168話 定命たちの夜道
芯樹化を止め、時間を稼ぐ方法。
あれからずっと、僕はメサさんの身体から伸びる枝を折り続けていた。自分の中の何かが死んでいくだけの時間。僕にはそんなつもりはなかったが、あれには一定の効果があった。
伸びる枝は黒い森の苗木だ。言わば剪定を日夜問わず続けていたために、急速に成長するはずの森は6日経ってもベッドから出ないくらいで済んでいるし、彼女の身体も、人間の原型をとどめている。
そういったことを伝えると、キャンディスさんが言った。
「まさか、誰かにやらせンの?枝折るやつ。私は嫌だよ。気持ち悪い」
「違います。メサさんに"呪いの鎧"を着せるんです」
黒い森をとどめる、その話を聞いて思い出したのが、王都でのテロで神罰教会が使おうとしていた大量破壊兵器、呪詛爆弾のことだ。
"呪いの鎧"を着たまま大魔法を使うと、発動はするが効果は外に出てくることなく、大魔法を持ち運びできる状態になる。
あとは好きなタイミングと場所で呪いの鎧を引っ剝がせば、簡単に地獄を作ることができた。
あれは黒い森が呪いの鎧の中から出てこられない、ひとつの独立した異世界に閉じ込められた状態だったのではないか。
今のメサさんに、呪いの鎧を着せる。そうすれば、黒い森が外に出てくるのは防ぐことができる。そういう仮説だ。
顎に指を当てて思案気にフュールさんが、
「呪いの鎧なんてその辺に転がってるもんじゃないよ。鎧を召喚できる、"鎧袖の魔女"もそんなにいないし」
「ここにひとつあります」
自分の胸を指し示す。
皆、察した。
「この悔悛の鎧を着れば、装着者は死ななくなります。もしもの時には彼女を守ることができます」
「不死を譲るんだ」
フュールさんに言われて頷く。
「なので、解呪の秘跡か――」
「その必要はないわあ」
オフィさんは何かを取り出した。
見た目はただの枯れ草を束ねた藁束のようなものだが、見覚えがある。スマッジスティックだ。これを使えば教会に力を借りることなく呪いの鎧を脱ぐことができる。
「いいんですか。貴重な物じゃ?」
最後の一本よ、と彼女は笑みを見せる。
「世界の敵になり不死を譲る、なんて、そこまで言われたらねえ」
「嘘にはしません」
フュールさんが皆に向かって問う。
「そう言うことで、私ら魔女集会はメサを助ける方向で動くよ。あんたらはどうする?」
「本気ぃ?」
「キャンディー、悪魔との契約を切る方法だってさ。本当にそんなことができるなら、興味ない?」
図星を突かれたのか、つまらなそうにキャンディスさんが鼻で笑う。
「差し当たり、夜宴で情報収集するのが早いかも。ヘイト、あんたも行くよね」
「もちろんです」
大柄な美丈夫、フェルナンドさんが口を開いた。
「ヘイト様、私も同行させてください」
「フェルナンドさんには村に居て欲しいんです」
「どうか、私の力を使ってください。あらゆる脅威を払い除けます。主に誓って」
熱い口調でそう伝えてくる。フェルナンドさんは……メサさんが幼い頃からずっと一緒にいた。誰よりも心を痛めていておかしくないのに、毅然としてこの場にいる。
「メサさんは動けません。彼女をあらゆる脅威から守れるとしたら、あなただけだ」
かつて"王の宝剣"と詠われた国の英雄。
このひとの強さは間近で見てきた。誰よりも頼りになるボディガードになってくれるが、だからこそ僕よりもメサさんの傍に居て欲しい。
「……分かりました。お帰りを、お待ちしております」
悔しそうな顔をしながらも彼は納得してくれる。
自警団に協力を頼みに行ってきます、とそう言い残してからフェルナンドさんは酒場を出て行った。
「俺は反対だ」
「頑固だなあ」
ミックさんが言い、オマールさんが呆れる。
「木こり連中に話だけはしておいてやる。行くぞ、オマール」
「分かった分かった」
ミックさんは酒場から出て行った。オマールさんも立ち上がって彼に付いていく。しかし、扉から出る前に何かを思い出した素振りでこちらに振り向き、
「あいつ、もうちょっとで折れるぜ」
笑顔で親指を立てた。
「頑張れよっ!」
オマールさんは軽い足取りでミックさんの後を追う。まだ何もやり遂げられていないが、不思議と安心感が湧く。
「みっつ目だっけ。聖遺物の方は任せな。ヘイトじゃないけど心当たりがある」
今まで黙っていた風変わりな修道女が口を開いた。イザベルさんだ。
「私は……私も……」
「アイシャは教会に帰んな」
アイシャさんが躊躇いながら言おうとするのを、イザベルさんは遮るように、優しい声色でそう言う。
「何故?他でもないヘイト様の頼みですよ」
「悪いことは言わないから。やめときな。理由はすぐに分かる」
困惑した表情を浮かべながらもアイシャさんは黙る。
「私たちはどうしようか?ダリア」
杏里さんが隣に座るラテン系の女性の顔を見た。呼ばれたダリアさんはつまらなそうに呟く。
「どうしようなあ」
「暇なら手伝ってよ。ふたりとも」
イザベルさんがそう提案して、残った皆を連れて酒場を出て行った。
魔女たちと共に自室へと戻って来た。
たった数十分のはずなのに、目を話した間に部屋中に黒い枝が伸びている。その源泉となっているベッドに近付いて気付く。
彼女の瞼を突き破って枝が生えていた。
伸ばした手が震えた。どうか痛くありませんようにと思いながら枝を折り、額を撫でる。鎧越しでは何の感触もない。
「じゃ、始めるよ――C・フュル・フュールよ、契約を履行する」
魔法を使ったフュールさんの指先がスパークする。散った火花がスマッジスティックに火を点け、紫煙が立ち上り、くゆらせて、僕を取り巻いた。
身体にぴったりと装着されていた悔悛の鎧が緩んでいき、スマッジスティックが燃え尽きる頃にあっけなく剝がれ落ちる。
視界を縁取っていた物がなくなり、夜が鮮明に見える。
これでもう守ってくれるものはない。
彼女の身体を支えて、キャンディスさんとオフィさん、フュールさんが呪いの鎧を着せていく。彼女の身体は冷たく、樹皮のように硬い感触が伝わった。
キャンディスさんは遠慮せずに、気味が悪い、という表情を浮かべている。
少し気持ちが分かってしまう自分に嫌悪感を覚える。
だから敢えて口に出した。
「待っていてください」
返答はない。
ベッドに横たわった呪いの鎧を目に焼き付けて、自室の扉を閉めた。
"稲妻"、"秘密"、"蛇竜"、3人の魔女が導く先が、きっと目的地だ。
悪魔との契約を切る。不可能を可能にするために、暗い廊下を歩く。