179話 信仰の剣
フベルトさんは送還される時に愛用していた甲冑を騎士たちへと贈った。
馬を駆らせたら彼の右に出る者はいなかったから、騎士たちは尊敬と感謝を胸にひとつの甲冑を分かち合い、身に着けている。
立ちはだかる騎士団は統一感のある甲冑姿だが、セロリオさんの胸当てとポーさんの左腕の手甲が、鈍色の中で黒く影になっていた。
兜で顔が隠れていても分かる。あの目印に向けて進めば良い。
戦斧を強く、強く握る。
槍のように構えて直線に構え、打ち寄せてくる騎士の波に向かって地面を蹴った。
接触する。騎士は変わった装飾の盾で迎え撃つ、が、僕の勢いが上回った。
「なにッ!」
構えた盾ごと騎士を弾き飛ばす。前線が少し割れて黒い胸当て――標的が良く見えた。良し、このまま、もう一歩。
が、踏みだせ、ない。
流石に反応が早い。他の騎士が大剣を振り下ろして来た。勢いを殺されないように肩の装甲で受ける。
「邪魔すんな!」
もう一歩なんだ。
その一歩が果てしなく遠い。
絡んでくる騎士は数舜で増えていく。力の限り斧を振るい、敵の濁流をかき分けて進んでいくようだ。あの時は負けた濁流を。
「"火炎"の悪魔よ、契約を履行する」
視界が真っ白く灼けた。反応できない爆圧に弾き飛ばされ、意志の力で無理矢理立ち上がる。火炎の魔法で下がらされた。
ひとりの騎士が手に炎を持っている。あの魔法、あまり何発も貰ったら立てなくなるだろう。赤く光っている手元に集中する。
騎士は手に持った炎を、味方の方に放った。
「何を」
炎は武装した神父の方に真っ直ぐ飛び、エメラルドを散りばめた曲剣――"王の曲剣"を燃やす。
神父はするりと脱力する。その動きに得体の知れない恐怖を覚えた瞬間、目の前で燃えた刀身が振るわれている。
「速っ――」
空気を裂くかのような曲剣の一撃が憎悪の鎧を割った。堪らずに距離を取るが、独特な歩法で距離を詰めてくるバースィルさんの剣から逃れられない。
「ヘイト様……武器をお納めください……」
練度が違い過ぎる。
二太刀目、三太刀目をバトルアクスで何とか防ぐが、鎧が削られていく。
「あんたの相手は私だろ!」
装飾的なレイピアがバースィルさんの肩を掠め、血が飛んだ。
「イザベルさん!」
「バースィルは任せな。我が信仰を!前に進む力に!」
バースィルさんは暗い表情で打ち合いながら、
「これは主から与えられた試練だ、イザベル。剣を引きなさい」
「あんたの言う通り試練だ。主は言っている、『神父を叩っ斬れ』ってね」
ふたりは離れ、構えた。
"前進"の秘跡と、"18番の貴石"で目にも止まらぬ速さで動くイザベルさんが斬り込むが、バースィルさんは巧みに切っ先を捌いていく。
「セフェリノオォォッッ!!」
フェルナンドさんが咆哮を上げながらニ刀を振るって敵陣に斬り込んだ。あっという間に騎士団が散らされる、その刃が金属音とともに止まった。
「調子にのるなよ、フェルナンド・イエルロ」
「邪魔をするな!オーギュスト・オーウェル!」
オーウェル騎士団長は、錆びて朽ちかけたヒーターシールドで剣戟を防いでいる。
フェルナンドさんの振るう"信仰の剣"と"審理者の剣"を止められるのだ、あの盾もただの聖遺物ではない。
「セフェリノ様には指一本触れさせん……ッ!!」
オーウェル騎士団長は盾に集中し、攻撃を他の騎士に任せている。おそらく戦場全体にも気を払っているフェルナンドさんに余裕はない。
僕たちの最高戦力を止められたタイミングで、じりじりとセフェリノ騎士団の前線が上がり始めた。
森の中で散らばり、トラップを警戒する騎士団を各個撃破することで僕たちの戦いは成立していた。それが敵のしぶとさを打破できず、一か所に集まってしまっている。
イザベルさんはバースィルさんを抑えるので精いっぱい、
ダリアさんと螺良さんも数の不利に押されていて、
ミックさんは距離を詰められて動きづらい。
セロリオさんとポーさんは負傷した騎士に手を貸して戦線復帰させている。
ただでさえ数十倍の兵力差が手を緩めずに苛烈に攻めてくる。
このままじゃ……焦りで武器の動きが雑になる。
それでセフェリノ騎士団員が倒せるわけがなく、ますます有効打を与えられなくなり、それがまた焦りを生む。
森の中を押し込まれ、勢いを返せず、そして視界が開けた。
夕日の光が円形の空間をオレンジ色に染めている。聖域だ。後退し続けて森を抜け、手入れされた芝生に出てしまった。
