172話 プラズマで瞳を灼きながら
殺すしかない。
僕が殺されないために、あの怪物を殺す。
蛇に渡された黒い棒を出して見つめる。
とある使徒が去り際に残した聖遺物。頼りなく細いが、地獄でも明るく照らす火力が詰まっている。
もう狩りにはさせない。あの首なしとの立場を逆転させてやる。
廊下に馬の足音が反響している。あの首なし騎士は荘厳な王宮に逃げ込んだ僕を正確に追ってきている。
緑色の甲冑に死神が持っているような大鎌、跨った馬は馬鎧に包まれている。そんな完全武装のデュラハンに対して僕は丸腰でボロボロ。
残り二日はとてもじゃないが逃げられない。
いずれ怪物は歩けなくなった僕を追い詰め、容赦なく大鎌を振るうだろう。悪魔は試練をクリアできなかった僕を笑い、メサさんも助けられない。
だから殺す。
僕が生き残るために、メサさんを助けるために、あの怪物を仕留める。
王宮の部屋に身を潜めたことで僕を見失っているデュラハンは、それでも獲物の方へと、西洋甲冑が並んだ廊下をゆっくりと進む。
「キャンディスさん」
「何?」
傍らの蛇に呼びかけた。
「周りに体温のある動物はいますか?」
「ん~とぉ?」
普通なら意味の通じない質問だろうが、彼女になら通じるはずだ。以前にキャンディスさんは夜の廃村に潜んでいる人の数を正確に把握していた。
蛇という生き物は温度を"視"ることができるそうだ。するすると扉の隙間から廊下に出た蛇は、周りを見回してから戻ってくる。
「鳥が廊下を飛んでるし、馬はこっちに近付いてるよ。あの甲冑までもうすぐ」
「ふむ……」
そっと扉の隙間から暗い廊下を見る。
デュラハンは進み続け、ふと、整然と並んでいる甲冑のうち、ひとつの前で止まった。乗っている馬が甲冑に鼻を近づけてひとしきり臭いを探ると――
デュラハンが大鎌を振って兜を落とした。その衝撃で甲冑も倒れる。
デュラハンはなおも転がった甲冑に大鎌を突き出し、叩きつけ、ぴくりとも反応しないのを見てやっと、興味を失ったようにまた歩き始めた。
……やはりな。
そっと扉を閉める。
「ねえ、さっきからナニ考えてンの?」
「――あいつを殺します」
「……」
無表情の蛇が訝しんだのが分かった。本当にそんなことができるのか?と言いたげだ。
「今は情報を集めているところです。真っ向勝負じゃ勝てませんから」
「情報、ねえ」
蛇は呆れた調子で言う。
「多分ですけど、本当に脅威なのはあの馬と、それから鳥の方だと思うんですよ」
「……なるほどねえ」
キャンディスさんは深く考えていないように見えるし口調も軽いが愚か者ではない。観察眼と勘が鋭く、大体は察してくれた。
まず鳥。
外では疑問に思わなかったが、いくら広いとは言え王宮の中を鳥が飛んでるのはおかしい。迷い込んだんじゃない。
次に馬。
さっきデュラハンが攻撃した甲冑の中には僕の血を含んだシャツを入れていた。結果ヤツは他の甲冑に目もくれず、シャツが入った甲冑だけを攻撃した。
大通りや裏路地を進んでいた時、デュラハンは僕をすぐに見つけ出し、建物に入ると見失った。しかし、遠くまで離れることはなく近くを探し続けていた。
鳥は目が良く、馬は鼻が利く。
仮説だが、あの鳥と馬がデュラハンの代わりに僕のことを探し当てているのではないか?
