16話 竝人と皆と大きな宴会 ~その1~
時を告げる鐘の音が、胡乱な意識を割いて聞こえてくる。
ベッドに横向きで寝ているようだ。応急処置の際に怪我人にさせる、回復体位というやつだろうか。
また、恐ろしい悪夢を見た。以前よりも鮮明だったような気がする。
身体が酷くだるい。思わず呻き声をあげる。
重い瞼を開けると、面の隙間から映るおぼろげな視界に、短めの黒髪と黒い髭を蓄えた、仏頂面の男が座っていた。
「先生……?」
「馬鹿」
僕に罵倒を吐き捨てると、津山勘治先生は扉を激しく開閉し、ずかずかと部屋を出ていった。
扉を閉める音は教会中に響き渡るのではないか、と思うほどだったから、蝶番が壊れないか心配になる。
元気そうでなにより、先生は無事だったのだ。他の皆は、どうしただろうか。
部屋のガラス窓から陽光が良く射し込んでいる。
先生の一連の態度は、あまりにもいつも通りすぎて、安堵し、思わず身体の力が抜けてしまった。
黒い森の中では、僕に対する彼の罵倒はついぞ聞くことが無かったから――
バカだのアホだの言われてホッとするなんて大概だな、と自分でも思う。
重い身体を起こそうとして違和感を覚える。左腕と左足は変に捻じくれていたり、痛みを感じたりはしないものの思うように動かないのだ。
のっそりとした動きで身体を起こしてベッドに腰かける。一生懸命になって座りこんでから、立ち上がれないことに気付き、横になっていれば良かったなあ、などと考えた。
侵攻作戦中は緊張感で心が擦り切れるようだったからか、どうにも反動でぼうっとしてしまう。
突然、ノックもなく扉が激しく開かれた。その勢いは壁にぶつかるほどだったから、この教会の蝶番って大変な仕事だ、と益体もないことを考える。
部屋に突入してきた人達の姿を見て、呑気に挨拶をする。
「あぁ、アイシャさん、エルザさんも。おはようございます」
「おはようございます、ではありませんっ‼」
敬虔な修道女であるアイシャ・アリさんは、普段の様子とかけ離れた表情でそう言う。そのあまりの剣幕に怯えてしまう。お、怒っているのだろうか。
アイシャさんの後ろにいる、同じくシスターであるエルザ・マイさんは、あちゃーといった様子でこちらを見ている。
「ご、ごめんなさい」
「何故おひとりで危険な魔物に立ち向かわれてしまったのですか?……心配したんですよ?……一週間も目を覚まさないから……」
「え、一週間も――」
僕らの様子を見かねたエルザさんが説明してくれた。
あのあと、人狼と呼ばれた魔物の攻撃を喰らった僕は、街の教会まで急ぎ運び込まれた。
教会に着いた当初は、出血や欠損は見受けられないものの反応が無く、糸の切れた人形のようだったらしい。治療しようにも全身を覆っている"呪いの鎧"が脱がせられないから、片っ端から秘跡を使ったようだ。
とりあえずベッドに横たわらせ、定期的に秘跡による治療を行う、ということに落ち着いたらしい。
そうしていると徐々に呻き声や寝返りなどの反応を見せるようになり、そして今、寝惚けた男がひとりシスターに叱られていると。
そんな状態でよく土葬されなかったなあ、と思ってしまい、
「それにしてもよく見捨てなかったですね!」
と言ったら、アイシャさんにキッと睨まれてしまい慌てて眼を逸らした。
また失言を発してしまった……どうにもまだ寝惚けたままのようだ……いつも通りか?
