17話 竝人と皆と大きな宴会 ~その2~
「ギャッ」
宴もたけなわといった頃。他愛もない会話を聞いていると、突然背骨を引っ張られ、おかしな悲鳴を上げてしまった。
咄嗟に振り向くと、サラサラのホワイトブロンドを、耳に掛かるくらいのショートヘアにした修道女が立っている。マシュマロのような美白の顔に、不思議そうな表情を浮かべていた。
彼女は、呪いの鎧、その尾てい骨あたりから伸びている部品をがっちりと掴んでいる。
この人、どっかで見たことあるような……
「フフッ。お前変わったヤツだなあ。何で尻尾生えてんの?」
「あら、イザベル。帰って来てたの?いきなり『海が見たい』って東の方に行ったって聞いてたけど……」
「よぉ、エルザ、アイシャも。久しぶりだな。先月の中頃には帰って来てたんだ。教会に行こうとして、宴会やってたから、"人狼殺し"に挨拶しとこうと思ってね」
そんな会話をエルザさんとしながらも、イザベルさんと呼ばれた女性は、鎧――その背骨のような保護具――から伸びた尻尾をぐいぐいと引っ張っていて、感触が背骨あたりに伝わってくる。
"呪いの鎧"を着用する際、ひとりでに動き、僕の顔に面を付けたこの尻尾は、それ以来ウンともスンとも言わず、身体にゆるく巻き付いているだけだった。装飾の一部かと思っていたが、もしやこれ感覚あるのか?
「イザベル、ヘイト様に自己紹介もなく失礼でしょう?手を離してください」
「ヘイトっていうのか。私はイザベル。聖騎士です。よろしく」
アイシャさんに注意されて、歌劇団の男役のような美声で自己紹介してくれるが、
結構硬いな、と言いながら、強度を確かめるように尻尾を両手で引っ張ている。離してくれる気はなさそうだ。
アイシャさん、エルザさんと同じ修道服を着ているものの、腕まくりをしていて、言動と相まって粗野な印象を受ける。
「イザベルちゃん。元気そうだね!侵攻作戦じゃそっちに幽鬼が出たって聞いたから心配してたんだよぉ」
「トーニォ。相変わらずスケベ顔してんな。そっちは人狼が出たんだろ?それに比べりゃマシだよ」
アントニオさんと会話している。はて……侵攻作戦にいただろうか?
「あれ?参加してた……あ!!」
確かに、居た。中継基地で集まってシリノの話を聞いた時。
これは見てはイカンと、すぐに目線を外したが、扇情的というか、すごい恰好の女性がいたことを思い出す。服装こそ違うが、同じひとだ。
「なんだ……ヘイトは忘れてたのか?傷つくね」
と言いながらイザベルさんはニヤニヤしている。
イザベルさんは、アントニオさんが好きそうな飛びぬけた美人で、つまりは、僕が目を合わせられなくなり、ただでさえ低いコミュニケーション能力をさらに減衰させてくるタイプだ。
「あの……もう……離していただければ……」
「嫌だ――と言いたいけど、教会に行かなきゃなあ。また今度会おうか、ヘイト」
と言うと手を離し、アイシャさんのはちみつ漬けをひったくって、さっさと出口に向かってしまった。
はちみつが……とアイシャさんが項垂れてしまう。
なんと言うか、こう、他人を置いてきぼりにする強い推進力みたいなものがあるひとだった。
「破戒僧が」
渋柿を食べたかのような勘治先生の呟きが、妙に大きく聞こえた。
僕がやっと能力の減衰から立ち直り、思ったままの言葉を空に向かって呟く。
「マイペースな人でしたね……"人狼殺し"って何のことだろう」
「あ?あぁ!そうだ、ヘイト。君にこれを渡さなくてはね」
ローマンさんが思い出したように、両手に収まるくらいの木箱を手渡してきた。簡単な蓋が付いていて中身は分からない。
この街とその周辺地域では、このようなちょっとした小物でもなんでも、作れる物なら木材を用いて作る習慣があるようだ。
