19話 メサと魔法と呪われた英雄 ~その2~
「トールレディは、呪われた者が抱擁をすると、その相手へと標的を移すことが確認されています」
メサさんはここに到着するなり、そう話し始めた。
早朝から移動を始めた僕たち三人は、馬車で街から離れ、村の外れにある廃屋まで来ていた。屋根やら壁やらに開いた穴から外が良く見える。
泥棒ですら価値を感じない傷んだ家財が散らばっていて、主が居なくなった蜘蛛の巣がいくつも張ってある有様だ。
――止められると思ったから、他の皆には何も話さずに来てしまった。
「ハグ、ですか」
「はい。魔法使いの間では有名な話ですが、そのほかの人々にとってはそうではありません。そうとは知らずにハグをして家族を死なせてしまった、という話を聞いたことがあります」
昨日のアントニオさんを思い出す。ハグをするということはそれなりに親しい間柄だろう。呪われた者は選択を迫られる。自分か近しい者、どちらかの死を。
「悪質ですね」
と、僕が言うとメサさんはひとつ頷いた。
「分かりました。では、フェルナンドさん」
彼の名前を呼び、呪いを僕に移すよう促す。未だ身体は満足に動かせないし、こんな状況で申し訳ないが、自分からハグをするのはちょっと恥ずかしかった。
だが、フェルナンドさんは渋面をこちらに向けたまま動かない。……当然か、彼にとっては死の運命を他人に擦り付けることになる。今日が来るまでできなかったのだ、まだ迷っているのだろう。
仕様がないので足を引きずりながらフェルナンドさんに近付き、僕より頭ひとつは大きな身体を抱き寄せた。
――やっぱり恥ずかしいな。
「本気……なんですね」
と、彼のかすれた声が聞こえたので、
はい、と答えた。
すると――
感じる。
背中を向けている方――
廃屋の壁、その向こうから――
こちらに視線を向けられている――
思わず視線の方に振り向いて壁を睨む。
僕の様子を見たメサさんが、
「成功、のようですね」
と言う。
「多分。嫌な感じです」
僕に標的を移したのだろう。視られている感覚がずっとしている。どうしようもなく落ち着かない。四六時中こんな感覚がしていたら、気が触れてしまう自信がある。
「申し訳――ありません」
フェルナンドさんの言葉が廃屋の中に静かに響いた。
「鉄柵の悪魔よ、契約を履行する」
メサさんがそう呟くと、どこからともなく何本もの黒い杭が生え、廃屋を補強して要塞化していく。
夜が、あの女が来るまでの時間で可能な限りの準備を進めている。
「これが魔法ですか……すごいですね……」
目の前で起こる超常現象を見て、言葉が漏れてしまう。
みるみるうちに廃屋の穴が漆黒の杭で埋められ、部屋は薄暗くなっていった。隙間から漏れる日の光が、かろうじて昼間だということを感じさせる。
灯されたろうそくが明るく感じる。
僕の独り言を聞いたメサさんが、赤毛の長髪を翻してこちらを見た。
「はい、私も魔法使いのひとり――俗に言う魔女です。地位は高くないので、普段は人前で魔法を使わないようにしています」
メサさんは魔法と話を続ける。
「ヘイト様のことは、領主とよく話していました。
強力な才能を持つ使徒様は珍しくありません。数々の魔物を討伐し、たった一年間で国々に名を馳せる者は多くおります。ですが――
呪いを身に纏い、飲食もせず、魔物の凶刃にさらされても立ち上がる。
まさに"不死"と言える、特殊なお噂が立つのはヘイト様くらいです。
――昨晩、私がヘイト様に魔法を使った際は、不発に終わりました。おそらくその鎧が阻んだのでしょう。貴方には魔法、おそらく秘跡も効かない」
「僕、と言うかこの鎧なら、必殺の呪いも防げると……」
「ええ、トールレディは悪名高い魔法のひとつで、その標的になった者は国家予算規模で行われる解呪の秘跡か、誰かに移すしか助かる術は無い、とされています。
フェルナンド様には――私財を投げうって貧民を買い――身代わりにしてはと言いましたが――断られました――堕ちたとは言え人を救うための英雄だと――」
他の誰かに死んでもらう提案をするのは辛いのだろう。徐々に声のトーンは落ち、憂いを帯びた瞳は床を向いてしまった。何も言えなかったので何度か頷いて返答の代わりにする。
「可能な限り調べましたが――あれに追いつかれた者の結末は、何も残っていなかったか、遺体の一部が残っていたかのどちらかです。おそらく連れて行かれてしまったのでしょう」
何処へ?とは聞かなかった。
きっと、誰も知らない、誰も戻ってこれない場所へ、連れていかれるのだろう。
「その鎧を着た貴方に、呪いを移すこと自体が防がれる可能性もありましたが、そうはならなかった。そうなると、その鎧がどこまで守ってくれるかは分からない。ヘイト様の安全は保証できない――本当に申し訳ございません」
「大丈夫です。それに、フェルナンドさんをこのまま見殺しには出来ません」
そう言うと、メサさんの表情が少しだけ和らいだ。
メサさんは魔法で防御を固めている。後はあの女が入ってくる夜まで待って、そこから呪いの鎧と、必殺の呪いとの出たとこ勝負だ。
効果があるか分からなかったが、連れて行かれないよう、鎧から生えている背骨を延長したような尻尾を、ひときわ太い杭に結び付けることにした。
だが魔物から受けた攻撃の影響で左腕が思うように動かず、うまく結べず格闘していると、察したフェルナンドさんが手を貸してくれる。
「あ、すみません。ありがとうございます」
