159話 魔女狩りの法
夜の酒場の風景というものは、どの村でもそう変わらないようだ。中継基地からほど近い喧騒に包まれた村の酒場で、メサさんとフェルナンドさんが食事をしている。
「『3日後、同じ時間、同じ場所で』。ですか」
夕飯時、フェルナンドさんから二つ折りにされた羊皮紙を渡される。情報提供者から送られてきた物だ。開くとメッセージが走り書きされてあった。
「3日以内になんとかしてくれ、という意味かもしれません」
「ホプキンスのことを?そんなに警戒してるってことは……」
メサさんが補足するように、
「レターも魔法使いなのかもしれませんね」
情報提供者の彼、もしくは彼女は魔法使いで、魔女狩りであるホプキンスを警戒していて姿を現さない。送られてきたメッセージは、暗に魔女狩り一行をどこか遠くへやってくれとの意図を伝えている。ということか。
憶測の域は出なさそうだ。会ってみないと何とも言えない。
「それにしても、魔女って嫌われてるんですね」
「今さらですか?」
メサさんが冷たく相槌を打つ。
「子供を攫って食べるとか。節度がなさすぎです」
「まあ、それに近いことをする魔法使いもいますし」
「でも、魔女に限らないじゃないですか。なんと言うか、悪いことは全て魔法使いのせいにしてしまえ、みたいな」
金持ちの商人や貴族にだって悪いことをする奴はいた。
メサさんはため息交じりに説明してくれる。
「教会の長である教皇が私たちのことを嫌っていますからね。主の恩恵を捨てて悪魔に跪くなど言語道断と一歩も引きません。国の王ですらたじたじですよ。それで、国ぐるみで魔法使いは悪、という評価がされてしまいます」
「納得できないなあ……」
ティリヤではうまくやれているのに。
僕が不貞腐れたところで何が変わるわけでもないが、そう言ってしまう。良い魔法使いだっている、そんな木こりの台詞が蘇ってきた。
夜も更けてきた頃、
「仕事オ~!」
と酒場の扉が力いっぱい開かれた。
キャンディスさんだ。彼女は項垂れた男性の手を引いている。ほら、座って、と席に着いた顔は、例の詰められていた木こりだ。
昨日とは打って変わって意気消沈した様子に、つい、
「ど、どうしたんですか?」
「飲んで、説明、説明」
キャンディスさんに促されて、木こりはワインを一口飲んでから、
「娘が帰ってこないんだ……」
と不安に押し潰されそうな様子で切り出した。
「仕事で、家に帰るのは1週間ぶりで、始めは犬を連れて出かけてるだけだと思ったんだが、夜になっても帰ってこなかった。
昨日のことがあって、心配で、近所を周ったんだが、どこの家にもいなかったんだ。
でも、昼間は見かけたって、今夜は俺が帰ってくるって仲間の木こりに聞いたから、林で茸でも採ってくるって言っていたと。
それで、探す途中でキャンディスと会って、話をして、その、一緒に林に行くと……」
木こりは頭を抱えた。話せそうにない。キャンディスさんに目線を向ける。
「犬は死んでた。あれは刃物だろうね。牙に血と人間の毛が付いてたから、犯人の臭い脚でも噛んだのかも」
犬が死んでいるのは人為的なものだろう。事件性はあるが、
「ホプキンス?」
「そうでしょうね」
「メサさん、断言できますか」
「道中説明いたします。急ぎましょう」
言いながらメサさんは立ち上がり、外套を纏った。
「どこを探すのオ?」
「あ、フェルナンドさん!尾行を付けてるって!」
フェルナンドさんは頼もしく頷く。
「頼む、娘を。礼なら――」
「そんなことはいいから、行きましょう」
青い顔をする木こりにそう言い切り、慌ただしく酒場を出た。
夜道の中、馬を駆けさせている。メサさんは木こりへ質問を繰り返していた。
「身寄りは?」
「俺だけだ」
「娘さんの歳は?」
「14……」
「魔法に関りは?」
木こりは首を横に振る。
「どういうことですか?」
質問の意図を聞くと、
「身寄りが無く、魔法に縁の無い女性を狙い、世話をしている猫や犬を使い魔だと言いがかりをつけて捕まえる。ホプキンスのやり口です」
