140話 契約の血
朝になり、抜けるような青空を見ながら馬車に揺られている。
「そう不貞腐れないでください」
つまらなそうな顔をしていたからか、アイシャさんに笑われながら言われてしまった。
「『4人も要らない』って、そりゃそうなんでしょうけど」
森で男女の遺体が見つかった次の日の朝、しっかりと準備をして勇み足でミックさん、アントニオさんと顔を合わせるなり、街へ戻れと言われてしまった。
現場検証には参加するなということだ。理由を聞くと、
「遺体を運んで現場を調べる。現場にあまり大勢が入るのは良くない。トーニォも言っていただろう。吸血鬼の足跡が消えても困る」
とミックさんにすげなく言われてしまった。
参加したい、と反論しようとして思い至る。僕は未だに怪我人で、アイシャさんは僕と歳が変わらない少女。力不足だ。
「気を遣ってくれたのかもしれませんね」
「それが分かるから気に食わないんです」
殺人が起きた場所などどうしたって見たいものではない。だからミックさんとアントニオさんは僕たちのことを遠ざけたのだろう。その心遣いはありがたいが。
気を遣われたこと自体が気に入らないのだ。今更子供のように扱われたのもそうだし、役に立たん、と遠回しではなく直接言われた方が腹に落ちる。
吸血鬼を捕まえるぞ、と意気込んでいた分、肩透かしでもある。そんなもろもろが不機嫌な表情にさせて、今度はアイシャさんに気を遣わせているのだ。
業腹である。
「頼まれた仕事、ちゃんとこなさないとですね」
「そうですねえ」
「その代わり、ヘイトたちには仕事を頼みたい」
アントニオさんがフォローを入れるように言ったことを思い出す。訝しんだ僕に彼は続けた。
「協力してくれそうな連中に声をかけてきてくれ」
乗り心地の悪い馬車に揺られて街へ向かっているのはそのためだ。一昨日までとは状況が変わった。"吸血鬼"による犯行は連続殺人となってしまった。
一度だけならそれきりかもしれないが、二度目があったのなら、三度目があってもおかしくない。盗まれた"川の怪物"には10発の弾丸が入っていた。
最初の事件で4発、今回の事件では3回の発砲音を木こりが聞いている。おそらく残りは3発。
きっとまた起こる。
「バウマン氏と話した時も思いましたけど、国会は吸血鬼を捕まえようとしていないと言うか」
「真面目に探していないと?」
アイシャさんの相槌に、うん、と頷く。
「人手が足りていないんですかね」
「大規模侵攻作戦が終わったばかりで、まだまだひとの出入りが多いのは確かです。犯罪も多発していて、衛兵や自警団の手が足りないのは事実でしょう」
アイシャさんはゆっくりと言葉を探しながら話す。
「毎年、数えきれないほどのひとが天に登ります。これも大きく大規模侵攻の中で起きたことと、そう捉えられているのかもしれません」
「たった4人ということですか」
「はい」
アイシャさんは慎み深く、しかし明瞭に返事をした。眉間に皺が寄ってしまう。価値観が違う。それに文句を言ってもしょうがない。
例えば領主に、吸血鬼を捜査するための人員を確保するように要求するかと考えると、それも気後れしてしまう。
治安維持や他の未解決事件よりも優先させる理由は、と聞かれたとき、アントニオさんの名誉を回復したいとか、私情でしか答えられない。
かと言って、三度目の犯行を起こすわけにはいかない。
国会への働きかけはあってもいいが、とりあえず広い街に目と手を増やすために、あのふたりは協力者を募るという仕事を僕たちに頼んだのだろう。
「夜になったら街で合流して、情報の共有と方針の決定をしよう」
少し顔色の良くなったアントニオさんは別れ際にそう言った。
「また会おう」
いつものにやけ顔でそう言う。こちらの心配などお見通しだ。
「では、また今夜」
今度は大丈夫。そんな気がした。
「使徒の皆様なら、ヘイト様から話をすれば協力してくれるのではないでしょうか?」
「でも、どこにいるのか……自由なひとばかりですし……」
頼りになりそうな顔ぶれを思い浮かべるが、今どこにいるのかが分からない。あまり時間は割けないし、今日一日でどれだけのひとに声をかけられるか。
「皆様が集まっている場所なら、心当たりがあります」
「え?」
