156話 11月1日 私は恋のキューピッド
満月に照らされた女が言う。
「さ、良イ夜を届けに行きましょう」
夜闇の中、顔中に付けられた銀色のピアスが冷たい光を照り返していた。彼女の下世話な笑みを受けて、茂みから人影が立ち上がる。
街の郊外にある大きな屋敷。そこに向かう魔女たちの歩みに躊躇いはない。
その後ろ姿を見て、何とも邪悪な恋のキューピッドがいたものだ、と暗澹たる気分になった。
女3人寄れば姦しいと言うが、酒の席に魔女が4人ともなれば非常にけたたましく、騒がしい酒場の中でも一際異彩を放っていた。
そこにひとりの女性がやってきて、魔女たちに仕事を頼みたいのだと言う。その内容が色恋沙汰ともあって、宴席は混迷を極めていた。
「あの人に、ラウルにまた会いたいの!」
そう依頼人の女性は叫ぶ。名前はフアニタさんとかなんとか。
「お店の常連客だったんですか?」
メサさんは夕焼け色のロングヘアを耳にかけながら聞いた。お酒のせいか話題のせいか、いつもより人懐っこい笑みを浮かべている。
「そう。街の雑貨屋よ。1年くらい前からお店に来てくれていて、それで、照れたような笑顔が素敵だった。一目で恋に落ちたの。何度かお店の外でも会ったんだけど――」
「手紙を寄越して、それから姿を見せなくなったのねえ」
頬杖を付くオフィーリアさんが言葉を継いだ。セミロングの銀髪の隙間から、朱いアイラインを引いた目元が細められているのが見える。物思いに浸っているのではなく、笑っているのだろう。
「手紙に『もう会えないかもしれない。今までありがとう』って書いてあったの!お店の人からラウルは良いとこのお坊ちゃんだって聞いて、もう来ないんじゃないのかって!」
そう言って机に突っ伏したフアニタさんのつむじに向かって、
「分かった。明るいところで見たら、あんたの顔が好みじゃなかったんじゃないの?」
小馬鹿にするようにフュールさんが言うと、酷い!とフアニタさんは牙を剥いた。まあ、街の小娘が凄んだところで怯むフュールさんではない。タトゥーに覆われた美形の顔を醜く歪めてくつくつと笑っている。
「ヤったの?」
「ヤったッ!」
黒く艶のあるロングヘアを編みこみにし、アラブ系の浅黒い肌にたくさんのピアスを付けたキャンディスさんが短く聞くと、半狂乱の答えが返ってきた。
キャンディスさんは腹を抱えてギャハギャハと笑う。
帰っていいだろうか。
「遊びだったんですよ」
「他に女ができたんだと思うわあ」
「あんたより良い女がね」
「捨てられたンじゃないの?」
「絶対違うッ!」
フアニタさんは声を上げて泣き出した。
「ラウルは郊外の大きなお屋敷に住んでるの。会いに行ったけど、衛兵さんが通してくれなくて、夜に忍びこもうとしたけど、番犬に追い掛け回されて!」
「よく家の場所が分かったのねえ」
「調べたの!」
「気持ち悪い」
オフィーリアさんとフアニタさんは力の抜ける応酬を繰り広げている。
まあ、なるほど。店の常連客と恋をして、良い関係性が築けてきたと思っていたら突然会えなくなってしまったのか。
メサさんがワインを置く。
「じゃあ、私たちは、あたなと彼を逢わせればいい」
「そう。私は……話ができれば、それで良いの……」
フアニタさんはしんみりした口調でそう言う。
屋敷の警備をかいくぐって彼女をラウルとかいう彼の元へと送り届ける。それがメサさん、オフィーリアさん、フュールさん、キャンディスさんたち"魔女集会"に持ってきた"仕事"というわけか。
キャンディスさんが口を半開きにして聞いた。
「ほンとに話すだけ?」
「もう一度だけハグができれば――」
「あわよくばあ?」
「結ばれたい!」
魔女が4人もいれば僕は要らないだろう。
「じゃあ、僕はこれで」
「お前も来るんだよ、ヘイト」
「なんでだい」
フュールさんを筆頭に、魔女たちが笑っている。
「作戦開始ですわね」
メサさんは木陰から顔を出し、夜闇に佇む屋敷の方に犬笛を吹き始めた。
敷地を石の塀が囲っているから庭を見ることはできないが、傭兵と番犬が一組、夜警を周っている。