黒い森の中にいたときは薄気味悪くてしょうがなかったが、この素朴で暖かみがあり、加工がしやすく、建材や芸術的や家具にもなる、この優れた木材という資源は文字通り売るほどある。
動物の皮などを用いるよりずっと安上がりなのだろう。
魔物を生み出す黒い森は、通常の森林と異なり間伐などを考える必要が無い。侵攻作戦を続ける僕らの目的は、森林破壊だ。
この街の人々は、電気やガスといったインフラの無いこの世界で、木材という不可欠の資源を無尽蔵に得ることが出来る。
命を賭ければだが……
箱からは木材とは思えないずっしりとした重さを感じる。閉じられていると中身が気になるものだ。つい注意を引かれる。
「何が入っているんですか?開けてみても?」
もちろん、と言われて蓋を開けてみると、
たくさんの銀貨と銅貨が入っていて、そして、その中には――
「おお、金貨だ」
薄く歪な円形の、刻印が施された、美しい黄色の光沢を放つ金貨が2枚入っていた。初めて見る金貨に、思わず声が出てしまう。
持ってみたが重さは……鎧の布越しでは分かりづらいほど軽い。
どうやらこの木箱は、今回の侵攻作戦に参加したことによる報酬のようだ。
だが僕は、この世界に来て支払ったものといえば宿代と贈り物の代金くらいなので、いまいち価値が分からない。
「これ……幾らくらいになるんですかね」
そう呟くと、アルコールで気分が良さそうな教授が話し出す。
「うむ。では問題だ。その金貨を5グラムとしよう。大体それくらいだろうからな。で、通貨として扱われていることから、30%ほどの混ぜ物がしてある金だと予想できる。さて、芸術的な価値を除いて、元の世界での価値はどれくらいになると思う?」
「ええと……確か……18金の相場が、グラム5千円くらいでしたか?」
「ああ日本は"円"か、そうだったな。為替レート、なんかで見とったかなあ……」
教授はおもむろに25番の書を発現させて、そのタブレット端末のような才能を触り始め――
まぁそれくらいでいいだろう、と言った。
「それでは……ん?2万5千円。2枚で5万円!?」
「そんなものだな。金は時価だし、どんぶり勘定ではある。
異世界だから物価も金の産出量も異なるとしても、銀貨と銅貨も含めその箱で、この世界での10万円くらいにはなるんじゃないか?」
「じゅ、10万円も!?貰ってしまって良いのですかね?」
「命、張ってんだ。少ねェくらいだろ」
と勘治先生が高価そうな分厚い肉の燻製を食べながら言っている。彼もビールとワインのおかげかいつもより少しだけ口数が多い。不機嫌そうな顔はいつも通りだが。
目の前のお金が詰まった木箱を凝視してしまう。硬貨がろうそくの灯りを反射してキラキラと光沢を放っている。そんな大金を触ったことは無いと、記憶が混濁していても確信できる。僕はしばらく固まってしまった。
落っことしでもしたら……こ、怖い。持ち歩きたくない。
「ど、どうしよう――」
すかさずエルザさんがとびっきりの笑顔で反応した。
「ヘイト様、教会はいつでも皆様のあたたかい寄付をお待ちしております」
アイシャさんが慌てて――
「エルザ、やめてください!すでに使徒の皆様からは様々な形で教会に貢献して頂いているでしょう?エルザだってアントニオ様から香水や獣毛のヘアブラシを贈られているの、私知ってるんですよ」
話題に出たアントニオさんは……何故か得意げな顔をしている。
「私物、持ってて良いんだ?」
それを聞いたフベルトさんが不思議そうに口を挟んだ。
「フベルト、分かってないな。彼女たちは医療行為も行なうんだぞ?肌に直接触れるものは共用を避けるべきだろ。下着とか」
教会の人達は日用品の共用をするのだろうか。アントニオさんが衛生を考慮したもっともなことを言っている。……最後のはわざわざ言う必要があったのだろうか?まさかとは思うが贈ったりはしていないよね?
