24話 アイシャと魔剣 ~その1~
荘厳な礼拝堂には沢山の人が集まっている。
前方の大きな十字架と講壇に視線が集中するように、長椅子がいくつも、三つの列になるよう配置されている。
僕は最後列、その壁際の端っこに座って、一心に祈りを捧げている街の人々を眺めていた。
講壇に立って経典を読み上げているのはこの教会の神父。バースィルさんだ。
天井は見上げるほどに高く、そして広い礼拝堂には明朝の澄んだ空気が満ちている。ステンドグラス越しに陽光が届いていて、落ち着ける空間を作っていた。
空気を揺らしているのは、低い弦楽器を思わせるバースィルさんの美声だけ。
「――柊の下に伏していた彼を、使徒がさわり、『あなたはここで何をしているのか』と言った。
彼が絶望を語ると、使徒はパンを差し出し、『これを取って食べなさい。これはあなたのために渡される主の身体である』と言い――」
発せられる言葉を聞き取ることはできる。だが意味を理解することはできない。僕は神の使徒としてこの世界に召喚されたが、街の人々と同じ信仰を持っていないからだろう。
それでも、主への祈りと感謝を、優しく、穏やかに語り掛けるバースィルさんの言葉を聞いていると、昨日テアちゃんに聞いた話で塞がれた気分が少しだけ晴れた。
教会には別件で来たのだが、お祈りに参加させて貰って良かったと思う。
「ヘイト様。お待たせして申し訳ありません」
礼拝堂から出ていく街の人々を見送りながら待っていると、お祈りを終えたバースィルさんがにこやかに話しかけてくる。僕の来訪は教会の入り口に居たシスターを通じて伝えていた。
「いえ、こちらこそ突然お邪魔してすみません」
「とんでもない。使徒様に教会へと来て頂けるのは光栄に思っております」
教会に来た理由はアイシャさんに使徒が持つ才能の詳細を聞くのと、街の案内を頼みたかったからだ。
今日は僕ひとり。
アイシャさんとふたりで街を歩くことになるだろうが、いつものようにゴネていられる状況ではなくなってしまったので、素直に来た。
「さてアイシャですが、話は通してあります。エルザと支度へ向かいましたのでもうすぐ来るはずですが――
ああ、来たようです」
バースィルさんが目線を向けた方を見ると、白い修道服を着たエルザさんとアイシャさんが小走りで向かってきた。
ごきげんよう、と二人は挨拶してくれる。
アイシャさんの怪我はすっかり快復したのだろう。出会った時のように笑顔を浮かべている。
「今日はありがとうございます。少し休んでから出発しますか?」
急いで準備してくれたようなのでそう提案してみたが、
「お気遣い頂きありがとうございます。ですが、武器屋までは少し距離がありますので早速向かいましょう」
と言ってくれたので、教会を出て目的地へと歩き出した。
「――魔物の攻撃などによりレガロが壊れてしまった場合、しばらくの間レガロを発現させることはできず、使徒様の身体には貧血のような症状が現れます」
僕とアイシャさんは徒歩で、ティリヤの壁沿いにあるという武器屋に向かっている。案内をして貰いながら、道すがらレガロに関する説明を聞いていた。
武器屋に行く目的はそのまま僕が使う装備の購入だ。
ティリヤは迷路のような造りをしている。
門から入って大通りを直進し大広場に近い主要な施設に行く、程度なら僕でも往復は可能だが、それ以外となると土地勘のある人間でないと迷子になってしまうだろう。
歩き出してからしばらく時間が経ったし、今アイシャさんとはぐれたらもう教会まで帰れない。
「その深刻さは使徒様により異なります。
勘治様が"鞘無"を折ってしまわれた際は、数日間立ち上がれなくなってしまわれましたし、
