155話 吸血鬼の告白
ドラクルには逃げられたと、目を覚ました時に聞いた。
ミックさんとオマールさんが駆け付けた時に見たのは、気を失った僕の傍にいるアイシャさん。そして、死んだ吸血鬼ではなく、森の奥へと向かう這いつくばったような跡と、命を奪われたように枯れた木々だったそうだ。
僕たちは取調室のような、領主館の一室に集まり、ふたりの女性が対峙するのを見守っている。
「"秘密"の悪魔よ、契約を履行する」
「"霊祓"の悪魔よ、契約を履行する」
「"秘密"の悪魔よ、契約を履行する」
「"霊祓"……………………契約を……………………」
「"秘密"の悪魔よ、契約を履行する」
「"霊祓"の悪魔よ――――」
ストリガは抵抗したが、やがて力尽き、悲痛な面持ちで語り始めた。
「ステラ、誕生日おめでとう」
私の11回目の誕生日。
貴重なろうそくを灯して、いつもより少しだけ贅沢な食事を囲んで、辺りが暗くなるまで家族と過ごしていた。
すると突然ドアがノックされた。父は訝しんだ様子で席を立つ。
「どなたですか?」
「遅くにすまない。不躾な頼みなのだが、今晩泊まらせてもらえないだろうか?」
女の声だった。
父はドアを少し開き、覗き込むように外を見る。漠然と、不審だなと不安になった。
私の家は村から離れた森の近くにある、四人で住むには広すぎるくらいの家だ。
父は村の出身だが、ある時この家に住んでいた母と出会って恋に落ち、家族の反対を押し切って結婚した。
夫婦となったふたりはやがて姉妹を授かる。母、姉、そして私。皆、髪は白金で、赤い眼を持ち、雪のような白い肌は強い陽の光に当たると灼けた。
村八分にされていたのだ。
村人たちは私たちのことを不気味がっていた。母の家系が代々この大きな家で暮らしていたのも、この見た目の所為だったのだろう。
そんな場所に、陽が落ちていて、女が4人だけの旅人。不審な点を挙げ出したらきりがない。だからなのか、誕生日を邪魔されると思ったのか、無性に嫌で、
「父さん、帰ってもらおう」
「ステラ、大丈夫だ」
今思えば、父の様子は少しおかしかった。
村人の住む小さな家では4人は泊められない。宿はもう空いていないだろう。森には狼が出るから。そう言って女たちを泊めることにした。あれも魔法だったのだろう。
普段から村人に嫌がらせを受ける私たちが、あんな簡単に他人を受け入れるなんて。
やめておけば良かったのに。
私ももっと、泣き叫んででも嫌がっていたら良かったのに。
寝静まった頃に、物音がして目を覚ました。何だか騒がしくて。
暗い寝室のドアを開けると、
「ねえ男は?」
「白くないなら要らないんじゃない?」
「じゃあ良いか。"蛇竜"の悪魔よ、契約を履行する」
女の腕から黒い蛇が現れて、父を噛んだ。父は酷く苦しみながら床に倒れると、隙間から覗き込む私の方を見て、
「逃げろ!」
と叫んだ。
そこから先はよく憶えていない。
「"狼狂"の悪魔よ、契約を履行する!」
大きな狼になった女が、姉を殴った。
「"鉄柵"の悪魔よ、契約を履行する」
床から杭が生えてきて、母の行方を遮った。
私だけが暗い森に逃げ込めた。わけもわからず、泣きながら、狼の遠吠えに包まれて、慣れた森の中をただ走って―――――――
走って――――
走って――
気付けば朝になっていて、家に戻ると誰もいなくなっていた。
それから家族のことを探した。
あいつらは魔法を使っていたから、私も魔女になれば何か分かるかもしれないと、そう思い、"霊祓"の悪魔と契約した。
魔法使いが集まる夜宴に通い、色々なことを知ったけれど、家族につながるような情報は得られなかった。
何年も必死に彷徨って。
ある日、魔法使いが話しかけてきた。君の家族のことを知っているかもしれないと、あの日と同じ、優し気な、騙してこようとする人間の声色で。