「まずはあいつの眼を奪います。だから、やって欲しいことがあって――」
「ふふん。良いよ」
悪魔の遣い魔たる"毒蛇"を通じて、キャンディスさんは二つ返事で答えた。
「今だよ」
迷路のような王宮の中で隠れ場所を変え続けて準備をした。蛇が辺りを見回して、デュラハンが離れたタイミングで廊下に飛び出す。
鳥に見つかった。
5,6メートルは高さのある廊下を走る僕のことを追い、鳥は悠々と飛んでいる。間を置かずデュラハンも駆けてくるだろう。
ここからは時間との勝負だ。デュラハンに追いつかれる前に鳥を仕留めなくてはいけない。
身長の2倍はあるような観音扉を押し開き、美術品の飾ってある部屋に入る。鳥が開かれた観音扉へと向かって高度を落としたところで、扉に向かって体当たりをした。
見た目以上に軽い扉は勢いよく閉まり、飛行していた鳥の身体を掠める。
鳥は扉を避けようとして無理に身をよじったから、バランスを崩して壁にぶつかりカーペットの上に堕ちた。
ふらつきながら立ち上がった鳥に駆け寄り、サッカーボールのように蹴り飛ばしてから、頭を踏み潰す。鳩のような鳥だった。
「よし!一匹目!」
馬の駆け足が聞こえる。
この部屋は敵を迎え撃つためにあらかじめ選んでおいた。鳥を墜とせる扉と、豪華な調度品の中には質のいい武具もあったのだ。
今の僕ではちょっと武装したところであのデュラハンには勝てないだろうが。
廊下を真っ直ぐに駆けるデュラハンが見えた。観音扉を閉めてから槍を持って待ち構える。
蹄の音がみるみるうちに大きくなり扉が破られた。
予想通り。大鎌の突きで扉を突破してきた。覚悟を決めて一歩踏み込む。
馬の脚に向かって、槍を突き出す。
慣れない武器のせいか、槍の穂先は馬の脚を傷つけることはなかった。
デュラハンは大鎌を振り上げている。
汗が噴き出る。
――獲った。
槍の先に巻き付いていた毒蛇が首を持ち上げ、馬鎧の覆われていない脚に嚙みつく。
噛まれた馬が甲高くいなないて前脚を上げ、乗っていたデュラハンがフローリングの上に転がった。
毒蛇の噛んだところから肉がほころび、赤黒く液状化して、馬の前脚がボキリと折れた。
"蛇竜"の魔法で出した毒蛇に噛まれた生き物は瞬時に腐敗して死亡する。
「2匹目!」
チャンスだ。今しかない!
大鎌を手放した頭のない甲冑に向かって走る。昏い鎧の中身は首のない人間などではなかった。甲冑の中には黒い枝葉と苔が生い茂っている。
馬の悲鳴――断末魔が室内に響き渡る。馬が最後の力を振り絞って暴れるのが見えた。
キャンディスさんの蛇が振りほどかれ、脚で踏みつぶされたのも。
「あっ!キャンディスさん……」
注意がそちらに向いてしまい。
デュラハンが何かを振るった。
「あアッ!」
右のまぶたが弾かれて咄嗟に手で抑える。ぬるりとした感触、ズキリとした痛み、不安感が一気に押し寄せる。
それを押し殺し、デュラハンの鎧に黒い棒きれを投げ込みながらすれ違うように走り去った。
「クソ……クソ……」
隠れ場所を選ぶ余裕はなかった。自分でもどこを走ってどの扉を開けたのか分からず、広さだけが漠然と分かる暗い部屋に入って縮こまる。
得体の知れない不安感と絶望に耐えて悪態を吐く。
右目が開かない。痛みが引かない。
キャンディスさんの蛇が殺されたあの一瞬。振るわれたあれは鞭だった。
デュラハンが土壇場で振るった鞭が、僕の右目を潰したのだろう。
あの時、馬も鳥も、僕を見ていなかったはずだ。
だけどあいつは接近する僕のことが分かった。
まだあるのだ。
目と鼻をなくしても獲物の居場所を突き止める手段が。その証拠に足音が近付いてくる。馬ではなく、甲冑がフローリングを踏みしめる音だ。
もう嫌だ。
身体が重い。動きたくない。
唇を噛んでも痛みを感じない。
なんでこんな目に、
呪いの鎧を脱がなければ――
