163話 11月22日 夜明けを追う
暗闇に飲まれてく赤い髪を見送って、どのくらい廊下に佇んでいたのか。捨てられた犬のように所在なく立ったまま一歩も動けなかった。
一体どこから間違えていたのか、どんな選択を選んだらこの結果にならなかったのか。
メサさんが駆け寄ってきた時、何と言えば良かったのか。引き留めることができて、許されるのなら、嘘を吐いてもよかったのか。
後悔の迷路をさまよい続けて、突然、何をしに来た!という大声で我に返る。外の方だ。
聞き覚えのある声、多分フェルナンドさんのもの。部屋に入って窓を開けると、階下の外に広がる夜闇は騒々しさを孕んでいた。ところどこに光る明かりは松明だろうか。
足を進めて酒場の外に出ると、寝ぼけまなこの村人と鉢合わせた。騒ぎで深夜に起こされたからか、不快感を滲ませた表情をしている。
「あ、あの」
「おお、ヘイト」
「何かあったんですか?」
「知らん。あっちにフェルナンドが走っていったんだが」
村人が指を向けた方に目を向けると、同じように状況が分かっていない様子の野次馬がいる。
夜盗でも出たかね、と能天気に言うと松明を片手に歩き始めた。彼らのような野次馬を追っていけば騒ぎの元凶に辿り着けるか。きっと村人が集まっているところで何かが起きた。
声の主が本当にフェルナンドさんだとしたら、ただの夜盗ではあそこまで声を荒げない。黙って一刀に伏すだろう。
浮かぶ灯篭流しのような光を追って足を動かす。
村はずれまで来ると、数人の人垣ができていた。僕を見つけた村人たちが道を開ける。
その先に普段着を着たフェルナンドさんの大きな背中が見えた。彼は腰に佩いた剣の鍔を握っている。
警戒を向ける先には馬車が一台停まっていて、その近くに男が3人。
そして中央に、メサさんの後ろ姿が見える。
駆け寄りでもしないと、手が届かない距離。
「お迎えに上がりました。こちらへ、カルメン様」
馬車の近くにいるひとり、禿頭の男が真っ直ぐにメサさんを見て言う。あいつは魔女狩り一行にいたホプキンスの部下だ。
背筋に走った危機感で斧を抜くが、雰囲気のおかしさにそこで動きが止まる。
魔女狩りがメサさんを連れて行こうとしていて、フェルナンドさんが止めようとしている、一見するとそうだが、禿頭の男はメサさんに向かって恭しく「迎えに来た」と言った。
メサさんも躊躇っているような。
馬車から大柄な男が出てきた。
皺だらけで汚れた服、ぎょろついた目元には濃いクマができていて、皮脂でべたついた髪は乱れている。
ホプキンスだ。だが、その様子は前に見た時よりも荒れている。追い詰められていると言えばいいのか。
理性を失った眼でメサさんを視界に収めると、
「見つけたぞ、魔女ぉ」
馬車のステップから地面に降りたホプキンスはよろめき、彼女の方へ近寄ろうとする。
「メサ様から離れろ」
すぐさまフェルナンドさんが制した。
抜刀した剣先を向ける。あまりの気迫にホプキンスがたじろぐ。
「ぐっ……おい、あの魔女を捕らえろ」
歯ぎしりをしながら部下に向かって言うが、主の言葉を無視したまま、禿頭の男はメサさんに向かって口を開いた。
「カルロス様はルキイェの、国境の塔、その頂上に幽閉されております」
「何を、突然……」
メサさんは動揺している。
「貴女の父上はもう長くありません。この冬は越えられないでしょう。我々としてもこれ以上寒さが厳しくなれば、旅に出られなくなります。
黒い森が枯れている今こそ好機です」
「私の話を聞かないかッ!」
ホプキンスは部下の方に詰め寄るが、禿頭の男は意に介していない。
「信じられません」
メサさんが言う。
男は布袋か何かを取り出して掲げて見せた。松明の光を金色に照り返したのは、複雑な形のメダル、もしくは勲章か。
メサさんとフェルナンドさんの目線が金色に吸い寄せられている。
「貴様――クリスト卿か?」
フェルナンドさんが訝しんで、
「何をしている!あの売女を捕まえろ!」
ホプキンスは叫ぶ。
「あなた方が本当のことを言っていると?」
メサさんが言った。
何が起こっている?
