169話 12月5日 サバトに赴く魔女と使徒
"稲妻"の魔女が操る箒に乗って夜空を飛ぶ。
僕たちの周りには異形のコウモリや、執事服を着た山羊、あとは魚の骨なんかが思い思いに飛んでいて、やたらと月が大きく見えた。
この非現実的な光景が悪魔の好みの感性なのだとしたら、理解できない。
もはや、これが幻なのかどうかも分からない。
「メサに"秘密"の魔法を使ったのは一度だけ。初めて会った時にね」
隣を飛ぶオフィーリアさんが黒い雲を見つめて口を開いた。
「あの娘が6歳くらいのころだったかしら。夜宴で会って、何を聞いても答えてくれなかった。怯えているのに、強情な態度だったのが気に障って、ね」
「へえ、知らなかった。酷いことすンじゃん」
"蛇竜"の魔女、キャンディスさんは変わり映えのしない夜の景色に飽きたのか、半目で相槌を打つ。
「私も若かったし、うまくいっていた時期だったから驕りがあったのね。でも、そう、魔法は軽々しく使っていいものじゃないって思ったのは、あの時が初めてだったかも。
『どうして魔女になりたいの?』って聞いたら、
『お父さんに会いたくて』
って」
メサさんの出自を知ったのはその時だと、オフィさんは言う。
"秘密"の魔法をかけらたら質問に抗うことができなくなる。聞かれたら最後、どんな秘密でも正直に喋ってしまう。ひととしての尊厳も何もあったものじゃない。
「前王カルロスには少し恩があって……放っておけなくなった」
それから、メサさんが魔女として一人立ちできるまで仕事を手伝わせていたそうだ。噛み砕くと、オフィさんはメサさんの師匠、といった感じだろうか。
箒を飛ばしているフュールさんが茶化すように、
「高飛車のオフィーリアちゃんが子供の面倒見るなんて言い出したもんだから、10年前は驚いた」
「やめてよ」
オフィさんは苦笑する。どこか捉えどころのない彼女だが、今の一瞬は身近に感じた。
「でも、メサの方は私を嫌っていると思うわあ」
どうだろうか。
オフィーリアさんが街に来ていたのは、メサさんが救援の手紙を出したからだ。普通、嫌いな相手に助けてと言えるだろうか。
「メサは恐がりだったから、頼れるひとが欲しかったのね。
フェルナンドには父親代わりを期待したけど、ダメね。アレは小娘にも忠誠を誓ってしまうから。私も親代わりなんてなるつもりがなかったし。
――あの娘の冷たい表情しか知らないの」
奇妙な縁で、メサさんと僕は同じ部屋で寝泊まりしていた。呪いの鎧があったからか、何もなかったが、寝起きは何度か見ている。
ふと、朝が来たことにうんざりしているような、夜型の彼女のことを思い出した。
「メサさん、赤の他人には丁寧ですけど、親しい相手ほど雑な感じでしたよ」
ヘイト様、あれ取ってください、これ洗濯に出しておいてください、この部屋片付けておいてください、は何度か聞いた気がする。
「あ、確かに。初対面だけだったなあ、礼儀正しかったの。あとはずっと適当」
キャンディスさんにも思い当たる節があるようだ。それなら僕も、やっぱり親しい相手と思ってくれていたのだろう。
オフィさんは少しきょとんとした表情でこちらを見てから、
「そうね」
思い出に目線を向けて呟く。
「そうだったのなら、良いわね」
「着くよ」
夜宴に来るのは2度目か。街から遠く離れた荒れ地の真ん中。黒い風が渦を巻いて集まっているように見えるが、あれらは全て魔法使いと使い魔たちだ。
箒から降りると、地面に足を着けた安心感にほっと息を吐く。
山羊頭の悪魔を模した土の像。周りにはかがり火が焚かれ、大釜で料理が作られている。世俗の苦しみやしがらみから解き放たれたかのように、魔法使いたちは放蕩の限りを尽くす。
あの輪の中に入りたくないと感じるのは、僕が真面目ぶっているせいか。
オフィさんの話の所為か、所在なさそうにしている小さなローブ姿が目に付いた。少ないながらも子供が参加している。
「サバトって、子供を攫ってきて窯で煮るんでしたっけ?」
「まッさかあ」
どこかで聞いた噂話を言うとキャンディスさんがギャハハと笑った。フュールさんがため息交じりに答えてくれる。
「あれは魔女狩りが一般人を拷問して吐かせた話が元で、事実じゃないの。貴族たちの逞しい想像ってヤツ」
「誹謗中傷ですか」
