137話 衛兵バウマンからの聞き取り
良い天気だ。
「日光を浴びると灰になる」
と僕が言う。
「口の臭い貴族」
とミックさん。
「涜聖者の幽霊だったような」
とアイシャさん。
「神を冒涜したひとの、幽霊ですか?」
何となく実体のあるものを想像していたが、幽霊ときたか。
アイシャさんの案内のもと、街のなかをざっくり東へ向かって歩いている。そんな折、誰言うとなく吸血鬼の話になった。
彼女は自信なさげに、
「ええ。夜になるとお墓から出てきて動き回るとか。ミック様こそ、貴族なのですか?」
動く死体、それではどちらかと言うとゾンビのような。
アイシャさんが不思議そうに聞くが、ミックさんも別に詳しくはないのか渋面で答える。
「俺たちのいた世界じゃ有名な創作だ」
「ドラキュラ伯爵ですよね。確かモデルは串刺し公とかいう王様だったような」
「ヴラド・ツェペシュとかいうヤツか」
「王様なのですねえ」
胡乱な会話が続いている。
詳しくない以上、聞くか調べるしかするしかない。というわけで、情報を集めるため犯行現場へと向かっている。
この街は京都やパリのように直線で区画分けされているわけではなく、カーブが多い。領事館や教会などの主要な施設を中心に、生物的な成長をしたような印象を受ける。
ここまでどうやって歩いてきたのか分からない。アイシャさんがいなければ迷子だ。
「吸血鬼って、超人的な力を持ってて、不死の怪物なんですよね?」
「ヘイトと同じか」
「同じにしないで欲しい……」
三人寄れば文殊の知恵、ということもなく、会話は核心に迫らずに吸血鬼の像をかき混ぜるだけだった。
ミックさんは元軍人で、アイシャさんは修道女で医療従事者、そして僕はただの高校生。遺体の分析も、事件の捜査も、オカルトやファンタジーも、専門家じゃない。
だったら猶更。
「アントニオさんと合流しないんですか?」
彼は警官だと聞いたことがある。難事件であればお互いに協力した方がいいのではないか。それと、微力だとしても力になりたいという想いが焦らせる。
ミックさんは僕の眼を見ると、諭すような口調で言った。
「アントニオは俺たちより先行して捜査している。あいつと一緒に動くなら情報のレベルを同じくらいにはしなくちゃな」
「アントニオ様から直接教えていただくのは?」
「あいつの足をいちいち止めてか?」
「……なるほど」
力になるどころか、今のままじゃ僕たちは足手まとい、か。
「ま、それは理由の半分だ。もう半分だが、アントニオが捕まらない」
「会えてないんですか?」
「ああ、ここ最近は村にもまったく顔を出さなくてな」
理由は分からないが、アントニオさんは相当に入れ込んでいる。送還が迫っているからか、他にも理由があるのか。どうして何も言わないのか。
じれったさを抑え込んで、歩みを進める。
「バウマンだ。見ての通り衛兵だよ。よろしくな」
簡素な鎧に身を包んだおじさんが威勢よく挨拶する。身長はアイシャさんよりも低いだろう。ただ小さくは見えない。かなり鍛えられた身体をしているからだ。
風体を見てドワーフという単語が頭を過ぎった。
「マリオに聞いたが、通報を受けて最初に駆け付けたのがバウマンだったようだな」
「そうだ。この辺は庭みてえなもんでな、あの日も警邏していたら叫び声を聞いてよ。まったく酷えことをする」
ため息交じりに話す彼と裏路地へと入る。家屋に挟まれた一本道がしばらく続いていた。
足元に大きな暗い染みが残っているのに気が付いた。しゃがみこむと石畳の隙間が黒く変色しているのが見える。きっとここに被害者の男性が倒れていたのだ。
少し離れたところには、途中で切られた縄がプラプラと揺れている。被害者の女性が吊るされていた縄だろう。バウマン氏あたりが遺体を降ろすために切ったのだ。
「ではバウマン、現場の話を――」
「よし!じゃあ……ひょろい兄さんと、アイシャはその隣で、あっちから歩いてきてくれ、でかい兄さんは逆方向からだ」
バウマン氏がそんなことを言い出した。いったい何を始めるのか。眉根を寄せたアイシャさんが聞いた。
「もしかして、再現してみるってことですか?」
