136話 検視官マリオの報告
コツ、コツ、コツ――と、
三人分の足音が反響している。
扉を開けた先に伸びる階段を下り、レンガを積んで作られた洞窟のような通路を進んでいる。
「ヘイト様、暗いので足もとに気をつけてください。歩けそうですか?」
「はい。大丈夫です」
燭台を持つアイシャさんの方へ振り向いて答えると、入り口から射し込む日の光が遠くに見えた。外の暖かさは徐々に薄れ、ひやりとした空気を肌に感じる。
遺体安置所は地下にあるようだ。地上に比べて温度や湿度が安定しているからだろうか。
階段が終わった。
広さはあるが、天井の低い部屋に出る。こちらに気が付いた年嵩のある男性がマスクを外しながら近付いてくる。
「これはこれは使徒様方、このような遺体ばかりのところへよくいらしましたな」
低く、粘り気のある声だ。灰色の瞳に宿る理知的な光を、目のクマの陰鬱さが翳らせている。ミックさんが握手を求めると、長身の検視官は革の手袋を外して応じた。
「マイケル・アーリマンだ、検視官。忙しいところ申し訳ないが、邪魔させてもらう」
「マリオと申します。歓迎いたしますよ、何もお出しできませんが。それと……シスター・アイシャと、それから……」
「ヘイトです。よろしくお願いします。マリオ検視官」
「ああ、それでは、貴方があの"不死の使徒"。お会いできて光栄です」
よくいらした、歓迎する、光栄だ、どの言葉にも感情が感じられない。完全に社交辞令だが、かと言って僕たちを拒絶している雰囲気でもない。捉えどころのないひとだ。
「検視官。早速だが、話を聞きたい」
「ええ、用意はできています。こちらへ」
遺体安置所の中を歩く。
壁に松明を掛けているところには簡易的な木の台があり、漏れなく人体が横たわっていて、傍には道具や薬品類が置いてある。
臭いは、とてもじゃないが良いものではない。生物が発するそれを薬品類で無理矢理覆い隠したような異臭が満ちている。正直、しんどい。
「繁盛しているでしょう?大規模侵攻作戦があるといつもこうなのです」
アイシャさんは……まだ若い彼女をこんな場所に連れてくるべきではなかったのかも、と視線を動かすと目が合った。
「ヘイト様、大丈夫ですか?」
「え、ああ、まあ」
「ご気分が悪くなったら言ってくださいね?」
アイシャさんは澄ました表情をしている。医療従事者なのはそうなのだろうが、こういった場所にも慣れるものなのだろうか。
検視官が立ち止まった。
「なにぶん死後13日が経ちますから、発見当時そのまま、というわけにはいきません。特に男の方は。ご承知おきを」
「もちろんだ」
染みの付いた亜麻布を足首から頭頂までかけられた仰向けの男女だ。足先の肌は青白く、ところどころ変色している。
憐憫か、目を逸らしたかったのか、自然と胸の前で手を合わせた。ミックさん、アイシャさんは小さく十字を切っている。
「氏名不詳……年齢もですが。確信はありませんが、男は30代半ば、女は20代後半くらいでしょうな。死亡推定時刻は9月24日の未明。クルス通りの路地裏にて遺体で見つかりました」
「名前が分からない……14日間、遺体の引き取りはなかったのか」
「はい、ふたりとも、近親者による問い合わせはありませんでした」
「流れ者か……」
ミックさんの呟きには反応せず、検視官は淡々と、死因ですが、と続ける。
「男の方は脳が頭蓋内から脱落しています。即死ですな」
「傷の付近に煤が飛び散ったような痕は?」
「ふむ、ございませんが、額の皮膚に黒く円状に、焦げたような痕が認められました」
検視官は男性の頭にかけられた布を捲った。ちらと酷い傷跡が見えて、思わず目を逸らす。
「……ヘッドショット、それも皮膚に銃口を突き当てて引き金を引いたようだな」
