158話 11月4日 持たざる者、無敵な人
父と過ごした最後の記憶は、そうですね。
母と一緒に父の仕事場へ行きました。夜だというのに、贅沢にろうそくを使った明るいその部屋で、立派な服を着た部下たちへ指示を出している父がいました。
父は凄いんだなと、そう。誇らしく感じたのを憶えています。
滅多に家には帰ってきませんでしたが、顔を出した時は遊んでくれました。跡取りとして育てられた兄たちには難しい顔で接している父も、私と母の前では笑顔を見せていた。幼いながらに優越感があったものです。
あとは――12年前のクーデターの記憶が塗り潰してしまっています。戦火に巻かれて街まで避難するうち、家族とは離れてしまいました。
「お父さんのこと、尊敬していたんですね」
「はい」
馬車に乗り、メサさんと黒い森の方へ向かっている。何でも、彼女の父親について知っている情報提供者がいるらしい。
信頼に足る人物なのか、どの程度の情報を持っているのかは分からない。ただ、フェルナンドさんの紹介だと言う。一度会ってみる価値はある。
「フェルナンドさんが話を聞いて、それをメサさんに伝えれば良くないですか?」
「フェルナンド様も手紙のやり取りだけで、会うのは今日が初めてのようです。顔を合わせなければ話さないとも言っているようで」
手紙では情報のやり取りはしないと。
待ち合わせ場所に黒い森の近くを指定してきていることと言い、随分と慎重だ。何かを警戒しているのか。
木こりが仕事のために建てる仮住まいのことを杣小屋と呼ぶが、世界を侵食する黒い森の近くにある建物群は、小屋と言うより軍事基地だ。
黒い森に面している方向には柵が連なり、頑丈な木材で造られた兵舎や武器庫などが立ち並んでいる。
夕方の中継基地には、今日の伐採を終えて後片付けをするたくさんの木こり達がいた。そのうちのひとりが僕とメサさんを見つけると、荷車を押す手を止めて近づいてくる。
見覚えのあるベテランの彼は苦い顔を浮かべると、
「馬車の中で待っててください」
とぶっきらぼうに言って建物の方へ駆けていく。
「タイミングが悪かったかな?」
拒絶されているわけではない。不意の来客に対して、部屋を片付けるから、と待ってもらうような感じだった。
疑問符が浮かんだまま少し待っていると、屈強な体躯の男性がふたり走って来た。フェルナンドさんと、木こりをまとめる親方だ。
「今は来るな、ヘイト。メサもだ」
木こりの親方が真剣な表情でそう言う。
「どうしたんですか?」
「変な客が来てるんだよ」
「変な。情報提供者のことですか?」
フェルナンドさんが首を横に振ると、豊かな金髪が揺れる。
「いえ。自称貴族の一行です。頭目はジャン・ピエール・ホプキンスと名乗っています」
気まずい空気が流れる。
この前の話に出てきた奴か。確か、魔女狩りをやっている外道。僕は何されたって大丈夫だろうが、メサさんはまさしく魔女だ。近づけたくない。
「情報提供者――"レター"ですが、姿を現しません。ホプキンスを警戒しているものと」
"手紙"と名乗る情報提供者と接触したいが、ホプキンスが邪魔、か。日を改めることになるか。いや、手紙でのやり取りだ次いつ会えるのか分からない。もしかしたら、ずっと先になるかも――
「フェルナンドさん、メサさんをお願いします。親方、連中はどこに?」
「どうするつもりですか?」
メサさんが眉根に皺を寄せる。
「ちょっと顔見てきます」
馬車から降り、重い身体を基地へと向かわせる。
何を焦っているんだ、僕は。
広い作戦会議室の入口にはみすぼらしい男たちで人垣ができている。その隙間から、部屋の緊張感と会話が漏れてきた。
「――もう一度聞くが、魔女を匿っているのではあるまいな」
「……知らねえな」
10人ほどか。明らかに木こりではないこの連中がホプキンス一行なのだろう。木こりに対し、高圧的な態度で話すあいつがホプキンスか。
ダルマのような輪郭の顔と身体、ぎょろりとした目玉で木こりを値踏みしている。ホプキンスは顎に蓄えた黒ひげをこすりながら、
