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ヘイト・アーマー ~Hate Armor~  作者: 山田擦過傷
1月 召喚
2/189

1話 1月23日 黒い森撤退戦 ~猟犬~

 

 暗い森が広がっている。


 深海の圧倒的な水量が光を吸収してしまうように、深すぎる森も太陽の恩恵を呑み込んでしまうのだろうか。


 どこまでも暗い森が広がっている。


 木々は競い合うように天に伸び、その枝葉は空を覆い隠している。


 日没にはまだ時間があるという話だったが、すでに周りを歩く木こり達の姿は闇に紛れ始めていた。

 各々の持つ松明の明かりが、傷んだ装備と疲労の刻まれた顔を、おぼろげに照らしている。


 昼間は緊張の中でも、ちょっとした軽口を飛ばしたりお互い指示を飛ばしたりと、少なからず声を発していた。

 だが、もう随分と前から僕たちの部隊の中で言葉を発する者はいない。

 皆一様につまづかないように地面を見ながら、重い身体を引きずるように、不安を殺して歩き続けている。まるで幽鬼の群れだ。


 ……こうなるのも仕方がないと思う。


 この黒い森(ボステ・ネグロ)からの撤退が始まり、後方の伐採部隊が引き上げるまでの数時間、僕たちの部隊は殿(しんがり)として魔物の蔓延(はびこ)るこの森に残って戦っていのだ。


 いくらこの世界で生きる屈強な木こり達とは言え、数十分も武器を振るえば息が上がる。それを狙ったかのように魔物の襲撃は続いた。

 疲れで腕が上がらなくなった者は引き倒され、群がられて――

 ひとつ、またひとつと絶叫が上がっていった。

 その声が、頭に残っている。


 だが永遠に続くかに思われた襲撃が唐突に止み、それに合わせて僕たちも街に向かって撤退を開始したのがつい先ほど。


 僕たちは、心身ともに参っている。


 しかし、歩き続けなくてはならない。休息を取っている暇は無い。

 日が完全に落ちて、辺りが闇に閉ざされたら、きっと生きて街に帰れない。


 皆それが分かっているから、悲鳴を上げる四肢にムチ打って、黒い森(ボステ・ネグロ)から撤退している。




 時折辺りを見渡してみるが、闇で黒く染まった樹木しか見えない。

 その木々の隙間から魔物が見ているかもと思うと、どうしても不安感が募っていく。

 次に魔物に出くわしたら、また誰かが死ぬ。


 大人でも泣き出してしまうような状況だと思うが、皆は大丈夫だろうか。




 ――おそらく、僕たちの部隊にいる津山勘治(かんじ)先生が、皆の心の支えになっているのだろう。

 彼がいるから、生きて帰ることができるかも知れないと、希望を持つことが出来る。


 理由はシンプルで、彼は強いのだ。


 僕はここ数週間にわたって先生のご指導(シゴキ)を受けていたから、強いと分かってはいたが、ここまでとは思わなかった。

 僕が初陣で右往左往しているうちに、ほとんど一人で魔物を無力化していた。

 僕より数カ月早くこの世界に召喚されたとは言え、同じ神の使徒(アポストル)だとは思えない。

 “先生”というのも「教師」ではなく、「用心棒」といった意味だって、この前聞いたような気がする。




 僕とは雲泥の差だ。

 僕はと言えば全身を()()()()覆っている「呪いの鎧」のおかげで、こんな環境でもかすり傷一つ負うことはない。

 僕がこの”異世界”に来てから一カ月、ほかの人なら致命傷になりえる魔物の牙も、この鎧なら守ってくれることは体験した。


 いや、だが、しかし――

 死なないのだが、死なないだけだ。

 大して役に立っているとは思えない。




 一緒に歩く皆は、


 もし進む方角を間違えていたら……


 もし次に魔物の群れに遭遇したら……


 もし家族が待つ家に帰れなかったら……


 そんな恐怖と戦っている。


 だが、僕は心のどこかで自分だけは死なないと――安全を保証されていると感じてしまっている。いつ命を落とすか分からないこの地獄のような環境で、初陣のくせに他人の心配をするくらいには心の余裕ができてしまっているのだ。