この広さなら、騎士団は弓も馬も使える。完全に優位性を失ってしまった。
戦場全体がスローモーションに見える。
攻撃を受けた"幻日環"にヒビが入り、螺良さんの身体から力が抜ける。
魔法の雷を捌き切れなかったダリアさんが片膝を着いた。
イザベルさんは左腕をかばいながらバースィルさんと切り結んでいる。
フェルナンドさんは多数の敵に囲まれていて、
ミックさんは弾込めの隙を与えてもらえない。
全力で振ったバトルアクスは騎士に当たらなかった。
懐へ潜り込まれ、雷を纏った拳を叩き込まれる。衝撃が脳の芯まで駆け抜けて、転がされる。
横向きになった視界に、聖域の中央にある石造りの椅子が入った。微動だにせず悔悛の鎧が座っている。
「ダメだ……」
諦めちゃ駄目だ。
両手の指で土を噛む。
絶対に負けられない。
今日、いや、今この時だけは勝てなければ。
「アアァァァァッ――!」
天を仰いで全身に力をこめる。
黒い枝葉が伸び、割れた憎悪の鎧が修復され、より一層の禍々しい姿へと変貌していく。
手に取ったバトルアクスが羽のように軽く感じる。ほとんどの敵がこちらを向いた。目の前の相手を無視してこちらに駆けてくる。
ミックさんとフェルナンドさんに目配せをして、
「――――ッ!!」
叫び、迫ってくる敵の波に向けてバトルアクスを突っ込ませる。力の限り武器を振るい、被弾も構わず暴れる。
あえて肉薄してもみくちゃになった。魔法や聖遺物を使えないように。騎士たちが僕を脅威として叩こうとしている今なら。
ミックさんが動いた。
"8番の武器庫"で発現させたライフルを構える。狙いはセフェリノさんが乗る馬。
銃声が2発。弾丸は馬の耳と大腿をサッと掠めた。
驚いた馬がいななきながら前脚を上げ、僕を警戒していたセフェリノさんが虚を突かれてバランスを崩し、地面に叩き付けられる。
「――!セフェリノ様!」
オーウェル騎士団長の目線が逸れた瞬間を見逃すフェルナンドさんではない。
足甲の上から特大剣の一撃を叩き込まれた騎士団長の身体が一回転する。フェルナンドさんは落馬したセフェリノさんの方へ駆け出した。
彼を遮る敵は皆、僕の方に寄っていた。
フェルナンドさんの刃はあと数秒でセフェリノさんに届く。
「そこまでだ!!」
切っ先が届く寸前、フェルナンドさんの足が止まった。彼は刃を下げ憤怒の表情を浮かべて睨む。
全員の動きが止まっていて、乾いた風が芝生を揺らす。
何が起きた?
フェルナンドさんの目線を追って、
「嘘だろ……」
ふたりの騎士が剣を構えている。刃の先は満身創痍で拘束されるオマールさんに向けられていた。
オーウェル騎士団長は折れた足の痛みを堪え、脂汗を浮かべて立ち上がり、僕たちに向けて宣言する。
「武器を収め、抵抗を止めろ!」
その先は言わなかったが、言わずとも分かる。僕たちが言うことを聞かなければ、オマールさんを――
「オマール様に傷をつけて見ろ。全力でセフェリノの首を落とす」
フェルナンドさんは泡を飛ばして叫んだ。
オーウェル騎士団長は目を血走らせ、
「セフェリノ様への不敬、見過ごせん!一族郎党皆殺しだぞ、分かっているのかッ、フェルナンド!!」
落馬した領主の傍にセロリオさんが近付き、黄金の盃のようなものを差し出していた。セフェリノさんは言う。
「フェルナンド、私に人質の価値はありません」
虚仮脅しではない。セフェリノさんの眼は本気だ。
「役目は息子が継ぎ、未来を繋ぎ続けるのです。この地を守るために死ぬのなら惜しくはありません。それがアルボールドラド家の男です」
フェルナンドさんは答えない。
「どちらが不敬だ!よもや使徒様を人質に取るなど!貴様等、騎士の誇りはどこへやった!!」
オマールさんは額に血を流し、捕まったまま叫ぶ。
「ヘイト、俺に構うな!メサを助けろ!」
「ポー!メサを確保しなさい!」
セフェリノさんの命令を受けたポーさんが兵列から抜け出して聖域の中心へ――メサさんの方へと向かう。
感情をぶちまけるような脅し合いが続いている。
どうする。どうすればいい。
迷っている間にもポーさんは歩みを進めた。その足は徐々に遅くなり、石の椅子を前にして止まった。
馬上槍を持つ完全武装の騎士を遮るように、修道女が立っている。両手を胸の前で祈るように組み、恐れもなく騎士の目を見ている。
「退くんだ、シスター」
ポーさんがランスの先を修道女へ向けた。バースィルさんが走ってきて、ランスに背を向けて純白の修道服へと向き合った。
