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ヘイト・アーマー ~Hate Armor~  作者: 山田擦過傷
11月 メサ
172/189

165話 屍山血河に流る

 


「この青ざめた馬(ワイルドハント)(ゆる)しを(おく)ってやろう」


 ――神伐の悪魔のお気に入りで、ワイルドハントって呼ばれてた。"神伐の聖典"で魔物を意のままに操り、あまねく生物に死をもたらす――


歿()んで仕舞(しま)え」


 軍服を着たスケルトンが、才能(レガロ)で発現させた本を開く。(そば)に横たわっている馬の死体から木が生え、信じられない速度で成長し、巨大な果実を実らせる。


 ずるり、と果実が割れて生まれ落ちた。


 それは巨大な槍を杖にして、二本足で立ち上がる。

 嬰児(えいじ)のように赤みがかかった身体は、人間と比べて何回りも大きい。狼に似た頭部には硬質な仮面を付けている。


 人狼やミノタウロスが現実に現れてしまったかのような姿。


 特殊個体(エスペシャル)

 人狼(シェイブ)だ。


 軍服を着た人外の姿。発現した聖典。そして、あんな化け物を創り出せる存在。ひとつしか心当たりがない。"神伐の悪魔"と契約した四騎士、青ざめた馬(ワイルドハント)


 なんでこんなところにいる。黒い森の、もっと奥の方にいるはずじゃないのか。


 戦うか。

 準備もなしに勝てるのか。


 逃げるか。

 メサさんはどこにいる。


 生まれたての人狼(シェイブ)が笑った。

 槍の穂先をこちらへ向けて、姿勢を落とし、地面を蹴って――


「ヘイト様ッ!!」

 甲冑が割って入り、信仰の剣スパーダ・デ・ラ・フェーデが、青空を映す大剣が迫る刃を防いだ。ワイルドハントは聖典を開いたまま動かない。


 散った金属音と火花で我に返った。とにかく今は目の前の脅威を除くしかない。魔剣、乞患(オーヴァードーズ)を抜く。


 フェルナンドさんに目線だけで合図する。


 2撃目、3撃目の猛烈な突きを、フェルナンドさんが(たく)みに()らした。

 槍の穂先が空を向いた瞬間、足に力を入れ、シェイブとすれ違うように走り、脇腹を斬りつける。


 筋肉(にく)が硬い。だが傷が付いた。


 シェイブが振り向いて、こちらを見る。

 僕を、と言うよりこの剣に魅せられている。シェイブが槍を振りかぶったのを見て、足元に転がり込んだ。頭上で風が(うな)る。


 シェイブは完全に僕を、この剣だけを見ている。


「オォッ!!」

 フェルナンドさんが()え、後ろから信仰の剣スパーダ・デ・ラ・フェーデで、シェイブのアキレス腱を切断する。


 巨大な身体がバランスを崩した。こちらを(にら)んで拳を握り、覆いかぶさってくるように――


「ッ――!」

 魔剣を握り、喉笛(のどぶえ)に狙いをすます。

 乞患(オーヴァードーズ)の薄緑色の刀身が、シェイブの喉を貫通した。


 だが、まだだ。こいつはまだ動く。


 渾身(こんしん)の力を込めて魔剣を強引に()じり、(のこぎり)のように押し引きして硬い筋繊維を断つ。

 吹き出した血液が呪いの鎧を汚すが、シェイブの身体から力が抜けることはない。


「さっさとくたばれ――!」

 お前と戦ってる暇はない。


 魔剣が軽くなった。

 シェイブの首から刀身が抜けたのだ。筋肉を半分も斬られて、脊椎の白い塊が(さら)されている。


 脊椎の隙間を縫うように、信仰の剣スパーダ・デ・ラ・フェーデの刃先が入った。


 支えを失った頭がぐるりと明後日(あさって)を向き、糸が切れた人形のように、巨体が地面に沈む。


 よし。やってやった。

 ワイルドハントは。


 面に付いた血を拭いながら振り返る。ワイルドハントはこちらを見てはいなかった。森の奥。その先に広がる青空に首を向けている。


 何を見ている?

