138話 闇の中
バン――と、
ミックさんが引き金を引くと、破裂音と共に木でできた的に小さな穴が開いた。
慣れた様子で続けて4発。30メートルほど離れた木の板に、発砲音の数だけ穴が増えた。見物している木こりたちが揃って、お~、と感心している。
「実演は以上だ。教えた通りに撃ってみろ」
「ええ……」
拳銃を台に置くと、ミックさんはこちらを見た。
バウマン氏に話を聞いた後、村に戻ってから一夜明かし、黒い森の近くにきている。
木こりたちの使っている中継基地だ。久しぶりにきた気がする。
基地本部や武器庫、道具庫など、どれをとっても立派な木造の建物で、敷地はしっかりとした柵で囲まれている。黒い森の木を伐るため、そして湧いて出てくる魔物を退けるために、農民の仕事場とは思えないほど堅牢な基地である。
敷地の一画には弓矢の練習をするための修練場になっている。遠くまで視界の通る広い芝生に、木の板やら藁束が置いてあり、その先には黒い森しかない。流れ弾が誰かを傷つける心配はないが。
嫌だ。
ゴツゴツした金属の塊を恐る恐る手に取ってそう思った。これは斧や剣とは違うのだ。自分の力はきっかけにすぎず、火薬の燃焼によって何かを破壊する。
弾丸が放たれてしまえばもう制御は不能だ。僕がどうにかすることはできない。それが恐ろしいのだろう。もし下手こいて周りのひとを傷つけてしまったら。
そんなことを感じながら、ミックさんの指導を思い出して手順をひとつひとつ進めていく。照門越しに照星を、その先の木の板を見る。
バン――
「外れたな」
木こりたちが揃って、あ~、と残念な声を出す。
僕としては中った中ってないどころではなく、拳銃に思い切り押し倒されそうになるような反動に固まってしまう。
「上体が反れてる。だから反動に負けるんだ。もう一度」
「こ、恐い……」
「魔物の群れに突っ込んでいくお前が」
「それとこれとは話が違いますう」
ミックさんはため息を吐いた。諦めたようだ。
「まあ、向き不向きがあるからな――撃ってもらったのは犯人が使ったと思われる拳銃だ。感想は?」
「難しいです。恐いし」
中る気がしない。その道のプロであるミックさんにコーチングしてもらってもだ。
「そうだな。安全に扱い、当てたいところに撃ち込むためには訓練が必要――」
バン――
話している僕とミックさんが突然鳴った銃声に驚き、目線を動かすと、アイシャさんが堂に入った姿勢で拳銃を構えていた。
「アイシャ、勝手に撃ったらダメだ……中ってるな!」
「すご……」
「い、いえいえ。たまたまですよ。無断で触ってごめんなさい」
ばつの悪そうな表情を浮かべるアイシャさんの向こう、木の板の真ん中あたりに新しく穴が開いていた。
続けてみろ、とミックさんに言われ、アイシャさんの表情が引き締まり、拳銃を構える。
数回、乾いた発砲音が鳴り響いた。僕と違って怖気づくこともなく引き金を引く姿はとても頼もしい。純白の修道服を着て、拳銃を連射する真剣な表情の少女というのは妙に絵になる。
銃のスライドが下がって、カチカチと音がした。弾切れだ。
アイシャさんが撃った4発のうち、3発は命中していた。
ミックさんはひとつ唸って、
「筋が良いな……」
と呟く。
「新兵訓練所でも異常に上手い奴がいたのを思い出した――と、そんな一部の天才を除いてだ。素人が持ってすぐ使えるような武器じゃない」
ミックさんが空になった拳銃をアイシャさんの手から取った。彼女はおもちゃを取り上げられたような表情を浮かべる。
そして"8番の武器庫"で弾倉を発現させると、流れるような動きで装填し、藁束に向かって3発撃った。
「2発外しましたね……」
「女性が撃たれた場所の近くにふたつ、弾痕が残っていた」
そう言って、涼しい表情のミックさんは拳銃をホルスターにしまった。アイシャさんが聞く。
「わざと外したのですか?」
「な、なるほど。つまり、吸血鬼は男性に1発、女性には3発の弾丸を撃って、そのうちの1発が当たったと」
「その通りだ」
ミックさんがわざわざレガロを使ってまで銃を撃たせてくれた。
色々な示唆をしてくれている。
