151話 魔女メサの誘惑
ルシアさんとの別れ際に、ふと思い出した。
「"南の国の白きポーション"って知ってますか?」
「誰からそれを?」
ブルコラクの話で曇っていたルシアさんの表情がさらに険しくなった。
知り合いの魔女から、と答える。
情報源を聞かれると思っていなかった。眉間に皺を寄せて言い淀んでいるところを見ると、答えづらいことを聞いてしまったのだと気付き、後ろめたさが湧く。
「私も噂くらいしか知らないが……水薬……薬学というよりも、呪術だろうと……」
ポーションとはテレビゲームとかに出てくる、所謂、ただの飲み薬のことだろう。なのに、それほど口が重くなることなのか。どうにもきな臭い。
ルシアさんは、ぽつりぽつりと知っていることを話してくれた。その内容は言葉を選んでいてもなお、胃の中身がひっくり返って出てきそうな内容で――――
頭が重い。
ここ数日でいろいろと分かったが。それぞれの情報はまとまりがなく、何もわかっていないような気もしてくる。
黒い森で死んだ魔女。
生き埋めにされた少年と、墓から出した何者か。
残った棺に満ちた血液。
打ちひしがれた村の長。
南の国の白きポーション。
これらの要素をパズルのように組み合わせれば真実が見えるのだろうか。皆には、今日は遅いからいったん村に戻って考えをまとめる、そう伝えて別れた。その実、行き詰まり感から逃げ出したかっただけだ。
「ダメだな……アントニオさんと約束したのに……明日から、また頑張らないと……」
誰もいないと高を括って、独り言を言いながら自室の扉を開ける。すると、
「おかえりなさい。ヘイト様」
「うわっ⁉」
部屋のベッドに女性が腰掛けている。黒っぽいワンピースに、夕焼け色の髪、わずかにそばかすの浮いたその顔は、
「メサさん」
ここしばらく見なかった魔女の姿があった。
ベッドがふたつと最低限の家具、それくらいしかないシンプルな部屋だ。ここに僕とメサさんはふたりで住んでいる。
だからと言って特別な関係ではない。脱げない呪いの鎧を着ているからなぜか成立してしまっただけで、改めて考えると奇妙な状況だと思う。
「い、今までどこに?」
「フェルナンド様のご自宅におりました」
「あ、ああ」
彼女はどこかに身を隠しているのだろうと考えていた。
隠れ場所は、かつて英雄と呼ばれ、今でも腕の立つフェルナンドさんの自宅だったのか。僕が護衛として彼を呼ぼうとしたように、メサさんもフェルナンドさんを最高のボディガードとして頼ったのだ。
「姿を見せず申し訳ございません。私も狙われる可能性があると思いましたので――オフィーリアから事情を聴きました」
オフィさんが言っていた通りだ。自分のベッドに腰掛ける。
「事件は解決しそうですか?」
「いえ……それが……次どうすればいいか悩んでいたところです」
そうですか、と言うメサさんは前に会った時と変わらない。思えば数か月ぶりの再会なのだが、昨日ぶりくらいの物腰だ。
「では、情報交換いたしませんか?私なりに調べていたこともありますし」
「え、ええ。願ってもないです」
答えてメサさんの眼を見ると、彼女は無表情でじっとこちらを見返していた。整った形の口が開かれる。
「では、その前に――何か、隠し事はございませんか?」
図星を突かれて心臓が跳ねる。
「……何故?」
何とかそれだけ言葉が出てきた。
「オフィーリアが言っていました。『あの使徒は何かを隠している』と」
つい黙りこんで俯いてしまう。肯定したも同然だ。
僕の秘密。
友人が解いた呪いと、解けなかった呪い。それにまつわる世界の秘密。彼の名誉と、彼が守りたかったものに懸けて、絶対に口外できない。
それなのに、吸血鬼の事件があって"代行者の仮面"の存在をビビアナさんに見せてしまった。ただでさえ崩れかけているのだ。これ以上は喋るわけにはいかない。
「失礼いたしました。あの女は他人の秘密に敏感なのです。大きな秘密ほど勘づいてくる。誰しも隠し事くらいあるのに困ったものです」
困った身内の代わりに謝るかのように、メサさんは言った。
