174話 権力、巨狼の牙
――直接、話しにも行った。
「8日後までにメサを引き渡すように」
領主館の応接室には領主と護衛の騎士がふたりいた。俺と同行したフェルナンドが現状と計画について伝えたが、
「メサは死んだわけじゃなく、一種の病気だ」
「少なくとも、黒い森が広がることはありません」
「不十分です」
取り付く島もなかった。
「大魔法を使った魔女は黒い森となる。例外はありません。今後も森が広がらないという保証は?」
「メサに呪いの鎧を着せてから現に数日、枝は広がっていない」
「いつ爆発するかも分からない危険物です。できるだけ早く処分するべきでしょう」
処分、とフェルナンドが奥歯を噛みしめる音が聞こえた。
「ヘイトが悪魔との契約を解除する手段を、イザベルたちが肉体を修復する手段を、それぞれ探している。それが失敗してからでも良いだろう?」
「情報源は」
「魔女だ」
流石に情報源が悪魔だとは言えなかった。
「こういうのはどうだ。メサを黒い森に移動させる。お前の懸念が現実になったとしても、黒い森の内側に森が産まれるのは問題ないはずだ」
「どこまで入るつもりですか?黒い森には依然として枯死地帯が広がっています。これは領地にとって捨てがたい優位性です。悪影響をみすみす許すわけにはいきません」
お言葉ですが、とフェルナンドが一歩進むと護衛の騎士が直立のまま剣の柄を掴んだ。
「セフェリノ様。枯死地帯は先の戦いでヘイト様がもたらしたもの。それが維持できているのはメサのおかげです」
「だから譲れと?フェルナンド。あの地帯は私の、アルボールドラド家の領地です」
「ヘイト様とメサがいなければ手に入らなかった土地だと言っています。それを――」
「遠い過去から」
有無を言わせぬ口調だった。
「我々の一族がこの土地を守り続けていたからこそ、取り戻すことができました。当代の私には土地を守り、取り戻し、未来に受け渡す義務があります」
セフェリノの眼は本気だった。驕りも怯えもなかった。
「アルボールドラド家は国や領地を守っているわけではありません。人間の未来を魔物の手から守っているのです。一人の命を救うために、無数の命を危険に晒すことはできません」
「命を天秤にかけるか――――土地のため命を懸けた者たちに対して、恩情は、少しでも報いようとは思わないのか」
フェルナンドがもう一歩セフェリノの方へ近づいた。まずいと思ったが、
「セフェリノ、妥協点は探せるはずだ。また話し合いの場を持って欲しい」
「8日後、それが最大の譲歩です。要求は変わりません。期日までにメサの死体を引き渡すように」
「セフェリノォォッッ!!」
フェルナンドが怒声を発して、騎士が武器を抜いた。
「無数の死者たちに報いるために、この土地を侵させるわけにはいきません――」
ミック様お逃げください、とフェルナンドが囁いた。
「――どんな手を使っても、私はこの領地を守ります」
丸腰とは言ってもあのフェルナンドが負けたよ。俺は何とか逃げ帰ってきた。
頭が真っ白になる。
僕も魔女たちも絶句してしまって、酒場の喧騒が右から左へ抜けていく。
「フェルナンドさんが……負けた?」
やっと出てきた呟きは、僕たちの中でおそらく最も強い彼が、たったふたりの騎士に負けたという驚愕で。
フェルナンドさんでも勝てないのならば、一体誰がセフェリノ騎士団を止められるのだろう。
「ああ。応接室に入る時に武装解除されていたとは言え、だ。セフェリノ騎士団のセロリオとポーとか言ったか。妙な聖遺物を使われた」
殺されてはいないと思う、と言葉を結ぶ。
どうすればいい。
期日までイザベルさんたちが、"身体を修復する聖遺物"を持ち帰ってきてくれるのが理想だが、
「もしイザベルさんたちが間に合わなかったら……」
「まず間違いなく実力行使だ。セフェリノ騎士団に取り囲まれる」
ミックさんが諦めたようにそう言う。
「味方は……」
「協力は期待できないだろうな……」
ミックさんは魔女たちの方を向いて、
「魔女もこれ以上の協力はやめておけ」
彼女たちは黙し、苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべた。領主と敵対するリスクを考えているのだろう。この希少な「魔女に寛容な大都市」では生きていけなくなる。
――世界の敵になってまで、あの子を救う覚悟があるの?――
オフィさんの警告が理解できた。自分が選んだ道がどういうものだったのかやっと分かった。
今までの1年間、皆を守るための鎧としてこの街の味方として戦ってきた。襲い掛かってくる魔物と戦い、陥れようとする悪人を退けてきた。仲間と一緒に。
ああ、それが、呪いの鎧を脱いで、敵になってしまったのだ。
自業自得だと思う。
セフェリノさんは手加減するだろうか?