「もしかして、役人の時からそんなことを?」
「魔女狩りなんてそんなもんよ」
キャンディスさんはあっけらかんとそう言う。呆れて言葉が出てこない。立場の弱い者を狙う当たり屋より、ずっと質が悪い。
「――はぁ。フェルナンドさん。場所は?」
「現在、ヘイト様が吸血鬼と交戦をした地点を中心に、黒い森が広範囲にわたり枯死しています」
「そ、そうなんですか。広範囲って……」
先月末のことだ。吸血鬼は仕留められなかったが、敵は能力を使って木々や魔物の命を吸い取り、自分の傷を癒しているはず。その結果か。
「はい。それで、南東にあった村――現在は廃村になっておりますが――魔物の勢力圏から出ました。そこに潜伏しているようです。
現在は、国会によって立ち入り禁止区域になっております。近く大規模な調査を実施するとか。ですが夜を徹して警備が立っているわけではありません」
「身を隠すには上等、ということですか」
南東の、黒い森に近い廃村。そう遠くはない。
まさしく廃村だ。
かつての家々が、夜闇と草木にまとわりつかれて墓標のように見える。月明りはほとんどなく、松明を消すと、近くにいるひとの表情も良く分からない。
ただ、灯っている光は良く見えた。形を留めている家屋の窓からと、その近くの焚火が明るい。
「"蛇竜"の悪魔よ、契約を履行する」
キャンディスさんの袖から数匹の蛇がするすると現れると、地面を泳ぐように進み、廃屋の方へ行った。
「まず焚火の周りに2人。家屋には3人で、男がふたりに女の子がひとり。隣の廃屋に5人、こいつらは寝てる」
キャンディスさんがそう言う。使い魔である蛇の視たものが分かるのか。便利な魔法だ。
「フェルナンドさん、騒ぎが始まったら5人を抑えられますか?」
「分かりました」
「ちょい待ち。連れてきな」
一匹の黒蛇がフェルナンドさんの太い腕に絡まった。彼は苦い顔を浮かべたように見えたが、蛇に指示されるようにしてすぐに行動を始める。
フェルナンドさんなら5人くらい平気だ。問題は焚火の前にいる3人と、家屋にいる2人。そして捕まっているであろう少女。
焚火を囲んでいる連中は犬に噛まれた傷の手当てをしているようで、警戒は薄い。闇に紛れて廃屋の裏手に回ることができた。木の壁を一枚隔てた向こうに、ホプキンスがいる。
耳をすますと、会話が聞こえてくる。
「――文句があるのかッ!」
「その娘に聞いたところで意味はないでしょう」
声を荒げているのがホプキンスだろう。それを取り巻きのひとりが諫めようとしているのか。
「何するつもりです?」
「魔女だと言うまで拷問するでしょうね」
反射的に舌打ちが出る。
「出ていけッ!」
ホプキンスが声を荒げ、数秒してから扉の音が聞こえた。時間はあまり残されていない。斧を抜いて――キャンディスさんが言う。
「お、あいつ、ズボン脱いだね」
「最悪……」
「ねえ、ヘイト。どうする?」
「なんですか」
イライラが声に乗る。
「みんな、殺しちゃう?」
キャンディスさんが笑っている。
彼女の使役する使い魔、"毒蛇"に噛まれると瞬く間に毒が回り、腐敗する。廃屋の周りには蛇を忍ばせているのだろう。それこそ、9体の変死体を作れるくらいに。
「……クソ」
つい、やってくれ、と口を突いて言いそうになる。
「……殺しは無しです」
もう死体の山はうんざりだ。
「気だけ引いてくれますか?」
「分かった」
"蛇竜"の魔女はピアスだらけの顔で愉しそうに、怪しく笑う。すぐに部屋の中から物が落ちたような音がした。
「うわあっ!蛇ッ!?」
「どうしました?」
ホプキンスの驚いた声に反応して、取り巻きが部屋に入っていく。これで全員、廃屋の中。
「ふたりは顔を見せないように」
メサさんとキャンディスさんに言う。
ここからは鉄火場だ。腹を括って、斧を木の壁に叩きつけた。
脆くなっているのかあっという間に、大きな亀裂ができあがる。思い切り蹴って穴を空け、力任せに廃屋に押し入る。
