177話 賽は投げられた
森に金属音が響いている。
数人の甲冑が倒れている先で、長身の使徒とふたりの騎士が渡り合っていた。
"黒兎の殴打"。
両足を隙間なく覆う漆黒の鎧は、軽いローキックでも魔物の骨を折るくらいの脚力をオマールさんに授ける。
長い足から繰り出される蹴りを、ラウンドシールドを持った騎士が受け流した。足が上がりきったタイミングでロングソードを持った騎士が斬りかかる。
それを警戒していたから、そもそもオマールさんの踏み込みは浅かった。軽々と距離を取って刃を躱す。
オマールさんはまた回し蹴りを放つ。ラウンドシールドが受け止めようとした時、黒兎の殴打の軌道が変わった。円弧を描くようなものから、直線的なものへ。
強烈な前蹴り。
騎士は反応しきれずに盾ごと後方にぶっ飛ばされた。掩護に入ったロングソードが深く踏み込む。
瞬間、別の騎士が木陰から躍り出た。オマールさんの後ろから槍が伸びる。
「マジかッ……」
気が付いたオマールさんは無理に身を捻り――
間に合った。
向かっていく剣先と槍の穂を"憎悪の鎧"で受け止める。
「な……!」
乱入してきた黒い鎧に3人が驚く。その隙に剣と槍の刃を掴んで思い切り引っ張った。騎士の重心が崩れる。
「オマールさん!」
「!」
呼びかけると察した体躯がしなやかに動いた。
槍の側頭に一発、ロングソードの顎に一発、瞬く間に蹴りが入ってぐらりと騎士から力が抜けた。
オマールさんは顔に流れる汗を袖で拭う。
「お前、ヘイトか?」
「はい。待たせてごめんなさい」
「その鎧――」
「これは、えっと……」
「なんかムカつくな」
「えぇ」
オマールさんはしかめっ面でこちらを見ている。
確かにこの憎悪の鎧の造形は趣味が悪い。全身はすみずみまで厚い生地に覆われていて、骨格標本のようなプロテクターと頭部のドクロは怒ったように見え、全体的に刺々しい。
危機感を抱かせるような、どちらかと言えば悪役の見た目だが、面と向かって不快と言われるとは。
まあ、この戦いを引き起こした僕が今の今まで寝ていたのだ。苦言のひとつやふたつ出てくるのは当然だろう。
「ま、元気そうで良かったよ」
オマールさんはニカリと白い歯を見せる。それで不思議と肩の力が抜けた。
「ありがとうございます……戦況は?」
「今のところは順調みてえだ。が、俺に限って言えば攻めあぐねてる」
辺りには何人かの騎士が倒れて呻いている。オマールさんは強いが、敵はその強さに対応し始めているように見えた。
「楽に伸せてたのは最初だけでよお。正直さっきのはヤバかった」
何度か深呼吸をして息を整えたオマールさんは言う。
「俺はもう大丈夫だ。ミックはあっちの方にいるから、そっち向かえ」
「本当に大丈夫ですか?」
彼が指を向ける方からは銃声が聞こえる。
「お前はメサの心配だけしてりゃ良いんだよ」
さっさと行ってこい、と笑って白い歯を見せた。
銃声に近付いていくほど倒れている甲冑が多くなる。しゃがみ込んで面頬を開けると、全員ちゃんと息があった。流血している様子もなく、死んでいるわけではないのだろう。
強い足音がすぐ傍で聞こえた。目線を向けると、騎士が戦斧を振り上げている。
「やば――」
しゃがんだまま、振り下ろされる刃を腕で受けた。衝撃で地面に倒れ込む。痛みは無いが左腕が痺れて動かない。
咄嗟に騎士の向こう脛足を蹴るが、避けられてしまう。二発目をもらう覚悟で腕を交差し――銃声と共に騎士の体勢が崩れた。
重心を戻そうとする騎士に2発目、3発目が飛び込み、ついに倒れる。
「無事か、ヘイト」
森の景色に溶け込むような迷彩色の装備で身を固めているミックさんは、無表情でショットガンの銃口を下げると周りへ警戒を向ける。
「僕って分かるんですか?」
ミックさんは無線機を指差した。オマールさんから連絡が飛んだのだろう。バトルアクスを持っていた騎士に目線を向けると、その意味に気が付いたミックさんが言う。
