20話 使徒とイザベルと根絶作戦 ~その1~
「確認するぞッ!」
アントニオさんが馬車の車輪と蹄が地面を蹴る轟音に負けじと声を張り上げる。
「俺たちはイザベルちゃんが指揮する聖騎士に加勢して、連中の撤退を援護する!カンちゃんはいつも通りできるだけ足止めしてくれ、ローマンは援護射撃、俺とヘイトは馬車に負傷者を詰め込んで、フベルトは負傷者を連れて先に撤退する!」
全員が真剣な表情で頷いた。神馬の子の引く馬車の車輪が地面の凹凸を拾うたび、突き上げるような振動がするから、不用意に口を開くと舌を噛む。
振り落とされないよう、軋み続ける幌の無い車体にしがみついて踏ん張っている。風景が流れていき、雲一つない青空には馬車に並走するように大きな鳥が飛んでいる。
馬車が速度を落とし始め、人の怒号が騒音に交じり始める。目的地が近いのだ。
もとは畑だったであろう畝の跡が残る開けた場所には、
ぴくりとも動かない血みどろの甲冑――
武器が刺さった黒い森の猟犬――
食い荒らされた馬――
が、あちこちに転がっている。
――戦場だ。
馬車が、停まった。
「行くぞッ!」
アントニオさんの号令で一斉に馬車から飛び出し、聖騎士たちが作る半円状の防衛戦に加勢する。勘治先生が、疲労でヨタヨタと盾を構えている聖騎士のひとりを押しのけ、狗の群れに切り込んだ。
ローマンさんは早くも馬車の上に位置取り、弓の才能、衝撃波を用いて遠くの狗を仕留め始めている。
聖騎士たちの隊列には見えるだけでも20匹を超える狗が接近していて、その後方から新手が駆けてきているようだ。
アントニオさんと僕は大声で指示を飛ばしているイザベルさんに駆け寄る。辺りには、甲冑の隙間から狗の牙が達したのだろう、腕や足を抑えてうずくまっている者が多い。
「状況は?」
アントニオさんが短く問うと、イザベルさんはニヤッと笑うが、以前会った時のような余裕は無い。金髪はほつれて、白い肌には土汚れが付いている。疲労しているのは明白だ。
「ああ、早かったね。もっとゆっくり来ても良かったのに。
村人の避難は終わったけど、そっちに人数割いたのと怪我人が出たので、こっちは前にも後ろにも行けなくなってね。今戦えるヤツは18人くらいだ。
――はぁ、正直助かったよ」
「分かった。もう少しで後続の木こり達が来る。魔物を押し返して、生き残ったヤツは全員で帰ろう」
「ああ、そうだな。――ヒル」
イザベルさんが隣にいる男性に声を掛ける。20代後半くらいだろうか、気だるそうな表情をしているが、疲労は薄い様子だ。聖騎士たちは統一感のある甲冑を身に着けているが、この人は動きやすそうな革鎧だ。
いつでも、とヒルさんが飄々と答えたのを聞いたイザベルさんは、ひとつ深呼吸をして、戦っている聖騎士たちに檄を飛ばす。
「皆、主の威光は我らに有り!主は我らが力、我らが盾!我らが信仰を以て神敵を打ち滅ぼし、前へ進め!」
空気を震わせてるような咆哮が聖騎士たちから上がり、身体の力を振り絞るようにして武器を繰り出して狗を押し始めた。
「"狼狂"の悪魔よ、契約を履行する」
ヒルさんが自らの顔を触りながら何やら呟くと、みるみるうちに彼の身体が体長3メートルはある獅子の姿になった。あっけにとられていると、獅子は驚異的な跳躍力で騎士たちを飛び越え、狗の群れに飛び込んでその牙と爪で魔物を殺し始めた。
……ヒルと呼ばれた彼は魔法使いなのだ、多分。
「ヘイト、俺たちも仕事に取り掛かるぞ」
アントニオさんが負傷者に肩を貸して馬車に移動を始めたので、僕もそれに倣う。
ありがとうございます、と涙声で繰り返すこの人は、まだ若い。僕より少し年上なくらいだろう。自分の足をひもで強く縛り、止血している姿が痛々しい。
彼の怪我と表情を見ていると、無性に魔物に対する怒りが湧いてくる。しかし、僕も戦いたいが、自分が加勢したところで足手まといになることは確実だ――それをどうしても悔しく思ってしまう。
あれから一週間経つものの、完全に身体を動かせる状態になった訳ではない。小走りくらいはできるようになったが、未だ左目は見えず、左腕は動かなくて感覚も無いままだ。
フベルトさんに手伝って貰いながら、のろのろと馬車に負傷者を乗せ終わる頃には、他の馬車が遅れて到着し、降りた木こり達が武器を担いで鬼気迫る表情で戦線に突撃していく。
