141話 ティリヤの女共の噂話
呑みすぎは良くない。
アルコールが健康に悪いのは言わずもがなだ。それに加えて、最初に理性の奴がダメになって、その次に知性と品性の奴がぶっ倒れる。人間を人間たらしめるそいつらが仕事を止めてしまって、猿に戻ってしまうのだ。
「気分は良くなった?」
「は、はい。おかげさまで」
大広場の片隅で体育座りをして、酔いを醒ますと共に先ほど晒した醜態の反省会をしている。すぐ隣には、一緒の樽でブドウを踏んでいた女性が同じように体育座りをしていた。
「す、すみません。とんだご無礼を」
「何のこと?」
「樽に入っていってしまって……あと失言があったような」
「『足が奇麗ですね』ってあれのことお?嬉しかったわあ」
顔が真っ赤になるのが分かって顔を伏せる。フフ、と笑い声が聞こえた。本当に怒っていなさそうだ。
僕より少し年上だろうか。セミロングの銀髪に、朱いアイラインが印象的な目元。肌は雪のように白く、東洋系が混じった顔には視線が吸い寄せられてしまう魔力がある。
街の男10人に聞けば、どやどやとひとが集まってきて20人が美人と答えるだろう。
「ええと、教会のひとですか?」
「あらあ、そう見えない?」
聖職者には見えない。
皆と同じようなミニスカート修道服を着ているが、あれはお祭りに参加するひとが着る衣装というだけだ。彼女の妖しげな雰囲気に合ってない。
僕の好奇心を嗅ぎ取ったのか、
「ヘイト。女の秘密を知ることはできないの、魔法でも使わないとね」
飴玉を転がすような聞き心地の良い声でそう言うと、彼女は立ち上がった。大広場の方から、普段着に着替えた女性が3人歩いてくる。
「わたし、オフィーリアっていうの。これからはオフィって呼んで」
バイバイ、とオフィさんは微笑んだ。
「あなたとはまた会う気がするわあ」
立ち去る彼女の背中にプラプラと手を振る。まだ酔いが残っている。
「あれ、僕、名乗ったっけ?」
……まあ、図らずも有名人になってしまっているし、一方的に知られていても変じゃないか。
「いやあ、はしゃいでたねえ。ヘイト」
風に揺れて目元にかかった金髪をうざったそうにしているシスターに話しかけられた。
「あんなになってるヘイト初めて見た」
黒髪を適当にまとめ、小麦色の顔をこちらに向けてほくそ笑んでいる長身の使徒が言う。
「佐々木くん、元の世界に還ってもお酒飲まない方がいいね」
長い黒髪をポニーテールにまとめた同年代で同郷の使徒が笑っている。
「17年間生きてきて一番のテンションでした」
イザベルさん、ダリアさん、杏里さんの目から逃れるために頭を抱える。僕はお酒にはまってしまうタイプなのかも。しばらく控えよう。
話題の標的を自分から逸らすために話を振る。
「皆さん、もうブドウ踏みは良いんですか?」
イザベルさんが、
「もう十分やったし、疲れた」
ダリアさんが脹脛を掻きながら、
「肌に合わないのか痒いわ。アンリも嫌そうだったじゃない?」
杏里さんは笑顔で、
「最初はね。食べ物を踏むって抵抗あったけど、けっこう楽しかった。でももう子供たちがやってるし」
杏里さんと一緒に大広場の方へ目を遣ると、若い女性がいた樽の多くは片づけられ、今は家族連れや男性がブドウを踏んでいる。
「何かイケメンのいる樽にはご婦人が多いような」
「男も女も変わんないねえ」
「魅力的な人物にひとが集まるのは当然か」
「そういうこと――それで?何か話があるんだろ?」
イザベルさんに言われて、大広場を訪れた理由をすっかり忘れていたことに気付く。
「ああ、吸血鬼ですよ。噂とか聞いてませんか」
ああ!とイザベルさん、ダリアさん、杏里さんの女性陣は声を合わせた。
「噛まれた奴が吸血鬼になったんだろ」
「ゾンビだ、それじゃ。血を与えられて眷属になったんだろ」