フベルト様が"神馬の子"を失った際は、数週間ほど意識を取り戻しませんでした」
「そんなことが……あったんですね」
「はい。教会に運び込まれたフベルト様は危険な状態でした。一時はどうなるかと思ったものです」
アイシャさんは前を向いたまま真剣な表情を浮かべている。逼迫した状況を思い出しているのだろう。
レガロが破壊された使徒は衰弱してしまうようだ。
レガロは人生そのもの、と言っていた教授を思い出す。
「ふむ。それだとラロさんの死の舞灯はどうなるんですか?レガロを使い捨てているような」
「あ!それはですね。一部のレガロは使徒様から切り離されるようなのです。
発現されたあとはいつでも御力を行使できる、と聞きました。
ただ、発現した時点で体力に影響が出るので、短時間にたくさんレガロを使うと同じように体調を崩してしまわれるようです」
「なるほど」
アントニオさんの川の怪物も同じだろうか、拳銃に装填する弾丸は使い捨てだから、撃ち続けると消耗してしまうのかも知れない。
思えば、彼は無駄撃ちや弾幕を張るといったところは見たことがない。使いどころを決めて発砲しているような気がする。
「そろそろ到着ですね――
あっ!!ヘイト様のレガロ!鑑定!」
「あぁ」
アイシャさんが思い出したように声を出した。実際に忘れていたのだろう。いつもの語彙力が無くなっている。
僕も忘れていた。もう本当に今更だが、自分自身のレガロを知らないままだ。
与えられていない、ということはないのだろう。実際に準才能の効果は感じている。体力の向上はしているし、嘔吐してしまうほどの光景でも膝を着くことはない。
だいいちこうして異世界の住人であるアイシャさんと会話できている。
「教会に帰ったら鑑定しましょう!今日こそ!ヘイト様も皆様と同じく素晴らしいレガロをお持ちのはずです!」
「そうだといいですねえ」
アイシャさんは力説してくれるが、ここまで来たらもう知らなくてもいいかな、という気になっていた。
自分に優れた能力があるとは到底思えない。
皆がレガロで鮮烈に魔物を殺しているのに、僕だけ『薪割りがうまい』とかだったらどうしよう……
考えているうちに目的の場所へと着いてしまった。
木造の二階建て、軒先には使い込まれた道具が置いてあり、鉄製品が散らばっている。
汗だくになって剣を研いでいるお店の人は――
「おじさん。お久しぶりです。お元気でしたか?」
「ああ、いらっしゃ……お前さん……あん時のにいちゃんか!?」
40代後半くらいの、細いが芯の通った身体。日に焼けた顔に驚きを浮かべてこちらを見るその顔は、僕に呪いの鎧を着せてくれた時と、何も変わっていなかった。
「いやあ、よく来てくれた。にいちゃんの噂は街でよく聞いてたから元気だとは思っていたが……店に顔を見せてくれるとは思わなかった」
武器屋のおじさんは相好を崩している。歓迎してくれているようだ。
「僕の噂ですか?」
「ああ、"人狼殺し"ってにいちゃんのことだろ?ガイコツみたいな鎧を着た使徒が、木こりを逃がすために強大な魔物にひとりで立ち向かった、って吟遊詩人どもが発情期の犬みたいに騒いでたぜ」
「こ、殺せてない!」
先月の侵攻作戦で人狼を仕留めたのは、僕を助けに来てくれたフベルトさんとローマンさんだ。
どこで話がすり替わったのだろう。称えられるべきはあのふたりであって、僕ではない。
覚えのない功績で称賛を受けても、据わりが悪いだけだ。
「そうなのか?まあ噂の使徒がにいちゃんだってことを知ってる奴はそんなに居ないだろうし、絡まれることはないだろ。しばらくは」
「ずっとそっとしておいて欲しいんですけど……」
「無理だと思うぜ?街の連中は"英雄"に飢えてるからなあ。