――ヘイト様が殴られているのを見て、我慢できなかっただけかも――
いつかの夜、彼女から向けられた笑みと視線を思い出す。
「…………僕もですよ」
ベッドに横たわる彼女の瞼を突き破って枝が生えていた。痛かったのだろうか。この痛みと同じくらいに。
立ち上がって暗闇を見ると、自分がいるのは王の間で、王座の影に隠れていたのが分かった。
メサさんをあんな目に遭わせた奴を許さない。
止まって初めて、震えていたことに気付く。
何が試練だ。馬鹿にしやがって。
「灰にしてやる」
扉が開かれた音が響く。
燭台が仄かに照らす広大なフロアの先、装飾的な大扉を開けて首なしの騎士が入ってくる。
王が座る椅子に悪魔から預かった水薬を置く。一歩、二歩、デュラハンから目線を外さないように王座から離れる。
大鎌を持ったデュラハンは真っ直ぐ王座へと進む。
王座から離れる僕の方へ足を向けることなく、デュラハンはなおも王座へと歩みを進める。奴の後ろをとったところで確信した。
狙いは水薬だ。
あの水薬には発信機の役割があったのだ。
デュラハンは鳥と馬の指示を受けて動いていただけの、言わばただのラジコンで、そして指示が届かなくなったときは水薬を攻撃するように命令されているのだろう。
だから僕が家屋で水薬を落とした時、あいつの大鎌は僕に当たらなかった。
ろうそくの火が灯った燭台を持つ。
目の前の兜のない甲冑は、首無し騎士であり、動く鎧でもあった。それもこれで終わりだ。
後ろから飛び掛かり襟に捕まると甲冑は暴れた。
振りほどかれないように耐えて、苔むした鎧の中に松明を入れる。
振りほどかれてフローリングに転がった。叩きつけられた痛みに顔を顰めた、
次の瞬間――
甲冑は首から猛然と火を噴いた。
かつてこの世界にいた使徒、ラロさんの才能である死の舞灯は、見た目はマッチだが辺り一面を燃やし尽くす焼夷弾だ。
甲冑は爆圧に耐えかねて床に手を着き、首の空洞から火炎放射器のように火を噴き続ける。
熱波は僕の肌をじりじりと焦がし、質の良いカーペットや凝った造形のフローリング、ありとあらゆる有機物に火を点けて燃え始めた。
薄暗かった王の間が真っ赤に染まっていく。見えない右目を熱波が焼く。
甲冑は赤熱し、暴れて熱から逃げようとしているが、火の本はあいつ自身だ。逃げられるはずがない。火の手は広がり続ける。
さっさとこの王宮から離れなければ。王座に置いた水薬を拾い、ポケットに入れたところで、足音がする。
甲冑は立っていた。
首から火を噴くのはやめたが、ドロドロに溶けるまではいかなかったようだ。よろよろとした足取りでこちらへ向かってくる。
「そう――」
まだやるのか。
なら。
「そう、こなくっちゃ」
奴が手放した大鎌を拾い上げた。重いが両手ならなんとか扱える。
「死ね」
槍のように構え、甲冑の足に向かって突き出すと数発目で膝を着いた。
甲冑は溶けてはいないものの、白く光るほど熱を持ったところは殴れば簡単に歪む。
「死ね」
関節に狙いをつけて何度も大鎌を叩きつける。
命乞いのように伸びる手を叩き落し、大鎌の柄を甲冑にぶつけ続ける。
「死ねッ!」
デュラハンの四肢はそれぞれ別の方向を向いて、ガタガタと震えるばかりで立ち上がれなくなった。
息を切らして吸う息が熱い。頭が朦朧とする。
呪いの言葉のように自分のレガロを呼び続けて、燃え盛る王宮を這って出るように後にした。
王の間から燃え広がった火の勢いは止まることがなく、雄大な石造りの王宮を炎で包んでいく。庭に生い茂る芝生の上で仰向けになり、巨大な一本のマッチのようになった鐘楼を眺める。
首無し騎士はもう追ってこない。
飢餓と渇き、痛みと怠さ、片目の見えない不安感。眠ったら、また何かに襲われるかもしれないという恐怖に耐えながら、誰もいない城塞都市で時間が過ぎるのを待つ。
勝利の余韻などなかった。