160話 魔女と星を見た夜
昼時の"金の鹿"には思ったより客がおらず、入店してすぐテーブルに着くことができた。
街の中心にある立派な飲食店兼宿屋ではあるが、イベントごとのない日の昼食に高級店を使うのは宿泊客くらいか。
いつも昼過ぎまでエンジンのかからない夜型人間のメサさんは、切り分けた鶏肉の煮込みをソースの中で泳がせ続けている。
「どうして顔出しちゃったんですか?隠れていた方が良かったんじゃ」
「ああ、昨日の?」
攫われた少女を助けに行った時、メサさんは魔女狩りであるホプキンスの前に出て魔法を使った。うちひとり、禿頭の男はメサさんの方をしっかりと見ていたし、顔は憶えられてしまっただろう。
「鉄柵が破られるとは思わなかったので。でも半数は捕まえたのですから、もうおかしなことはできないでしょう」
「本当ですかねえ……」
何となく安心できない。ホプキンスからは狂気というか狂信的というか、ある種の頑固さを感じた。手下が減ったからもうやめようか、なんてまともな考えをするだろうか。
不安だ。
「やっぱり」
「?」
「ヘイト様が殴られているのを見て、我慢できなかっただけかも」
こちらを見て挑発するように笑っている、その顔を見て無性に恥ずかしくなった。赤くなっているであろう顔が、鎧の面で隠れていて良かった。
しばらくして、旅装の女性がふたり店へと入ってきて、席に近付いてきた。顔を見るとフュールさんとオフィーリアさんだ。
くたびれた様子で鞄を床に置いたふたりは、自ら椅子を引いてどかっと座った。メサさんが声をかける。
「早かったわね。それで?」
「……奢りでしょ?」
「もちろん」
「そうこなくちゃ!」
フュールさんは店員にワインをボトルで頼むと、
「オフィと調べてきたけど、どうもカルバリオ領にはいないみたい」
「そうでしたか」
メサさんはそっけなく答える。
「す、すみません。何の話でしたっけ?」
オフィさんがこちらを向いて答えてくれる。
「メサの父親を探すって話でしょう?ここ数日、わたしとフュールで探していたの。成果はなかったけど」
「ヘイト様、カルバリオ領は南西にある大きな領地です。ティリヤと同じように、黒い森に接しています」
メサさんが補足してくれた。
「な、なるほど。そこではなかったと」
フュールさんは頬杖を着いて思案しながら、
「長いこと北方にいたキャンディスが知らなくて、メサはティリヤを調べてたんでしょ?」
「ええ。どちらもハズレでした」
「じゃあ、あとはルキイェの辺りかあ」
南西にある領地でも、北の国でも、また、ティリヤでもない。次の候補として挙がるのが、そのルキイェ?とかいう場所だと。
「どこですか」
「大きな街よ。ここから東に300㎞?片道10日くらいかかるわあ」
「オフィの言う通り、途中の黒い森を避けて迂回するとそのくらい。距離も問題だけど――」
フュールさんの説明をメサさんが引き継いだ。僕を見る。
「ルキイェは別の国です」
「外国……」
「そう、国境越えの準備しとかないと」
運ばれてきたワインをコップに並々と注ぎ、一気に呷ったフュールさんは面倒くさそうにそう言う。
「身分証明書とか、あと入国書類とか?」
「勝手に入るに決まってる」
密入国するのか。まあ、箒で空を飛べるフュールさんがいれば何とかなりそうな気がするが。
「では、午後は――」
ワインボトルからざぶざぶとコップに注ぐふたりは、まさかまだ働かせるつもり?という目でメサさんを見ている。
「ハァ、私とヘイト様で買い物に行ってきます」
メサさんはため息と共にそう言った。
肌寒くなってきたのか、街の人々は厚手の服を着ている。
しかし大広場に集まる商人たちは寒さなど関係ないかのように、商魂たくましく道行くひとたちに声を掛けていた。
「食料、衣類、日用品……馬の手配?ロバの方が……それからルキイェに詳しそうな……」
相変わらず活気と露店があふれている大広場を、ぶつぶつと呟いているメサさんと歩く。
ただ、露店を巡ってはいるものの、買い物自体はほとんどしていなかった。長旅の計画を立てるための情報収集をしている感じか。
一通り回り終わる頃にはすっかり暗くなっている。適当なレストランを見つけ、雑に設置されたテラス席に座り、夜空を見ると星が見えた。
「買い物、あんまりしませんでしたね」
「そうですね――出発は、来年の春頃でもいいかなと思いまして」
「へえ」
「分かりませんか?」
メサさんが何を言いたいのか分からず生返事をすると、本気かコイツ、という目線を向けてくる。
