145話 ブルコラクの跫
暗い登り階段に響いていた跫が耳に残っている。仮面を使ったことを後悔しながら、動揺するビビアナさんを慰めるために言い訳をした。
「……エルナンさんは吸血鬼になったんじゃありません。吸血鬼がエルナンさんに化けているんです」
「私が見たのは、吸血鬼だったの?」
出まかせを言ってしまったことに罪悪感を覚えながら、
「はい。しばらく街にはこない方がいいです」
そう言って彼女を村まで送り届けた。
誰にも見せるつもりのなかった代行者の仮面。ともすればヒルの秘密が暴かれてしまう、そう思い、誤魔化そうと言い放った自分の言葉を、ずっと考えている。
強い雨音が聞こえる。
僕たちが根城にしている村に戻って、一晩明けた。アントニオさんの送還まで今日を含めてあと3日。1秒たりとも無駄にできないのに、昨日のことが頭から離れない。
部屋から出て酒場へ向かうと、店内には知らない顔ぶれが多かった。
ひとりかふたりで静かに呑んでいる客が多い。本人たちにしてみれば目立たないようにしているつもりなのだろうが、この店にくる村人たちは陽気だから、むしろ対照的で分かりやすい。
悪天候で農作業を諦めた村人たちと同じくらいには人数がいる。いつもならこんなによそ者はいない。つまり、保護の話を聞いて集まってきた魔法使いたちだ。
策は予想より早く成果を出しているみたいだ。
「おはようございます」
挨拶を投げかけながらいつもの席に着く。早起きしたつもりだったが皆揃っていた。アントニオさん、ミックさん、アイシャさん。そして、見知らぬ黒人男性がふたり座っている。彼らも魔法使いだろうか。
「おはよう。なかなか集まってるだろ」
アントニオさんが近くにいるよそ者に目線を向けてそう言う。
「魔法使いですよね。何人くらいきてるんですか?」
「20名弱、かな。申し出てくる奴もいるけど、ほとんど無言だよ」
「ああ、様子見みたいな感じですか。まあ、こっちをそう簡単に信用しないですよね」
「だろうな」
アイシャさんなら、ひとまとめのところで一網打尽に天罰、くらいのことは考えていそうだ。
わざわざ「魔法使いです!」だと宣言して入ってくるのは少数派なのだろう。罠を勘ぐって使徒に何も言わずいるから、正確な人数が把握できない。
「昨日は大丈夫だったか?」
「……あっ、はい」
さすがアントニオさんは敏い。僕の仏頂面がいつにも増して凄まじいことになっていることに気付いて、ビビアナさんの一件を案じてくれている。
「そうですね……多分……空振りでした。旦那さん……エルナンさんは火葬されていたそうです。吸血鬼にはなっていないと伝えておきました」
「そうか――ありがとう」
心配してくれているアントニオさんに嘘を吐いたことに、ズキリと心臓が痛む。しかし、半端に話せば代行者の仮面を持っている理由から、ヒルの秘密まで喋らなくちゃいけなくなる。重要なことに限定して話すような器用さはない。
この秘密は元の世界どころか墓まで持っていかなければ。
「えぇと、こちらは?」
話題を変えるために初対面のふたりの方を見ると、アイシャさんが答えた。
「紹介いたしますね。オマール様と、そのご友人のブルースです」
「ああ、それじゃあ、新しく召喚された使徒の。初めまして、佐々木竝人です」
身長の大きい方。
20代くらいか。黒豹を思わせる手足の長い体躯と、黒く長いドレッドヘア。年上のようだが不思議と恐く感じないのは、気弱そうな困り眉だからか。
オマールさんは高めの声で、
「オマール・シャレ。ヘイト、歳は?」
「あ、17です」
「俺の妹と変わらねえ歳だ。元の世界に帰って家族と会いてえだろ?」
「あー。そうでもないかも……」
「マジか!?なあ、マジに1年間もここにいなきゃなんねえのか?」
「マジだ」
「母ちゃんのところへ帰してくれ!」
ミックさんが言い捨てて、オマールさんは頭を抱えた。
「異世界召喚ってなんだよ。拉致じゃねえか。妹たちが待ってるのによお」
帰りたい、か。今まで会ってきた使徒たちは諦めて受け入れていたから、新鮮な反応に見える。だが、当然なのだろう。家族に会いたいというのは。
「オマール様、『主のなされることは全てその時にかなって美しい。主は人々に永遠を想う心を授けられた。それでもなお、人は主の御業を初めから終わりまで見極めることはできない』ですよ。