 

 自分で自分の感情が納得できず、どうにも居心地が悪くなる。



 お前はまだ16、7のガキなんだから、そんなこと気にすんなバカ。って勘治先生にも言われたっけ。



 ……せめて少しでも役に立ちたい。


 人が死ぬところを見るのはもう御免だ。

 いざという時は皆をかばうのだ。例えこの森に取り残されてでも。



 暗い決意が胸中を満たしていく。

 まるでこの森がそうさせているかのようだった。





 しばらく歩き続け、ふと気づくと明らかに木々が減っており、その代わりに切り株が増えている。

 さらに日は傾いているが、僕たちにかぶさるような枝葉がなくなっている分、先ほどよりずっと視界は通るようになっている。


 後方の部隊が黒い森(ボステ・ネグロ)の木々を伐採したのだ。

 この作戦が始まる前、逆境を跳ね除けようと気張っていたからか、相当広い範囲の木が()られていた。

 簡易的なバリケードと魔物の死骸が残っているぐらいで、人影は確認できない。

 伐採部隊の作業と撤退はつつがなく終わったようだ。



 目的地である街に近づくほど伐採が広範囲に及んでいるはずだ。だからここから先は徐々に視界が開けていくことになる。

 視線の先に松明とは異なる小さな明かりが見える。町の外――黒い森(ボステ・ネグロ)侵攻作戦の中継基地に焚かれた篝火だ。

 僕たちは正しい方角に進めていたようだ、あそこを目指して進めば森の外に出られる。そうなったら僕たちの部隊も作戦終了だ。

 皆で馬車に乗って、家に帰る。装備を解いてベッドに座って、一息つくのだ。

 あと少しで日常に帰れる――



 木こりたちから、ああ。とか、良かった。とか安堵の声が漏れる。

 心なしか彼らの表情が和らいでいた。

 よし。と僕も小さく呟く。


 もう少し、あと少しだ。




 その時――






 ガサガサッと。




 後方の茂みが音を立て、全員が思わず足を止めて振り返る。


 暗く視界の悪い森、限界の近い身体、逃げ場は街の方向しかない。


 不安を誘うには充分すぎる、不吉な音。


 皆、微動だにしない、時間が凍てついたようだ。


 風であってくれ、野ウサギか何かであってくれ、聞き間違いであってくれと虚しい祈りを捧げる。



 すぐ近くにいる勘治先生が――

 クソッと小さく吐き捨てる声が聞こえて――――



 絶望が姿を現した――


 目線の先にある茂みからゆっくりとした動作で異形が這い出る。

 黒い森(ボステ・ネグロ)猟犬(サブエソ)、狗と呼ばれる魔物だ。


 身体を覆う緑がかった短い体毛。体高は人の腰ぐらいだろうか。

 全身にずんぐりと筋肉が付いていて、高い身体能力を想起させる。


 そのシルエットは見慣れた四足獣のようだが、あのクソ共を魔物たらしめているのはその頭部の異様さ――


 大抵の動物は地面に対して平行に口が割れているが、奴らはそれが縦にぱっくりと割れている。

 そのため目鼻のような頭部にある感覚器官の配置が、見慣れた動物たちと全く異なっている。



 ゆっくりした動作で口を開くと、左右に分かれた顎から生えそろった牙と、イチゴのようなピンク色の腔内が覗く。


 食虫植物のハエトリソウが頭になった犬とでもいうか――

 その悪夢に出てくるような外見に、向かい合っているだけで気分が悪くなってくる。



 一匹が現れると、ぞろぞろとほかの個体も姿を現し始める。

 さっと見回しただけでも十匹以上、おそらくまだ出てくるだろう。すでに後方は半包囲されているように見える。忌々しいことに、僕たちがのろのろと歩いているうちに、数を揃えて追いついていたようだ。

