162話 鎧が守ってくれないもの
降りかかる爪を呪いの鎧で受け、反撃の斧を叩きつけて異形の鳥を落とす。癇に障る悲鳴を上げて、姑獲鳥は死んだ。
脳に鑢をかけられるかのような不快感を乗せて斧を振る。刃が甲高い断末魔を生み出し、それがまた神経を逆撫で、両の腕に力が籠もる。
悪循環だ。
最後にメサさんと顔を合わせたのはどのくらい前だろうか。枯れた森に通っていても大して景色が変わらないから、時間の感覚がない。
会わなくてはいけないのは分かっている。彼女の父親を探す手伝いをすると言ったのは僕だ。そう思うのに、気まずさが足を遠ざけて、黒い森から離れられない。
「"蛇竜"の悪魔よ、契約を履行する」
人間より大きい黒蛇が身体を伸ばし、ごくりとハルピュイアを丸吞みにした。蛇の尾に腰かけている女性が話しかけてくる。
「ねえ、ヘイト。忙しいンだけどお」
ピアスだらけの顔を面倒くさそうに歪めながら、キャンディスさんはそう言う。普段はここにいない彼女が来ている目的は、僕なのだろう。
ハルピュイアがまた7羽現れて襲い掛かってくるが、悪魔の使い魔たる大蛇が弾かれたように動いて、魔物を殺した。手が空く。
「なンだ。大したことない――――バルターが、父親はルキイェにいるけど、もう長くないかもってさ。それ聞いて、早く行かなきゃって」
抱擁を交わしていた光景がフラッシュバックする。
そのバルターとか言うのは誰ですかと聞けばいいだけだ。それでメサさんの大事なひとだと言われたら、それでいいではないか。
どうせ僕は2か月と待たずにこの世界を去る。今までと変わらずアホ面下げて会いにいけばいいだけだ。
いや、どうせ会えなくなるのだから、それが今か2か月先になるか、大した違いはない。どちらでも良いか。
「行けません」
「なに不貞腐れてるの?」
なんで僕は不貞腐れているのだろう。
「手伝ってくれないンだ」
ハア、というため息を吐いて、
「もういいわ」
黒い蛇と共に、キャンディスさんは森から去っていった。
今日の仕事は終わりだ。
黒い森から無事に出て、中継基地で片付けをしていると木こりが聞きづらそうに話しかけてくる。
「手伝ってくれるのは助かるけどよ。お前は用事があるんじゃねえのか」
「いいんです」
キャンディスさんと話した時よりいくらか柔らかい口調で返す。メサさんが男といて、逃げてしまったと、そんなくだらないこと誰にも話せない。
「そうかい?……ああ、そうだ。また、あの、何だっけ……変態」
「ホプキンスですか?」
そうそう、そいつ、と木こりは渋面を作り、
「昨日だったかなあ。見た奴がいるんだよ」
部下を半分失ったのに、もう活動を再開したのだろうか。
「次会ったら殺しとくか?」
「うぅん」
やっちゃって、と言うわけもいかず言葉を濁した。
「フェルナンドは何か事情があるんだろうって言うばかり。メサも会いにくればいいのに」
黒い森にオフィさんが来ていた。魔物と戦うことはせず、最前線にいながら常に安全なところを歩き、世間話でもするかのように話しかけてくる。
「ヘイトは何か隠し事をしているのね」
秘密の魔女は見透かしている。
「私はね、相手のことを想っての嘘は良いと思うの。黙っていた方が良いってこともあると思うわ。でもね――」
オフィさんに背を向けて、斧を振るってハルピュイアを堕とす。無視を続けていると言うことは、意識し続けているということだ。それも彼女には筒抜けなのだろう。
「『嘘を吐いてる』ってことは悟られたらダメ。察された時点で、どんな想いで真実を話さないかなんてどうでもいい――」
いつの間にか斧を振るうことを止め、背中で言葉を受け止めている。
「隠し事は、隠し事なのよ。気持ちのいいものじゃないわあ」
「誰にでも隠しておきたいことの、ひとつやふたつはあるでしょう」
「そうね。でもそれは噓吐きの台詞。それも程度の低い」
あの友達は、あの完璧な噓吐きは、本当の目的を最後まで悟らせなかった。僕が同じようにできているとは思えない。
オフィさんの口調は変わらない。説教するようなものではなく、今日の天気を話すかのように、
「完璧に隠せなくて、でも隠し通したいなら、どうすればいいか知ってる?」
「……分かりません」
「誠意を見せるしかないの。手遅れになる前に、ね」
ゆっくりと振り向くと、秘密の魔女の姿は黒い森になかった。彼女はきっと笑みを浮かべていたのだろう。
ハルピュイアが死んでいる。
赤い髪に、白い肌の女の顔を持つ鳥が死んでいる。
開いた瞳孔が見えた。
そんな顔で見るんじゃない。
戦っていない時は、ミックさん、オマールさんと話すことが多くなった。会話と食器の動く音が満ちる酒場でテーブルを囲んでいる。
「別の部隊にいる奴が言っていたんだが、餓鬼と遭遇したそうだ」
「なんだソイツ」
ミックさんが言い、オマールさんが軽い口調で聞いた。
「近づくと自爆するんです」
「自爆だあ?」
表情筋を全部使ってしかめっ面を浮かべるオマールさんに説明する。
ペタは特殊個体の一種だ。
見た目は脆弱な人型だが、膨れた腹に衝撃が加わると爆発してしまう。威力は手りゅう弾と同じくらいだそうで、危険度は狗と比べても段違いに高い。
食らったことがあるが、意識を持っていかれた。近距離戦は絶対に避けなければいけない。
「蹴るなよ、オマール。蹴れなくなるぞ」
「マジかよ」