主のお考えは判らないものですが、何か理由があってオマール様を召喚されたのです」
アイシャさんの説教をオマールさんはしかめっ面で聞いている。彼女はまったく変わらない調子で隣に座る少年を紹介する。
「それで、そちらはオマール様のお友達のブルースです」
「ブルースだ」
13、4歳の少年だ。坊主にしていて。顔にひどい傷のようなものがあり、それを隠すようにフードを被っている。彼はそれ以上話すつもりがないのか黙ってしまった。食事にも手を付けず、緊張しているように見える。
オマールさんが、
「街で道に迷って、たまたま見つけたブルースに声かけたんだけどよお。そしたらこいつも迷子になっててさ、それで友達になったんだ。広すぎるんだよな。街が。道もわかりづらいしよ。アイシャがきてくれなかったら野垂れ死にだ。そう言えば、なあ、使徒って死んだら元の世界で生き返ったりするのか?」
「死ぬ」
「マジかよっ!?」
オマールさんはそこから初対面の相手に向かってどんどん言葉を繰り出し始めた。よくこんなに喋れるものだと感心してしまう。
「妹が4人いるだろ?父ちゃんはいねえし、俺が面倒見てるから、年下が困ってるとどうにも放っておけないんだよな。この世界にくる前もよ――」
「ああ、オマール。悪いが、吸血鬼の話なんだが」
話し続けるオマールさんに遠慮するようにアントニオさんが言った。本題はそっちなのだが。アントニオさんはブルース君に視線をちらりと向ける。小柄な身体が強張った。
「ブルース、あっちで食おう」
「ああ――――オマール、使徒だったのか」
「あれ?言ってなかったか?」
料理と飲み物を持ってオマールさんとブルース君のふたりが席を立った。重い話だ。聞くに堪えない内容かもしれない。
ふたりが他の席に着いたを確認してからミックさんが切り出す。
「まず、認識のすり合わせをしよう」
事件の始まりは二十日前ほどだ。街の裏路地で男女の他殺体が見つかった。ここで特異な点が三つ。
凶器はこの世界にはない拳銃が使われていた。
被害者女性は逆さに吊るされて血を抜かれていた。
そして、超人的な力を持たなければ作れないような現場だった。
その後、拳銃の出所が分かる。使徒が神から与えられた"才能"が盗まれていた。
2件目の事件。数日前、街から離れた村近くの森で男女の遺体が見つかる。
殺害された女性の状況と、使用された凶器が1件目と同じであったことから、同一犯による連続殺人だと判断した。
そして、被害者の遺留品から女性は魔女であり、先月、ふたりを含めた4人組で行動していたという目撃情報を得た。
ひとまず犯人の狙いはその4人の魔女であると仮定し、捜査を進めている。
肝心の犯人について分かっていることは少ない……というよりかは、噂話や言い伝えなどの未確認情報が膨大にあり、真贋の判別ができていない。
2件目の現場で見つかった足跡は小さかった。女性や子供くらいのサイズだ。拳銃については、発砲された数から3発の弾丸が残っていると思われる。
最後に、血液を抜く殺害方法から、"吸血鬼"と呼ばれていることだ。
「誤りはないか?」
「大丈夫だ」
ミックさんの確認にアントニオさん答える。こうして纏めるとまだまだ分かっていないことが多い。何も見えないまま追いかけっこをしている気分だ。
吸血鬼。ドラクル。仮面をつけた姿。木箱の入ったバッグを眺める。
「なんで」
「?」
「吸血鬼はこんなことをしたのか。始めたんでしょうか」
「犯人の動機って意味か?」
思考の霧の中でもがき苦しんで出た言葉は、そう捉えられたようだ。誤解はないように思う。
ひとがひとを殺す理由。アントニオさんは眉間に皺を寄せてテーブルの木目を見つめると、
「被害者に繋がりのある連続殺人犯の動機……恨み、抗争……いや、分からないな」
「トーニォ、元の世界で一般的なものは何だったんだ?」
ミックさんに聞かれて、殺人で一般的って言うのもなんだが、と前置きすると、
「一番多かったのが憤懣や激情、痴情だったな。『カッとなってやった』ってやつだな。それも親族間がほとんどだった」
「簡単に想像がつくな」
例えば家族間でずっと鬱憤が溜まっていて、我慢していたそれが何かのきっかけで暴発してしまう。今回の件には当てはまらない。
「利欲目的。強盗や物取りのついで。殺す相手に対しての感情は重要じゃない。性的動機。性犯罪の結果、相手を死に至らしめたケースとかかな」