……今は僕の感情などどうでもいい。負傷者はまだいるし、これからも増えるだろう。その人たちを戦場から遠ざけなければならない。やるべきことをやるだけだ。
頭上では、大きな鳥が旋回している。僕は次の負傷者を運ぶため、戦線に戻った。
少し前に遡る。
僕の身体は一週間ほどかけて少しずつ動くようになっていた。
文句は無い。魔物の攻撃が直撃し、全快しないうちに必殺の呪いを真正面から受けたのだ、死ななかったどころか動き回れることを幸運に思うべきだろう。
メサさんとフェルナンドさんは僕をいつもの宿に送り届けたあと、この礼は必ず、と言い残して去っていった。
――二人とも妙に真剣な面持ちをしていたのが気になったのだが。
宴会後の方がひどい状態だったことを使徒の皆に怪しまれたが、まさか昨日の今日で死ぬような目に遭っているとは思わなかったのか、怪我がぶり返したとかで乗り切ることができた、と思う。
そして昨日。
夕方、リハビリを兼ねた薪割りを終えて宿に戻ると、いつも通りの使徒たちと一緒にメサさんが同じテーブルに着いていた。
「あれ?メサさん?」
「ヘイト、この人と知り合いなのか?俺は聞いてないぞ」
すかさずアントニオさんが反応した。
しまった。メサさんと知り合いだということは話していない。
どこで知り合ったのか、とか探りを入れられたら皆に黙って命を賭けていたのがバレてしまう。怒られるかもしれない。
それにメサさんは美人だ。アントニオさんの追及はしつこいのではないだろうか。
「ヘイト様が街に来られた次の日に、領主と共にご挨拶をさせて頂きました。
ご無沙汰しております。ヘイト様。憶えていて下さって光栄です」
僕が返答に困っていると、メサさんが機転をきかせてくれた。こういう時口を開けばボロが出るものだ。
僕は黙って全力で首肯した。
「ふぅん」
アントニオさんは物凄く訝しんだ表情をしている。
「本日は皆様に仕事を引き受けて頂きたく参りました。今回の件は領主から直接の依頼となります」
「使徒への仕事って、黒い森に関係することですか?」
「はい。この街の西――領地のはずれにある村付近――に黒い森の発生が確認されました。使徒の皆様には木こりと連携しての伐採をお願いしたいと思っております。
黒い森は時間が経つほど広がり、やがて手が付けられなくなります。ですので、できるだけ早い段階での対処を領主は望んでいます。支度金と報酬が街から支払われますので、是非ご協力を」
「発生って……」
「はい。原因は不明でまれなことではあるのですが、突然、関連の無い地域に黒い森が発生することがあります。今回のような場合は、範囲拡大を抑え込むのではなく、完全な根絶やしをお願いしたいのです。
現在、聖騎士団が魔物の抑え込みと村人の避難誘導をしていますが、魔物の数が多く苦戦しているとの報告が入っています。皆様には聖騎士に加勢し、避難民の野営地までお戻り下さい。そちらを"根絶作戦"の仮設基地にする準備が進められています」
「な、なるほど……何か持って行く物とかありますか?」
「ん?ヘイトも行くのか?まだ身体は万全じゃないんだろ?」
と、アントニオさんが聞いてきた。
皆は僕が話を聞いている間、支度を進めている。どうやら既に承諾済みのようだ。
皆が戦っているのに、ここでひとり残されるのはつらいものがある。もし、今の僕でも何かできることがあるなら付いて行きたい。
「駄目でしょうか。薪割りなら片腕でもできるようになりましたし、無理はしませんから」
「ふぅん」
最後の言葉に引っかかったのか、アントニオさんは輪をかけて訝しんだ顔をしている。
「これで燃料係は確保だね」
フベルトさんがへらっと笑ったことで、僕の参加が決まった。明朝の出発までメサさんから詳しい話を聞きつつ、全員で準備を進めた。
「さて、情報のすり合わせをしよう。皆、撤退して早々で悪いが、詳しい状況が聞きたい。頼めるか?」
そう教授が口を開き、イザベルさんを始めとして報告を始める。
次々到着した木こり達と襲い来る狗を殲滅し、負傷者を回収してこの野営地まで撤退したころには、夕暮れになっていた。
野営地にはいくつものテントが張られ、篝火が焚かれており、集まっている百人を超える人々が基地の設営、炊き出し、負傷者の治療、物資の運搬、戦闘準備、その他諸々の作業を続けている。
