164話 曝葬するワイルドハント
まだ日は高い。
馬の蹄が土を蹴る音、波に乗るように身体が揺れる度、並んだ枯れ木が後方に流れていく。数頭の馬に分かれて黒い森に突入してから、数十分、
「見えた。本隊です!」
手綱を握るフェルナンドさんが言った。
視界いっぱいの枯れた森の中を進む長蛇の列が見えた。旗に狼の紋章を掲げていて、傭兵や木こり、セフェリノ騎士団で構成された調査隊の本隊だ。右翼から魔物の攻撃を受けて戦っている。
「無視いたしますか?」
「話を聞きたいです」
「承知しました――左翼から回り込んで本隊を援護する!」
号令を受けてオマールさんが先陣を切る。
彼の長い両足が鎧に包まれた。才能、"黒兎の殴打"で枯れ木の森を駆け抜けると、本隊の列を追い越して先頭に躍り出た。
そのまま強烈な回し蹴りを狗に放つ。受けた身体が捻じれて地面に沈む。
「C・フュル・フュールよ、契約を履行する」
箒に乗って空を飛ぶフュールさんの手から雷撃が迸り、轟音と共に狗が焼かれる。絶え間ない雷を受けて魔物の勢いが削がれた。
ミックさんは"8番の武器庫"でライフルを発現させ、馬上からハルピュイアを撃ち落とす。
「援軍だ!通してくれ!」
唐突に、使徒や魔女が乱入し、耳をつんざく爆音を浴びせられた本隊は、戸惑いを見せながらも道を作って馬を通す。
最前線まで走ると、オマールさんと大柄な魔物が戦っていた。
一見して大型の霊長類のようだが、顔は老人のようで、五寸釘のような歯が生えている。憑霊だ。
「ウェンディゴを獲ります」
「はい」
甲冑姿のフェルナンドさんは言いながら馬を走らせる。"信仰の剣"を構えた。
ウェンディゴは突進してくる敵を振り払うように腕を振り回す。フェルナンドさんは襲歩の勢いを乗せて空色の大剣を振るう。
丸太のような腕が宙を舞った。
魔物が傷を抑えて絶叫を上げる。
間髪入れずにオマールさんの飛び蹴りが延髄に打ち込まれて頭を垂れる。
立ち上がろうとするウェンディゴに、信仰の剣が振り降ろされ、首が転がった。
あっという間だ。
何もしないうちに終わってしまった。
「援護に感謝する。が、何者だ」
魔物に止めを刺していると、中年の精悍な顔つきをした騎士に話しかけられた。剣吞な雰囲気だ。
戦闘中に突然現れ、脅威を一掃したこの不審な連中は誰だ、敵か、味方か、そう言いたげだ。
当然のように信頼はされていない。
「セフェリノ騎士団のオーウェル団長とお見受けする。私はフェルナンド・イエルロ。故あって調査隊に同行したい」
王の宝剣か、と何か納得したように呟くと、
「他は?」
「魔女が数名と、使徒様だ」
騎士団長は数妙沈黙すると、こちらを向く。
「オーギュスト・オーウェルと申します。セフェリノ騎士団の指揮を任されております。同行は構いません。手を貸していただけますね」
言葉遣いこそ丁寧だが、信用されている感じはない。
「もちろんです……それで、状況は?」
オーウェル団長は、行軍再会を指示してから話し始める。
大規模な調査は、今日から5日間に渡って実施される予定のようだ。
目的は、黒い森が枯れている範囲と、魔物の数がどのくらい減っているか。そして、"聖なる泉"に維持可能な基地を建てることができるか、だ。
彼ら本隊は夜明けと共に黒い森へ入ったようだ。道のりの途中に先遣隊が作った野営地で馬を降り、木こりや傭兵を伴って徒歩で泉を目指している。
道中はどうしても邪魔な枯れ木を伐ったり、襲撃に備えて簡易的な柵を建てたりして、襲撃を退けて進んでいるようだ。
しかし想像以上に魔物の攻撃が激しく、進めていないと言う。
聖なる泉まであと1、2㎞。日暮れがタイムリミットになるから、このまま進むか野営地まで撤退するか迷っているところだった。
僕たちと合流したことで行軍を決めたようだが、こちらとしてはどうでもいい。フェルナンドさんもその辺りは分かっている。
「馬車を見なかったか?」
騎士団長は少し考えた。こちらの意図を勘ぐっているように見える。
「我々より前には誰もいないはずだ。だが、馬車の轍を見た。馬の足跡から見て2頭立て、行き先は泉だろう」
「なるほど」
獣道のように土が踏み固められ、馬車が通った痕がある。きっとメサさんが乗っている馬車だ。この先に彼女がいる。