「申し訳ございません。アイシャは運び込まれたヘイト様を見て、気を失ってしまったのです。アイシャは本当に心配していたので。あとは……嬉しさの裏返しです。ヘイト様が目を覚まされるのを今か今かと待っていましたから」
「ちょっとエルザ!!」
流石はエルザさんだ。アイシャさんの態度を一変させてしまった。僕を叱る怒った表情は無くなり、今は何だか気恥ずかしそうにしている。どうやら助かったようだ。あのまま叱られていたら僕は委縮し続け、極小のブラックホールになっていただろう。
僕は気になっていることを質問する。
「あの、他の皆は?」
「はい。アントニオ様、ローマン様、フベルト様、勘治様、教授。皆様ご無事です」
「それは――良かった」
エルザさんの言葉に心底安心する。
「さ、アイシャ。ヘイト様は起きたばかりですし、一度落ち着いてからまた挨拶に伺いましょう?」
エルザさんはオロオロしているアイシャさんの肩を優しく押しながら、扉の方に向かう。
その際、
「ヘイト様。後日侵攻作戦に参加された方々で宴会をするそうです。ヘイト様が目を覚まされたら、お誘いするように使徒の皆様から仰せつかっております。皆様も心配されていたようですし、是非ヘイト様もご同席ください。では失礼致します」
と、教えてくれた。
宴会か――慰労会のようなものだろうか、と思いある考えが浮かぶ。
「あ、あの」
「?」
そこで言うか言わずか詰まってしまう。
ええい、言ってしまえ。でかい化け物と戦うより怖いことなどあるか。
「あ、アイシャさん、エルザさんも、一緒にいかがですか?僕も行きますので……」
怖いこと、あった。これで断られたら僕の心は轟沈する。
エルザさんは、僕と、こちらに背を向けているアイシャさんの顔を見比べて、
「はい、必ずお伺いさせていただきます」
そう言いながら、こちらに向いたエルザさんは笑顔を浮かべて、ウインクした。
よくやった、とエルザさんに言われたような気がする。少しは失態を払拭できただろうか。
数日後まだまだ日の高いティリヤで、宴会場となるお店に向かう。歩けるようにはなったが、まだ足を引きずるようなので、屈強な修道士のひとりに肩を貸してもらいながら移動している。
会場となる金の鹿はティリヤ一大きな飲食店であり、宿屋だ。大広場に面していてアクセスのよい、木材と石材が美しく組み合わさった複数階建ての建物。なんと使徒が二人、料理人としてその腕を振るっているらしい。
普段は貴族も利用する高級店だが、月に一度、黒い森侵攻作戦のあと行われる宴会では、使徒と木こりで貸し切りとなる。まあ、この宴会には誰でも参加していい懐の広いものらしいから、貸し切りと言いうより商会主催と言う方が妥当だろうか。
店の外どころか大広場にまで浸食したたくさんの席は、笑いながら食事を楽しんでいる、適度にアルコールの回った木こりの皆でいっぱいだ。宴会どころかお祭り騒ぎと言える。
足を引きずる僕に気付いた木こりのひとりが、先生たちは店の中だ、と言いながらもう片方の肩を支えてくれる。ちょっと連行されるみたいだなあ、と思った。
店内も人でいっぱいだ。酔っ払いの喧騒、楽器を奏でる人達、演奏に合わせて歌われるいい加減な歌声。人の隙間を縫うように、ホールスタッフ達が料理だの酒だのを延々と運んでいる。
目的の席は――あった。もう見慣れた五人の使徒と二人のシスターの姿が見え、つい嬉しくなってしまう。
こちらが席を見つけるのと同時に、使徒のひとりも僕を見つけたようだ。
「ヘイトぉ!」
少しくせのついた黒髪を撫でつけていて、健康的な小麦色の肌、細めのシルエットだがしっかりと筋肉が付いた肢体。そしていつものにやけ顔でこちらに近づく、
アントニオさんがいた。
こちらに近付いてくるアントニオさんは大きく手を広げている、あれは、そう、
ハグの体勢だ。
「わ、わ、わ」
と狼狽えているうちに、鎧の上からでも分かるくらい強い力でがばっと身体を抱きしめられる。
彼の眼には涙が溜まっているように見えた。
僕も右腕を彼の背中に回してぽんぽんと叩く。
「この化け物、心配したぞ」
「ば、化け物って、失礼ですね。アントニオさんこそ、無事で良かった……」
「あぁ。座れよヘイト、何か呑むか?」
「吞めないんですって」
「面の隙間から流し込んでやる」
「えぇ……」
