154話 全ては在りし日の平穏のために
雨が降ってきた。
前方にはふたり、吸血鬼の眷属が待ち構え、後方からは世界を滅ぼす神伐の四騎士が迫る。従えている狗共はこちらを向いて唸り声を上げている。
対するは僕とミックさん、オマールさん。それに木こりたち。頭数は同じくらいだが、敵地で挟み撃ちにされている状況は良くない。まずは、
「木こりを逃がすぞ。合図したら伏せろ」
ドラクルから目を離さず、ミックさんの方に耳を傾ける。声と共にカチャカチャと金属音が聞こえた。
「何するつもりですか?」
「脱出路を作る」
ガチャッ、とコッキングレバーが引かれた音に不穏さを感じる。
「ブルーに当たったらどうす――」
「伏せてろ!」
ミックさんが叫んだ。
ぞわ、と悪寒を感じて頭を下げる。木こりたちも、まずい、と飛び込むように地面へ突っ伏す。ドラクルが森の方へと身を引き、ブルコラクがストリガの手を引いて横に跳んで――
鼓膜を割られる発砲音が断続的に鳴り始めた。たまらずに耳を抑える。見ると、ミックさんが構えるM60に、帯状になった弾丸が吸い込まれ、薬莢がスプレーのように吐き出されていた。
ブルコラクとストリガが立っていたところへ射撃し、反転してドラクルのいた方へ。
ガチャッ、と金属音がして、発砲が止んだ。
「弾詰まりした……?」
疑問を含んだ独り言を呟いて、音が止まった。残響が森にこだましている。時間にして数秒だったのだろうが、銃弾の暴力に撫でられた狗共がほぼ一掃されていた。
中継基地に続く撤退路には障害がない。
「走って!」
ミックさんを先頭に、木こりたちが起き上がって走り出した。伐採地から一直線に伸びる撤退路へ入る。このまま真っ直ぐ走れば中継基地まで戻れる。
「ウオオオォォォ!」
雄叫びを上げてブルコラクが飛び掛かる。振り下ろした拳を、オマールさんが"黒兎の殴打"の蹴りで受け止めた。
「オマールさん!もう少し後退します!」
「ああ!」
オマールさんが強烈なキックを食らわせた。ブルコラクの小さな身体が転がって、すぐに立ち上がる。ダメージは少なそうだが、距離を空けられた。できればもっと中継基地の近くまで引き付けたい。
小道の両側に広がる森からは、散発的に狗が飛び出してくる。そいつらをミックさんはライフルで仕留めて、木こりたちを守りながら走る。
ミックさんの射撃が唐突に止まった。すぐに拳銃を抜くと、接近してきた狗に銃弾を叩き込む。
「また弾詰まる……これはお前の魔法か?」
闇からストリガが姿を現したのを見て、ミックさんは"8番の武器庫"でスレッジハンマーを出す。
もうすでにふたりに追いつかれている。ということは。
「ここは任せて走り続けて!」
もう少し基地の近くまで行きたかったが、仕方がない。木こりたちを先に行かせて森に残る。
さあ、どこだ。
「ヘイト!後ろだッ!!」
オマールさんの声で振り向いた。森からドラクルが黄金の剣を手に躍りかかってくる。得物で防いだが、金色に輝く刀身は斧の鉄を容易く溶断する。
「クッ――!」
魔剣を抜くが、僕の振るう刀身は空振り、身を翻したドラクルは返す刀で斬りつけてくる。身を引くが、革のハーネスが斬られて地面に落ちた。呪いの鎧には傷はない。
単純な斬り合いじゃ負けないが、勝てない。分かってはいたが力量の差がありすぎる。じわりじわりと森の方へ足を踏み入れる。
追ってくるか?
ドラクルは逃がすまいと距離を詰めてきた。
もう夜だ。
辺りは暗く、雨脚は強い。
剣を受けて体勢を崩された。追撃の左袈裟斬りを魔剣で受ける。防戦一方だ。このままじゃ押し込まれる。
ドラクルが踏み込んでくる。
鎧の尻尾がマントの裏へと入り、仮面を取ってドラクルとすれ違うように投げた。回転する仮面の方へドラクルの注意が向き、片腕を伸ばす。
こちらから目線を逸らした隙、黄金の剣を持つ右手首に渾身の斧を振り下ろす。鈍い音を響かせてドラクルの手首をへし折った。あらぬ方向に曲がった関節から血が滴っている。
ドラクルは構わず後退して仮面を拾い、
「偽物……」
叩き落した金色の剣を拾い、撤退路の方へ思い切り放り投げる。黄金は森の闇に消えていった。
「本物はここです。片手で戦えますか」
顔に付け、一瞬だけ姿を変えて見せる。尻尾が投げたのは木の板を適当に削って作ったものだ。"代行者の仮面"をマントの裏に隠す。
ドラクルの傍に狗が寄ってくる。そいつの顎を掴むと、狗が耳障りな断末魔を上げた。狗の身体から血の気が失せ、ふらふらと倒れて動かなくなる。
ドラクルが力を籠めると、折れた手首が元に戻る
治りやがった。"均衡の鎧"の能力か。
「吸血鬼め」
ドラクルは両手に戦棍を持った。
無数にいる狗から生命力を吸い取って、傷を治すこともできるのか。