「"鉄柵"の悪魔よ――」
そいつは酒に薬を盛って、案の上というか襲ってきた。私は飲むフリをして捨てていたから、
「"霊祓"の悪魔よ、契約を履行する」
「魔法が、消えた?」
魔法の杭が消えるところを呆然と見ていたから、がら空きの頭を酒瓶で殴った。酒瓶が割れるまで何度も殴り、鋭利なガラスを首に突きつけると、そいつは命乞いをしてきた。醜かった。
「や、やめてくれ!」
「何が狙いなの?」
そこで知った。何故、私の家族が攫われたのか。どうして狙われたのか。
「南の国の人間にアルビノは売れるんだ」
「売れる?奴隷にでも――」
「飲み薬だよ……」
「なにを……」
「白皮症の血で作った……ポ、ポーションを飲むと、病気が治るんだと……だからアルビノは金持ちが高く買うって……」
気付いたら、持っている酒瓶から血が滴っていた。顔に付いた血と涙を拭って思う。私の家族は薬の材料にされて、もういない。
魔法を消す"霊祓"の悪魔を選んだのは、心のどこかで家族はもうこの世にいないと分かっていたから。
鉄柵、蛇竜、狼狂、魅惑。
4人組の魔女を、あの化け物どもを殺すために選んだ力だから。
ようやく夜宴で尻尾を掴んだ。魔物を討伐する作戦に参加するため、ティリヤという街に向かったという話を聞くことができた。
もう少し、もう少しの辛抱だ。大規模侵攻作戦は誰でも参加できるという。連中を追ってティリヤに来て、黒い森へと向かった。
あいつらがたむろしていた。あの顔ぶれ、間違いない。
感情が爆発した。灼熱の泥が胸から頭に達し、目からは涙が伝う。
待て。我慢だ。
確実に4人殺せるタイミングでないといけない。ひとりも逃がしてはいけない。そう思うが、鉄の傘を持つ手に爪が食い込んでいく。
4対1では負ける。殺される。あいつらの誰かはのうのうと生きたまま。それは許せない。
でも、こんな人生はもううんざりだ。
ここで殺る。今。
もう我慢できない。
全力で戦う。
例えそれで死のうとも。
激情が身体を動かし、物陰から飛び出そうとした時、後ろから肩を掴まれた。バレたと思い、咄嗟に振り向く。混乱する頭に、目の前に立った男の、静かな声が響く。
「もっと確実な方法がある。僕に協力しないか?」
それが、吸血鬼だった。
ドラクルは私とブルーを引き合わせた。
霊廟で生き埋めにされていたそうだ。ドラクルに助けられ、ベッドに縛り付けられている。病に蝕まれる彼の姿は、もう、見ていられなかった。
ずっと苦しそうで、慰めの言葉をかけても、私の方をちゃんと見ることができない。弱った身体に魔物の力を注ぎこまれることで、無理矢理に生かされている。
嫌がるブルーに水を飲ませながらドラクルは、
「君を家族から引き離したのは魔女だ」
「君を苦しめたのも」
「魔女に復讐するんだ」
「ステラと共に」
「僕なら君を助けられる」
そう、繰り返し繰り返し偽りの言葉をかける。堪らなくなってドラクルの手を引いた。
「なんでこんなことをするの!」
「君の手伝いをさせる」
「そんな、見ていられない。私ひとりで――!」
ドラクルは私を見た。その眼は今まで会ったどんな人間よりも光がない。この怪物は、とっくの昔に心が壊れてしまっているのだろう。
「ブルーは長く生きられない。生き埋めにされ、孤独と憎悪の中で、苦しみ抜いて死んでしまう。可哀そうだ。せめて魂を雪いであげたい」
4人の魔女は私とドラクルの敵であって、ブルーの敵ではない。標的をすり替えた復讐を完遂させられれば、安らかに眠れるとでも言いたいのか。
「ステラ、君は――」
ドラクルが私の手を取る。恐怖で身体が震えた。
「許せるのか?あの魔女たちを――君の家族を奪った敵を」
開いた手に、使徒から盗んだ拳銃が置かれた。どんな敵でも殺せる武器と、ベッドで暴れるブルーを見比べる。