「やめてください。礼を言うのはこちらの方です。引き受けて頂いたことは忘れません」
「え、ええ。そう言えば、フェルナンドさんも呪いを引き受けたって……」
そう聞くと、フェルナンドさんは少し逡巡した様子を見せ、ぽつぽつと話し始めた。
「ラミロは私が騎士団にいた頃、部下だった男です。女癖が悪かったが、勇敢で武芸に優れた奴でした。あいつから便りが来たのが……ああ……そうか、もう半年前になります。
久方ぶりに顔を合わせた時、あいつは怯えていて酷い状態でした。丁度今の私のように。
話を聞くと、入れあげていた娼婦と結婚の約束をしたそうなのです――あいつが本気だったかどうかは分かりませんが――しかし、ラミロは家に来た縁談を受けて、別の相手と結婚しました。
娼婦の方は、本気だったのでしょう。裏切りを知ってすぐ自らの命を悪魔に売り渡し、ラミロに呪いをかけた。
あいつは……泣いていました……死地でも不敵に笑っていたあいつが……今ならその気持ちが分かります。
私は追い詰められ、変わり果てたラミロを見ていられなくなり、呪いを受け入れた。
……私になら、私なら何とかできると……そう信じていたのでしょう。
あの時の、あいつの顔。あいつの目を、希望を見るような瞳を、裏切りたくなかった……
信じられる私で、ありたかった……
――英雄だとおだてられた、愚かな男がどうなったかは、ご存知の通りです」
「ラミロさんにとって、フェルナンドさんは本当に英雄なんですね」
「私はそんな……いや、そうですね、あの時の私はそうだったのでしょう。そして――」
「?」
「今はヘイト様が、私の英雄です」
「や、やめてください。向いてません」
慌ててそう答えると、フェルナンドさんは少しだけ笑顔を見せ、すぐに真面目な表情になる。
「ヘイト様、もうひとつ勝手なお願いがございます」
「なんですか?」
「必ず、生き残ってください」
ここで僕が死んだら、フェルナンドさんは罪悪感を抱えてしまうだろう。そうならないためにも、また皆と会うためにも、死ぬわけにはいかない、か。
「――はい」
と決意を込めた返事をした。
少し前から、あの感覚、べったりと視られている嫌な感覚が近くにある。何故かあの女が、この廃屋の外を回りながら、入れそうな場所を探しているのが分かる。
いつの間にか、隙間から射し込む光がなくなり、廃屋中に灯されたろうそくの光がより目立ち始めていた。
夜に、なったのだ。
初めてあれを見たときの動揺は不思議と無い。
外の気配が立ち止まり、そして――
がたっ、と誰もいないはずの隣室から物音がした。
這入って、来た。
軋んだ音を立ててドアがゆっくりと開き、異形が、白い枝のような瘦せ細った腕が、部屋に入って来る。
腕は手探りで、獲物を、僕を探している。
ドアの向こうにはどす黒い靄のようなものが埋め尽くしていてもう見えない。
ドアの枠組みいっぱいから、あの顔が覗いた。曇りガラス越しではない、焦点の定まっていない瞳と虚ろに開いた口許が暗闇の中からはっきりと見える。
女が、僕を見つけて、嗤った。
避けようとしたものの、一瞬にして捕まり、身体全部を猛烈な力で鷲掴みにされ、引きずり込まれそうになる。
命綱となった尻尾がピンと張られ、背骨を引き抜かれるような感覚がする。
この部屋から出されたら、あの靄に飲まれたらダメだ。
あれに飲まれたら、もう帰ってこれない。
直観だが、そう感じる。
呻いて必死に抵抗するが、
ヒトに捕まったトンボのように、もがくが、
何も意味を為さない。
「鉄柵の悪魔よ、契約を履行する!」
漆黒の杭がいくつも生え、白い女の腕を貫き、廃屋の壁に、柱に、屋根に、固定していく。女は僕を掴んだ腕を滅茶苦茶に動かして、振りほどこうとする。
長い髪の隙間から、焦点の定まっていない瞳が見える。
歪んだ唇から、虚空のような腔内が見える。
握りつぶされる。
全身が軋む音が聞こえる。
左足、左腕は感覚が無く、左側の視界が真っ暗になっている。
女が暴れる度に廃屋の建材ごと杭が抜かれ、部屋中に轟音が鳴り響き、ろうそくが消えていった。メサさんは尚も拘束しようと魔法で杭を出し続けてくれている。
獲物を捕らえた愉悦に嗤っている女と目が合った。
右目で女を睨む。
僕はまだ生きているぞ。
殺れるものなら殺ってみろ。
視界が、暗くなっていく――
どれくらいの時間が経ったのか。
不気味に嗤ったその顔が、
一瞬、不思議そうな色を浮かべて、
その姿をふっ、と消した――
身体を拘束する力が抜け、踏ん張れず崩れ落ちた。まるで夢だったかのように、あの女の気配はもうしない。
状況の落差に、一気に気が抜けてしまった。
たくさんの魔法の杭が引っ張られたことで、芋ヅル式に壊された廃屋。
ミキサーを突っ込まれたようにかき回された部屋。
ばらばらと落ちて来る天井の破片。
感覚の失われた左半身。
「酷いなあ、これは……」
何とかして身体を動かし、仰向けになった。廃屋は僕たちが来た時以上に破壊され、かなり風通しが良くなっている。
メサさんとフェルナンドさんが駆け寄って来る音が聞こえ、しゃがんで僕の方をのぞき込んだ。
「ご無事ですか!?」
と二人の声が重なる。
ええ、まあ、そうみたいです、と馬鹿みたいに答えると、月明かりに照らされた二人の瞳に光が灯ったように見えた。
ふと、二人の向こう、屋根にできた穴から見える夜空に視線を向けると、
夜だからこそ見える。
闇の中だから見える。
光がないから見える。
満点の星空が見えた。