22話 ヒルとアルバイト ~その1~
割れと節を確認し、薪割り台の上に乗せる。足を肩幅に開いて正面に立ったら、集中しつつ斧を振り上げる。膝を屈伸させるイメージで腰を落としつつ、遠心力を乗せて斧を振り下ろす。
軽快な音と共に薪は真っ二つになった。
薪割りは良い。
"根絶作戦"が無事終わってからここ数日間、ノエミさん宅にてリハビリを兼ねた薪割りをしている。感覚がなかった左腕は徐々に動くようになってきた。
斧の扱いもかなり上達していることもあって、薪割りのスピードは格段に早くなっている。
太陽が顔を出したらノエミさんの家に行き、日が暮れるまでひたすら薪割りをする。そうすると仕事終わりには割られた薪が山のようになっている。
成果が目に見えると満足感が湧き、もっと頑張ろうという気になってくるものだ。
楽しく仕事ができて、リハビリも捗る。
良いサイクルだ。
左目も回復してきているようだ、ぼんやりとした視界で空を見ると、太陽は真上にある。今日はまだ始まったばかりだ。この調子でどんどん割っていこう。
「あの……ヘイト?」
おずおずと声をかけてきたのは、困ったような表情をしたノエミさんだった。
「何かありましたか?お困りごとですか?」
休憩のお誘いだろうか。それにしては様子がおかしい。ここに魔物が現れた時のことを思い出して不安がよぎる。
「ええ、と、薪割りをしてくれるのはとっても助かっているのよ?孫たちも運ぶだけでいいから楽だって言っているわ……でももう十分よ。これ以上やったら串になってしまうわ」
自分の手を見ると、割り箸くらいになった薪が握られていた。
気付かぬうちに薪はすべて割り終わり、そこそこ大きかった薪を小型化する作業に勤しんでいたようだ。どうしたら斧でこんなものが出来上がるのか自分でもわからない。
そもそもこんなに小さくては燃料としては微妙だろう。何回火に継ぎ足せばいいのか。
「いや、あの、焚き付けにいいかと……」
僕はナイフを借りて無様なフェザースティックを数本作り、ノエミさん宅を後にした。
食事も睡眠もできない僕にとって退屈は強敵だったりする。だからといって自分から誰かに声をかけるのは苦手だ。何をするのかアイデアは無いし、誘い方も分からない。明日からどうしよう……
突き抜けるような青空を見ながらとぼとぼと宿に帰った。
「今日は早いなヘイト。こっち来い」
宿に帰ると、ひとりでテーブルに着いている教授に見つかった。
「ただいま帰りました、今日はおひとりで――うわ、もうこんなに呑んでるんですか?」
まだ昼過ぎだというのに、教授の前には空のコップが幾つも置かれている。
「うるさい。儂は今日休みなんだ、好きにさせろ。それよりもヒルが訪ねてきたぞ。お前に仕事を頼みたいんだそうだ。引き受けといたぞ」
「ちょっと」
緩いウェーブのかかった黒髪の、気だるそうな表情をした顔を思い出す。ヒルさんとはこの間の根絶作戦で一緒だったが、特に話をしたわけではない。
「何で勝手に引き受けちゃうんですか」
教授は僕の方をじっと見てから話し出す。
「木こり達は、毎日黒い森の伐採をしとる」
「むぅ」
講義モードだ。酔った教授がこういう話しを始めたら本題に入るまで聞くしかない。
――確かに街近郊に住む木こり達は、安息日以外は黒い森の伐採をしている。領地と森の境界線を沿うように木を伐って、範囲の拡大を抑えつつ日々の糧を得ているようだ。
侵攻作戦と違い深く森に入ることはないが、魔物は滲み出てくるだろう。文字通り、危険と隣り合わせのライフワークというわけだ。
