか。
アイシャさんがにこっと笑って補足してくれる。
「フェルナンド様はヘイト様との共闘を申し出てくださっています。願ってもないお話かと、ヘイト様は無茶ばかりなさいますし!」
「うっ」
「すみません、私の師匠が難しい言い回しを好んでいたもので、つい」
フェルナンドさんが照れ笑いをしながらそう言っている。
なるほど、一緒に戦ってくれるという意味だったか。
それよりも図星を突かれて呻いてしまった。必殺の呪いに根絶作戦、盗賊に捕まって自爆など、我ながら危ない橋を渡っている。
噂も馬鹿にできないし、どこまでアイシャさんは知っているのか。
「そ、そうですねえ……どうしようか……な」
無茶、無茶か……
アイシャさんの言葉を聞いて、迷いが出てしまった。
――次の侵攻作戦のこと。
――ふたりには話すべきだろうか、
――昨日、テアちゃんから聞いた話のことを。
視線を落とし、テーブルを見つめて答えを探すが、見えるのは木目だけ。
多分、アイシャさんは僕のことを心配してくれている。にも関わらず、次の侵攻作戦では今までと比べ物にならないことをやろうとしている。
黙っているべきなのだろうか、彼女にこれ以上心配を掛けないように?
僕はやるべきことが分かっているのに、話すのを先延ばしにして、すべてが終わってから懺悔室にでも行くつもりなのだろうか。
――――話そう。
どうしたら良いのか答えが欲しいからではなく、自分に対して真摯に向き合ってくれるアイシャさんに、これ以上隠し事はできない。
「実は、ふたりに、聞いてもらいたいことが、あって。次の侵攻作戦で、僕が、僕たちがやろうとしていることです――」
話が終わる頃には日が傾いていた。何度鐘が鳴ったか分からない。
とりとめもなく、だらだらと話したものだから時間が掛かってしまったが、僕が話し終わるまでふたりは黙って聞いていてくれた。
何を、言われるのか、何も、言われないのか、沈黙が部屋に満ちている。
最初に口を開いたのは、アイシャさんだった。
「ヘイト様が負うべきことではありません。
あなたが断れば、終わることです。そうではありませんか?」
「それは、でも、ラグナルさんは――」
また図星だ。それ以上の言葉が出てこない。
アイシャさんは続ける。
「あなたがご自身を傷つけてまでラグナル様とテア様を救う義理などないのです。
あなたが断って、それでラグナル様にどのような結果が訪れようが、あなたが悔やまれるのは筋が違う。
現実がたまたまあなたを指差していたとしても、誰かに強制されたことではないのです。
あなたが剣を握るのは義務ではありません。
誰かの所為にはできません。
あなたには逃げる権利があるのですから」
アイシャさんは毅然とした態度で続ける。
「それでもやると、そう仰るのなら、おふたりの呪いを解くと言うのなら、
それはあなたの意思です。
世界を壊した時に、後悔をしたとしても、
ヘイト様の世界が、傷付くことになったとしても、
それを受け止める覚悟だけはしておかなければなりません」
真剣な表情で言い切ったアイシャさんと、目が合った。
彼女は言っている。逃げないのなら、戦う選択肢を選ぶのなら、覚悟しなくてはならない。
罪を犯す、後悔する覚悟を決めろ、と。
――やはり、教会に来て良かったと、そう思う。
彼女が自分のために贈ってくれた言葉を、大切にしなければならない。
フェルナンドさんも協力を申し出てくれる。
「ヘイト様。微力ながら私も共に戦います。露払いはお任せを」
「フェルナンドさん、ご協力お願いします。アイシャさん、ありがとうございます。
また教会に来ます、必ず」
僕は魔剣を握りしめて部屋の出口へ向かう。
迷っている暇は無い。やるべきことは、やれることは沢山ある。
部屋を出るとき、アイシャさんに呼び止められた。
「ヘイト様。どのような結末があなたを迎えようと、私はあなたの味方です。
私には何もできませんが、せめて、ここであなたのために祈りを捧げることをお許しください」
アイシャさんの言葉で覚悟は決まった。
懺悔室は、もう必要ない。