161話 11月7日 急降下
メサさん、フェルナンドさんと馬車に揺られて中継基地へと来た。情報提供者が提示してきた3日後が今日。今日こそは会って前進したい。
到着した基地の様子には、どこか違和感を覚えた。
「……木こりが多いですね」
フェルナンドさんがぼそ、と呟き、その正体に気付く。
伐採の拠点であるここに木こりがいるのは当然ではある。が、こんなに天気の良い日なら、とうに黒い森へ入って仕事をしている時間だ。
もっと人数が少なくて普通。それが不満げな顔で基地に残り雑務をこなしている。周りを見ていると木こりがひとり近付いてきた。ホプキンスたちから助けた少女の父親だ。
「ヘイト。この間は本当に助かった」
「ええ。――っと、大丈夫ですか?」
木こりは寂し気にひとつ頷く。
「ふさぎ込んでるが、な。中継基地で仕事させるようにしたんだ。家より仲間がいるところの方が安心だろうと思って」
数秒の沈黙で返して、フェルナンドさんが聞く。
「話は変わるが、今日は黒い森に入らないのか?」
それなんだが、と木こりは眉間に皺を寄せた。
「国会が出張ってきて、立ち入り禁止にしやがってな」
「黒い森をすべて立ち入り禁止?確かに、セフェリノ騎士団と……役人がいますね」
木こりの言葉を受けてメサさんが基地を見回す。
農民では買うことができないだろう良質な武具で身を固めた騎士や、ちゃんとした身なりの役人がちらほらといる。普段なら彼らもいないはずだ。
「今月の侵攻作戦に合わせて調査するとかで、なにか準備をしてるらしい。"聖なる泉"まで行くそうだ」
「そんなところまで」
そう言えばそんな話をしていた。黒い森の立ち入りを禁止にするまでとは思っていなかったが。
「枯れたところは1週間くらいで元に戻ると思ったんだが、そんな気配もない。木が育ってないんだ。今までこんなことはなかった」
気まずそうに話している。
黒い森が成長する速度は常軌を逸している。毎日のように膨大な量の木を伐ってきたが、いつの間にか元通りになっていた。それが今、枯れたところはそのままになっている。
「それでなあ、ヘイト。また手、貸してくれないか?」
「なんですか?」
なにか後ろめたさを感じているのか、木こりの口が重そうなので、できるだけ軽い口調で聞いた。
「立ち入り禁止ったって、仕事ができなきゃ金がもらえない。それで親方が役人に、『調査に入るにも整地した方がいいだろ』って交渉したんだ。枯れ木をどかすために、昼過ぎから黒い森に入ることになってる。なんだが――」
表情が曇る。
「見たことない魔物が出たんだ」
「見たことがない……新種ということですか?」
「狗以外に?」
メサさんと僕の質問が被り、木こりは首肯する。
「そんなことあるんですか?」
「いえ……」
メサさんは顎に指を当てて考え込んでいる。狗ではないとしたら、特殊個体。
今まで会ってきた特殊個体はどいつもこいつも質が悪かった。そんな得体の知れない敵がいる場所に、目の前の知り合いが行くと言っている。
心配だ。
「……」
メサさんは僕の心中を察したのか、
「ヘイト様、"レター"とはフェルナンド様と会ってきます。ですから、伐採の方へ」
「ありがとうございます」
緑などただの一遍もなく、命の枯れた茶色があたり一面に広がっている。立ち枯れた木々は其処此処に倒れていて、充満していた枝葉は見る影もなく、真昼の光を素通りさせていた。
先月までここは人間を阻む死の森だったはずだ。それが今や砂漠化したかのように死んでいる。
現われる魔物の数も、普段よりずっと少ない。
3匹の猟犬が遠くから近付いてくるのが見え、斧を構える。
飛ぶように駆け出した四足獣に足払いをかける。走る勢いのまま転がった狗の頭を、"黒兎の殴打"を発現したオマールさんがフリーキックよろしく蹴り上げた。
脚力を強化する足の具足がめり込んだ首は明後日の方向に曲がり、狗は断末魔を上げることもなくこと切れた。
2匹目も同じように殺して、最後の3匹目――は距離を詰める前に、ミックさんが"8番の武器庫"で発現させたアサルトライフルによって仕留められている。
油断するわけではないが、未だ十全に動かないこの身体でも戦える。それほどまでに余裕があった。