「黒い森に近づけば魔物と戦わないで済む、なんてことはない。木こりは自分たちで戦うか、そうでなければ使徒や自警団に護衛を頼むのが普通だ。で、ヒルはその自警団のボスをやっている。
明日の朝から日暮れまで。武器や装備は貸し出しで報酬は銀貨8枚。やることは侵攻作戦の時と変わらん。木こりの前に出て魔物から守る。
もう少し人手が欲しいと言っていたが、お前と話したいこともあるんだろう」
教授は話を終えると、もう言うことは無い、といった風にお酒を吞み始めた。
ううむ。仕事か……
顔見知りならともかく、知らない人と話すことすら息苦しく感じるのだ。一緒に仕事など想像しただけで気後れしてしまう。
……断ることはできないだろうか、ちょっと抗議モードに入ってみよう。
「うぅん、でも。僕じゃ力不足なんじゃ……勘治先生とか他の人が良くないですかねぇ」
「儂も含めて他の連中は用事がある」
「薪割りがありますしぃ」
「この時間に帰ってきたっちゅうことは全部割っちまったんだろう?暇なはずだ。明日の朝迎えが来るからつべこべ言わず行ってこい。ヒルと話すだけでもいい経験になる」
「起きられるかなぁ」
「お前は寝んだろこの馬鹿」
こうして、有無を言わせぬ教授の後押しによって、来るべき退屈への不安は、急に知らない人と仕事をする不安へと置き換わったのである。
本当に明朝から迎えの馬車が到着してしまい、街の南に来てしまった。今いる場所から黒い森は目と鼻の先だ。
馬車に乗っていたのはヒルさんではなく、アダリナさんと名乗る20代くらいの女性で、自警団のメンバーらしい。
馬車から降りるなり、アダリナさんがヒルさんに僕の到着を伝える。
「ヒル。ヘイト様をお連れしました」
「ああ、ありがとう。
やあヘイト、急な話で悪いな。身体の調子はどうだ?」
「はい、まあ、いや、大丈夫です……」
フレンドリーに挨拶するヒルさんに胡乱な返事をする。
ヒルさんは根絶作戦の時と同じ革鎧に身を包んでいる。革とはいえ相応に重量はあるはずだが、鍛えているのか普段着のように軽い足取りだ。長身の身体には無駄が見受けられない。
根絶作戦中のような非常時ではないからか、親しみが持てる柔らかい雰囲気だ。
辺りには粗野だがしっかりした造りの小屋が何棟かあり、高い櫓がひとつ立っている。その周りを頑丈そうな柵が囲っていて、伐採に使われる荷車や道具が置かれた台の間を、数十名の人が行きかって作業している。
木こりの作業場、といった場所を想像していたが、どちらかというと侵攻作戦の時に使った中継基地に近い。それで思わず、
「野営地みたい……」
と呟くと、それを聞いたヒルさんが微笑を浮かべながら話し始めた。
「確かに、製材所というより軍の野営地だな――なあヘイト『盗賊として長生きしたければ、木こりは狙うな』ってことわざ聞いたことあるか?」
「いいえ?」
「昔からこの国に住む人間がよく使っててな――
普段から魔物と戦っている木こり達は結束が固いうえに、ちんけな騎士なんかよりずっと腕が立つ。
仲間をやられた木こり連中が盗賊団のアジトに殴りこんで皆殺しにして更地にしたって話は、吟遊詩人に頼めば一日中しゃべってくれる」
「想像がつきますね……」
何度か木こり達と一緒に戦ったが、彼らは皆体格がいいし、肝も太い、顔も恐い。実は特殊部隊出身だ、などと言われても納得するだろう。共に死地に立っていなければ、絶対に話しかけられない類の人たちだ。
彼らは使徒のようにファンタジーな能力は持たない。しかし手早く、事故を起こさず、木材を傷つけないように伐採する技術は木こりしか持っていない。黒い森に対抗する主役は間違いなく木こり達だろう。