またホプキンスが動き出したのに加えて、ペタが出てきた。悩みの種は増えるばかりで減らない。
まったく、とんでもねえ世界に来ちまったなあ、とオマールさんは呟きながらパンをちぎって口に運ぶ。もしゃもしゃと食べながら、
「ふぉおひやよ――」
「喰うか喋るかどっちかにしろ」
ぴしゃりとミックさんに言われたオマールさんは、ワインで流し込んでから、
「ヘイト、あの魔女さんたちと何かやってるんじゃねえのか?」
「良いんですよ。僕がいない方が好きに動けるでしょう」
咄嗟に出た言葉で返答になっていないような気がするが、これが本心のように思える。僕がいたってきっとお邪魔になるだけだ。
オマールさんは珍しく真剣に言った。
「思ってることがあるなら話した方がいいぞ。顔を合わせられるうちに」
「正論は聞きたくないです」
ミックさんは無表情で食器を動かしながら、
「なるほど……安っぽい同意の方が好みか?」
「それも正論ですよ」
聞きたくないセリフを聞きながら、こうして無遠慮に話している時間は不思議と気が紛れた。
もう何日経ったのだろう。
木こり達による枯れ木の撤去作業はかなり進み、もはや見通しの良い広場のようになっているから、魔物の接近に気付かないなんてことはない。
狗が駆け、ハルピュイアが飛び立ち、ごくまれにペタがよたよたと近付いてくる。
「もう出発するけど、顔だけ出したらどうなのよ」
「忙しいんですよ」
今日はフュールさんが来ている。うんざりしていると、タトゥーだらけの表情を見ただけで分かる。
「特殊個体と戦ってて時間がないってこと?」
「――はい」
「C・フュル・フュールよ、契約を履行する」
フュールさんは箒に跨って宙に浮く。
接近してくる魔物に狙いを澄ますと、彼女の手から雷が迸った。
圧を持った轟音が鳴り響いた。閃光に触れたハルピュイアがバタバタと地に堕ち、狗を焼き、ペタを誘爆させて――――
残響が消えて、森が静かになった。
軽々と地面に足を着いたフュールさんは言う。
「これで暇になったんじゃない?」
「……次の敵が来ます。ここにいないと」
「じゃあこうする。今日は私が護衛やるよ」
「僕がやります」
「私の方が向いてる気がするけど?」
「……」
事実だ。何も言い返せない。
フュールさんが護衛をやってくれれば、木こり達は無傷で基地まで帰ることができるだろう。
「メサのところに行って――」
それでも、まだ気まずい。
「――もう2週間も経つんだから」
「え?」
全力で足を動かし、いつもの村に向かう。
2週間も黒い森で戦ってたのか、時間を無駄にし過ぎた。
メサさんの父親は先が長くない。本格的に冬が来たら長旅は難しくなる。春まで待っていたら、大丈夫かもしれないが、もう会うことは叶わないかもしれない。
もし僕を待っていたなら、完全に時間を無駄にさせた。行くなり行かないなり、伝えるなら早くするべきだった。
いつもの村に到着する。宿に行き、自分の部屋の扉を開けると――
旅に出る荷物がまとまっていて、旅装がコートハンガーにかけてあって、メサさんがいた。
彼女は僕の姿を見ると、目を開き、視線を床に向ける。
「あの……」
「どうして、今になって」
「い、忙しくて」
謝るタイミングを逸してしまった。
そんなこと考えている場合か、早く謝れ。
「キャンディスたちが時間を作ってくれたのに?」
「……」
「私が何かしましたか……」
「いえ……」
「じゃあどうして」
言えるか。あなたが知らない男と抱き合っていたから、なんて、くだらない理由。
自分でもまだ分からないのに。
「教えて下さい」
僕は入り口に突っ立ったまま、メサさんはベッドに腰かけたまま、お互いの視線が交わることはない。
「また隠し事ですか?」
質問が、
「あなたはずっとそう。隠し事ばかり」
詰められているように感じる。
「私がそんなに口が軽く見えますか」
「いえ……」
「そんなに信頼できませんか」
「そうじゃなくて……」
「ヒルのことだって――」
「ひ、ヒルは今、関係ないでしょう」
つい固い口調になってしまう。
「メサさんだって、隠し事してるじゃないですか」
メサさんの瞼が揺らいだ。
ああ、そんなことを言うつもりはなかったのに。
「もう、手伝っていただかなくても探しに行きます」
宣言のように言うとメサさんはベッドから立ち上がり、僕を押しのけて部屋から出て行こうとする。暗い廊下を進む華奢な背中を見て、
「待って……」
メサさんの足が止まった。
なんて言葉をかければいい?
先月、始めから正直に話すべきだったと後悔した。学んだはずだ。
話せ。
「行かないで」
迷った末に出た言葉はそれだけだ。
メサさんは踵を返し、顔を伏せたまま呪いの鎧の胸当てに触れる。
「一緒に、ルキイェまで行ってくれるって――」
「それは、面白そうだと言っただけで」
メサさんは顔を上げる。頬には涙が伝っていた。
驚いて言葉が出ない。
「面白そうってなんですか……?私は、本気で、10年も、父を必死に探して……やっと……」
「そんな……つもりじゃなくて……」
「行かないで、なんて、そんな――」
失言だったことに気付いた。
「あなたは――」
溜めていた思いが決壊するかのように、メサさんは言った。
「あなたは、いなくなってしまうじゃないですか」
胸当てを押し退けると、振り切るように背を向けて、暗い廊下へ走っていった。