オマールさんが汗を拭いながら呟く。
「ここ、この前まで森だったよな」
「視界が通る。戦いやすいが、油断はするなよ。お客さんだ」
ミックさんがそう言い、銃口を空に向けた。
その方向に目線を遣ると、枯れ木に翼を持つ何かが止まっている。
ハゲタカのような輪郭に、広げたら2mはありそうな翼。それがただの鳥ではないと、ぱっと見で分かる。
「ピピピピピピピッ」
人面鳥だ。
女の顔に、髪を生やした鳥。それが7羽集まって、何やら人語のようなものを口走りながらこちらを見ている。
あれが新種の特殊個体。
「姑獲鳥って奴か」
ミックさんが気味悪そうにそう言って、引き金にかけた指に力を入れた。
銃弾に貫かれた1羽が落ち、他がバラバラと枯れ木から飛び上がった。来るぞ!とミックさん檄を飛ばす。
1羽が急降下し、ナイフのように鋭利なかぎ爪を向けてくる。
腕で受ける。金属音が鳴った。呪いの鎧には傷ひとつ付かない。
反撃に振るった斧はふわりと風を孕んだハルピュイアには当たらない。
ならばと、こちらの首を狙う爪をそのまま受けて懐に入れ、手刀で叩き付けると甲高い悲鳴を上げて地に堕ちた。
翼を斧で叩き切った。
「ギャあァッ」
叫び声が癇に障る。
かぎ爪で引っかかれた木こりの腕から血が流れた。だが、巧みな斧使いで反撃し、確実にハルピュイアを落とす。
地上を駆ける狗と、空中のハルピュイア、そのどちらにも注意しないといけないのは厄介だし、特殊個体にしては数が多いのも気にかかる。
だが、それだけだ。これまでに戦ってきた奴らと比べてなんと言うか、貧弱だ。
ミックさんの銃弾が、2羽のハルピュイアを殺した。
地に堕ちて死んだ魔物の顔はとても見られたものじゃない。女を象った造形で、髪は乱れて土と混ざり、瞳孔は開いて、半開きになった口から赤い舌が覗く。
こいつは化け物だ。斧を当てなければならない。そう自分に言い聞かせて集中する。そうしていないと不気味さに憑り付かれてしまいそうだ。
最後の1羽になったハルピュイアは、狗の死体を掴むと黒い森の空に逃げて行き、静かになった。
存外に遅くなってしまった。
拍子抜けするほど被害のない戦いが終わり、黒い森から出るころには陽が落ちかけていた。仕事始めが遅かったからだろう。なんやかんやと後始末を手伝っていると、辺りはすっかり暗くなっていた。
「メサならフェルナンドと一緒にアルセ村に行ったぞ」
「あ、そうなんですね」
この間、木こりが訪ねてきた村の名だ。あそこなら走っても行ける距離だし、道も簡単だから覚えている。
「送っていくぞ」
「大丈夫です」
こんな暗くなってからひとり歩きは危ないが、僕なら死ぬことはないだろう。
月明りがある分、農道の夜道でも行先が分かる。
アルセ村はすでに寝静まっていた。酒場ですら明りが消えている。もう夕飯時どころではないから仕方ないか。
どこかで夜を明かして、明日になったら話を聞こう。
そう思い村をうろついていると、光が漏れている家が一軒だけあった。もしかしたらメサさんはまだ起きていて、今後のことをフェルナンドさんと話しているのかもしれない。
灯りが付いている民家へ歩いていく。
昼間に見た魔物の話をするか。いや、今日はたまたま手伝っただけだ。メサさんの父親探しをしなければ。
入り口は――
「メサ、会いたかった。ずっと」
「私もよ。バルター」
ビクッと身体が止まる。聞き覚えのない男の声がした。メサさんの声もする。
見つけた入り口には近付くことができず、ふと空いている窓が目に入った。恐る恐る部屋の中を見る。
ろうそくが灯された部屋の中では、メサさんと、知らない男が抱擁を交わしていた。親し気な様子で、とてもこの中には入れない。そう思った途端、
その家から背を向けて、夜闇の方へ歩き出していた。
会わなければいけないのに。話をしなければいけないのに。
込みあがってくるざわざわとした胸の内から逃げるように歩き続ける。
行く当てもなく歩いて、木立に背を預けてしゃがみこんだ。ノイズが走ったような自分の感情が分からない。
昨日のように一緒にテーブルに着いて話をしたいのに、立ち上がれないまま時間だけが過ぎていく。
周りは闇と森だけだ。