「聖イサク祭りの会場です」
僕の顔を見た門兵が馬車を街の中へと通した。アイシャさんの指示を受けた馬車は大広場へと向かう。
神の子は使徒の裏切りが分かっていた。
神の子は、自らの身に死が降りかかるのを知りながらも、それを受け入れることにした。
使徒たちと最後の食事をした時に彼は、パンをちぎりながら「これは私の身体である」と言い、そして、葡萄酒の入ったグラスを掲げて、「これは私の血である」と宣った。
そして、敵兵に連行された神の子は磔にされて死んでしまう。
弟子たちが蛮勇を奮い戦わなかったのは、師の教えか、単に恐怖か。
師と仰いだ者が死に逝くのをただ見送ることしかできなかった気持ちは、少し分かる。
きっとワインを呷る度に、彼と共にした最後の食事のことを思い出すのだろう。きっとこの世界に住まう人々も同じだ。
「日本人は日本酒を神へ捧げるだろう。ワインもただの酒と聖職者の前で軽んじないように」
と教授に向かって吞みすぎを咎めた時、僕を煙に巻くためにそう切り出したのを思い出した。
「ヘイト、赤ワインと白ワインの違いを知っているか?」
「白は果汁だけで作ったワインで、赤はブドウを丸ごと使うのです」
僕は覚えていなかったが、思い出の中の教授の質問に、アイシャさんが代わりに答えてくれる。
あの赤色は、ブドウの皮や種から出た色と言うことだ。
自給自足を重んじる教会では、地方の小さな修道院だとしてもワインを醸造していて、それらを売って得るお金が大きな収入源になっている。
「ヘイト、ワインの作り方を知っているか?」
「樽にブドウを入れて、潰して放置しておけばできる、らしいです」
ビールもそうだが、赤ワインの消費量はもの凄い。当然、呑む分は作らなくてはならないが、ここいらはブドウの生育に適した土地のようで、材料となるブドウには困らない。
ただ順当に収穫量が収穫量で、この時期に集められたブドウを潰すだけでも相当に重労働になり、聖職者だけでは手……ではなく脚が足りない。
前置きが長くなったが。
つまり。
樽いっぱいのブドウを修道女を始めとする街の美女たちが生足で踏むお祭りになるのは仕方のないことなのだ。
「こ、これは」
音楽が満ちる大広場にはたくさんの住人が集まっていた。
ビニールプールを木で作ったような樽には、収穫された赤や緑のブドウが一杯に入っていて、子供が戯れるようにシスターたちが果実を踏みつぶしている。
リズムに合わせてステップを踏み、笑顔を浮かべる彼女たちは皆修道服を着ていて、弾けたブドウの赤紫が純白を汚していく。
「それではヘイト様、私も行ってきます」
「あ、はい」
アイシャさんが去っていくのをボケッとして見送った。
見知った姿が見える。
イザベルさん。
ダリアさん。
杏里さん。
自警団の面々も。
よくよく見ると、いつもの修道服よりもスカートの丈が短い。
ダリアさんがバランスを崩し、イザベルさんの修道服を掴んでふたりしてブドウの海に沈んだ。すぐに起き上がって笑い合いながらブドウをぶつけ合っている。
盛り上がる周りの親父共の隙間を縫って前に出る。顔に着いた果汁を拭ったイザベルさんが僕に気づいて、
「おお、ヘイト。お前も一緒にやるか?」
「い、いやあ、僕は……」
捜査協力を頼まなくちゃ。
「痒いわね」
ダリアさんが足を上げて太腿を掻いた。
小麦色のすらりとした足には、ジュースになった赤紫のブドウが纏わりついている。
アントニオさんが大変なのだ。
しかし目の前の光景に現実感が流れていく。
「おお!ヘイトか!飲め飲め!」
近くにいた知り合いの木こりが満面の笑みでワインの入ったコップを押し付けてくる。
連続殺人の捜査中なのだ。楽しむわけには。
「ほら、乾杯」
イザベルさんが近くのおっちゃんからコップを受け取り、僕のコップとぶつけて乾いた音を出す。
盛り上がるわけにはいかないような状況なのだが。
「辛気臭い。何か話があるんだろ?でも私は今、酔ってないヤツの話は聞きたくない」
ダリアさんが意地悪な笑みを浮かべてそう言う。
真面目にしないといけないのだが。
まあ、少しならいいか。
コップを傾ける。
「い、いえーいっ!」
気づくと僕は、ワインの入ったコップを片手にほろ酔いになりながら、見ず知らずの美女とブドウを踏みつぶしていた。