175話 12月11日 面影
街にはぽつぽつと雨が落ちているが、人々の活気に陰りはなく、露店が立ち並ぶ大広場とそこに面している教会とで大勢のひとが行き来している。
「教会の門はすべてのひとのために開かれている」と、そんな言葉を体現するかのように大きな扉が観音開きになっていて、僕も大勢のひとりとして聖堂に向かった。
外套を脱いで手に掛け、知り合いでもいないかと見回していると、違和感に気が付く。
聖職者と目が合わない。
視線を逸らされていて、僕の姿を見るなりそそくさと距離を取ろうとする。いつもならにこやかに挨拶してくれるのだが。
呪いの鎧を脱いでいるからか。違うな、これは……ダメか。
落胆でただでさえ伸びていない背筋がさらに曲がる。
「ヘイト様⁉」
聞き覚えのある女性の声がした方を向く。
「あ、アイシャさん。おはようございます」
意を決した様子で近付いてくる修道女は、挨拶が聞こえていないかのように僕の手首を掴むと「こちらへ」と有無を言わさぬ表情で言った。
「すみません。お茶とかは出せず……」
「お構いなく」
アイシャさんに会えてほっとする自分がいる。
通された、と言うか連れてこられた一室は会議室のようなところだ。
「忙しそうですね」
「聖夜祭が近いのです。皆にとって大切で、一番楽しみにしています」
そうか。12月と言えばクリスマスがあるのか。この世界でも似たような祝日があるのかもしれない。
長机の周りに数脚の椅子。質実剛健を旨とする教会らしく飾り気はないが、一輪挿しに飾られたパンジーに似た花が雰囲気を和らげてくれている。
「この部屋、僕が召喚された時の」
「ふふ、もう一年も経つのですね……目まぐるしい毎日でした……でも、昨日のことのように思い出せます」
アイシャさんは穏やかな表情を浮かべている。
衝撃的過ぎてまったく現実味のない日だった。神に言われて異世界に召喚されるだなんて。
「教授と3人で話をしたのもこの部屋だったんですよ。覚えていますか……」
「ええ、もちろん」
初めて送還祭を見に行く前に、教授と教会を訪れてアイシャさんから皆の才能について聞いたりもした。
「今ならヘイト様と教授にいただいた優しさが分かります。怪我をした私を気遣ってくれて……私はあの時、焦りで周りが見えなくなっていましたから」
思い出の中よりも、目の前にいるアイシャさんは大人びているように見える。
部屋が静まり返るが、居心地の良い沈黙だった。
闘牛場でフベルトさんの馬上槍試合を見て、観客席を埋める街の皆と熱狂に包まれたあの日を思い出せたから。
「ヘイト様」
「はい」
アイシャさんの表情が引き締まり、僕を真っ直ぐに見つめる。
「領主であるセフェリノ様からバースィル神父に『1週間後に聖騎士隊を率いて出陣できるように準備をすること』と要請がありました」
「そう、ですか」
今日、僕が教会を訪ねたのは、メサさんを守る戦力として聖騎士隊に協力してもらえないか、とバースィルさんに頼みに来たからだった。
「バースィルさんは?」
「要請に応えました。聖騎士たちに集合を呼びかけ、武装を進めています」
セフェリノさんに先を越された。
教会に入った時の聖職者たちの様子はそう言うことだ。敵対者である僕に対して親しく接することはできないだろう。
「……教えてくれてありがとうございます」
正直、まとまった戦力として一番当てにしていた。
もしかしたら使徒である僕が頼めば協力してくれるかもと、戦闘にまでならなくとも、セフェリノ騎士団と睨み合いになってくれればと思っていたのだが。
「イザベルが『教会に帰れ』と言ったのは、私が立場をなくさないようにということだったのでしょう」
こうなることを予想していたのでしょうね、と呟く彼女の表情は曇っている。
アイシャさんには落胆しているところを見せたくない。僕と教会は今や敵対関係だ。それなのに、修道女である彼女は僕に情報を伝えてくれている。危ない橋だ。
「帰ります」
長居はアイシャさんの立場を悪くするだけ。席を立つ。
「ヘイト様」
扉に向かう背中に声がかけられた。
「前に言ったことを憶えていますか?」
「え……」
「ヘイト様、私は貴方の味方です。どんな時でも」
心の闇にぽっと一粒の光が灯るようだった。本当に、太陽のようなひとだ。
「また教会に来ます、必ず」
アイシャさんの微笑に見送られて、教会を出た。
雨を含んだ砂を、4本の太い脚が蹴った。
猛然と突進する巨大な牛の角を闘牛士が華麗に避けると、観客席からワッ!と歓声が上がる。
設備や闘牛士、そして牛、王都にも引けを取らない一級品の闘牛場。遠い都市からお忍びでお偉いさんが見に来るくらいだ。小雨くらいでは客足は絶えない。