「返り討ちにされたくなければ、木こりを標的にするのはやめとけ。相手は選べよって意味のことわざだな。
ま、それだけティリヤの木こり達はただの農民じゃない。侮っちゃいけないよな」
「はい。頼りになる人たちです」
僕の返答を聞くとヒルさんは満足気に頷いた。共通の話題というやつか、あれだけ感じていた緊張は不思議と和らいでいた。
「――顔合わせしとこうか」
「ラロとレオン。根絶作戦の時にラグナルが連れてきて伐採部隊の護衛をしてた使徒だ。今日も暇そうだったから来てもらった」
ラロさんと紹介された細身でラテン系の男性が、葉巻を吸いながら無表情でこちらを見ている。特に挨拶する気はなさそうだ。袖から見える腕とスキンヘッドにびっしりとタトゥーが入っている。路地裏で会ったら自分から財布を差し出してしまいそうだ。
はじめまして、とハリウッドスマイルで挨拶してくれるのがレオンさんだろう。力士のように恰幅の良い白人男性だ。ニッコリとしているのに無理しているようでも、胡散臭くも見えないのは凄いなと思う。アントニオさんがあの表情で近付いてきたら警戒するだろう。
「ここいらを縄張りにしてる木こりの親方」
「やあ!先月の侵攻作戦じゃウチの連中も助けてもらったと聞いている。ヒルに加えて使徒様が3人も来てくれた。今日は楽できそうだ」
そう豪快に話す親方は侵攻作戦の時に見た気がする。彼は右腕の肘から先が無いようだ。魔物との戦闘による負傷だろうか。
「で、俺がヒル。自警団っていう組織を仕切ってる。改めて今日はよろしくな、ヘイト」
「よ、よろしくお願いします」
「ああ。伐採開始は1時間後だ。準備しておいてくれ」
始めるぞ、と木こりのひとりが言う。
黒い森に入って50メートルほど、森の外まで走って十数秒程度の距離だが、ここはすでに危険地帯だ。彼が1本目の木を切り倒せば、その音につられてすぐに魔物がやってくる。
僕は緊張を感じながら借りた斧を握りしめた。
木こりが斧を木に入れ始めた。
受け口を切り――
追い口を切ると――
みしみしと音を立て、木が周りの枝葉を巻きこみながら倒れた。辺りに音が響き渡っていく――
「ラロ、茂みを焼き払ってくれ」
ヒルさんの指示を聞いて、ラロさんが何かを爪弾きにした。間髪入れずに閃光と爆発音が感覚を強く刺激し、我に返ると前方の視界を遮る茂みが炭になっていた。
爆弾?炎か?ラロさんの才能なのだろうか。
いや、今考えるべきことはそうじゃない。ラロさんのおかげで足元の視界がかなり良くなった。これならば黒い森の猟犬――狗――の接近も分かりやすい。
……来た。
「2時方向から7匹。レオン、散らしてくれ」
任せて、と自信たっぷりに言ったレオンさんは、タワーシールドを前方に構えて狗にタックルした。狗の群れはボウリングの球に当たったピンのように散り、勢いを失う。
狗は回り込んで攻撃しようとするが、シールドを巧みに扱うレオンさんに牙は届かない。大型犬程度の体躯を持つ狗の突進を正面から受け止めるのは相当な衝撃を伴うはずだが、レオンさんはどこ吹く風といった様子だ。
「ヘイト、1匹頼めるか?」
「――はい!」
始めは渋々だったとはいえ、こうして戦場にいるのに任せきりではいられない。
こちらをエサとしか見ていない狗は何度見ても気持ち悪くなる。この不快感を払拭するには、奴らを殺すしかない。
戦うのは先月の侵攻作戦ぶりだ、ブランクはあるが、
必ず殺す。
最もレオンさんから離れている狗の1匹に走っていき、脚を払うように斧を振る。僕に気付くのが遅れた狗は勢いよく転がった。