ラウルさんの家族はどこかへ商談へ行っていると聞いた。使用人は1階に住んでいて、バルコニーのある2階にはラウルさんしかいないはず。
騒ぎになれば警備が厳重になるどころか不法侵入で逮捕だ。ことが済むまでラウルさん以外には眠っていてもらう。後腐れないよう殺しは無し。
できれば襲撃――じゃなかった、武力的お宅訪問があったことすら、分からないままが良い。
しばらく木陰から見ていると、門から犬が駆け出してきて周囲を見回し始めた。犬笛が気になって出てきたのだろう。狼のような白い犬だ。あの大きな顎で嚙み付かれたらひとたまりもないだろう。
鼻を地面に近づけて臭いを嗅ぎ、何かに気が付いてこちらを向いた。何かとは僕が持っている犬のクソ入り布袋だ。心なしか女性陣との距離を感じる。
頭を低くしたままゆっくりと近づいてくる犬は、不審者たちの体臭を嗅ぎ取ったのか唸りだした。
僕の潜む茂みへ、たっ、と地面を蹴ると、牙が直ぐ目の前――
速いな。
物凄い力で押し倒され、たまらず尻餅を付いてしまった。鋭い牙が首に食い込んでくるが、"呪いの鎧"に覆われたこの身体には何の苦痛もない。
喉は噛ませるままにし、両手で布を広げ犬の顔を覆う。
「C・フュル・フュールよ、契約を履行する」
フュールさんが指でピースを作って犬に押し付けた。毛皮がビクンと震えて力が抜け、横たわる。
犬の腹を触ると確かに鼓動を感じる。稲妻の魔法を使ったスタンガンか。
起き上がったとしても誰かに襲われたと家の者に話すわけでは無し。縛りあげておいて、帰りに開放してやろう。
「おおい、パシオン!……あいつ、どこまで行ったんだ」
犬の帰りが遅いと思ったのか、中年の男性が門の外に出てきた。問題は槍を構えているこっちだ。暴力を振るえば、目を覚ました時に問題になる。
「"秘密"の悪魔よ、契約を履行する」
オフィーリアさんが傭兵に向けて魔法を使い、フアニタさんに目配せをした。
「こんばんは」
フアニタさんが立ち上がって声を掛けると、傭兵はビクッと震えた。あからさまに無防備なフアニタさんを見て槍先が下がる。
「あ、あんたか、嬢ちゃん」
「お願い、ラウルに会わせて」
「何度来たって駄目なものは駄目だ。早く帰りなさい」
「ラウルはどこ?」
「お屋敷の二階の、端の部屋だ。坊ちゃんの自室だよ――あぁ、何でこんなこと。良いから、こんな夜更けに、危ないぞ。パシオンは、どうしたんだ?」
フアニタさんの質問に傭兵は正直に答えながら、数分。目が徐々に虚ろになってきて、槍を杖にして膝を付いた。
「あぁ、何だ。急に」
「きっと毎日の夜警で疲れたのよ。少し休みましょう」
フアニタさんは傭兵に肩を貸して堂々と敷地に入り、庭のベンチに座らせた。秘密の魔法をかけられた者は質問に対して正直に答えてしまう。そして酷く疲れるのだそうだ。
今回はその副次効果を利用した。夜勤に疲労感が堪えたのか、寝息を立てていて起きる気配がない。
これで障害はなくなった。屋敷の扉へ手をかけるが、当然のことながら鍵がかかっていて開かない。
「裏口を探しますか?」
「いや。"蛇竜"の悪魔よ、契約を履行する」
キャンディスさんの手からするりと蛇が現れ、隙間を探して屋内へと這入っていった。少し待つと、扉の内側からガタンと音がする。
「お邪魔しまあす」
キャンディスさんは扉を開いた。床に閂が落ちていて、黒い蛇がまとわりついている。
「いざ、色男の元へ」
静かにドアを開ける。男性が窓から夜空を見上げていた。
線の細い整った顔立ちで、どこか憂いを含んだ目元。街によくいる荒々しい男共とは雰囲気が違う。
「ラウル、眠れないの?」
ラウルさんは目を見開いて、部屋の入り口に立つ6人を見た。
「き、君たちは――フアニタ?なぜここに……?」
「どうしても、あなたともう一度逢いたくて。このひとたちに力を貸してもらったの」
フアニタさんはラウルさんの胸元に飛び込み、彼の顔を見上げた。ふたりを月明りが照らしている。
「どうして会いに来なくなったの?」
「それは……言えないんだ」
「"秘密"の悪魔よ、契約を履行する」
オフィーリアさんが魔法を使う。
「父さんと母さんが、決めた相手と結婚しろと」
