152話 ドラクルの現世
「失礼いたします。マテオ店長、お客様です」
「どなたかな?」
「それが……使徒様だと申しております。黒い甲冑を着た」
「分かった。応接室にお通ししておいてくれ。すぐに向かう」
「承知いたしました」
秘書の女性が扉を閉めると、「これでいいでしょうか」と怯えたような眼を向けてくる。
頷く。
「ご案内いたします」
街の中心部にほど近い、大きな石造りの建物の中を歩く。突然の訪問にも関わらず、マテオは僕を追い返そうとはしなかった。
こちらで少々お待ちください、と言われて通された部屋に座っている。応接室だと言うだけあって安っぽい調度品は置いておらず、窓から入る夕焼け色の光が埃を照らし出すこともない。
勢いよく扉が開いて男の子が顔を出した。10歳にもなっていないだろう。茶髪にくるっとパーマがかかっているのが可愛らしい。
威勢よく部屋に入ろうとしたが、赤いマントと黒い鎧を着た不審者が座っていて、出鼻を挫かれた。そんな表情をしている。
「こんにちは」
と声を掛けると、小さく、こんにちは、と返事がくる。
「使徒なの?」
「そうだよ」
さっきの秘書にでも聞いたのだろう。
男の子は遠慮がちに近付いてくると、黒い鎧姿をまじまじと見た。
「かっこいいね」
「そうかな?」
見た目こそ精緻で良くできているが、良い物だと思っていないから何とも言えない。
「お名前は?」
「マルセル。使徒のおにいさんは?」
「ヘイトです。マルセル君はどうしてここに?」
「パパがお仕事で、迎えにくるまでマテオのとこにいる」
幼稚園のようなものか。
「マテオさんってどんなひと?」
「優しい」
「そうなんだ……」
少し話しているとドアがノックされ、男が入ってきた。中年、身長は高めで中肉中背、髪は黒く、小麦色をした顔立ちも普通。
「マルセルもいたのか」と男の子を見つけると優し気に呟く。マテオだろう。
「ヘイトと申します。急に申し訳ありません。お忙しいでしょう?」
「いや、いいさ。大事な用なのだろう――マテオだ」
マテオは笑みを浮かべながら向かいの席に座った。
「大きなお店ですね。武具屋でしたか」
「卸売りだがね。ここまで大きくできたのは僕ひとりの力じゃない。それで――」
マテオは柔和な笑みを浮かべ、
「要件は何かな?」
「今、街を騒がせている"吸血鬼"について、少々お話を、と」
「吸血鬼については噂程度しか知らないな。協力できるかどうかわからないが」
意思を質すような眼が僕を見ている。
「きっと、協力したくなりますよ」
言いながら男の子の方に視線を遣ると。マテオは察して、
「マルセル。部屋から出ていなさい」
うん、と頷くと、マルセル君は大人しく部屋から出ていった。
「それでは、街で何が起きているのか。我々の考えを知りたくないですか?」
「聞こうか」
「まずは動機です。平たく言うと、口封じ」
「ふむ」
メサさんが語った推理を諳んじる。
『被害者である4人の魔女は、先月の大規模侵攻作戦で、盗人を相手にしての恐喝行為をしていました』
マルティナを含め4人は、黒い森で遺留品を漁る盗人を脅して、利益を掠め取っていた。
盗みのことは黙っていてやる。だから、分け前を寄越せと。
自然と魔女たちは、不審な動きをする者を探していた。
だからだろうか。魔女たちはとある男を見つける。
男が仮面を着けるような動きをすると、商人風の見た目に、姿が変わった。
魔法使いだろうか。もし、後ろめたい過去を持つ者なら、同じように脅せば金ヅルが増える、そう思った魔女が話しかけた。
『ねえ、さっきのあれ、どんな魔法なの?』
「事実かな?」
「あくまでも証言によるものです。ここからは推測になります」
その男こそが吸血鬼だった。
「吸血鬼が最も恐れていること。それは、自分が工作員だとバレることです」
吸血鬼は街に潜入して破壊工作をするため、表向きには無害な住民のフリをしながら、裏では黒い森に与して、街が不利益を被るように立ち回っている。
ふたつの顔を持っていることがバレてはならない。
そのことを知った人間は、消さなくてはならない。
「だから口封じ、か。それが動機だと」
「はい。吸血鬼はすぐに行動を起こし、黒い森で4人のうちひとりを殺害しました。ですが、他の3人を逃してしまう」
行方の知れなくなった複数の目撃者を消す。それもできるだけ素早く、隠密に。厄介なことになった、と吸血鬼はそう思ったのだろう。
「逃がしてしまった3人を早急に消したい。しかし、正体がバレるリスクは低くしたい。派手に動くわけにはいかない」