 同じ方向に目線を()り、目を()らすと、青空に小さなノイズのようなものが走っていた。


 なんだ。あれは。


「少し早いが、使うとするか」

 そうワイルドハントが呟く。


 遠くの空に浮かんだノイズが少し大きくなる。こっちに近付いてきているのだ。

 黒い粒が規則的に並ぶ、それはまるで鳥の群れが形作る像のようで――――


 背筋が凍る。


 フェルナンドさんが叫ぶ。

「貴様!何をするつもりだ!」


「肥やすのだ」


 分かってしまった。ノイズでも、ただの鳥でもない。


 あれはすべて姑獲鳥(ハルピュイア)だ。

 無数の怪鳥が、餓鬼(ペタ)を鷲掴みしてこちらに向かって飛んでいる。


貴樣(きさま)らの血で森を(うるお)す」

 ワイルドハントは、ペタを、爆発する魔物を、上空から大量に落とす。


 空爆するつもりだ。



「ヘイト様!撤退します!」

「メサさんを探さないと」


 ハルピュイアが飛ぶ速度はこれまでより遅い。おそらくペタを運んでいるからだ。空爆が始まるまでには時間がある。


 チャンスは今しかない。ペタが落とされ始めたら探すどころではない。そしてハルピュイアが僕たちのいるところまで到達したら、状況がどうなるか想像もつかない。


「あのスケルトンと遭遇した時、オフィーリアにメサ様を探すように言いました。彼女に任せましょう。今は撤退を」


「だけど――」

「時間がありません。調査隊も巻き込むつもりですか⁉」


 両肩を掴まれ、普段であれば言われないような強い口調に、ぐっ、と言葉を飲み込んでしまう。握った拳に力が入る。


 大丈夫だ。きっとオフィさんが見つけてくれる。


 そう自分に言い聞かせて、

「う、馬をお願いします……」





 ワイルドハントは微動だにせず、馬に乗って逃げていく僕とフェルナンドさんを見送った。勝ち誇っていたのか、興味がなかったのか、白骨からは何の感情も読み取れなかった。


 走り始めてすぐ、聖なる泉に向かって進んでいた調査隊と合流し、先頭を進むオーウェル騎士団長の行き先を(ふさ)ぐように馬を止めたフェルナンドさんは、皆に聞こえるようにわざと大きな声を出す。


