144話 仮面越しの虚像
「街で、死んだはずの夫を見たの。きっと吸血鬼になってしまったんだわ」
夕暮れ時の林道で出会ったビビアナさんは涙ながらにそう言った。
吸血鬼になってしまった、か。ルシアさんのところでおとぎ話だと聞いたばかりだ。どうするべきか、とアントニオさんと目が合う。
「誰も信じてくれないの」
しかし、彼女は真に迫った様子で訴えている。嘘を吐いているようには見えなかった。
「大丈夫だ。落ち着いて。話を聞くよ」
アントニオさんは慰めるが、もう間もなく夜になってしまう。暗くなると危ない。
「ビビアナさん、今日はもう遅い。送ります。お住まいはどちらですか?」
「……隣の村です」
アントニオさんは僕の意図を察して、
「今から行ける距離だな。ビビアナ、歩きながら話を聞かせてくれ」
道中、話を聞いた。
ビビアナさんは用事があってリオ村にきていたようだ。そこで使徒が魔女――ではなかったが――を訪ねてきていると聞き、居ても立っても居られなくなり帰り道で待っていたようだ。
――ただのおとぎ話だ――
吸血鬼になってしまった。これがまた言い伝え絡みの噂なら、空振りかもしれない。アントニオさんの送還まで時間がないから無駄足は避けたいが、かと言ってビビアナさんを放っておくこともできない。
だから別れ際に、噂の確認くらいなら僕ひとりでやってみると提案した。アントニオさんは別行動で、本捜査の方を進めてもらう。
「明日、街の門で待ち合わせしませんか?必ず行きます」
ビビアナさんにはそう告げて別れた。
"代行者の仮面"。
この仮面、形は目のところに穴が開いているだけで無機質なものだ。能力は、身に着けると設定された姿に変身できる。
大きな獅子でも、架空の人物でも、そして、誰かにそっくりな姿でも。
彼はこの仮面を僕に遺していった。恐る恐る被ってみたことがある。鏡に映ったのは見知らぬ男性の姿だった。
中年、身長は高めで中肉中背、髪は黒く、小麦色をした顔立ちも普通。
彼が何故そんな、街でよく見かけるような男性に変身できる仮面を渡してきたのかは、未だに分からない。
基本的には鞄に入れて持ち歩くようにしている。誰かに見つかるわけにはいかないし、何よりも、手元に置いておきたい。
百科事典くらいの木箱に入った仮面を鞄にしまって、ビビアナさんと待ち合わせするために村を出た。
「この辺りで夫――エルナンを見かけました」
ビビアナさんと合流し、街の大広場まできた。特に催し物はないが、出店が出ていて活気があり住民の往来は多い。
「ビビアナさん、すみませんが、もう一度話してもらってもいいですか?」
「はい……」
昨日より落ち着いている。というより意気消沈していると言った方が正しいか。
嫌な記憶を思い出させてしまって申し訳なく思うが、昨日聞いた内容と矛盾がないか確認しておいた方がいい、とアントニオさんに助言をもらっている。
「ちょうど1週間前です。買い物で大広場に立ち寄った時、人混みのなかで彼を見つけました」
雑踏に消え入りそうな声でビビアナさんは続ける。
「声をかけようとしたけれど、エルナンは若い女性と子供を連れていました。私、固まってしまって、声が出なかった。そのうちに見失って……」
「その……女性と子供に見覚えは?」
「ありません」
普通に考えるなら他人の空似だと思う。だが、何となく引っかかるところがあって腰を折らずに話してもらう。
「エルナンは今年の初めにこの街で亡くなりました。それまでは王都を中心に行商人をやっていて、自分の店を開く貯えができたので、街で準備をしていました。
ある時から家に帰ってこなくなり、後になって義母から、エルナンが死んだと聞かされて……」
「エルナンさんは……」
遺体は――
「帰ってきたんですか?」
ビビアナさんは否定した。
「いなくなる直前、夫は『街で自分とそっくりな人間を見た』と怯えていました。私と義母は、その時は、きっと他人の空似だと言いました。だけれど、最近、リオ村の話を聞いてしまって」
「旦那さんが吸血鬼になってしまったと」
適当に言葉を返しながら影像のことを思い出す。
あの魔物は他人への変身能力を持っていた。だが、ヤツは仕留めたし足取りは追えている。
2体目か、いやまさか。
「最近、吸血鬼がひとの首を斬ったと噂になっていたでしょう?それと、吸血鬼の手にかかったら吸血鬼になってしまうと――そんなことは有り得ないことだと思ったのですが」
不安になってしまった。
亡くなる前に不穏なことを言った夫。帰ってこなかった遺体。吸血鬼の噂。街で見た夫の姿。
彼女の話した内容は、昨日帰り道で聞いた時とほとんど変わらないようだ。
不可思議な内容ではあるが、話しぶり自体には変な感じはしない。ビビアナさんは知的なひとだという印象を持った。