「どっちも嫌だね。吸血鬼って何かのウイルス……病気なんじゃなかった?」
3人はあれこれと話し出した。吸血鬼に関する話はそれなりに耳に入ってくるのだろう。それなら話は早い、昨日のミックさんのようにかっこよく協力を頼んでしまおう。
「あの……」
「肌なんか真っ赤なんだってさ」
「白いって聞いたけど」
「黄色でしょ」
「あらイザベル。何を話しているの?」
「吸血鬼」
「あ!それねえ。私見たのよ。日傘を差した怪しい女!」
「水を嫌がる変な男じゃなかった?」
「お、男……?女……?」
おかしい、通りがかった見知らぬ女性たちがワイワイと話に入ってきている。
「日光を避けてたとか?」
「私も見たわ!肌なんか真っ白で――」
「『いい傘ね』って声をかけたら目を逸らされたわ。ちらっと見えた眼が真っ赤だったのよ――」
「吸血鬼を探してて……」
わずか数分で大勢の女性が集まり、誰と誰が話しているのか分からなくなった。つまり誰に話しかけたら良いか分からない。ぼそぼそとした言葉が口から滑って落ちていく。
「リオ村から吸血鬼が出たって話よ――!」
「リオ村って近くに魔女が住んでるんでしょう?魔法で死体を吸血鬼にしたんじゃ――」
「主への冒涜ね、使徒様の前でする話じゃないわ。でも、吸血鬼は十字架に弱いんでしょう?――」
「何年か前に他界した息子が家に入ってきて、名前を呼ばれたご主人が亡くなられたそうよ――」
「怪力で大の男を放り投げたらしいわ。そんなの――」
質問の仕方が悪く、もたついたことを後悔する。一言目から素直に手を貸してくれるように頼めばよかったのに。
恐怖が半分、好奇心が半分といった感じの会話は止まることを知らず。最初は3人だったのに、道行くご婦人がどんどん集まり出して巨大な井戸端会議に成長していた。
「吸血鬼の仕業に違いないわねえ!」
「誰か話聞いて……」
夜になった。
街で最も大きな飲食店兼宿屋の"金の鹿"に席を取り、木の机に額をくっ付けている。
ブドウ踏みが終わって合流したアイシャさんは、持ってきたワイン瓶を置いてから果物をつまんでいる。
「ヘイト、待たせた。首尾はどう――って、大丈夫か?お前」
声からアントニオさんとミックさんが来店したのだと分かった。何とか顔を横に向けて声を出す。
「ウ、ウウ。み、皆、協力はしてくれそうですわ……」
噂話に興じる女性陣に何とか割って入り、できる限りでいいから捜査協力してほしいと頼み込んだ。言葉足らずの僕を杏里さんが掩護してくれなかったらどうなっていたことか。
「慣れないこと気張ってくれたんだな。ありがとう」
「い、いえいえ。お安い御用でがす」
しみじみと礼を言うアントニオさんの顔は引け目を感じて見られない。
お祭りでイザベルさんたちに見惚れて、飲酒して、テンション上がってブドウを踏んでいたなんて言えない。
アイシャさんが人数分の分厚いグラスにワインを注いだ。昨年、彼女が踏んだブドウで作ったものだそうだ。禁酒を解禁しないわけにはいかず、赤い液体を口に含む。
グラスを置いて、
「何かわかりましたか?」
顔を上げると、ふたりは渋い顔をしていた。収穫は少なかったか。ワインを口に含んだアントニオさんが話し出す。
「被害者は男女だ……ほとんど……同じやり口だった。1件目と同じ犯人なのは間違いないだろう。模倣犯じゃない」
僕とアイシャさんが頷いて続きを促す。周りは大勢の客がいるからか、ミックさんが声をひそめた。
「薬莢を3つ見つけた。木こりの聞いた発砲音の数と合う。
被害者の顔を村人に検めてもらったが、知らないそうだ。遺体は検視官のところへ運んで詳しく調べてもらう」
「流れ者で、村に滞在していたわけでもないと。その点も1件目と同じですね」
「アイシャの言う通りだ」
「あの、ほとんど、っていうのは?違うところとか」
続けてミックさんが質問に答える。