「いいですか、ヘイト様。オフィーリアが言っていたように、ルキイェまでは片道で10日以上、向こうでの滞在を考えると、ティリヤに戻ってくるのに1か月はかかります」
「ああ」
そういうことか。僕の送還のことを言っているのだ。
この世界に召喚された使徒は1年間で元の世界へと還っていく。今まで同じ使徒を見送ってきたが、僕もその例に漏れず、2か月もしないうちに分かれを告げることになるだろう。
この旅に付き合ってしまえば――
「東の黒い森を横断すればもっと早く移動できるでしょうが、そうするつもりはありません。まあ、"レター"から話を聞いた後、もう一度考えるつもりですし」
夜でも喧騒が聞こえる。
メサさんは何かに言い訳をするように、自分の手元を見ながら呟いている。
「1か月の旅行ですか。面白いかもしれませんね」
最後の思い出に、メサさんたちとこの世界を見て回るのもいいだろう。そう思って言ったのだが。メサさんはきょとんとした顔を浮かべた後、ぶ、と噴き出した。
「フフ……話聞いてました?」
「え、なんで。そんな変なこと言いました?」
「いえ、いえ……」
メサさんは文字通りお腹を抱えて笑っている。
「軽く言うものだから、私は悩んでたのに、馬鹿馬鹿しくなってしまって……」
クックッと笑っている。こんなに笑っているのを見たのは初めてかもしれない。こっちは失言だったかと恥ずかしくて死にそうなのに。
「笑いのツボが分かりません」
それでまた笑いだしてしまう。何か言う度に燃料を投下してしまうようなので、しばらく星空を見ていると、やっと収まってきたようだ。
「はーあ。面白い」
メサさんは両手で身体を支えて、天を仰ぎ、星を見ている。
もしも国の外に行くのだとしたら、この街で過ごす時間はあまりない。送還のことを考えると、もう二度と会わないであろう街の人々の顔が頭を過ぎる。
悲しいような気もするが、死に別れるわけではない。どこかで元気にやっていると分かっているのは、やはり何かが違うのだろう。
「前にあったこと、憶えていますか?」
唐突だ。
「どれですか?」
「トールレディ」
「あぁ。もちろん、覚えてます」
僕が召喚されて1カ月経ったくらいのことだ。大魔法によって危機に陥っていたフェルナンドさんを助けるため、不死身の噂が立っていた僕の元にふたりが訪ねてきた。
思えば、メサさんとまともに話したのはあの時が初めてだった。
「ヘイト様の方からフェルナンドにハグして、呪いを移されましたよね」
「そうでしたっけ?」
「覚えてないじゃないですか」
またころころと笑っている。
そうですねえ、と呟きながら思い返す。あの時も今と同じようにボロボロだった気がするし、同じように澄んだ夜空を見ていたような憶えがある。
「あ、メサさんに死んでくれ、って言われました」
彼女は照れ笑いを浮かべて、
「いやあ、言っておかないと。断られると思っていましたし。使徒様の身に何かあったら、私たちの立場もなくなってしまいます」
「でも、やって良かったですよ。あれから色々とふたりには助けてもらいました」
あの時断っていたら、失敗していたら、今のようにはなっていなかった。
数秒の沈黙が返ってくる。
「……嬉しかったんですよ、フェルナンド様を救ってもらったこと。12年前、王都から連れ出してもらってから、何かと気にかけてくれていたので」
12年前、王都であったクーデターから幼いメサさんを助けたのはフェルナンドさんだったのか。それで、ティリヤまで逃げ延びる過程で実の父親と離れてしまった。
「恩人だったんですね」
はい、とメサさんは静かに答える。
「それで、ずっとヘイト様に伝えたかったことがありまして……」
「え」
改まった様子に、なぜかドキッとしてしまう。が、
「お礼を言いたかったんです。あの時は助けてくれてありがとうございました」
「あ、あぁ」
抜けた返事が出てしまった。僕は何を期待したんだか。鎧姿が固まって呆けていたからか、
「どうしたんですか?」
「いや、えっと。どういたしまして」
メサさんは楽しそうに目を細めた。
「夏頃にはフェルナンド様を連れて王都へ行かれましたよね。どうでしたか?」
「ブラックナイトさんですね」
「そうそう。ヘイト様に会わせる顔がないなんて言って――――」
他愛のない会話を交わしながら夜は更けていく。
ふと思う。
旅の途中、広い荒野の真ん中でなら、高い建物に邪魔されず、もっと広い星空を一緒に見られるのだろうか。