遺体の状態から、どちらも当てはまらないように思う。血を抜くのに性的興奮があるとかなら話は別だが。
「組織間の抗争」
反社会的組織が勢力争いを起こした結果、死人が出る。
4人の魔女は徒党を組んでいたのだ。敵対する魔法使いグループがあって、つぶし合いをしている可能性はある。だとしたら吊るすのは示威行為か。
「あとは、検挙逃れ、口封じ。犯罪の証拠を握っているヤツを、秘密が漏れる前に殺害する」
「口封じ、ですか」
「ああ。何か思い当たるのか?」
「……」
――自分とそっくりな人間を見た――
何か考えがモヤモヤと湧いてくるのだが、まとまらない。
机の下に置いたバッグの中には、代行者の仮面が、僕の秘密が入っている。彼の名誉のために、誰にも知られてはならない。
これを隠しておきたいから、もしバレてしまったら見たひとを殺してしまう。その殺す瞬間も誰かに見られてしまったら、見たひとをまた殺す。
――吸血鬼がエルナンさんに化けているんです――
秘密を守るためにつくられる死体の山。
何故4人の魔女は狙われているのか。
「例えば、4人の魔女は何か重要なことに迫ってしまって、秘密を守ろうとする者に殺されている」
「吊るしたり血を抜いたりは欺瞞とかになるか……まあ、有り得なくはないな」
皆、黙ってしまった。
もう一回聞き込み行ってくるよ、と言ってアントニオさんは立ち上がり、近くの客席に歩いて行った。しかし、魔法使いたちは知らぬ存ぜぬと口が固く、時間ばかりが過ぎていく。
魔女のことを聞いて回っていた人物がいたか、という質問にも手応えのある情報は得られず、焦りが募っていった。
夜になった。雨は変わらず降り続いている。
辺りが暗くなると安全な場所で過ごそうとするのか、次々と一見の客が集まってきていた。警備を頼んだらしい自警団員もちらほらといる。
空いている席はほとんどなく、女将さんがうんざりとした表情でため息を吐いていた。
そんな時、
「こんばんはあ。魔女です。保護してもらいにきたのだけど」
飴玉を転がすような女性の声が入り口から聞こえた。聞き覚えのある声だ、と目線を向けると、セミロングの銀髪と、朱いアイラインを引いた女性が、雨に濡れた外套を脱いでいる。
「オフィさん?」
オフィーリアさん。先日のお祭りで会った女性だ。何故ここに。彼女は僕を見つけると手を振ってくる。
「あら、ヘイト。使徒が守ってくれるって、ここでしょ」
「魔女だったんですか」
「言ってなかったかしら。あ、メサに伝えて?『フュールとキャンディスはフケた』」
「メサさんのお知り合いで……あ、僕もメサさんには会えてなくて」
「そうなのお」
「ヘイト、そちらの方は?」
口調こそ丁寧だが、警戒しているアントニオさんが聞いてくる。
「えっと、メサさんの友達です。多分」
「そんなとこね」
「魔女なのか。お疲れのところ申し訳ないんだが、少し話、できないか?」
ふとアントニオさんの後ろに目を遣ると、集まった魔法使いたちの反応はふたつに分けられていた。
なんだこいつ、と訝しんでこちらを見ているか。
はたまた、
絶対に目が合わないように下を向いているか。
息も殺しているようだ。
「お話ね――ヘイト」
「あ、なんですか」
オフィさんの方を見ると、目が合った。
「やっぱり、あなたには恩を売っておいた方が良さそうね」
「?」
オフィさんは酒場を見回し始める。そして狙いすましたかのように、食器を動かさずに座っている女性へと後ろから近づいていった。
「ねえ、商いは順調?」
オフィさんが女性の顔を覗き込む。カールのかかった長い黒髪がビクッ、と震えた。だが、絶対にオフィさんの方を見ようとしない。
「あらあ、悲しいわ。無視だなんて」
女性は悪態を吐くでも、受け答えをするでもなく無視を続けている。
「私とお喋りするのは嫌かしら?」
酒場は水を打ったように静まり返ってふたりを見ている。そして、
「"秘密"の悪魔よ――」
「やめてッ!!」
女性の悲鳴が店内に響き渡った。
妖艶な微笑を浮かべたオフィさんはこちらへ歩いてくると、話ならあいつに、と言いたげに震える女性に向かって顎をしゃくった。
何か知っているのか。
察したアントニオさんの表情が引き締まり、女性の席へ近づき片手をテーブルに着いて言う。
「ちょっと、話を聞かせてくれるかな」