「そんな――」
「金を持っているだけの婚約者だ。その娘と結婚すれば、もっと良い生活ができるって、フアニタのことは忘れろと」
「婚約者がいたの?」
ショックを受けて離れようとするフアニタさんを、ラウルさんは強く抱き寄せた。
「フアニタ。一緒にハンス様のコンサートに行ったことを憶えてるかい?」
「ええ、もちろん。憶えてる」
「素晴らしい音楽を聴きながら、君と共に生きる未来を想っていた」
フアニタさんは目を瞑り、ラウルさんの背中へ腕を回す。
居心地が悪い。
「買い物に行ったり、食事をしたり、また、音楽を聴きに行ったり――その未来が来ないと考えたら、無性に悲しくて、魔物の牙で身を引き裂かれるようにつらかったんだ」
「ラウル……」
例えが悪いな。魔物に殺されたひとたちを実際に見てきたから、げんなりする。
しかしフアニタさんはそれで感極まったようだ。そんなにロマンチックだと思わないが、異世界だから感覚が違うのだろうか。
ふたりは夜闇に浮かぶ月を見る。
「空を見ながら、君があの月から降って来ないかな、なんて。
覚悟を決めたところだったんだ。明日、陽が登ったら、君を迎えに行こうと。そこに君が来てくれた、きっと主が与えてくれた運命だ」
魔女御一行ではあるが。怪しい風体の僕たちのことはもう見えていないようだ。
「愛している。フアニタ」
「私も、愛してるわ。ラウル」
ふたりは唇を重ねた。
「あ」
「オフィ、どした」
オフィーリアさんが何かに気付き、フュールさんが聞くと、
「魔法、フアニタにもかかっちゃった」
ラウルさんとフアニタさんはベッドに倒れ込んでお互いの服を脱がし始めた。下着やら靴下が飛び散っている。
仕事は終わりだ。帰りのドアの方へ踵を返す。
「私は見ていくわ」
「私も」
「じゃあ、私も」
フュールさん、オフィーリアさん、キャンディスさんは手近にあった椅子を引き寄せて、軋むベッドの観賞を始める。
「じゃあ、帰りますかヘイト様」
「うん」
激しく縺れ合うふたりと、並んで見ている3人の魔女を尻目にドアを閉めた。
庭のベンチで横になっている傭兵はいびきをかいている。まだまだ起きなさそうだ。メサさんとふたり並んで門へと向かう。
パシオンとか呼ばれていた犬も、縛られたままぐっすりと眠っていた。けっこう図太い奴だな、と思いながらナイフで布を切ってやる。
可愛らしいような憎たらしいような寝顔を見ながら街へと向かって、
「ラウルさん、元気でした」
秘密の魔法にかけられると疲労が出るのではなかったか。彼はあんな元気そうに、とそこまで言って思い至る。今の発言はハラスメントになりそうだ。
「あ、いや、オフィさんに魔法をかけられてもって意味です」
「フフ、分かってますよ。オフィーリアは熟練の魔女ですからね。手加減はお手の物ですよ」
「なるほど。いやあ、演劇を見ているようでした」
「そうですね」
まぶたが伏せて、長い睫毛が瞳を隠した。落ち込んでいるようにも見えたので、
「どうしました?」
と声をかけると、すぐにいつもの表情に戻ってこちらに目を向ける。
「いえ、昔聞いた、そう、おとぎ話を思い出しました――身分違いの恋。運命がふたりを翻弄し、離れ離れになって、悲しみに暮れる」
「ありがちですね」
「ヘイト様は現実的ですね。使徒様だからでしょうか」
確かに僕は神に召喚されてこの異世界で暮らしている使徒だが、元の世界ではただの高校生だ。使徒だからではなく、
「単に現実感がないだけですかねえ。自分にはそんな愛されるようなところが無いと言うか。自分に恋をする人間がいるとは思えないと言うか」
メサさんは立ち止まり、顎に指をあてて考える素振りを見せる。
「卑下なさるような発言はあまり聞きたくないものですよ。特に、あなたを敬愛する者にとっては」
「ぐぅ」
こんな自分でもお世辞抜きで敬ってくれる人々がいるということだろうか。まあ、神の遣いだからか。
信頼や期待を向けてくれているひとに対して、自分は無能だからと断りを入れるのは申し訳なくも感じる。
「フフ、でもそれが、ヘイト様の良いところかも」
そう言ってメサさんは笑った。