黒い森を殺し尽くさないと、ドラクルは殺せない。
これは覚悟しないといけない。
ばしゃ――と、
泥を蹴って踏み込み、斧を振り降ろす。切っ先は精緻な甲冑を掠め、ぬかるんだ土に食い込んだ。
飛び散った黒色の飛沫が、白い外装を汚す。果敢に振るう木こりの斧と魔剣が白い鎧を捉えることはない。
「君たちの推論は不完全だ」
吸血鬼の纏う白い甲冑は、雨と泥を浴びてますます美しく見えるようだった。兜にあしらわれた天秤のような装飾からは、何の感情も読み取れない。
夜に浮かび上がるような白い鎧は、両手に持った戦棍で僕の斧をいなすと、呪いの鎧に前蹴りを打ち込む。
苦し紛れに振った魔剣はただ夜闇をかき混ぜた。
「なにを――」
追撃のメイスが頭に振り下ろされた。雨音が金属音にかき消される。意識が飛ぶのを堪え、斧を振り上げると、片腕に当たった。
白い鎧の手から離れた得物は放物線を描いて、黒い森の、木々の隙間に消えていった。
一切の動揺を見せずに、吸血鬼は、残ったもう一本のメイスをこめかみに振り下ろす。
視界が回り、
ばしゃ――と、
「僕の狙いにはね、君も入っているんだよ」
仰向けに転がった。ぬかるんだ地面は、身体に絡んできて、僕を飲み込もうとしているかのように感じる。恐怖から離れようと必死に後ずさると、背中が太い幹に当たって行き止まる。
「すまない、ヘイト君」
無様な姿を嗤うでもなく、囁くような低音で言うと、吸血鬼は空いた手で銃把を握った。
「なん……で」
「君は"青ざめた馬"に届きうる。それはあってはならない」
青ざめた馬。黒い森の最奥にいる神伐の四騎士のひとり。
「神伐の悪魔はね、僕の息子を蘇えらせるとこう言ったんだ。『また、息子と、妻と、同じ時を過ごしたいのなら、私の望みを叶えろ』と」
「死者の、蘇生」
「僕も、マルセルも、歳を取らない。病にも罹らない。時間は止まったままだ」
マルセル……あの商会で会った少年は、ドラクルの息子だと。マルセルとドラクルは神伐の悪魔に老化と病を奪われている。
神伐の悪魔の願いを叶えれば、妻をも蘇らせてもらえる。そして家族がそろったその時、ドラクルは平穏な日々を取り戻すことができる。
こちらを向く天秤のような装飾からは、何の感情も読み取れないが、酷く悲痛な声で、
「取り戻したいんだ。マルセル、ロザリアと、笑い合ったあの日々を。例え世界を、滅ぼすことになったとしても」
ドラクルは目的のために邪魔な存在は全て消す。死体の山を築き続ける。
白い鎧はこちらへ歩み寄る。
「僕は君を殺さなきゃいけない」
言葉からは感情が消え、冷たい覚悟が宿っていた。
吸血鬼――
「全ては在りし日の平穏のために」
白い馬は、僕に"川の怪物"の銃口を向けて、引き金を引いた。
乾いた発砲音、襲ってくる衝撃で地面に叩きつけられる。
脳が悲鳴を上げ、凄まじい苦しみに苛まれて、急速に寒くなってくる。指先から、武器が零れ落ちた。
呪いの鎧に構うことなく、川底へと僕を引きずり込んでいく怪物が見えた気がした。
このまま死ぬのか――――
吸血鬼は武器を捨て、必殺の弾丸を受けた使徒の近くに膝を付いた。本物の"代行者の仮面"を探し当てると、立ち上がって、倒れたまま動かない呪い鎧をじっと見ると、踵を返した。
不意に、何かが引っかかった。足に雑草か何かが絡まったのか、と暗い足元を見ると、腕の骨のようなものが絡みついている。
「!」
吸血鬼は振り向いた。仰向けに倒れた、死んだはずの使徒が、指鉄砲を向けている。
昏い水の底に引きずり込もうとする怪物の頬を撫でると、苔と泡が剥げて、見知った顔になる。軽いのに、真面目なところもある、最も長く一緒にいた使徒の顔だ。
そんな表情しなくても大丈夫。
―――最適化―――
木陰から白い影が姿を現す。
雨に濡れた白い修道服を身に纏い、拳銃を構えたアイシャさんが。
「バン」
アイシャさんは白い鎧にしっかりと狙いを定めると、引き金を引いた。乾いた発砲音が3回、ドラクルが弾かれたように倒れる。
銃弾を撃ち込まれた吸血鬼が泥の中で悶え苦しんでいる。
「ヘイト様!」
「やりましたね……」
アントニオさんは送還の前に10発の銃弾を残していってくれた。ミックさんに預け、拳銃に込めてもらったそれを、アイシャさんが受け取っていた。
銃弾を少しずつ使い、"川の怪物"の能力で身を隠したアイシャさんは、僕の近くにずっといたのだろう。
雨で濡れ、心配そうに僕を見る瞳。あの時とは立場が逆だ。
ドラクルへの、僕とアイシャさんと、アントニオさんのリベンジだ。
「今、皆様をお呼びして……」
「大丈夫ですよ」
アントニオさんが残していった弾で―――
「この銃弾で死ぬわけにはいきませんから」
3回の破裂音が闇夜に響く。
侵攻作戦の終わりを告げる花火が上がった。