「アイシャは察しが良いな。その通りだ。話すより早いだろう」
さも当然といったようにバウマン氏は答える。
殺人事件の再現かと、呆れた空気が流れる。ミックさんが肩をすくめて言った。
「寸劇か、まあ、見えてくるものがあるかもな。だがヘイトが女役だ」
「何で」
「アイシャを吊るすわけにはいかないだろう」
「僕ならいいのか」
「絶対安静……」
アイシャさんを縛るなんてなったら僕だって反対するが……
そんなわけで、僕が被害者女性役、アイシャさんが被害者男性役、そしてミックさんが犯人役で再現をすることになった。
アイシャさんが僕を連れたって歩く。一本道の向かいからミックさん……ではなく、犯人がポケットに手を入れて歩いてくる。
彼の迫真の演技というか、表情は暗く、地面を見ているがこちらを意識しているのが感じられる。だからか、クソ真面目に想像してしまった。
ふたりに、不意に訪れた、最悪の不幸を。
男と女はきっと、他愛もない話で笑い合っている。向かいから歩いてくる人物は気に留めていなかったのかもしれない。きっと明日も同じような日々が続くと、疑ってもいなかったのではないか。
それなりに広い路地。犯人とふたりはすれ違った。
男が肩を叩かれる。逢瀬に水を差された男が怪訝な表情で振り向くと、犯人は拳銃を構え、その銃口を額に押し付けた。
「バン」
男は自分の死を知覚できなかっただろう。成す術もなく仰向けに倒れ、血だまりを広げる。
女は何が起こったのか分からなかったが、身体は動いた。背を向けて駆け出したのだ。
1歩、2歩、3歩と地面を蹴って、
「バン」
腹に衝撃を受けて、たまらずうつ伏せに倒れる。痛かったのだろうか。腹を抑えてうずくまり、目線を後ろに向けると、犯人が近付いてくる。
恐怖に飲まれ、逃げたいが、今度は動けなかった。
吸血鬼は、何を思ったのか女の両足首を縄で縛ると、引き摺って――――
「なあ」
ミックさんが何かに気が付いたように言い、我に返る。
「どうやって吊るしたと思う?」
現場に残った揺れる縄を目で追って、上を見る。そのロープの結び目は、大柄なミックさんの頭上、その遥か上にあったのだ。
4,5メートルくらいか。
家屋の壁から伸びた太い木の梁に縄が結び付けられている。滑車の原理を使ったのではないようだ。バウマン氏が言うには、梁から女性の足首までで、縄はほとんど余っていなかったらしい。
「固結びだな。梁の方に余った縄がある……結び目は汚い、縄の扱いには不慣れのようだ」
足がかりになるようなものがなかったので壁をよじ登るのを諦めたミックさんが、才能で出した双眼鏡で観察した後にそう言った。
「と、言うことは……吸血鬼は女性の足首に縄を結んだ後」
とアイシャさんが呟く。
「縄の端っこを持って、5メートルくらいのジャンプで梁に飛び移って」
と僕が言い、
「大人ひとりの体重を持ち上げながら縄を結んだ」
とミックさんが言った。
「そんなことできるか?」
「無理……」
呪いの鎧を着ている時でも無理だろう。とても常人の身体能力でできる芸当ではない。何かの間違いで拳銃を手に入れたただの人間が犯人、という希望的観測が薄れていく。
何らかの技術やトリックで、怪物の犯行だと思わせる欺瞞作戦だとも考えたが、それだけ手先が器用なのに縄の結び方が下手というのもちぐはぐした感じがする。
化け物がやった。
そう考えてしまうのが一番楽で、良い逃げ道に思ってしまう。
アイシャさんが困ったように呟く。
「犯人は人間ではないのでしょうか?」
「ただの人間があんな場所に吊るせるかい」
僕はおためごかしを口にする。
「じゃあ魔物?」
「こんな回りくどい魔物がいるか、聞いたことねえ」
ミックさんが自分の発言の馬鹿馬鹿しさに嘆くように言う。
「現実的な線で、魔法使いか?」
「女の血がなくなってる理由が分からん」
すべてバウマン氏に論破されてしまい、皆黙ってしまった。
魔法や魔物が実在する、僕たちからしてファンタジーな世界で、さらにひとつ神秘のヴェールに包まれた存在。
僕だけがその存在に心当たりがある。
白い馬。
バウマン氏は自嘲気味に鼻で笑い、楽な結論を言った。
「だから皆言うんだ、これは吸血鬼の仕業だって」