「ゴム弾だ。滅茶苦茶痛いが、こいつらの頑強さならまず死にはしないさ」
汗をかいてはいるが、息が切れている様子はない。
「大丈夫そうですね」
「今だけだ。ダリアと杏里が囲まれてる。手を貸しに行くぞ」
痺れが取れた腕でバトルアクスを持ち、警戒しながら進むミックさんに付いていく。
森でのゲリラ戦を選んで正解だ。圧倒的に人数差があるから、真正面からぶつかっていたら長くは保たない。
森の中で散開しながら各個撃破する形なら、騎士たちは馬から降りざるを得ず、混戦になるから弓矢も使いづらい。
仕掛けられた多数の罠に注意しつつ、負傷者の回収もしているから攻める速度も遅くなっている。
おかげで遭遇戦をなんとか退けられている。
ただ、敵が深追いしてこないのが不気味だ。騎士たちは接敵して勝てないと見るや、さっ、と後退していく。
「お前が倒れている間、ただ手をこまねいていたわけじゃない」
進む足を緩めずにミックさんは言う。
「フェルナンドが捕まった日、どさくさに紛れて領主館に盗聴器を仕掛けた」
「そうだったんですか!?」
「ああ。おかげでセフェリノたちの情報は筒抜けだった――ここ最近は大変だったみたいだぞ」
意地が悪そうに、ふっ、とはにかんで見せる。
「大変……」
「聖夜祭が控えているこのクソ忙しい時期に、木こりがストライキを起こしたり、商会が騎士連合との商売で値を吊り上げたり――自警団がフェルナンドを脱獄させたりな」
遠くの方から木が倒れるような音が響いた。
「ちょうどお出ましだ」
「それって」
「誰かさんのせいだ」
ミックさんは足を止めて僕を見た。よくやった、とその眼が言っている。
それで察する。皆、協力してくれたのだ。できるだけ表立たないように。僕のために。
「セフェリノはトラブルの解決に奔走してやっと作戦開始にこぎ着けた。おかげで騎士団は万全の準備ができていない」
感謝が覚悟に変わり、力が漲ってくるのが分かる。
負けられない。
「領主館の執務室にいた……セロリオと、ポーとか言ったか」
ミックさんの口調が事務的なものに戻った。
「セフェリノを守ろうとしたふたりに、フェルナンドは確実に有効打を与えていた。だが、その時、あいつらの傷はすぐに塞がったように見えた」
「傷が治った、ということですか?」
「そうだ。魔法や秘跡を使った様子もない。俺は"身体を修復する聖遺物"を使われたからだと推測している」
倒しても起き上がってくる完全武装の騎士に、素手のフェルナンドさんは攻めきれなかったのだろう。だから負けてしまった。
「――どっちも倒して、聖遺物を奪う」
そうだ、とミックさんは頷く。
「セロリオかポーのどちらかが持っている聖遺物を奪取し、時間を稼いでいる間にメサを助ける」
「それが勝ち目ってことですね」
先ほどの騎士から奪ったバトルアクスを見下ろし、拳に力を入れた。
粒ぞろいのセフェリノ騎士団と聖騎士たちを退けながら、強力な聖遺物を扱うセロリオさんとポーさんを狙って倒す。
針に糸を通すような話だ。
だが、やはり勝ち目はあるのだ。
この戦いは苦し紛れの無駄な足搔きじゃない。
「見えた。ダリアと杏里だ」
背中合わせになって才能を構えるふたりの使徒が、聖騎士10人ほどに囲まれている。
「突っ込みます」
「援護する」
バトルアクスを担いで手近な騎士に肉薄する。
長い柄を槍のように突き出して聖騎士の背後から甲冑を打つと、奇襲もあって簡単に転がせた。掩護に入った他の聖騎士の剣を構わず受け、柄で足を払う。
僕の背後を取ろうとする聖騎士にミックさんは銃撃を浴びせ、怯んだ胴鎧に向かって力いっぱい斧を薙ぐ。
敵の攻撃的な視線が集まり、包囲に穴が開いた。
「今です!螺良さん!ダリア!」
「佐々木くん!?」
「遅いよ!ヘイト!」
ふたりの使徒は反攻に転じた。