ホプキンスは魔女を捕まえろと喚いている。
部下は無視をしたまま、メサさんに向けて、誘いをかけている。
フェルナンドさんはあの禿頭の男のことを知っているかのようだ。
「ええい!私が直々に――!」
ホプキンスがしびれを切らし、剣を抜いてメサさんの方に一歩踏み出した。まずい。神経が昂る。野次馬を押しのけて、フェルナンドさんが踏み込み――
禿頭の男が声を張った。
「では、これが、私たちなりの誠意です――我が信仰を、災禍を退ける力に」
禿頭――クリストと呼ばれた男は、剣を振り上げたホプキンスの手首を取り、細枝のように折った。
「ガっ――お前――!」
そして馬車の近くに控えているふたりの方へと、ホプキンスの巨体を押し出す。ふたりは慣れた動きで剣を抜くと、ホプキンスを斬った。
「ッ!何を――オ!」
ホプキンスは抵抗しようとしたが、それも虚しく見えるほどに何度か斬りつけられると、地面に倒れて動かなくなった。
集まった村人が悲鳴を上げる。
すべて決まっていたかのように、ホプキンスの部下たちは剣に着いた血潮を拭って鞘に納めると、主だったものに軽蔑の眼差しを向ける。
クリストはメサさんに向き直り、手を伸ばした。
「カルメン様、共に越境を」
メサさんは躊躇いながらも、男の方へ手を伸す。
「これが最後の機会です」
「残ってください。メサ様」
フェルナンドさんはそう声を掛ける。
メサさんは振り向いた。今まで見た中で最も冷たい目線が向けられる。
「フェルナンド、あなたも一緒に来なさい」
「行けません。その男を選ぶならば」
フェルナンドさん断言し、僕にちらと視線を向ける。
「あなたまで――」
メサさんは、睨んだ。
「私は――"メサ"ではありません。私の名はカルメン。前王カルロスの娘です。その名を与えてくれた父に会いたいだけ」
フェルナンドさんは黙っている。
メサさんは――
彼女はクリストの手を取って、馬車に乗り込んだ。
村の酒場を空けてもらった。
真っ暗な店内には誰もいない。当然だ。夕飯時ははるか昔で、村が寝静まっている。夜明けもじきに来るだろう。
ひとを集めてきます、とフェルナンドさんが言い残して店を出てから、椅子に座ってじっとしている。
当然の結果だ。メサさんたちを放ったらかしにしたのは、他ならぬ僕で、文句などひとつもなく、後悔は吐き出しきれないほど。
最初にミックさんとオマールさんが入ってきた。その次にオフィさん、フュールさん、キャンディスさんたち魔女。
そしてフェルナンドさんが見慣れない男を連れてきた。
日に焼けたような褐色の肌に、長めでクセの付いた赤髪。思ったよりも年若い面差し。すらりとした長身の美男子だ。
間違いない。あの時の。
視線を下に向けてしまった。
ただ、あの面影、どこかで見たような。
「紹介いたします。バルタサル様です」
「フェルナンド、やめてくれ。私はそう、ただの――バルターだ」
若草のように爽やかな声色でそう言う。
「誰?」
オマールさんが口を挟んだ。正直、聞きたいことを聞いてくれてありがたい。しかし、フェルナンドさんは言葉を選ぶように口どもっている。
オフィさんがいつものように微笑を浮かべながら聞く。
「この期に及んで隠し事?」
バルターは椅子に座ると。
「フェルナンド、順を追って話そう。全てだ」
「ですが」
「話さなければ、彼女を助けられない」
言い切ったバルターに、分かりました、フェルナンドさんは答える。
「これからお話しするのは、前王家に関することです。
前王――カルロス様は在位中、王妃であるマリア様との間に3人の男児を授かりました。それとは別に、王の傍でパーラーメイドとして働くヴィオラという女性と恋仲になります」
彼は何か覚悟するように息を吸うと、
「やがてふたりの間にも子を授かりました。それが、カルメン様です」
「え?」
「メサは偽名。そして前王の血を継いでる……庶子ってわけか」
ミックさんがそう言った。
メサさんが前王の子供?
メサさんの父親はクーデターによって退位に追い込まれた前王。そして今は行方不明になった父を探している。
つまり、僕たちが探していたのは前王なのか?