――ところで、今日は挨拶に来てくれただけかい?」
「あ、いえ、実は自分用の武器が必要でして。魔物を両断できるくらい切れ味が良いものを探してるんです。
予算はこれくらいで――」
「おう。じゃあ斧か剣だなあ。それなら――」
おじさんに要件と予算を伝えると、お店にある武器を紹介してくれる。
斧は総じて安価なものが多いが、主な目的が伐採だから肉を切るとなると、僕の体格に合わない大型の物になってしまう。
剣は総じて高価なものが多く、予算内で購入できるものとなると品質が劣ってしまう。
持ってきたお金は僕の全財産に近く、総額は金貨4枚程度になるが、使えそうな品を買うためには最低でも金貨10枚は必要だ。
どうしたって足りない。
「ああ、そういやあれがあったな……ちょっと待ってな」
僕が迷っていると、おじさんは裏に引っ込んで一振りの剣を取ってきた。
「美しい装飾ですね……」
おじさんが両手で丁重に持ってきた剣を見て、アイシャさんがそう呟く。
門を警備している兵士が下げているような西洋剣だ。長さ80㎝ほどのロングソードで、柄、鍔、鞘に統一感のある細やかな装飾が施されている。
しかし、丁重な扱いをしている割には埃を被っているように見えた。
「かなり凝った品だし、剣としても申し分ねえ。これ一本で金貨5枚くらいの価値がある。
秘蔵の品だが、にいちゃんの頼みならしょうがねえ。金貨2枚と銀貨80枚でどうだ?」
「そうですか……」
僕は呪いの鎧を着ているせいで食事ができないし、服も必要が無い。日々払っているのは宿賃くらいだ。貯金を気にする必要は無い。
ほぼ全財産を支払えば買えてしまうが、どうしようか。
「その剣が金貨5枚。ちょっと見せて頂いても?」
そう言いながらアイシャさんが手を伸ばすと、
危ねえっ!と言って、おじさんは咄嗟に剣を引いた。
アイシャさんは一瞬きょとんとしたあと、どこか凄みを感じる笑顔を浮かべる。
おじさんの尋常ではない反応を見て何か察したようだ。
「おじさん?このような素晴らしい細工が施された剣が、金貨5枚と言うのは安すぎではありませんか?」
「い、いや。売れ残っててよお……」
「いくらでも買い手はつくでしょう?」
「大事な客にしか売らないつもりで……」
おじさんの目は完全に泳いでいてしどろもどろになっている。それを見たアイシャさんが追い打ちをかけた。
「何か隠してませんか?聖職者や使徒様に隠し事など、あまつさえ呪物を売ってしまおうなどとお考えなら、後悔することになりますよ?」
「分かった!分かった。そうだよ、こりゃあ呪われてる。魔剣だ」
「魔剣ですか?」
「ああ、知り合いからギャンブルで巻き上げたんだがよお。あとになってそいつに聞いたら、『持ち主を喰い殺す魔剣』だって言うんだよ。
普通の客に売って死なれちまったら評判が悪いし、捨てるにはもったいねえだろ。それで扱いに困ってたんだ」
なるほど、いわくつきの剣に触りたくなくて倉庫の隅にでも置いていたのだろう。だから埃っぽいのだ。
「……にいちゃんこういうの得意だろ?」
「おじさん?」
アイシャさんがさらに凄みを効かせる。
「分かってるけどよお……にいちゃん頼むよ。俺を助けると思ってさ。買い取っちゃくんねえか?」
「うーん。切れ味はどうなんですか?」
「最初に少しだけ見てみたがすげえもんだぞ。持ち主が皆死んじまうのを除けば、この国で最高級の剣だ。魔物との戦いで役に立つだろう」
「ちなみに、人を喰い殺すっていうのは……」
「ああ。こいつを買ったある商人の話だが――
家に持って帰ってきた日は、そりゃあ機嫌が良かったらしい。いい買い物ができたってな。