僕が何も言えないでいると、続けて、
「私も隠していることがあります……秘密にするのはそれなりに理由があるものです。ですが、もし解決につながることがあるなら、話してください。
すべてとは言いませんし、詮索もしません。話せるところだけで構いませんから」
魔女は優しい声で誘惑する。
思い浮かんだのはイニゴ村長だ。ルシアさんが責めた時、僕は横で静かに聞いていて、気落ちはしていたが。村長を糾弾する気にはなれなかった。
それは、多分、僕も一緒だからか。
僕は吸血鬼について心当たりがあったのに、彼に繋がってしまうことを恐れて黙っていた。
ドラクルの存在は僕の持つ秘密の片翼だ。奴の情報を隠そうとしながら、奴を探して暴き出そうとしている。
そんなのおかしい。矛盾している。
始めから、全部打ち明けて、相談するべきだったのだろう。
僕が持っている情報を開示していれば、もっと早く解決できていたかもしれない。もしかしたら、アントニオさんがこの世界にいるうちに。
でも、まだ、迷う。
ベッドから立ち上がり、広くはない部屋の中を歩き回り、頭を抱える僕を、メサさんは黙って見ている。
――色々としがらみがある奴は、変なことするもんなんだよ――
本当に、アントニオさんの言った通りだ。
「クソッ」
ベッドの下に手を突っ込み、木のフレームに挟み込んでいる紙の束を引っ張り出す。
「これは絶対に秘密です」
教授が還る前に、僕にだけ残した資料。そこには、"代行者の仮面"と"均衡の鎧"の能力が記載されている。
「ヘイト様、これは……」
「魔物に与する、四騎士、と呼ばれる者たちがいます」
紙束を差し出されたメサさんの表情に、驚きと戸惑いが混じった。
「魔物に協力……黒い森を広げようとする……人間……」
「そのうちのひとりが、"白い馬"。"均衡の鎧"というレガロを持つ者です」
メサさんは資料を受け取って目を通し始める。じっくりと文字を追っているから、時間がかかるだろう。ベッドに座って体重を預けた。
"均衡の鎧"。
見た目は白色の、精緻な造形をした甲冑。顔を隠す面には天秤の装飾が施されている。
能力は、生物をその手で触れることで、"生命力"を奪える、そう教授の資料には記載されていた。生命力がどんな力だか分からないが、生物の持つエネルギーの総称的なものだろう。
平たく考えると、ドラクルは触れた生物からエネルギーを奪い、自分や他者を強化できる。
力、の奪略と譲渡。
メサさんが難しい顔で資料を膝の上に置いた。読み終えたようだ。頭の良い彼女のこと、"代行者の仮面"と"均衡の鎧"が持つ能力、それ以上の情報が読み取れたに違いない。
これが最善だったと思いつつ、やってしまった、という後悔が消えない。
「……情報源を聞いても?」
「その資料を残してくれたのは教授です」
「信用のできる内容と言うわけですね」
メサさんは顎に手を当てて考え込んだ。時折、僕に質問を飛ばして、それに答えるという時間が続く。その中でメサさんが調べたことも聞いたが、街に流れる噂が中心だった。
マリオ検視官の報告から、イニゴ村長がした懺悔までを話し、ひと通り情報交換が終わると、
「あとは、どうやって吸血鬼を捕まえるか、ですわね」
とメサさんが呟く。
「事件の全貌は分かったみたいな言い方ですね」
「ええ、大筋は。多分に私の推論を含みますが――」
メサさんが順序立てて、何が起こったのかを話していった。
バラバラのピースがひとつの物語になっていく。
霧の中に敵の姿が明確に見えた。
「なるほど……なるほど」
破綻はない、ように思う。しかし。
「でも、吸血鬼がどこに隠れてるかは分からないですよね?」
「ある程度は絞り込めるかと」
鎧の中でぽかんと口を開けて、考え事をする魔女を見る。
いつまでも霧の中にいられると気持ち悪いですわね、と誰に言うでもなく呟くと、
「こちらがマルティナの身柄を握っている以上、吸血鬼は私たちを狙い続けるでしょう。連中が次の手を打ってくる前に――」
メサさんはこちらをまっすぐ見た。
「引き摺り出しましょう。吸血鬼を、日の当たるところに」