マルティナ、アナ、エデルガルトの3人は狙われる心当たりが多かった。自分たちがどんな怪物の尾を踏んでしまったか分からず、自首することもできない。
はぐれてしまった仲間と合流するため、領地に留まっていたが、隠れることしかできない。
吸血鬼にとっては、秘密が知れ渡ることはなかったが、見つけ出すには面倒な状況だった。
「だから、自分の代わりに手を汚す殺し屋を雇うことにした。でも、普通に雇ったら目撃者が増えるだけ。だから、特別な……そう……眷属をつくることにした」
マテオは真面目な表情のまま、黙って聞いている。
「暗い過去のある白子病のストリガと、狂犬病に侵されたブルコラクです。街で起きた、二組のカップルの殺人事件の実行犯は、このふたりだ」
マルティナを狙って酒場を襲撃してきたふたりの吸血鬼。こいつらは目撃者を殺す役目を与えられ、それを実行に移した。
酒場で暴れた眷属たちは、使徒を圧倒する膂力を持っていた。あれが吸血鬼の持つ"均衡の鎧"で与えられた力だったとしたら、殺人現場で見つけた不可解な点の説明がつく。
大人ひとりくらいなら容易に縄で吊るせるだろうし、たくさん見つかった小さな足跡は、犯人がひとりではなく、女性と少年のふたり組だったから。
「吸血鬼がふたりの眷属に殺害指示を出し、4人が死んだ。それが今回の事件です」
犯人はひとり、白い鎧を着た吸血鬼。そんな明確なイメージを持っていた僕に、気付けるはずがなかったのだ。
忌々しい。
「4人目を無事に消した後、吸血鬼は眷属も殺すつもりだったかもしれません」
さあ、後悔している場合ではない。鬼が出るか蛇が出るか、腹を決めろ。
そう自分に言い聞かせる。
「なるほど、犯人は3人組というわけだね。黒幕と手下と言うべきか」
興味深く聞いているマテオを見る。
「吸血鬼は自分で手を汚さなくても、都合の悪い人間が死んでいった――」
目の前の男に向かって顎をしゃくる。
「その椅子に座っているだけで」
空気が凍った。
何を言われているか理解したマテオが鼻で笑う。
「僕が吸血鬼だと言いたいのかい?馬鹿馬鹿しい」
諭すような口調で言う。
「確かに前回の大規模侵攻作戦には商人として参加していた――いや、手下がやったとなれば、僕の不在証明などどうでもいいのだろう。
だが、"裏で手を引いている吸血鬼"は僕じゃなくてもいいはずだ」
笑みを絶やさない。
「僕である証拠は?」
「ありますよ」
「何?」
百科事典くらいの大きさの木箱を出して、丁寧に机へ置いた。蓋を開けると、一枚の仮面が入っていて、裏面には、"これで公平"と書かれている。
これで公平だね、と小さく呟いて、仮面を――
"代行者の仮面"を着けながら、立ち上がる。
マテオの眼が見開かれた。
驚くだろう。
目の前に、自分と同じ姿の男が立っているのだから。
「マテオ様、お時間が――」
「入るな。リザ」
「す、すみません」
マテオに強い口調で言われ、秘書は開きかけた扉を閉めた。
「どうやって僕を見つけた」
目の前の男からは笑みが霧散し、目線は僕を射抜くようなものに変わっている。
「この仮面を付けて大広場を歩き回った。何人かに、『マテオ』って呼びかけられたよ。話しかけてきたのが商人ばかりだったから、その名前で商いをしている店を探したら、すぐ見つかった――」
ぐい、と顔を近づけ、机を指指す。マテオの瞳に、睨みつける僕の顔が映っている。
「ここだ」
マテオが小さく舌打ちをした。
「こんな堂々と商売してるとはね」
今年の始めにも、同じことが起こった。
街の大広場で、祭りで使うための魔物を輸送していた馬車が襲われ、パニックになった馬が暴走して市場に突っ込み――破損した檻から魔物が放たれた。
「1月、馬車の御者をやっていたひとが首を斬り落とされた。あれもお前がやったんだろ。
"マテオ"としてこの街で地盤を作っていたら、"原形"が引っ越してきてしまったから――」
こいつが何の罪もないエルナンさんを殺さなければ、タマラさんやビビアナさんが泣くことも、アイシャさんが怪我をすることも、僕が呪いの鎧を着ることもなかった。
「白昼堂々"エルナンさん"を殺害して、首を持ち去った。お前が"虚像"だってバレないように!」
こいつが4人の魔女を殺そうとしなければ、アントニオさんが追い詰められることもなかった。
「次の侵攻作戦だ――」
こいつとの因縁は、僕がこの世界に召喚されたあの日に始まっていた。
「黒い森に、この仮面を壊しに来い――」
怒りを叩きつける。
「決着をつけよう!白い馬!!」