事実の方が異常だから受け止めきれていないのだろう。
僕やアントニオさんたちと同じだ。
「ビビアナさんは……何と言うか……どうしたいですか?」
彼女は俯いて、自分の気持ちを整理しながら話すかのように、
「私は、エルナンが本当に吸血鬼になってしまったのなら、天国に行けていないのが、そればかりが心残りです。あんな死に方をして……魂まで囚われているなんて……」
「そうですよね」
言い伝えの吸血鬼。
過去に亡くなったひとが呪われて動き回り、親しい者に会いにくる。そして実際に会ったら死んでしまう。
親しい者に殺されるなど嫌に決まっている。そして、もしかしたら愛するひとが怪物となって苦しんでいる。身の引き裂かれる思いだろう。
そんな話は有り得ない、馬鹿馬鹿しい、そう切り捨てられるのならばいいのだろうが、ひとかけらでも信じてしまったのならば、呪われる。
おそらく吸血鬼の事件とは直接の関係がないが、どうにかしてあげたい。不安や迷いを手放せるように何か手伝えることは無いのだろうか。例えば、エルナンさんが吸血鬼になっていないと信じてもらえれば。
「ビビアナさん、ちょっと付いてきてくれますか?」
「……?」
ここ最近、お世話になりっぱなしだ。
そう思いながら足を遺体安置所に向かわせた。
「何度もお邪魔してすみません。マリオ検視官」
「ようこそ、ヘイト様。お力になれるならば光栄です。それで、今日のご用は?」
仕事の手を止めたマリオ検視官は相変わらず感情を読み取れないが、他意を感じないだけむしろ話しやすい。
「エルナンという男性を検視しませんでしたか?」
「エルナン。特徴を聞いても?」
「今年の初め、街で――ですよね?ビビアナさん」
彼女は暗い表情で小さく頷く。マリオ検視官がビビアナさんへ視線を移した。
「ふむ。身長と体重は私と比べていかがでしょうか?」
「はい……貴方より少し低いです。体重は……重いと思います」
「髪と肌の色は?」
「髪は黒、肌は日に焼けていて……収穫間近の小麦に似た色です」
なんだ。
「少々絞りづらいですな――――死因を聞いてもよろしいですか?」
ビビアナさんの言葉が詰まった。
「大丈夫ですか?」
「……はい」
間をおいて、口を開く。
「首を斬られて亡くなったと――頭は見つからなかったようです。聞いた話なのですが」
脳が動きを止める。
首がない死体――?
「なるほど。今年の初め、首なし」
今年の初め。首なし。
なぜだか。
胸騒ぎがする。
次がれるビビアナさんの言葉に、心臓が止まった気がした。
「馬車に乗って魔物を運んでいたところを、誰かに襲われたようです。それで、大広場に魔物が放たれてしまって」
「は……」
ふたりの声が遠くなる。
「ああ、思い出しました。大広場であった事件ですね。確か―――
『召喚されし神の使徒が、初日にして呪いの鎧を纏い、突如として街中に現れた魔物を、身を挺して討伐した』
なるほど、それでヘイト様がいらしたのですね」
マリオ検視官が勝手に納得して僕を見たが、それどころではない。
「え、エルナンは……夫は……吸血鬼に……?」
「大広場で発見された遺体はこちらに運ばれました。その後、聖職者の祈りを受け、使徒様の聖火により弔われました。
間違っても、吸血鬼などという魔性に堕ちることはないかと」
マリオ検視官が慰めるように言い、ビビアナさんから安堵の声が漏れる。
僕と言えば、ずり落ちた呪いが這ってきたような感覚に襲われていて。
今年の初め。首のない御者。大広場。呪いの鎧。血塗れの修道服。
黒い森の猟犬。
身長は高め、髪は黒く、小麦色の肌。
そっくりな人間を見た。
――影像みたいだろ?アレはこのレガロをモデルにして、青ざめた馬がデザインした魔物だから当然なんだが――
コツ、コツ、コツ――と、
ふたり分の足音が反響している。
扉を開けた先に伸びる階段を上り、レンガを積んで作られた洞窟のような通路を進んでいる。
「ヘイト様、ありがとうございました。エルナンは天国にいったのですね」
「ビビアナさん。今から、ある聖遺物を使います」
荷物を下ろしたような表情のビビアナさんがこちらを見た。
「えっ」
「驚かないで」
鞄から木箱を取り出し、開いて、代行者の仮面を身に着ける。
「あっ……」
瞳に涙が溜まり、溢れ、彼女は声もなく泣き出してしまった。
その反応が何よりの証拠で。
確信する。
喪った夫の生き写しなのだ。
なんで。
なんでなんでなんでなんで、
なんでここで、白い馬の影が見える事件で、最初の事件が出てくる。
どうして、ヒルはエルナンさんに変身できる仮面を残していった。
仮面を外すと、刻まれた、"これで公平"の文字が。