153話 銀の弾丸
雨が降りそうだ。
明け方の青い光が、重くのしかかるような雲の輪郭を映している。黒い森は茫洋と広がっていて、無数の木々は暗いカーテンのように行く先を遮っていた。
眺めながら、革で作られたハーネスの留め具を固定していく。
魔剣を佩き、ナイフを鞘に納め、両腰から木こりの斧を下げる。右足に太い杭を1本縛り付けていると、声がかけられた。
「ほらよ、将軍」
テーブルに拳銃が置かれる。声の方を見ると、装備を整えたミックさんとアイシャさんが立っている。
「その呼び方やめてくださいよ。恥ずかしい」
そう返すと、ミックさんは、ふ、と笑った。
「来ますかね」
「さあな、いつ来るかも分からん」
辺りを見回す。
黒い森を攻略するための中継基地には大勢が集まり、これからの戦いに向けて準備をしていた。月に一度の黒い森侵攻作戦。
なのだが、いつもと違い、きっと吸血鬼が潜んでいる。
「今この瞬間も、狙われているかもな」
「ええ」
奴がいるのは魔物が蔓延る森の中か、すでに近くにいるのか。
いつもよりピリピリと空気が張りつめている。今いるところが安全圏でないような。狙われているような感触だ。
真面目な表情で意気込んでいるアイシャさんが、
「いよいよ吸血鬼狩りですね」
「狩られなければいいんですけど――アイシャさんも、僕から離れないように」
「始めからそのつもりです」
拳銃から弾倉を抜いたり、スライドを引いて銃弾が装填されているか確認してみたりするが、緊張からかぎこちなくなってしまう。
吸血鬼を倒すためのキーアイテムだが、やはり使いこなせそうにもない、か。
「もうすぐ始まるようです」
アイシャさんの言葉に釣られて目線を上げると、完全武装の皆が集合していた。向かおうと立ち上がると、オマールさんが小走りで近づいてくる。
「なあ、ヘイト」
緊張の面持ちだし、汗が伝っているが、瞳には強い力が宿っている。
「なんですか?」
「友達が人殺しでも、まだ友達だって思ってるか」
「思ってますよ」
「――分かった」
オマールさんはぴしゃりと、手のひらで両頬を叩いた。
「よし、行くか」
僕たちが睨んだ先には、黒い森がある。
黒い森の猟犬。
口が縦に割れた、大型犬のような魔物が10匹ほどの群れを成して波濤のように襲い掛かってくる。
盾を構えた木こりたちが作る防衛線、その数歩先に僕は立ち、その波を受け止めた。
飛びついてきた頭を右手の斧で叩き落とし、2匹目に左手の斧で足払いを掛けて、後続の障害物にする。
猛然と絡んでくる狗には、鎧の尻尾に持たせた魔剣を突き刺して殺す。雑に刺しているが、的確に心臓を貫いていた。
襲い掛かってくる狗共に、力の限り暴力を叩きつける。
狗の頸を踏みつけると、足に括りつけたスパイクが深々と突き刺さった。メサさんに出してもらった魔法の"鉄柵"は摩耗もせずに良く刺さる。
「黙ってろ」
身をよじって暴れる狗をグリグリと踏みにじると、動脈を傷つけたのか、赤い血が迸った。
攻撃が終わる。
次の襲撃が来るまでに十数秒はあるだろう。その間に木こりと斧を交換する。
「ヘイト、血塗れの斧は寄越せ。軽く砥いどくからよ」
「お願いします」
木こりたちは汗を拭いながら、
「油断してるわけじゃねえが、こんなに楽なのは久しぶりだ」
「見ねえうちに化け物になったなあ」
「先生がいた頃を思い出す」
先生、か。
あの大きな体格で丁寧な刃を振るう姿が頭を過ぎり、目の前の惨状と見比べて、鼻で笑う。あのガサツな男の戦場はもっと上品だったな。
声をかける。
「吸血鬼はこれまでの敵よりも狡猾です。何を仕掛けてくるか分からない。用心してください」
気合の入った返事を受けて、さらに森の奥へと進んだ。
遠くの木立を影が横切った。
「ッ!――ミックさん!」