「"鉄柵"の悪魔よ、契約を履行する」
床から杭が生え、ホプキンスたちを隔離する檻を作った。あっという間に自分たちを囲んだ檻と、現れた黒い鎧に驚いている。
「クソ、魔女か。仲間を助けにきたな」
「……ホプキンス卿を逃がすぞ。我が信仰を、災禍を退ける力に」
部下のひとり、屈強そうな身体に禿頭の大男が、"堅体"の秘跡を使って鉄柵を腕力でこじ開けた。
「私は逃げんぞ。ここで悪を絶つのだ!」
口角泡を飛ばすホプキンスに、逃げ道を作った禿頭が苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべる。
連中、一枚岩ではないのか。縛られ、服が乱れた怯える少女にマントを渡す。
「娘さんを!」
木こりが入ってきて、少女を連れて廃屋の外に出た。ほぼ同時に捻じ曲げられた檻からホプキンスの部下がふたり、剣を構えて前に出てくる。
振り下ろされた刃を斧で受ける。反撃を、と思うが、畜生、踏ん張りが効かない。
「貴様、あの時の使徒――さては主の遣いを騙ったな」
ズボンを履きながらホプキンスは怒りを滲ませる。
「魔女を――悪魔の手先を庇うのか」
「やりたいようにやる。お前らと同じだ」
「天命に従う私が、貴様と同じだと」
「違うんですか?」
「私は正義のために戦っている!」
とある男の姿が頭を過ぎり、ふ、と鼻で笑った。気合を入れて体当たりをすると、ひとりが壁に叩きつけられる。
「なら、僕の正義、見せてやる」
歯ぎしりをしたホプキンスが、
「主に代わり、罰を下す」
剣で足払いをかけられて膝を着く。ホプキンスが振るったメイスに顎を掬われて倒れる。
壁の隙間から4人が見えた。
「逃げて」
短く言い、倒れたままホプキンスの向う脛を踏みつけるように蹴る。悶絶し肥えた身体が倒れた。
「貴様ッ!」
いきり立った部下ふたりに滅多打ちにされて立ち上がれない。覆せる人数差じゃないな。死ぬことはないだろうが。
「"鉄柵"の悪魔よ、契約を履行する」
生えた鉄柵が、刃を弾いた。
夕焼け色の髪を揺らして、"鉄柵"の魔女が廃屋に入ってくる。その姿を見て、禿頭の男がメサさんの姿に釘付けになっていた。数秒か。主人に視線を向けて、
「さあ、ホプキンス卿、こちらへ」
「逃げはせんぞ!」
「使徒と魔女では分が悪い。ふたりは足止めを」
禿頭は無理矢理ホプキンスに肩を貸して廃屋を出た。取り残されたふたりはぎょっとするが。それでも武器を手に襲い掛かってくる。
鉄柵が生え、ひとりの進路を妨害した。これで1対1。
振り下ろされた剣をそのまま受け、斧の柄でどてっ腹を突く。くの字に折れ曲がった背中にアセンディングエルボーを振り下ろした。
あとひとり――はジャングルジムのように生えてきた鉄柵でがんじがらめになり、悔しそうにもがいでいる。もう動けそうにない。
廃屋から出るが、もうホプキンスの姿は影も形もなかった。
残された焚火の近くに座っていると、伸された男を3人引きずって、大男が歩いてきた。
「あ、フェルナンドさん。大丈夫ですか?」
「申し訳ございません。ふたり逃がしました」
しっかりとロープで縛り上げられた、ため息を吐きながらそう言う。1対5で圧勝して当然、と言いたげだ。
「良い動きをするのが混じっていました。ただの元貴族ではなさそうです」
「こっちにも秘跡を使うのがいて、ホプキンスともうひとりを。すみません」
5人捕まえて、4人逃がしたか。もうこの廃村に戻ってくることはないだろう。これ以上、邪魔にならなければいいのだが。
「ねえ」
木こりと、マントに身を包んだ少女を連れてきたキャンディスさんが口を開く。
「大丈夫だったってさ」
ふたりは涙を浮かべながら丁寧に頭を下げた。
まったく心配事ばかり起こる。しかし今回は、良くは無いが、最悪には至らなかった。
何も終わっていないが、とりあえずこの瞬間だけは、疲労と安堵に身を任せることにしよう。