僕たちは明日から始まる根絶作戦に向け、中心人物を集めてブリーフィングをしていた。
僕は特に発言しない。アントニオさんが隣に座って、会議の邪魔にならないように集まった面々の説明を、耳打ちしてくれている。
「始めは村人だけで何とかしようとしたらしいね、それで助けを呼ぶのが遅れて、気付いた頃にはもう手遅れ。黒い森は手が付けられないほど大きくなってた。
馬を飛ばして、街、教会、それとヒルたちに助けを求めて、私らが来た。
村はダメだね。魔物と木で近づけない。私を含めて10人くらいは、明日からも戦えるよ」
「イザベルちゃんだ。宴会で会っただろ?聖騎士は"教会"が保有してる戦力のことで、国会の騎士とは所属が違う。イザベルちゃんは美しいだけじゃない、聖騎士中でも屈指の剣と秘跡の使い手だ。あの場で指揮を執っていたのは伊達じゃない」
イザベルさんは戦闘中手足に着けていた甲冑を脱いでいる。胸元がざっくりとしたブラウスを着ていて、きつそうなコルセットが……身体で唯一引き締まっていない部分を強調させている。ショートパンツからすらりと伸びた足を組み、リラックスしている。
布面積的には砂浜に居てもおかしくない。目のやり場に困る。
「シンイー」
「黒い森の規模は10ヘクタールくらいかなあ。発生から二週間程度だと思うよ。想定される狗の数は二百。何体か特殊個体もいるね」
「ヘイトは初めてだったな。彼女は林欣怡。中国出身の使徒で、でかい鳥のレガロだ。視界を共有してるらしくて、偵察と索敵をしてくれる。今回のような場合は手紙を使って連絡もだな。彼女が居るのと居ないのとじゃあ情報のレベルが段違いだ。
何より彼女は美しい、あんな野暮ったい服じゃなくてもっといい物を着るべきだ」
「どうせ汚れるからねー」
褒め言葉の時は最早耳打ちではなかったぞアントニオさん。何故満足気な顔をしているのだろう。
シンイーさんは全身を覆うようなブラウンのポンチョを着ている。見える肌は顔くらいだ。確かに切れ長の瞳が印象的な整った顔立ちをしている。
昼間空を飛んでいた鳥は彼女のレガロだったのだろう。あの鳥が偵察機や伝書鳩の役割を担っていたようだ。
「ラグナル」
「私を含めて使徒を3人。魔法使いをひとり。木こりを60名ほど集めてきた。勘治たちの対応は相変わらず早いな。流石だ。明日からは私たちも戦わせてもらう」
「ラグナル・ヘダン。使徒だ。前回の侵攻作戦でも一緒だったが憶えてるか?人望が厚くて、そうだな……今ティリヤで暮らしてる使徒で間違いなく一番強い。あいつと一緒に戦うなら心強いな」
先程合流したラグナルさんは勘治先生の隣に座っていて、ふたりが並ぶと威圧感が凄い。海賊の首領をやっていそうな強面で、ホワイトブロンドの長いモヒカンを結い、それ以外を剃りあげている。身体は屈強そのものだ。ティリヤ最強、と言われても納得してしまう。
彼の隣にはちょこんと10歳くらいの可愛らしい女の子が座っている。何故だろう。
「ヒル」
「連れてきた自警団で戦力になるのは俺だけだ。その代わりと言っちゃなんだが、野営地の夜警はウチの連中に任せてくれ。で、俺の知っていることはイザベルとそう変わらない」
「あいつはこの街の人間でヒル。孤児とか立場が弱い連中を取りまとめて自警団を結成してる。警備会社みたいなもんだな。魔法使いらしいが、よく知らん。あいつについては教授の方が詳しいな」
見た目は地味な印象のヒルさんだが、昼間の戦闘では驚かされた。大きな獅子に変身し相当な数の狗を殺していたうえに、余裕綽々といった様子で、危ない状況に陥ることも無かった。
実力はあるのに、力が抜けた雰囲気を持ち驕ることもない。
アントニオさんはヒルさんを最後に耳打ちをしなくなり、教授がブリーフィングを進行させて、明日からの作戦内容が詰められていった。
「では、明日から3、4日かけて新たに発生した黒い森を根絶やしにする。皆、明日に備えて良く休んでくれ」
教授が締め、この場はお開きとなった。
僕はアントニオさんに付いてもらって、最前線に配置されることになった。慣れていない後続の部隊より、戦力の厚い前線の方がむしろ安全だろうし、そもそも呪いの鎧を着ているから、ちょっとやそっとじゃ死なないだろう。
僕は皆が寝静まるまで薪割りをして、それから作戦が始まる夜明けを待った。