声を張り、こちらに向けて駆けてくるものに向かって斧を投げる。回転しながら飛んだ斧は、子供のような化け物の膨らんだ腹に突き刺さった。
ドンッ――
と爆発音が森に響き渡る。
「餓鬼です!要警戒!!」
ミックさんがアサルトライフルを構えて前に出た。高速で接近してくる、"狗の背に乗った餓鬼"に的確な射撃を加える。
同じような爆発音が数回に渡って轟き、ぶわっと爆風が届いて木々を揺らす。
まだ距離があって助かった。ペタを使ってきたか。
ミックさんが一歩下がり、代わりに前へと出て狗を殺す。その間もミックさんの援護射撃によって魔物の数が減らされている。
「どうだ」
「いますね」
ミックさんと短い会話を交わす。
ペタは小さな人型の自爆する魔物だ。森のこんな浅いところには出ないはず、それが狗の背に乗ってくるなんて有り得ない。
吸血鬼はどこにいる――
別方向から狗の迫る足音が聞こえ、ミックさんが制圧射撃を浴びせて勢いを殺す。それでもなお飛び出してきた狗共に斧を叩きつける。
狙いは僕のはずだ。
すべてを知り、自分と同じ"代行者の仮面"を持つ使徒。吸血鬼にとって都合が悪すぎる存在。
マルティナよりも優先順位は高く、僕が侵攻作戦に参加すると啖呵を切った以上、絶対に狙ってくると踏んだ。
ただ、どう攻めてくるかまでは分からない。
街では表立って行動できなかった吸血鬼だが、魔物に襲われず、命令を下すことができる黒い森は、奴にとってホームグラウンドだ。
狙撃。
人質を取ってくる。
はたまた機を窺っているだけか。
すぐに姿を現さないのは、魔物を使って僕たちの戦力を削ごうとしているのか、それともそう思わせたいだけか。
「動きが固いぞ。あまり考えるな」
「……分かりますか?」
「まあな」
斧を振るう戦闘の合間に、ミックさんは僕を見ずに言う。
「やれることはやっただろ。あとは天が味方してくれるさ」
「そうですね」
今回の侵攻作戦に参加してもらえるように頼んで回ったからか、たくさんの使徒や自警団員が一緒に戦ってくれている。
ダリアさん、イザベルさん、杏里さんのところに現れた"抱擁"は直ぐに仕留められたそうだ。
"信仰の剣"と"審理者の剣"を振るうフェルナンドさんの姿を見たが、台風のように魔物を殺していた。
後ろにいるオマールさんはすでにレガロを使いこなしている。"黒兎の殴打"は想像以上に強い。
回し蹴りやかかと落としの一発で狗の背骨が折れている。森の中で機動力が制限されているように見えるが、木こりたちと協力して問題なく魔物を退けていた。
可能な限り準備はしたつもりだ。そのおかげか、損耗は驚くほど少ない。
中継基地の方から2回、破裂音が鳴った。
「日が傾いてきたな」
「はい」
僕たちのいる戦闘部隊の撤退は始まる合図。2回の花火が鳴ってからしばらく経つ。
襲撃してくる狗を倒しつつ、木々の間から基地のある方へ後退し、伐採部隊の仕事場へと辿り着いた。
広い。
伐採もつつがなく進んだようだ。空を覆っていた枝葉はなくなり、濃い灰色の雲が見える。切り株だらけの空き地には、そこここに狗の死体が転がっている。
「来たな」
ミックさんがライフルを構えた。
僕たちの脱出路の先に、数匹の狗がうろうろと歩き回っていて、怯えることもなく女と少年が立っている。
ブルコラクとストリガ。
僕たちの進む先でこいつらが待っている。侵攻作戦で消耗した僕たちを、伐採部隊と分離して、撤退を邪魔しつつ狗のエサにする。
そんなところか。
「挟撃ですか」
「だろうな」
後ろを向く。
木々の闇から、数匹の狗を従えるように、白い甲冑を身に纏った男が歩いてくる。
「ヘイト、ブルーは任せてくれ」
「ストリガには借りを返さなきゃな」
ぽつりぽつりと、
「オマールさん、ミックさん、お願いします。ドラクルは僕が」
魔剣の切っ先を吸血鬼へと向ける。
雨が降ってきた。