どうせ死んでしまうのなら、私の手伝いを――より確実な復讐を成し遂げる。拳銃を握ると、ドラクルから力が流れ込んできた。
私は人間をやめることにしたのだ。
ドラクルの指示を受けてふたりの魔女を殺した。びっくりするほど上手くいった。魔法で抵抗されたが、私の前では無力だ。
男を拳銃で殺し、魔女を吊って、
「私を憶えてる?」
腹に穴を空けられた魔女は脂汗を浮かべ、猿ぐつわを噛みしめて首を横に振った。しかし、私の赤い眼に気が付くと、目を見開いた。
「――!ン――!!」
頸にナイフを当てると、目の前で逆さになっている女は涙を流す。
私の頭は冷めていた。なんて醜い化け物なのだろうと。
刃を引いて、血が流れきるまで眺めていた。
貯めた血は穢れているように思えたから、ブルーを追い込んだ罪の象徴のような場所に、あの霊廟に捨てた。
肩の荷がひとつ、ひとつと、降りるのを感じた。
もう夜だ。窓から見える雨上がりの街には薄く霧がかかっている。ステラはオマールさんを見て口を開く。
「ブルーはどうなったの?」
「……戦ってる途中から段々と力が抜けてた。最後には立てなくなって、そのまま……」
「そう――」
ステラは顔を伏せる。
「なあ、あいつはお前の、復讐に何で付き合ったんだ?分からねえ。ドラクルに言われたからか?」
「私にも分からない。ブルーにも分かってなかったのかも。でも……『ステラの家族を奪ったのなら、許せない』って……」
本気で悔いているような声で続ける。
「ブルーに手伝わせるべきじゃなかった。病気になっただけなのに、ドラクルに利用されて――本当に申し訳ないって、安らかに眠ってくれれば」
ミックさんが固い声で言う。
「マルティナは、お前の仇は街の外に出した。もう見つからないだろう。復讐は終わりだ」
「じゃあ、私も終わりね。火あぶりでも磔でも、好きにしなさい――」
おい、止まれ!と外から声が聞こえた。
「このためだけに生きてきたんだから」
「ここは立ち入り禁止だッ!――近づ――」
ドアが破られた。
黒いローブを身を纏った小柄な影が飛び込んでくるのを、反応できずに眺める。フードが捲れると、誰かを探すように頭を左右に振る、少年の顔が見えた。
「ブルー……?」
少年は目的の女性を見つけると、
「行こう、ステラ!」
周りを見ずに叫ぶ。
真っ直ぐな少年の瞳にもう狂気は見えず、ただ白い女性だけが映っている。
「一緒に生きよう!」
ステラは呆気にとられながらもブルーの手を取った。少年は女性をひらりと抱きかかえると、レンガの壁を体当たりで突き破る。
ふたりは3階の壁から屋根の上に飛び出た。
ミックさんがレガロでライフルを発現させて構えるが、オマールさんがレガロを発現させて射線上に立ちはだかる。
「退け」
「嫌だ」
真剣な表情のオマールさんは退かず、ミックさんは引き金を引かない。ブルーはステラを抱きかかえたまま隣の屋根に飛び移ると、屋根伝いに駆けて行って、夜の闇に溶けてそのまま見えなくなった。
僕はミックさんのライフルにそっと手を置き、銃口を下げる。
「良いのか?」
ミックさんの口調は事務的だ。
「良くないですよ」
アントニオさんと約束したのに、結局、吸血鬼を捕まえることはできなかった。
ドラクルも、ストリガも、ブルコラクも、皆、霧の中に消えてしまった。
ただ、もう追う気力はない。
人間も、怪物も、善も、悪も、死者も、生者も分からない霧の中で、殺されて、殺して、撃って、撃たれて。
そうしたすべてに、
疲れてしまったのだろう。
数日のうちに手配書が作られて各地に届けられた。
だが、とある国境の衛兵は手配書に描かれた顔を見て、
よく晴れた日に、この白い肌の女性と黒い肌の少年がふたり寄り添って、検問を通っていった。
と、そう話していたようだ。