 タイミングを見計らいながら、涎を垂らして殺意と怒気のこもった唸り声を出している。



 戦闘が避けられないことを悟り、各々が一斉に武器を手に取る。

 金属音と衣擦れの音の中に、ああ神よ。と小さく祈る声が混じった。

 僕たちの緊張はピークに達している。


 僕は腰のホルスターから斧を抜き、勘治先生のすぐ後ろに立った。


 直後――


「来るぞおぉ‼」

 先生が声を張り上げた。



 同時に狗の数匹がこちらに向かって走り出す――

 距離は20メートルほど離れているが、奴らの筋力なら数秒で肉薄される。


 先生が狗の接近に合わせ、この世界に召喚される際に、神が僕たち使徒(アポストル)に与えた、特殊な能力、才能(レガロ)を発現させる。


 先生が右の袖を軽く捲り、野卑な前腕を露出させて力を込める。

 腕の血管が黒く染まっていく。指先の毛細血管まで染まった“それ”は腕の中に生える漆黒の樹木のようだ。

 腕の中に充満した“それ”は皮膚を突き破り、天に向かって伸びていく。1メートルも伸びた後、枝葉を纏めた“それ”は形を為し――


 何度か瞬きをするような短時間で、手に鍔のない美しい日本刀が握られていた。

 津山勘治先生の才能(レガロ)、”鞘無(さやなし)”だ。

 

 先陣を切った狗が飛びつくが、現れた白刃で正確に魔物の足を切り払う。筋肉と腱と骨で相当に硬いはずの脚が、野菜のように切れる。血飛沫とともに切断された狗の脚が飛んだ。

 脚を失った狗が飛びついた勢いのまま僕の目の前に転がってくる。

 先生は、続けて襲い来る狗にも焦ることなく、巧みに敵の牙を避けつつ斬り下がる。


 よく地面に近い所にある、それも常に動いている脚をあれだけスパッと切れるものだ、と魔物が襲い来る状況でつい感心してしまう。


 白刃が舞い、翻る度に狗共は次々と脚を切断されて機動力を失っていった。

 先生は先陣を切った数頭の脚をあっという間に奪ったあと、次に襲い来る狗に備えて素早く構えを取り直す。

 静かに光沢を放つ刀身には、血や脂の一片も着いていない。


 「ヘイト、(ほう)けてんじゃねぇ」

 先生は前方の狗から目を離さず、後ろにいる僕を注意する。

 先生を見ている場合じゃない、ハッと我に帰った僕は自分の仕事を思い出した。

 猟犬(サブエソ)は足の1、2本を失ったが、死んだわけではない。奴らは死への恐怖など無いかのように、苦痛に呻きながらもこちらに襲いかかろうと立ち上がってこようとする。


 だから——


 僕はよろめきながら立ち上がろうとする狗を蹴り飛ばし、動けないように踏みつける――

 両手で持った斧を、高く振り上げる。


 筋肉で盛り上がった肩、その少し横。急所である頸の辺りに渾身の力で斧を振り下ろす。


 肉に鋼の刃が食い込んで血が噴き出た。

 体重を乗せた一撃だったが、厚い筋肉と脂肪に阻まれて絶命させられない。それはこれまでの戦いで分かっている。

 問題無い。薪割りと同じだ。一撃で駄目ならこいつが死ぬまで続ければいい。


 斧を持ち上げて、振り下ろす。持ち上げて、降り下ろす。


 僕は死なない以外に出来ることは少ないが、薪割りはこの世界に来てから一カ月間ひたすらやってきた。そのおかげか、狙った個所へと正確に斧を叩きつけられるようになっている。