「そ、魔法を求める子をサバトに導くだけ。悪魔と契約して魔法使いになったら、そこから流浪の旅が始まるから、故郷から離れて――
結果的に『魔法使いに子供が攫われた』って話になるわけ」
生きていく力や、暴力に抵抗する力を持たない者が、自らの人生を切り開くために超常の力を求める。それが魔法なのだろう。
「生きてくために悪魔と契約するんですね。それで、解除する方法は?」
「この前も言ったけど、おとぎ話くらいでしか聞いたことがない。契約解除なんて悪魔が許すわけないし……もしも知っているとしたら、"契約"の魔女」
「契約の魔女……」
目的はあくまでメサさんと契約を解除することだ。こっちには時間がないのに、遠回りしているように思う。
「直接、"鉄柵"の悪魔に会うなんてことは?」
オフィさんが代わりに答える。
「悪魔と会ったことがあるなんてヘイトくらいじゃない。あとフュールとか」
当のフュールさんは、
「一般魔法使いは、契約の魔女の仲介で悪魔と契約するから奴らと会ったりはしない。
焦るのは分かるけど、悪魔と会う方法も、契約を解除する方法も、知っているとしたらあのババアだ」
探してみようか、と期待しない眼で言う。
悪態を飲み込む。
それからしばらくサバトを歩き回って、フュールさんが言う特徴の女性を探したが見つからなかった。やはりそう簡単には会えないのか。
オフィさんが呟く。
「向こうが会おうと思わないと会えないからねえ」
するとフュールさんが何か思いついたように、オフィさんの方を向いた。
「オフィーリアは会わなかったの?」
「私も魔女になった時だけ――」
「あ、違う。メサが魔女になる時に一緒にいたんじゃないの?」
「なるほどね……」
それでオフィさんは考え込む。しばらくして、キャンディスさんの方を向いた。
「キャンディス。子供を探して」
「はいよ。"蛇竜"の悪魔よ、契約を履行する」
キャンディスさんの着ているローブの袖から数匹の黒蛇がするすると現れ、地面を這うと夜闇の中に散っていった。
「そこの紳士さん、サバトは初めて?」
しゃなりとさせた態度のキャンディスさんが 声を掛けたのは、ラテン系で日に焼けた肌の少年だ。
「私はキャンディス。名前を聞いても良い?」
「ぼくはエロイ……エロイ・カレスティアさ」
気障な仕草でくるくるパーマの黒髪をかきあげて少年は答えた。大の成人男性だったら鼻に付くだろうが、彼は10歳くらいだ。うまく可愛げにしている。
「素敵なお姉さんたちと話せるなんて光栄だ」
服装はみすぼらしいが、紳士的な受け答えで表情は明るい。視線はキャンディスさんの大きく開けた胸元に一直線。
キャンディスさんは膝を折り目線を合わせて話し始める。
「エロイは魔法使いに?」
「ああ、そうさ」
「仕事はある?」
「ないんだ。お父さんがいなくなっちゃって――だから、ひとりで生きるために」
「なかなかできることじゃない。尊敬するわ。得意なことはあるの?」
「歌。自分で作ったりもするよ。お姉さんたちとの出会いを曲にして捧げさせてくれないかな?」
そんな感じで雑談を交わし、時間を潰す。
エロイ君の歌を聞いたりもした。音楽面には明るくないが、お世辞抜きでうまいと思う。ただ、少年のソプラノには無邪気さではなくこの世への嘆きが混じっているように感じた。
悪夢のようなサバトを背景にして響く歌声の、もの悲しさが妙に染みる。
「どう?ヘイト」
フュールさんがこちらに目線を寄越す。
「おひねりを投げますね」
数枚の銅貨を少年に手渡した。
「主のお墨付きになったね。この暗い顔の男は使徒だよ」
「し、使徒様……本当に?」
エロイ君は僕を見て明確にうろたえた。
「サバトに来るような不良使徒ですよ。恐がらないでいいです」
笑顔をつくってみせる。ちゃんと笑えているか自信はないが。
緊張させてしまったのだが、3人の魔女は美貌とコミュニケーション能力でエロイ少年の態度を軟化させていった。
ふと、キャンディスさんが太い枯れ木の方へ目を向けて顎をしゃくった。フュールさんがしたり顔で言う。
「出たなあ。クソババア」
枯れ木の、薄暗い木陰に黒づくめの姿がある。
ローブを纏って、幅広いエナン帽を頭に乗せている。わし鼻に寄っている双眸は鋭く、不機嫌そうな表情だ。
濁った大釜をかき混ぜていそうなひとりのお婆さんが、こちらを見ている。