一通り情報交換を終え、本隊からフェルナンドさんと少し離れて、騎士団に聞こえないように小声で話す。
「メサ様はここを通った後のようです」
「心配ですね。狗に見つかったら……」
「はい。このまま本隊と歩いていたら時間がかかります。少数で先行するのはいかがでしょう」
「賛成です。言いくるめられますか」
「オーウェルと話してきます」
フェルナンドさんはタイミングを見て騎士団長と何やら話に行った。そして皆を集めると、
「私、ヘイト様、そしてオフィーリアの3人で先行し、魔物を減らすとオーウェルに提案した。フュールとキャンディス、ミック様とオマール様で本隊の護衛を」
各々が同意して行動に移る。
先行はするが、魔物の数を減らすのは嘘。本隊は工作と襲撃への対応で遅々として進まず、これ以上、時間をかけると心配で気が変になりそうだ。
フェルナンドさんが手綱を握る馬に乗り、オフィさんも別の馬の鞍に跨って、駆け出した。
馬車がぎりぎり1台通れるような道に刻まれた轍に沿って進む。オフィさんの馬がすぐ後ろに続く。
現れた狗はフェルナンドさんの間合いに入った瞬間に、見もしないで斬って捨てている。走る勢いはほとんど削がれていない。
突然、速度が落ち、馬がいなないて前脚を上げた。フェルナンドさんが馬を止めたのだ。
「……鉄柵です」
地面から漆黒の杭が生えている。
これまでに何度も見た、鉄柵の魔法だ。いくつかの杭は狗の死体を貫いている。戦闘があったのだろう。
馬を降りる。
獣道の先で、数匹の狗が鼻を寄せ合い何かを喰っている。
こちらの接近に気付き、血で濡れた顎を開けてフェルナンドさんに襲いかかったが、埃を払うように斬り捨てられた。
狗が集まっていた場所に近付く。
男の死体があった。食い荒らされていて、直視できない。オフィさんが膝を折って死体を調べ始める。
「メサじゃないわねえ。クリストの仲間?」
「そうだ」
フェルナンドさんが胸の前で十字を切る。オフィさんはあちこちを見てから、
「馬車で走っていたけど、倒木で道が塞がっていた。退かそうと作業をしているところに魔物が出てきて戦ったけれど、1人は死んだ。それで、逃げるようにして馬車で走り去った。
死体がここまで残ってるってことは、ここを離れたのはついさっき。近いわあ」
フュールさんの目線の先には轍が続いている。
きっと、あと少しで追いつく。
枯れた森を抜けると、青色の景色が広がった。
死に絶えたような森に囲まれて、清廉な泉が広がっている。水面は陽光を受けてきらきらと輝く。
"聖なる泉"だ。
不思議なことに魔物を寄せ付けない泉を見渡すと、湖畔に馬車が停まっているのが見えた。
傍には毛皮付きのロングコートを着た人影が立っていて、物思いに耽るかのように泉を見ている。
メサさんだろうか。無事に泉まで辿り着けたのだろうか。
追いつけた。やり直さなければ。間違いを謝らなければ。
人影に近付いていくと、違和感を覚えた。
メサさんよりも背が高く見える。
ではクリストか。
こちらの気配に気が付いたのか、人影はゆっくりと振り向く。
「近づいちゃダメ!戻って!ヘイト!!」
オフィさんの悲鳴のような声が聞こえて、足が止まる。馬車の影になって、馬が2頭血だまりに沈んでいた。
「え」
「客が多いな」
人影は無機質な、低い男の声で言う。
フードを脱いだ人影と向き合う。羽織ったコートの前は開いていて、下は中世的なものではなく、近代的な軍隊の将校が着るような軍服が覗いている。
「眞なる世界であるこの森に、罪人がこんなにも」
喋っているのに、唇が無い。それどころか、筋肉も皮膚も無い。フードの下の頭は、髑髏だ。
勲章を胸元に光らせ、軍服を着たスカルが話している。
「貴樣らの神は、歿んだ人閒にだけ赦しを與える」
夢に出てくる鎧袖の悪魔ではない。
聞こえてくる声がおかしい、頭に直接響かせてくるような。
男は手のひらを上に向けた。腕から黒い枝葉が伸び、形を成すと、厚い本になる。
「この青ざめた馬が赦しを贈ってやろう」
軍服を着たスケルトンが、才能で発現させた本を開く。馬の死体から木が生え、信じられない速度で成長し、無数の枝葉が纏まっていく。
――神伐の悪魔のお気に入りで、ワイルドハントって呼ばれてた。"神伐の聖典"で魔物を意のままに操り、あまねく生物に死をもたらす――
「歿んで仕舞え」