「すぐに撤退します!」


「何があった?」

「メサはどうした?」


 尋常(じんじょう)ではない様子に、オーウェル団長とミックさんが声を(そろ)える。


「こちらに向けて、ハルピュイアの大群がペタを把持(はじ)して迫っています」


 ふたりの理解と判断は早い。驚愕が顔に刻まれたが、すぐに、


「野営地と中継基地まで急使(きゅうし)を立てろッ!――到達までの時間と被害の予想は?」

「1時間もかからないかと。野営地と中継基地どころか、(ティリヤ)への被害もあり得ます」


 クソッ、とオーウェル団長は歯噛みした。


「オマール!」


 ミックさんに名を呼ばれたオマールさんが小走りで近づいてくる。

「なんだ?どうした……?」


絨毯(じゅうたん)爆撃が来る。黒兎の殴打ブラックラビットフックで街に避難するように伝えろ」

「そりゃあ――ひとりだけ逃げられるかよ」


「頼んだぞ」

 ミックさんは肩に手を置いた。オマールさんは数秒だけ逡巡(しゅんじゅん)して、

「――――戻ってくるからな」


 オマールさんは(きびす)を返して来た道を走り出し、すぐに森の奥に消えた。


「左翼より敵影!!」

 調査隊の騎士が声を上げる。


 全員が警戒を向けた方を見ると、枯れ木の(そば)にいくつかの影が立つ。こんなときに魔物か。


 反射的に武器を向ける。差し迫った危険に対し神経が過敏になっている。


「待って。オフィーリアだよ」

 姿がはっきりと見える前に、キャンディスさんが言った。


 人影が3人。ひとりはオフィさん。

 そしてもうふたりは、(くや)しそうな表情を浮かべるクリストと、真っ青な顔で目を伏せるメサさんだった。


 (たかぶ)った神経が一気に弛緩(しかん)し、安堵で力が抜けた。良かった。地面にへたり込みそうだ。


「味方だ!武器を下げろ!」 

 ミックさんがライフルを下げて、調査隊に聞こえるように声を出す。


 いつもとは違い、余裕のなさそうな表情を浮かべたオフィさんは(あご)をしゃくる。

「連れてきたわ」



「よし。撤退する!」

 オーウェル団長が号令をかけた。

 調査隊が野営地に向かって移動を始める。しかし、メサさんは立ち止まり、地面を見たまま動く気配がない。


 何か言わなくちゃいけないが、何を言うべきか分からない、そんな顔に見えて気まずさが戻ってきた。口を(つぐ)んでしまう。


「さっさと帰ろ」

 フュールさんが近付いてきて言うが、メサさんは(たたず)んだままだ。そんな様子を見てフュールさんはため息を()く。


 僕も何を言うべきか分からない。

 恐い。また言葉を誤って、どこかへ消えてしまうんじゃないか。


「メサさん。ごめんなさい」


 でも、僕から逃げていたら何も変わらない。(あやま)ちを繰り返すだけだ。

 彼女に近づいて、手を取る。


「一緒に行きましょう?」


 メサさんは囁くように、はい、と答えた。





 メサさんの手を引いて走る。


 時折、森から現れる魔物をキャンディスさんやフェルナンドさんが退(しりぞ)けながら、枯れた黒い森を数百人の調査隊が駆けている。


 前触れなどなく、

 後方の、ずっと遠くから爆音が響いた。


「もう来たのか……」 

 そう誰かが呟く。

 一匹目のペタが落とされたのだ。すぐそこまで来ている。


「立ち止まるな!走り続けろ!」

 オーウェル騎士団長の怒声が飛び、疲労に()かった身体に鞭打って騎士たちが進む。その中で、ミックさんが立ち止まった。


「どうしました?」

 汗で覆われた顔は後方の空を(にら)んでいる。枯れ枝の隙間から見える青色に、聖なる泉で見た時よりも大きな影が浮かんでいる。


 彼は、"8番(バルバトス)の武器庫"で長大なライフルを発現させて構え、引き金を引くと、遠くで爆発音が響いた。


「早く行け。あとで合流する」

「……ダメですよ」


 有り得ない。ここにはもうすぐ爆弾(ペタ)が降り注ぐ。立ち止まるなんて。


「地対空戦闘ができるのは俺くらいだ。お前たちは走り続けろ」


 調査隊は足を止めない。


「ああ、もう。しゃあないか」

 肩で息をするフュールさんが言い、(ほうき)にまたがって地面から浮いた。ミックさんと同じ方を向いている。


「フュールさん……まさか」

「私は逃げられるし」


 場違いなくらい軽い口調で、


「メサのこと頼んだよ」


「待って、フュール」


 そう言ったメサさんに笑いかけて、フュールさんは魔物で覆いつくされた空へ飛び立つ。すぐに稲妻の轟音と連鎖する爆発音が、空にこだました。





「鎧を捨てろ!」

 オーウェル騎士団長が叫んだ。