「衛兵に話を聞いた時と同じように何があったかを考えてみたんだが……
まず吸血鬼は女性に向かって発砲した。3発のうち1発が太腿に当たった。
男性が逃げたため追いかけて殺害し、
足を撃たれて動けない女性のところへ戻った。あとは一緒だ」
「……何か、腑に落ちない顔してますね」
アントニオさんは情報を整理しきれていないような考えがまとまっていないような表情をしている。じっくりと待つと、
「気になる点がいくつかあって、まず今回、男性の方は抵抗した。争った跡があって――」
「戦闘になったということですか」
「ああ。女性から十数メートル離れたところで見つけた。男性は剣で立ち向かったが、木の棒で殴り殺されてる」
「うぅん」
アントニオさんとミックさんの渋い表情が伝染る。素直に拳銃を使えばいいものを、わざわざ木の棒で剣を持った相手と戦った。自信の表れか、弾を節約したかったのか。
「それと、吸血鬼が近くの村じゃなくて、被害者を狙った理由が分からない」
「吸血が目的ではないと?」
アイシャさんはアントニオさんの考えを言い当てる。アントニオさんは思案気に赤ワインの入ったグラスを回している。
「もし俺が吸血鬼で、血を吸いたいだけなら、剣を持った奴じゃなくて、村人を狙う。そっちの方が簡単そうだ」
「村人ではなく、被害者じゃなくちゃいけない理由があった。例えば……そうですね……怨恨」
吸血鬼の目的は食事ではなかった?被害者は恨みを買って殺害された?そんな推測ができてしまう。
「他にも、足跡だ。被害者のものじゃない、22.5㎝のブーツの足跡が見つかった」
「私と同じくらいですね」
アイシャさんと同じくらい。例外はあるが、大抵は体格と靴のサイズは相関関係があるように思える。身長160センチそこそこの僕でさえ25.5㎝くらいだ。吸血鬼は小柄だということか?
「数も気になった。戦ったとは言っても足跡が多すぎる気がしてなあ」
黒い森で見た白い鎧は顔こそ見えなかったが、身長の高い男のように見えた。
捕食行動かと思えば、標的を見定めていたり。拳銃を扱ったと思えば、木の棒で殴っている。超人的な力があるかと思えば、足跡は小さい。男かと思えば、女の姿。
実体があるようで、幽霊のよう。
情報が集まれば集まるほど吸血鬼の像が散らされていく。アントニオさんも同じような疑問に包まれているのだろう。
「最後に、女性の舌の裏に銀のピアスを見つけた」
「口からピアス?舌に着けていたんですか?」
「いや、舌にピアス穴はなかったよ。自分で飲み込もうとして、嚥下できなかったような感じだ」
アイシャさんが聞き、ミックさんが答えた。
「吸血鬼がやったのでしょうか?」
「おそらく鼻だ。ピアス穴があった。犯人が女の鼻からピアスを外して、口にねじ込む意味は何だ?」
「よく見つけたな。しかし、鼻に銀のピアスか、どこかで聞いたような」
アントニオさんが呟いている。鼻に着けた銀のピアス。何だろう。僕も聞いたことがあるような。思い出せそうなのだが。
「カジョ……」
「!」
僕とアントニオさんが同時にアイシャさんを見た。
彼女の呟いた名前を引き金に、記憶が呼び覚まされる。確か、そう、あれは数か月前。
「ヘイト様、"影像"の時……」
「そうでした、"蛇竜"の魔法使い」
「ああ、何で思い出せなかったんだ」
「何の話だ?」
確かあの時ミックさんは話を聞いていない。
数か月前、ドッペルを探していた途中で魔法使いと対峙した。そいつも鼻に銀のピアスを着けていたのだ。
「蛇竜の魔法使いは、悪魔と契約する時にずっと悪臭がする呪いをかけられるそうです。それを緩和するために、鼻に銀のピアスを着けるって」
メサさんに教えてもらった。
じゃあ、被害者は――
「魔女か」
霧の中にぼんやりと輪郭が生まれ、アントニオさんの眼に意思の光が宿る。