そう彼の軽口を聞いていると、帰って来たんだなと、実感できて安心した。
エルザさんとアイシャさんの間に挟まれて座る。ここしか席が空いていないのはきっと彼らの陰謀。
「皆さん、どうも、その、ご心配をおかけしたようで……」
「まったくだ。ローマンとフベルトなんて、いつもの勘治みたいな暗い表情してたんだぞ」
「私達がもう少し早くたどり着ければね……」
「ダメかと思った」
ローマンさんとフベルトさんは、化け物の攻撃をもろに喰らった僕を見たのだ。人間を簡単に殺めてしまう一撃を。彼らの心情を察して、申し訳なく思ってしまう。
「あ、僕は何故か大丈夫です。それより侵攻作戦はどうなったんですか?――あの化け物は?」
僕の質問に答えてくれたのは教授だ。一同でいちばん年嵩で、ロマンスグレーの素敵な紳士を、一か月酒場で発酵させたようなひとだ。当然というか、彼の前には空のコップがいくつか置かれている。
「うむ、今月の侵攻作戦だが。目標値に少々及ばなかったものの、充分な量の木を伐採をすることができ、損害も8%程度だった。しばらくは農村の方に被害がでることは無いだろう。木こり連中が休む暇なく働いた成果だ。ほぼシリノが言った通りの形になったのは業腹だが」
白い肌に、婦女子が振り向くご尊顔、風になびくプラチナブロンド、非の打ち所がない僕らの良心、ローマンさんが話を引き継ぐ。
「人狼は私とフベルトで何とか仕留めた。君が注意を引いてくれたおかげで、先制して致命傷を与えられたから倒せたが、普段はあんな簡単に殺せない。あのまま暴れられていたり、中継基地まで接近されていたら帰れない者は多かっただろうね」
「神馬の子よりでかいから、ドン・キホーテの気分だった」
北欧系の顔立ちに、ダークブロンドを真ん中分けにした、僕よりちょっと年上に見える、いつも眠そうなフベルトさんがそう言う。
「そのぐらいでいいだろ?化け物の話なんてやめろ。エルザちゃんとアイシャちゃんが楽しめないだろ」
そうアントニオさんがしかめっ面で侵攻作戦の話を打ち切った。それもそうか、たくさんの命が失われたといえ、今日に限っては祝いの席なのだ。暗い話は後にした方が良いかもしれない。
エルザさんは僕らの話を真剣な顔で聞いていて、アイシャさんは俯いた様子で、テーブルの一点をじっと見ている。僕を教会送りにした魔物の話など聞きたくなかっただろうか?
「……はちみつだ」
と彼女の独り言が聞こえる。
アイシャさんは僕たちの話などそっちのけで、小鉢に入った、みかんのはちみつ漬けを凝視していた。
「アイシャ、食っていいんだぞ?」
と教授が言う。
「え!?い、いえ、頂け、ません――こんな高価なもの、お支払いできませんし、えっと――主の教えが」
彼女ら聖職者は清貧であることが美徳なのだと聞いた。しかし、食べてみたいのだろう。気持ちが揺れているようで、アイシャさんは目に見えて狼狽している。
そんな彼女を見て先生が言う。
「金の心配はいい、ヘイトが出せ」
なにを言っている。この鉄面皮は――
そこまで考え、ピンッと来る。
「アイシャさん――」
「は、はい」
「先生の言った通り、僕が支払いをしますからお気になさらず――」
「でも――」
「アイシャさんには大変ご心配をおかけしました。何かお詫びを受け取っていただけなければ――申し訳が立ちません」
「しかし――」
「もし召し上がって頂けないのなら、僕はこの宴会、いたたまれなくて楽しめないかも――」
「――ヘイト様のため、に」
「そうです。敬虔なシスターとして、哀れな使徒のためにすることなのです――言わば、これも主への献身です」
「これも、修行なのですね――」
「僕はそう思います。召し上がって頂いた方が、ありがたい――」
よし、良い流れだ。聖職者を唆しているようで気が引けるが、もしまた化け物の話題が上がれば、アイシャさんはまた僕を叱るかも。気になる食べ物があるのなら贈り物にしてしまえば、すべて有耶無耶に出来るかもしれない。
はちみつ漬けの価格は気になるが。
「で、では――」
アイシャさんはフォークでみかんを口に運び――
とても幸せそうな笑顔を見せた。
よし、これでもう僕が怒られることはないだろう。何せ彼女はお詫びを受け取ったのだから。
一連の会話を聞いていたアントニオさんが呆れ顔で、
「悪魔みたいなヤツだな」
と言っている。
先程見えた彼の涙は、どこにいったのだろう?