「こんなところで何をしている。教会に帰りなさい、アイシャ」
「退きません」
教会にいるはずのアイシャさんはそう言い切り、バースィルさんの眼光を真っ直ぐに見返す。
「それは魔女だ。庇うと言うのか」
はい、と断言する。
「神父様たちは剣を向ける相手を間違っています」
聖域は静かだった。
風に揺れるふたりの修道服だけが、時間が流れていることを感じさせる。
「メサは黒い森で、身を捨てて使徒様を守りました」
「魔法だ。悪魔の業を以てだった」
バースィルさんの表情は見えない。だが、指に血が滲むくらい曲剣の柄に力が込められている。
「使った力が何であれ、これが献身でなく何だと言うのです」
「その献身が領地を……他でもなくこの聖域を汚そうとしている。主に仕える者として許してはならない」
「これもきっと主の計画の通りです。主の御考えは我々の想像が及ぶものではない、そう教えてくれたのは神父様でしょう?」
「……退きなさい、アイシャ。私は主の僕として、役目を果たすまで」
アイシャさんは唇を結び、目を閉じた。そして開いた眼に真摯な光を灯してバースィルさんを見つめる。
「我が信仰を、この者を癒す力に」
アイシャさんは手をバースィルさんの肩にかざした。戦いの中でイザベルさんに付けられた傷口が塞がっていく。
「神父様――」
バースィルさんはわなわなと震えていた。
「何故、秘跡を執り行わないのですか?」
自分より遥かに華奢なシスターから少し目を逸らした。
「このくらいの怪我は、ご自分で治せるはずです」
どさ、と音がした。
聖騎士のひとりが武器から手を離したのだ。芝生に落とした直剣を見てから、その聖騎士は神父へ語り掛ける。
「やらないのではなく、できないのだろう。バースィル。我らの姉妹が言う通りだ」
「しかしっ……」
聖騎士たちは次々に武器を収め始め、それぞれが言う。
「主から力を借りられないのだろう。私とて同じだ」
「刃を向ける罪悪感が拭えん。信仰に陰りがあるのだろう。祈りが届かないのは当然だ」
「我々は秘跡が執り行えず、イザベルとアイシャは普段と変わりがなかった――これが主の答えだ」
「潮時だろう、バースィル」
最初に武器を捨てた聖騎士がバースィルさんに近づき、彼の肩に手を置いた。王の曲剣は神父の手を離れ芝生に沈む。
「お前はセフェリノの輩である前に、主の僕であったのだ」
「聖騎士共、何をしている!?」
理解の追いつかない光景を見た騎士はオマールさんから剣を離した。その瞬間で肉薄したイザベルさんがふたりの騎士に強烈な蹴りを食らわせる。
イザベルさんはオマールさんを抱えると一気に距離を取って――
一斉に時が動き始めた。
騎士たちは手近な使徒に武器を向けるが、聖騎士たちは身を盾にするかのように立ちはだかる。
「また裏切るか……バースィルッ!」
激怒したセフェリノさんが声を荒げた。黙り込むバースィルさんの代わりに、他の聖騎士たちが答える。
「これが我らの在り方だ。セフェリノ」
「止めた兄弟姉妹たちが正しかった」
「我が信仰を、災禍を退ける力に」
「後悔するぞ……」
「信じた道を進んでいる。後悔などするわけがない」
ポーさんの向けたランスの先を、先ほどの聖騎士が掴む。秘跡を使える聖騎士の膂力に、ポーさんは武器を動かせない。
聖騎士たちが味方してくれる。これなら五分だ。まだ戦える。バトルアクスを杖にして、足に力を込めて身体を立ち上がらせる。
「全軍!眼前の敵をすべて討ち払――――」
「吼えろオオオオオオォォォォ!!火尖鎗オオオオオオォォォォッッ!!」
セフェリノさんの号令を、咆哮が遮った。
僕の眼前に異形の朱い槍が突き刺さった。白くキラリと光ると槍を中心に炎が巻き起こる。吹き荒れる熱と爆音から目をかばう。
「ハァ、『行かない』って言ってたのに」
いつの間にか傍に来て、肩を貸してくれるイザベルさんは苦笑した。
「面白そうなことをやっているゥ。吾輩も祭りに混ぜてもらおうじゃないかア、なあ、セフェリノォ」
もうもうと湧き立つ爆煙の中で立ち上がる、2mを超すであろう巨大な影。
旅装に身を包んではいるが、どんな騎士よりも強大に見える。煙の隙間から見える顔は黒く、荒ぶる感情を象ったように金色の長髪が逆立っている。
ぎらつく様な双眸に、地割れのような口元の笑み。
例えるなら、拘束を解かれた漆黒の獅子。
「アーサー・ザカリアス……!」
セフェリノさんは歯ぎしりをしながら、この国の英雄の名を呼んだ。