「12年前、あのクーデターが起きた時のことです。
カルロス様はまだ幼かったふたりを逃がすため、当時6歳だったカルメン様を私に、4歳だったバルター様を別の騎士に任せ、戦火に巻かれる王都から離れるように命じました。そうして我々はティリヤに来たのです」
バルターが言葉を継ぐ。
「私と騎士サルトゥスは各地を転々としていた。何かから逃げ続けるような、隠遁の日々だった。
つい最近まではルキイェにいたのだ。まさか父上がいるとは思いもしなかったが……あるいは、サルは知っていてルキイェを選んだのかもしれない。
――そこで見たのだ。あのクリストを」
「誰だっけ?」
今度は頬杖を付いたキャンディスさんが口を挟む。
「ホプキンスの部下にいた、禿頭の男です」
「あンのハゲマッチョか」
「侯爵だった男でしょう。前王カルロス様の熱心な支持者、と言えば聞こえが良いでしょうが、本当のところは狂信者でした。カルロス様をお守りするためならどんな手段も厭いません。
随分様変わりしていたので気付かなかった。
クーデターなどと言う手段によってカルロス様を王座から追いやった現王の政権に、強い憎しみを持っているはずです」
クリストはサルに接触を図っていたようだ、とバルターが言う。
「私の騎士に、王子たちの行方を知らないか?と。サルは老体に鞭打ってすぐに私を逃がした。ティリヤにいるフェルナンド。そして、カルメン……姉様を頼れと」
「クリストの目的は?検討はつく?」
フュールさんが聞いた。
「前王の復権」
バルターが答える。
皆が黙った。
「前王カルロスの正当な後継ぎとして私を擁立し、現王の政権と対立するつもりだ」
言葉が遠のいていく。
12年前のクーデターで、前王カルロスの政権は転覆した。
王は捕らえられる寸前、メサさんとバルターに信頼のおける供を付けて都から離れさせた。そして、ルキイェにある塔に幽閉されたのだ。
侯爵だったクリストは、許せなかったのだろう。
自分の主が王座から降ろされたことに憎しみを抱いたのだ。外見を変え、王子を擁立して、現王権に反旗を翻すという復讐を目論んだ。
ホプキンスを利用することにした奴は、バルターを追って、もしくは前王を探して、ルキイェに到着する。
それに感づいたバルターは、ティリヤに逃げ、メサさん――腹違いの姉を頼った。しかし警戒していたのだろう。
彼は"レター"として。面と向かって会わなければ真実を伝えないと伝えた。情報提供者とは、メサさんの弟だったのだ。
ただ、問題はここからだ。
ホプキンスが勝手に動いた時、僕たちは木こりの娘を助けるために強硬策を取った。その時、クリストはメサさんを、もうひとりの王子を見つけたのだ。
ターゲットが変わった。
「まさかこんなことになるなんて」
バルターが嘆く。伏せった瞼はどこかメサさんに似ていて、毅然とした態度が緩んで幼く見える。
自分の馬鹿さ加減に突っ伏したくなる。あれは生き別れになった姉弟の再会だった。それを勘違いして。
後悔しても仕方ない。これからどうする。
償いがしたい。
「そんな、できるんですか。政権を取り返すなんて」
僕の率直な疑問に、フェルナンドさんは首を横に振った。
「不可能です。前王派の諸侯はほとんどがこの世におらず、生きていても失脚しています。クリストの話に耳を傾ける者などいません」
「じゃあなんで」
「できるかどうかなど関係ないのでしょう。あの男を動かしているのは憎悪です。あれらはすでに狂っています」
気持ちは少しだけ、分かりますが、とフェルナンドさんは暗く呟く。
ホプキンスを斬った時の迷いのなさ。不用品をゴミ箱に捨てるかのようだった。
「メサさんは……」
無茶だと分かっててあの馬車に乗ったのか。
「無理だと分かっています。カルロス様に会うためにクリストたちを利用しているだけでしょう」
オマールさんが軽い調子で言う。
「でもよ。『黒い森が枯れてる今なら』って言ったんだろ。そのルキイェだっけか?どのくらい遠いのか知らねえけど、森を抜けるなんてできんのか?」
「黒い森の枯死、か」
ミックさんが腕組みをして言う。
「はい。今であれば可能でしょう。クリストたちは調査に紛れ込み、途中で方向を変えて、国境を目指すつもりです。
迅速に他国まで辿り着いたら、この国に帰ってくるのは、国家転覆の準備が整った時です」
「でもさっき、国家転覆なんてできないって」
「はい」
悲しげに言うフェルナンドさんの顔で分かってしまった。
準備が整う時など永遠にやってこない。例え無事にメサさんが父親に会うことができたとしても、もう、帰ってくることはない。
「どうする?」
「どうするって?」
オフィさんが言い、キャンディスさんが答えた。
「追うか、放っておくか」
「私たちを捨ててあっちを選んだンでしょ。好きにさせたら?」
「そんな」
未練がましい呟きが漏れてしまった。それを期待していたかのように、オフィさんは笑顔を作る。
「ね、フェルナンド。奪い返せると思う?」
可能です、とフェルナンドさんは断言した。
「私がクリストなら――すぐにメサ様を連れて黒い森に入り、移動を始めます。先を行かれている格好になりますが、少なからず魔物がいますので難航するでしょう。
大して距離を稼ぐことができず、先遣隊に紛れ込み、夜明けから森に入る調査隊を待つことになります」
フェルナンドさんは席に着く一同の眼を順番に見る。
「一方で我々なら――使徒の皆様、魔女集会、私、そしてヘイト様がいれば。陽が登ってから、最速で黒い森を突破しメサ様に追いつけるはずです」
「だって。どうする?ヘイト」
オフィさんが試すように笑いかけてくる。
もはや口先ではどうすることもできない。行動で示すしか方法はなく、手札には2枚のカードしか残っていない。伸るか、反るか。
迷っている暇はない。椅子から立ち上がり、頭を下げた。