僕はテーブルに座っている一同を見まわしながら逡巡し――
「ローマンさん、預かっていて頂けませんか?管理できる自信が無い。お礼は……このあいだお借りした分に上乗せして返済しますので」
持ち歩くのも、いつもの宿に置いておくのも不安だ。こういう時に頼れるのはローマンさんだろう。果物を買った分の返済がまだだったので、管理費を渡す意味を込めてそう提案してみる。
「ふふっ。分かった。だけど返済とお礼は気にしなくていいよ。今日君が支払う分は私が勝手にやっておいていいかな?」
「はい。ありがとうございます。お願いします」
快く請け負ってくれた。ありがたいことだ。
「やあ、景気が良いね。あんたら使徒さんだろ。踊らせてくれない?」
女性に声を掛けられて振り向くと、
いつの間にか民族衣装のようなものを着た、華やかな女性が三人と、楽器を持った三人の男性が笑顔で近付いていた。
独特な服装だ……放浪者と呼ばれる人達だろうか。お金の話をしていたから営業しに来たのかも。
ダンスを見せてくれる、という意味か。
「もちろん!情熱的なのを頼むよ」
アントニオさんがデレデレした顔で即答する。
「そうだね……銀貨30枚でどう?」
「分かった。ひとり5枚だ。ヘイトもいいだろ?」
「ええ、ああ、はい」
「へぇ、さすがは使徒さんだ、気前が良いね!吹っ掛けてみるもんだ。
――よォし!」
女性――踊り子――が合図をすると、男性達が弦楽器で軽快な音楽を奏で始める。
踊り子のひとりが踵と爪先で木床を叩くように踏むと、カスタネットのような音が鳴る。
彼女らが履いているあの靴もひとつの楽器なのか――
やがて彼女ら三人がステップを踏み始め――音楽に合わせて――踊り始める――
フラメンコ?ジプシーダンスと言うのか?異文化を感じる情熱的な踊りに思わず目が釘付けになる。
徐々にテンポが速くなり、演奏と靴の音、スカートを翻すような舞が熱を帯びていく――
踊り子たちはテーブルとテーブルの間で器用に舞っていて――
くるくるとターンをする度、スカートに入ったざっくりとしたスリットから、小麦色の健康的なおみ足が……いやそちらは見ないようにしよう。純粋な気持ちで異文化を楽しむべきだ。紳士紳士。
手を叩く音、木床を踏み鳴らす音、打楽器の音が刻むリズムが、激しくとも気持ち良い。
リズムを聞いていると――
こちらの身体まで勝手に動き出しそうだ――
アントニオさんあたりは一緒に踊り出しそうだな――
あ、もう乱入して踊り子と目を合わせながら満面の笑みで踊り出してる――
使徒が一緒になって踊っているのに気付いた周りの客が、テーブルを動かして歪な円形のフロアを作り始めた。
方々で別の音楽を奏でていた人たちが、次々と放浪者の奏でる楽器に、音を重ねていく。
酔っ払い達が、木のコップを掲げて、だみ声を震わせながら適当に歌い始める。
客も、店員も、使徒も踊り子も一緒になって身体を動かしていて――
あっという間に踊りと音楽の渦が、店中に広がっていく――
フベルトさんとローマンさんが踊り子の女性に手を引かれてフロアに加わった。二人ともまんざらでもなさそうだ。
座ったまま干し肉をかじっている先生は眉間にシワを寄せているが、目線は皆の方を向いているから、つまらなくは無いのだろう。
アイシャさんとエルザさんは踊ることは無いものの、よく見ると音楽に合わせて身体が揺れている。
「よぉし、儂も――」
「教授、そんなにお酒を呑まれた状態で踊っては、心臓発作で死にます。やめてください」
このひとには釘を刺しておかないと。
店内はリズムもジャンルも、お酒と人数のせいでもう無茶苦茶で、場は混沌としていたが――
皆、本当に楽しそうだ。
皆どこで踊りだの歌だのを習うのだろう?もっと大人になれば勝手に身に付くのだろうか?
僕なんかとても無理そうだなぁ。
そんなことを考えていたら、近付いてきたアントニオさんが僕に手を差し伸べる。
「ほら、ヘイトも踊れよ?」
「あ、いや、足、動かない――」
「おお、そうだったな、悪い悪い」
アントニオさんが渦の中心に戻っていく。僕が足を引きずっていたのを思い出したのだろう。身体を動かせても踊れないだろうが――
僕はダンスなんかしたことが無い。目立つのも苦手だから、フロアに立っても、飼い主を見失って不安な犬のようにオロオロするだけだろう。
だが――
きっと、そう――
つい断ってしまったが――
もしも、あんな風に踊れるのなら――
その手を取って、あと一歩が踏み出せるのなら――
皆と楽しそうにステップを踏んでいる自分を想像して、思わず笑みがこぼれた。