僕の腕だと、動いている的に武器を振っても百発百中とはいかない。だからすかさず前脚を踏みつけて折る。
あとは何百回とやった薪割りの動きで斧を叩き込む。
頸を狙って数回も喰らわせると、確かな手応えを感じて動かなくなった。
僕に気付いたもう1匹を思い切り殴りつけ、その辺の枝を手折って、そいつの口に拳ごと突っ込む。狗は殺傷能力のほとんどを牙に依存しているから、顎さえ使えなくなれば危険性を一気に下げることができる。
枝を残して腕を引き抜くと、嚙み合わせが悪くなったように口をぱくぱくしている。つっかえ棒のように刺さった枝を何とかしたいようだ。こいつの顎はもう使い物にならないだろう。
こいつの止めは後回しだ。
他の皆は――
問題なさそうだ。しゃがんで葉巻を吸っているラロさんの周りには狗の焼死体が転がっている。
レオンさんがタワーシールドで群れの勢いを削いで、ヒルさんが次々と仕留めている。
ヒルさんは先日とは違い棍棒のような武器を使っている。木こり達が好んで使っている木製バットのようなものではなく、両先端が重くなっている1.8メートルほどの金属パイプに似た武器だ。
先端の重りとしなりによって生じる遠心力を乗せて、狗の頭部を打ち抜けば一撃で沈められるほどの破壊力が出る、と黒い森に入る前に教えてもらった。
強力な武器だとは思うが、僕があれを使うのは絶対無理だ。森の中で味方に当たらないよう長物を振り回し、動き回る狗の頭部を正確に叩いていく、なんて芸当はとてもできない。
ヒルさんの戦闘技能は頭抜けている。
自警団も十人ほどが参加している。彼らは一対一では戦わず、必ず複数人で狗1匹を仕留めている。普段から訓練しているのだろう。堅実な連携で狗を退けている。
僕も負けてはいられない。今月も侵攻作戦はあるのだ。それまでに少しでも戦い慣れていた方が良いだろう。
それに死なない僕がより多く狗を引き付ければ、他の皆はそれだけ安全になる。
僕はヒルさんやレオンさんの邪魔にならないように気を付けながら、突出した狗に向かって行った。
「死者、重傷者共にゼロ。軽傷者数名。伐採時の事故も無し。ノルマも十分。素晴らしいな。皆よくやってくれた。明日の安息日はゆっくりしてくれ」
伐採が終わって集まった皆に木こりの親方が報告すると、歓声と口笛が上がる。めいめい木材の運搬や道具の片付けをして解散になるらしい。
仕事はうまくいったし、明日は休みだからか皆機嫌が良さそうだ。
「よおヘイト。いい働きぶりだった。雇ってよかったよ」
笑みを浮かべながらヒルさんは労ってくれた。お世辞だとは思うが、あれだけの強さを持つヒルさんに褒められるとつい照れてしまう。
「いやあ、大したことは……」
「あるさ。俺たちは狗に噛まれたら終わりだって思ってる。だから緊張するし消耗も早い。
だけどお前みたいに怖がらないで戦う奴を見ると味方に弾みがつくもんだ。
狗の口に手ェ突っ込むなんて初めて見た」
「鎧があってのものです」
「ハハッ。謙虚な奴だな。それを着て戦ってるのはお前なんだ。立派だと思うよ。
ところで明日も暇かい?また仕事を頼みたいんだが……」
「どうせ暇ですし。構いませんよ」
「それは良かった。適役がなかなか見つからなくてね。お前ならピッタリだ」
「僕でピッタリって、どういう……」
褒められた勢いでつい承諾したが、安請け合いしてしまっただろうか、ちょっと嫌な予感がする。
僕の質問を聞いたヒルさんはにっこりと笑って気軽に言い放つ。
「実はな、死なないヤツを探してるんだ」