翌日に商人が、手に切り傷を作っちまったって、使用人に応急処置を頼んだ。
使用人は剣の手入れをする時にでも手が滑ったのだろうと思って、気にしなかったそうだ。
だが、それから徐々に様子がおかしくなっていった。
見ないうちに小さな生傷が増えてる。
しかも、剣をいつも近くに置いて、目が届かなくなると不安を覚えるようになった。
周りの連中は疑問に思いながらも、そこまで重くは捉えてなかった。
おかしいと確信したのは、その商人が自分で自身の指を切り落とした時だ。
さすがにまずいと思った家族や使用人が、剣を取り上げて倉庫に隠し、その商人を部屋に閉じ込めた。
商人は悪魔が憑いたように暴れて、俺の剣はどこだ、と絶叫する。
そして数週間後、いつものように使用人が部屋に食事を届けに行くと、商人は姿を消していた。まさかと思って倉庫を見に行くと――
身体中を切り傷だらけにして、その剣で自分の腹を貫いている商人を見つけた。
自分の血に浸っている商人は、まるで剣をかき抱くようにして死んでいたらしい。
他にも何人か買った連中の話を聞いたが、どれも同じようにして死んでる」
このままじゃ俺も死んじまうかも、とおじさんはしゅんとして言った。
「じゃあ、買います」
「ヘイト様、今の話聞いてました?」
「はい。まあ大丈夫かなと」
まあヘイト様でしたらそうでしょうけど、と呟きながらアイシャさんは口をとがらせている。
恐ろしい話だが、この鎧を貫通して喰い殺されることはないと思う。何より安い。
「本当か?いやあ、ありがてえ。使徒様様だ。じゃあ金貨2枚と銀貨80枚で……」
「金貨2枚でいいでしょう」
アイシャさんがざっくり40%オフをさらっと提案する。
「いや、アイシャ。そりゃ勘弁してくれえ」
「使徒様が呪物を引き受けてくださるのです。ご自分の命より惜しいですか?
大きな欲は身を滅ぼすもの、天への扉は閉ざされ――」
「分かったよお」
おじさんはすっかりしょぼくれてしまった。
僕としてはもっと支払ってもいいのだが、もしアイシャさんの説教の矛先が自分に向いたらと思うと、魔剣より怖い。
意気地のない僕を許してください、おじさん。
おじさんに金貨を2枚渡し、魔剣を受け取る。
店の外に出て、周りに注意して鞘から引き抜く。一切のがたつきもなく、滑るように現れた刀身は美しい薄緑色の光沢を放っている。
事故物件的な一品だが、良い剣だ。
試し切りしてみるか?とおじさんが、二の腕くらいの太さがある薪を持ってきてくれた。
手ごろな台に置き、剣を振り上げる。斧との重心の違いを感じながら、集中し――
一息に振り下ろすと、薪は綺麗に真っ二つになった。
「なかなかサマになってるじゃねえか」
「お見事です。ヘイト様」
おじさんとアイシャさんが小さく拍手してくれている。
少々の気恥ずかしさを感じながら鞘に戻す――
切っ先を鞘に向けて戻す――
鞘に戻――
「あ、あれっ?」
時代劇のように格好良く剣を鞘に納めたかったが、うまく入らない。何も不思議なことはなく、ただ僕が下手なだけなのだが。
見るのとやるのでは全然違う。
おじさんとアイシャさんが、危なっかしい子供を見るかのようにおろおろし始めていて、恥ずかしくなった。
そんな風に見られたらこっちも焦ってしまう。
柄を持っていても一向に入っていかないから、剣と鞘を地面に置き、刀身を掴んで鞘に納めた。
刃を握った手のひらを見てみるが、厚い生地に破損は無い。
どんな表情を浮かべているかは何となく想像がついたので、僕を見守っているふたりの方は、見られなかった。
何とも僕らしいというか、締まらない買い物となったのである。
誰かに剣の扱いを教えて貰わないといけないようだ。
勘治先生なら知っているだろうか。