「魔女は皆、欲に忠実で、他者から搾取することを生業にし、自分のことしか考えていない。貴様らに対して、魔物から守ると言って不当な対価を払わせ続けているのではないか?連中の横暴に困らされているのではないのか?早いうちに告発すれば――」
「良い魔法使いだっているかもしれないだろ」
「何?」
一方的な言い分に堪らず別の木こりが抗議の声を上げた。ベテランの木こりが小さく、馬鹿、と呟く。
「良い魔法使いだと?貴様、何か知っているな?」
「なんでそうなるんだよ」
「魔女は主の敵だ!ひとり残らずな。それを良い魔女だと言ったか?親しい魔女がいるのだろう。そうでなければ出てこない言葉だ」
「い、言いがかりだ」
ホプキンスに詰められた木こりがたじろいでしまう。
悪魔は神のアンチテーゼで、魔法使いは悪魔との契約者。魔法使いは神に背いた背信者であり、法を犯す者だと思われて当然。それが当たり前なのだろうが、このティリヤにいると忘れてしまう。
木こり達は嘘を吐いている負い目があるから、正論のようなものを振りかざすホプキンス相手に強く出られない。口ごもってしまえば相手の思うつぼだ。
本当なら領主さんの土地で勝手をするこいつらに負い目を感じる必要はないのだが。
「別の場所で話を聞こう。ゆっくりとな――おい、こいつを連れていけ」
ホプキンスは部下に指示を出し、木こり達は仲間を守ろうと身体を強張らせた。緊張感が高まる。今しかない。
「どうかしましたか?」
人垣が割れて、視界が通った。全員の眼がこちらを向いている。良かった。とりあえず静かにはできた。
「ヘイト」
木こりは安堵の表情を浮かべている。
「誰かな」
「はじめまして。ヘイト、使徒です。あなたは?」
使徒、と厚い唇が動き、目を見開いた。すぐに平静を装い、
「ジャン・ホプキンス。王より子爵と、魔女の摘発をする使命を賜っております」
「なるほど」
嘘だ。
ホプキンスは悪行がバレて地位をはく奪されているはず。嘘を吐き慣れているな。
「使徒様……主の御使いであらせられるヘイト様も当然、魔女の存在は許せぬでしょう。是非ともご協力を」
「そうですね。じゃあ、僕も付いていっていいですか?」
「は」
「そこの彼に魔女のことを聞くんですよね。興味があります。僕も同席させてください」
場所を移したがったのは不当な尋問をしたいからだろう。それなら一緒に付いていけばいい。ホプキンスたちを退かせば情報提供者は来るはずだし、使徒の前で手荒な真似はしないと思う。
もし僕の前で暴力沙汰を起こすなら邪魔をすればいいだけだ。
何か言おうとするホプキンスの袖を、後ろにいる仲間が引いた。耳打ちされた奴は小さく頷き、気味の悪い微笑を浮かべて僕に向き直った。
「使徒様のお時間を取らせるわけにはいきませんな。また日を改めさせていただきましょう」
「そうですか。もう遅いですし、送りましょう」
「いえいえ、結構。では、ごきげんよう」
「はい。ごきげんよう」
ホプキンスは木こり達をひと睨みして、会議室を出て行った。
「助かったよ、ヘイト。こう言う腹芸は苦手でなあ」
「僕もですよ」
腹の底からため息を吐く親方に言われ、肩の力が抜ける。
ほとんど"使徒"と言う権力で一時撤退させただけだ。10人ほどだったか、あいつらも生活を賭けて悪党をやっているのだろうし、また何かやらかしてくる気がする。
「フェルナンドさん、それで、情報提供者とは」
申し訳ございません、と彼は大きな肩幅を竦めてみせる。
「"レター"からはまた手紙が届きました。『3日後、同じ時間、同じ場所で』とだけ」
「そうですか」
ホプキンス一行には尾行を付けさせました、との言葉は右から左へ抜けていく。
会えなかったか。
仕方がない。また3日後にチャンスはある。
そうは思うが。夕焼け色の髪の向こうで目を伏せる横顔が、視界の端に映った。
誰にも聞こえないように舌打ちをした。
どこから湧いてきたのか分からない焦れったさが、指に宿ってテーブルの木目をなぞっている。