ふと王都に行った時のことを思い出した。
ディマス伯爵を助けに、という目的だったのに、ダリアさんやフェルナンドさんと素人闘牛のお祭りに参加したのだったか。
思えば領地の外に出たのはあの時だけだった。
今、イザベルさんたちが身体を治す聖遺物を探しに王都へ行っている。アーサー・ザカリアスと戦ったあの大都市に。
真鍮色の鎧を身に纏った騎士が馬を駆り、猛牛へ槍の一突きを放つ。一層と盛り上がる観客を冷めた目で見ながら、円形の観客席を歩く。
羨ましい。
観客の一部とになって一緒に盛り上がることはもうできないのだろう。
街で店を構える顔見知りの商人たちのところを巡ったが、協力できないとすべて断られてしまった。当てが無くなりとぼとぼとたどり着いたのが闘牛場だった。
少しは気分が晴れるかと思ったが、逆効果だったようだ。
勇敢に戦う闘牛士たちに向かってハンカチを振る群衆に混じる。観客たちが一層の盛り上がりを見せた一瞬、懐から一枚の仮面を出して顔に付ける。
止まらずに歩き続け、物陰に隠れて仮面を外し、挙動不審な若者の背中に声をかけた。
「僕に何か用ですか?」
ばっと振り向いた顔には見覚えがある。
エネルギッシュなラテン系の顔立ち。背筋の通った姿勢、真面目そうな黒い眼をいっぱいに開いている。
驚いているのだ。
「これは……ヘイト様。奇遇ですね」
「お久しぶりです――」
彼はセフェリノ騎士団の一員であり、領主館でフェルナンドさんを倒したという、セロリオさんだ。
「セロリオさんは休日ですか?」
長剣を佩いて鋼の胸当てだけ付けているが、あとは普段着の彼に質問を投げる。
「ええ。闘牛を見に来たのです。ポーが出ると聞いて」
「じゃあ何で僕の後をずっと付いてきていたんですか?」
「――ッ!」
感情が表情に出やすいのは彼の素直さのせいだろう。セロリオさんは言い逃れできないと悟ったのか、気づいていましたか、とため息を吐く。
「裏路地を歩いた時、殺した足音が一定の距離でずっと付いてきてましたから」
街の門を潜ってからだろうか。いや、村でミックさんにセフェリノさんの意向を聞いた時から、誰かに尾行されていた。
"代行者の仮面"で姿を変えて観客に紛れ、裏を取りでもしなければ、撒けなかっただろう。
「筒抜けってわけですね」
セフェリノ騎士団は僕たちの動きを監視している。
「――ヘイト様。メサを引き渡してください」
やけっぱちな気分になった。目の前にいる真面目な顔に嫌がらせをしたくなり、彼の腰にぶら下がっている剣に視線を向ける。
「ここで僕を斬れば早いですよ」
セロリオさんはぐっ、と唇を結んで、驚いているようなどこか悲しそうな、何とも言えない複雑な表情を浮かべた。
「その胸当て――」
セロリオさんは黒く染められた胸当てを付けている。よく手入れされているのか、埃や傷はない。フベルトさんから貰った物だろう。
「大事にしてくれているんですね。ありがとうございます」
セロリオさんは目を伏せた。
「――我々は、セフェリノ様に命令されれば、あなたに刃を向けなければなりません」
自らの迷いを断ち切るかのように宣言した。
どうやら嬉々として戦いたいわけではなさそうだが。
「主人の命が、俺とポーの、騎士団の意思であり、正義です。それが騎士として生きることですから」
その迷いには期待できないだろう。
戦場で会ったら、容赦してはくれない。
雨足はティリヤの門を出たあたりで強くなった。
覆い被さるような雨雲が夜のような暗さを落としている。
誰とも話したくなくて、馬車を使わずに歩いて村への帰路に就いている。身体がずっしりと重いのは、外套が雨を吸ったせいか、身体の怪我のせいか。
収穫のなかった無力感のせいだろうか。
不格好に並んだ木の杭に、針金やら木の板を張り付けただけのバリケードに沿って歩く。この世界に来てすぐくらいに僕が作った物だ。簡素だが壊れてはいない。
その頃、とある農家のおばあさんを助けるために魔物と戦ったっけ。あの時は魔物にされるがままで、ローマンさんとアントニオさんが助けに来てくれた。
鎧がない分、きっと僕はあの時より弱い。
もう日が暮れてしまう。真っすぐ村へと帰らなければ。
そう分かっているのに、手ぶらで帰ることの後ろめたさが寄り道を選んでしまった。
あてどなく歩いていたつもりが、気付けば小さな教会が見える。敷地内にはこじんまりとした墓場があって、
「さすがに、うまくいかないかな」
墓石のひとつには、"我が胸の洞に、君の面影を"と刻まれている。
「助けてよ、ヒル」