「無駄死には許さん!」

 騎士たちが走りながら兜や胸当てを脱ぎ捨てる。剣すら森へ放り投げる者もいる。全力で走るために。


 刻一刻と音は近くなる。爆発の壁が後ろから迫ってくるような感覚に急かされて、動かす足が速くなっていった。


 息を切らし、口から垂れる唾液(だえき)もそのまま。死が降ってくる恐怖に耐えて、歯を食いしばりながら。


 それでもなお、野営地にすら辿(たど)()かない。 


 足を止めたらダメだ。前に進まないと。メサさんを連れて帰らなくちゃ。彼女の手を引きながら、できるだけ早く足を動かす。



 恐れもなく狗が飛び込んできた。近くにいた騎士の足具に食いつかれ、姿勢がぐらつく。間髪入(かんぱつい)れずに他の騎士がナイフで狗を突いて、危機を脱した。


 あれなら大丈夫。

 そう思った時、足元にさっと黒い影が走った。


 スローモーションのように景色が流れる。


 落ちてくる。重そうな頭から、細枝のような身体つきの、腹が膨らんだ魔物が、騎士たちの近くに。


 ドン――


 反射的にメサさんを抱きしめた。身体に叩きつけるような爆音が一瞬で広がる。鎧にパラパラと砕けた骨が当たる。


 爆風が去ると、ふたつの甲冑がぴくりとも動かず倒れている。


 耳鳴りだけが聞こえる。


「畜生……っ」

 その時が来てしまった。


 雨が降り出すように、雨足が強くなるように、絶え間ない爆発が僕たちを追い越した。


 空はハルピュイアで覆われている。

 次の瞬間には、ペタが真上から落ちてくるかもしれない。


 立ち止まるな。

 前しかない。



 少し遠くの狗にペタが直撃して血飛沫(ちしぶき)になる。


 傭兵が魔物に襲われて倒される。


 疲労で(つまづい)いた騎士に、傭兵が手を貸して立たせようとする。


「走れ走れ走れッ――!!」


「助けてくれ――」


「しっかりしろ――!」


 誰のものかも分からない声が爆音にかき消される。


「敵襲!」

 魔物に刃を振るって、脚だけ切って足を動かし続ける。


 爆発の中で戦って、


 戦って、


 戦って、


 爆発の中を走って、


 走って、


 走って、


 駄目だ。間に合わない。


 僕はどうでもいい。


 誰か、誰か皆を。



 飛んでいるハルピュイアがペタを手放した。成す術もなく重力に身を任せたペタが、すぐ目先の枯れ木に引っかかり、枝に刺さった。


 近すぎる。反応が遅れた。メサさんに覆いかぶさろうとしたが間に合わず、爆風に押し出されて転がる。


 ぼやける視界の中、地面に横たわるメサさんへと狗が近付いている。動け、と念じながら立ち上がり、走るが、


 ――間に合わない。


「カルメン様ッ」

 横たわったメサさんと狗の間に、クリストが割って入った。彼の首に狗の牙が突き刺さる。クリストの表情が歪み、苦痛の声を上げる。


 駆け寄り、魔剣で狗の身体を斬りつけ、足を斬り飛ばす。振り向くと、クリストは仰向けに横たわっていて、メサさんは身体を起こしていた。


「カルメン様……」

「クリスト」


「私は――」

 クリストは事切れた。



「行きましょう」

 立ち上がれなさそうなメサさんの下から肩と膝を抱きかかえると、メサさんが苦し気に(うな)る。


 彼女の顔からは血の気が失せていた。右の手甲を見ると、血がべったりと付いている。黒いドレスのお腹の辺りが、赤黒く濡れている。


 ペタの骨が刺さったのだ。


「医者は……」

 絶え間なくペタが落とされ、皆の姿は土煙に(まぎ)れて分からない。


 嫌だ。こんなの。


「大丈夫です。連れて帰りますから」


 ここに来て、始めてメサさんと目が合った。


「私の所為(せい)ですね」


 どうすればいい。


 どうすれば助けられる。


「誰にもいなくなって欲しくないのに、皆、離れて行ってしまう」


 腕で身体を支えたまま。


「次は私の番です」


「駄目です……駄目だ……そんなの」


「ヘイト様。私は――」


 彼女の右手が胸当てに触れた。


「そう、ずっと前、あなたがフェルナンドを助けてくれた、あの時から――」


 青ざめた顔で優しく微笑む。


「愛しています」


「待って、メサさん……」


「"鉄柵"の悪魔よ、我が命を(もっ)て、契約を履行(りこう)する」





 音が止んだ。


 地面から無数の鉄の杭が生え、蒼天を刺す。 


 鉄柵たちは器用にすべての魔物だけを貫いて、


 戦いを終わらせた。


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