吸血鬼は至近距離で弾を外している。銃の扱いについては素人であると思われる。そして、奴の弾倉にはまだ弾が残っている可能性がある。
そして、当然というか、発砲音はそれなりに大きい。真夜中の犯行とあれば――
「皆、聞いてくれ」
ミックさんが集まった木こりに向かって声を張り上げた。口々にしゃべっていた木こりたちが静まり返る。
僕たちがきた理由はもうひとつ。木こりたちへ話を聞きたい。
「この領地に潜む吸血鬼はこの、拳銃、を持っている。
ここで俺たちが鳴らしていた音――普段の伐採で聞いたことがある者もいると思うが――もし黒い森以外で発砲音を聞いたら、安全な場所まで退避するか、その場で身を低くして欲しい。
周りが明るくなったら人数を集めて、衛兵か役人に通報してくれ。もちろん、俺たちの誰かでも良い」
「怪しい奴は追いかけなくていいのか?」
「様子を見に行くのは?」
「控えてくれ。危険だ」
ミックさんは木こりたちの質問にはっきりと即答した。屈強で血気盛んな彼らのこと、吸血鬼なんぞ自慢の斧で返り討ち、と言いたげな木こりもいるが、飲み込んでくれる。
使徒、それも共に死線を潜ってきたミックさんの言葉だから。
がやがやと木こりたちは話し始めた。
「分かった。ミックの言いつけじゃなあ」
「助かる」
「村の連中にも伝えとくよ」
「そうしてくれ」
「……いざとなったら女子供は守んなきゃなんねえ」
「無理はするなよ」
「昨日の晩聞いたなあ」
「――今なんて言った?」
ミックさんが発した冷たい声に、空気が凍る。視線で射止められた木こりが、「お、俺か……?」と周りに助けを求めながら、おずおずと一歩前に出た。
「いやあ、よお。日が落ちてすぐくらいに似た音を聞いたんだ。ローマンは送還した後で、変だなとは思ったけどよ、大したことじゃねえと……ミック、俺は、黙ってるつもりは」
「……ああ、すまない。今のは俺の態度が悪かった。話してくれるか?」
おろおろと弁明するような木こりに対し、ミックさんは謝罪を口にして態度を改めた。木こりは数度頷いて、話し始めた。
木こりを連れて彼の住む村へ向かっている。街から見て南東、中継基地からは北東へ馬車を飛ばしていた。
昨晩のことだ。日が落ちて床に就こうとした時に、3度の発砲音が、近くの森の方から聞こえたらしい。
森には狼が出ることもあるようで、彼はミックさんやアントニオさん、ローマンさんと一緒に何度か戦ったことがあったから、使徒の誰かが自衛でレガロを使ったのだろうと、心配する家族にそう言い聞かせてから眠った。
嫌な予感がする。
また連続殺人なんて信じたくない。
夕暮れ時になっていた。辺りには木の影が差している。
数家族が暮らしているだけの小ぢんまりとした村に到着した。森のそばに村人たちが集まっているのが見え、馬車を停めて降りる。
「ああ、おかえり。早く帰ってきてくれてよかったわ」
木こりの姿を見て、男の子を連れた彼の奥さんが心配そうに言う。
「なんかあったのか?」
「よそ者が死んでいたらしいの。男と女」
息を飲む。
最悪だ。
「誰か森に入ったか?」
ミックさんが聞く。
「ちょっと前にアントニオがきて、入っていったわ……家に戻って、出てくるなって、そう言って」
そこまで言って、奥さんの顔が蒼くなる。木こりが支えるように肩を抱いた。
「奥さんに付いていてやれ。アイシャもここで待ってろ――いくぞ、ヘイト」
「はい」
闇の中へ入っていくようだ。
魔物が出る森ではないのに、酷く足取りが重い。もしかしたら、まだ、吸血鬼が潜んでいるかもしれない。
ライフルを構えるミックさんの後ろを離れないように付いていきながら、貰った懐中電灯で辺りを探る。
夕闇が差し掛かる森の中、いくら照らしても薄暗い。
しばらく歩くと、暗闇の中に一点の光がひとつ見えた。きっと松明だろう。オレンジ色の火は動かない。
明りの方へゆっくりと近づく。
ライトの白い光が、木の枝から垂れ下がる切られた縄を照らした。
クソ……と呟いたミックさんが、構えていたライフルを下げる。彼に続いて茂みを避けると、横たわって動かない女性と、その傍にしゃがみこんでいる見知った背中が見えた。
「アントニオさん……」
呼びかけると、彼は振り返る。
疲れ切った瞳が、僕を捉えた。