いや、しない。
彼は宣言通り、この領地を守るためだったら何だってする。
僕が命を懸けてメサさんを助けようとするように、セフェリノさんは他人の命を湯水のように使ってでも領地を守ろうとするだろう。
どうすればいい。
先月末の戦いで戦力が落ちたとは言え、フェルナンドさんを下したセフェリノ騎士団とぶつかってメサさんを守り切れるイメージが湧かない。
どうする。
どうする。
重い頭では良い考えなど浮かばない。
「ヘイト」
「……はい」
「俺とオマールはお前の味方をすることに決めた」
「……」
オマールさんも真剣な表情で頷く。
喫緊でやらないといけないのは二つだ、と言って、
「ひとつ、メサを移動させて隠す。強奪されたら終わりだからな。それに村が巻き込まれるのを避けたい」
「この村を戦地にはしたくないですね……」
ミックさんは頷いてから、
「ふたつ。最悪の事態に備えて戦力を集める。ヘイトにはこっちを頼みたい」
「具体的に何をすれば?」
「一緒に戦ってくれそうなところへ行って、力になってくれるか聞いてくれ。無理に誘わなくていい」
僕の頼みであれば力を貸してくれるひとがいるかもしれない、そうミックさんは言うが、確証はまったくない。
しかし、残り少ない時間、手をこまねいてはダメだ。
8日後、堰が切られる前に。
目の前に座る木こりの親方は、目頭を揉みながら、
「すまない。協力はできない」
と本当に申し訳なさそうに言った。
「良いんです。迷ってくれただけで充分」
木こり達が集まる中継基地に向かい、もしもの時は一緒に戦ってくれないかと頼んだ。その返答だ。ダメで元々だったが、淡い期待がなかったかと考えると嘘になる。
「お断りするのは、本当に心苦しいのですが……自警団も同様です」
自警団をまとめるチコさんにも来てもらったが、同じ返答だ。
木こりや自警団がこちら側に付く。その情報だけでもセフェリノ騎士団へは牽制になる。
彼らは組織の頭であり、部下たちの命を預かっている。警察や自衛隊に喧嘩を売れと言われても、ただの人情で首を縦に振るわけにはいかないだろう。
ふたりは最後まで申し訳なくしていた。無茶を言っているのはこっちなのだ。むしろ申し訳なく思う。 会議室を後にして中継基地を歩く。立派な建物群が立ち並ぶ光景は、農民の仕事場には見えない。
魔物と戦う前線基地であるのだから当然だ。何度もここから黒い森へ入り、戦った。
目と鼻の先に広がる黒い森は枯れている。遠くには薄っすらと、枯れ木より背の高い魔法の鉄柵が見える。先月末、僕たちはあの魔法に守られたのに、魔法を使った彼女のことを救えるかどうか分からない。
気付けば修練場の真ん中にいた。
遠くまで視界の通る広い芝生に、剣や弓の練習をするための木の板やら藁束が並んでいる。
ふと地面にボロボロの木刀が刺さっているのが見えて、何の気なしに抜いてしまった。
「『お前は連中の、鎧になってやればいい』」
先生に言われたあの言葉は、昨日言われたかのように諳んじることができる。
鎧を失い。
矜持を失い。
味方を失い。
今、僕は、何になろうとしているのだろう。