 刃を叩きつけるたびに狗の血飛沫が飛ぶ、なんとか逃れようと必死にもがき、きゃいんと悲鳴をあげる。その声が(かん)(さわ)ってたまらなく不快だ。


 人を喰う化け物のくせに、一丁前に悲鳴なぞあげやがって、黙って死んでろ。と心の中で呪詛を吐いた。


 渾身の力で四度も刃を食い込ませると、刃が太い血管に到達したのか、だくだくと血を流しながら痙攣して起き上がらろうとしなくなる。こいつはもう終わりでいいだろう。


 一息ついている暇は無い、起き上がれなくなった狗を放置し、次の獲物に同じようにとどめを刺していく。


 勘治先生が足を止め、僕や木こり達がとどめを刺す。このフォーメーションは今日一日でさんざん繰り返してきた。

 始のうちは次にどれを殺すか、身体のどこを狙うか迷っていたが、今は効率的に殺せるようになっている。


 しかし狗の数は多い。

 街まであと少しとはいえ、背を向けて走って逃げ切れる距離じゃない。必ず追いつかれる。そうなったら本当に全滅するだろう。

 魔物を仕留めながら、襲撃が緩くなるタイミングを見計らって、少しづつ街の方向に後退していくしか生き残る手段は無いだろう。


 先生の動きは見事だが、疲労からか昼間より精彩は欠いているように見える。先生の刃を受けずにすり抜けて来る狗が昼間より多い。


 一匹の狗が木こりの足に食いついて強引に引き倒し、首を食い千切ろうと馬乗りになった。

 木こりは必死に抵抗するものの、疲労で押し退けられる力は残っていないのだろう。

 さらにもう一匹が駆け込んで来るのを視界の端に捉える。


 まずい……このままじゃ殺される。


 僕は斧を放って反射的に走り出し、その勢いのまま馬乗りになっている狗に抱きつくようにタックルする。

 狗を抱えたまま地面に転がり、両足で狗の胴を挟んで押し倒す。

 腰に差したナイフを抜き放って刺そうとするも、肉薄していたもう1匹に腕を噛まれ、猛獣よろしく首を振られる。痛みこそないが、振り解こうとするも物凄い力で引っ張られ、体勢を崩してしまう。



 焦燥からか苛々(いらいら)してくる……

 一匹や二匹に時間を掛けている場合じゃない。



 僕がもがいているうちに、持ち直した先ほどの木こり動いた。ゴルフクラブのように棍棒を振り抜き、腕を噛んでいた狗を殴りつけてくれた。

 衝撃に(こら)えられず狗が牙を離す。

 僕は自由になった腕で、押し倒していた狗をナイフで刺す。肋骨に邪魔されないよう、刃を骨と平行にして突き刺した。根元まで挿入したナイフを(ねじ)り上げるように力を込める。

 苛々を叩きつけるように、全力で。

 

 狗は激しい喀血(かっけつ)と共に力が抜けていった。  

 こいつももういい、次だ。

 顔を上げると、先ほどの木こりが棍棒を振り下ろし、僕の腕を噛んでいた狗の頭を粉々に砕いていた。

 何度も殴られたのだろう、事切れた狗の体はところどころ鬱血し、脚はあらぬ方向に曲がっている。

 ざまあみろ。

 


 僕は木こりに話しかける。

 「ありがとうございます。助かりました」 

 「こっちの台詞(セリフ)だヘイト、街に帰れたら必ず礼をする」

 「は、はい、必ず帰りましょう」

 僕がそう返すと木こりは、ああ。と言って少し笑顔を見せた。


 帰れたら、と言う重いフレーズに思わずどもってしまった。

 自分はもっと気の利いたことは言えないものかと、まともに話せないものかとうんざりする。

 


 周りからほかの木こり達が上げる絶叫が聞こえ始める。

 まだまだ狗の数は多い。僕は斧を拾いつつ次の獲物に向かった。



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