ミックさんは指鉄砲を自分の眉間に当てた。
「なるほど、後ほど報告書に追記しておきましょう……そして、女の方は、腹部に同じような……」
「銃創」
「ふむ、銃創がひとつ見られました」
「弾丸は身体の中に残っていたのか?」
「こちらのことでしょうか?腹腔に残っておりました」
検視官は金属のトレイを差し出した。ミックさんはどんぐりに似た弾丸を摘まむと、もう片方の手に力を込める。
彼の太い腕が黒く染まっていき、皮膚を突き破って黒い枝葉が数センチ伸びると、纏まって形を成す。使徒が持つ特殊な能力、"才能"だ。ミックさんの"8番の武器庫"は、様々な銃器を出すことができる。
手に収まっていたのは、摘出された弾丸と同じ物。ミックさんはじっくりと見比べて、
「22口径、やはりな。マリオ検視官、こういった傷跡を見たことは?」
「人間だけに限って言いますと、30年間ここで働いておりますが、初めてです。私なりに記録を見返してみましたが、類例は数件、いずれも使徒様が絡んでおりました」
検視官はゆっくりと、だが淀みなく答える。
この世界に銃は無い。ミックさんのような使徒が持ち込まなければ。
「……なるほど。動機に繋がるような……例えば、物取りの形跡は?」
「ふたりとも衣類は乱れておらず、身に着けていた貴金属類は残っておりました」
盗み、強盗ではない。
「怨恨の線か……」
「遺体にそう書いてあるわけではないので、私にはわかりかねます。が、そうですな。例えば無数の刺し傷や、身体の一部が切り取られるような遺体の場合は、結果的に怨恨である場合があります。恨みが募って衝動的に人を殺してしまうような――」
「吸血鬼……」
アイシャさんが呟き、検視官の言葉が止まった。修道服の彼女に視線が集まる。
「銃?によって殺害されているのですよね。ここまでのお話からは吸血鬼が関係ないように思えます」
確かに。一般的なイメージだが、吸血鬼によるものなら首にふたつの噛み痕が残っているとか、被害者はミイラのようになっているとか、そんなゴシックホラーのような状況を考えてしまうが。
吸血されたわけではなく、銃殺された男女だ。"吸血鬼"という単語の出所はどこなのだろう。
「現場はご覧に?」
検視官は僕たちを見回しながら質問した。いや、とミックさんが答える。
「なるほど、なるほど――話が死因に戻りますが、女の方、これは失血です」
「失血……」
検視官は女性の足にかかった布を捲る。縄状の物で縛った痕、策条痕があった。
ミックさんが聞く。
「縛ったのか?撃ったあとに……」
「縛られていたそうです。逆さに吊るされて、ね」
なんだそれ。
「女は銃創を付けられた後に、叫ばれないように口を縛られて、足首を括られて吊るされた。そこまでは生きていたのでしょう」
僕たちが唖然として何も言わないから、検視官は言葉を続ける。
「そして首の動脈を切り裂かれた。まるで家畜のようですな、血抜き血抜き」
銃で撃たれ、猿ぐつわを嚙まされて、吊るされた。
「現場には、男の血液が辺りに飛び散っていたが、女はものはほとんど見つからなかったと聞きました。流れる血液をどうしたかは存じ上げません」
男が先に即死し、女の方はゆっくりと死んだ。血液がキレイに抜かれていたから、遺体の状態に差が出る。だくだくと流れる血液に口を近づける吸血鬼の姿を想像し、酷い怖気が背筋を走った。
「女の血液の方が好みだったのかもしれませんな。もしくは腹が満たされたのか……」
「もういい」
ミックさんが遮った。迷ったが、俯いてしまったアイシャさんの肩に手を置く。
「これは失礼。場を和ませようと思ったのですが、冗談は不得手でして」
「少し静かにしてくれ」
「かしこまりました」
「魔物の仕業ですか?」
咳をするように言葉が出た。こんな猟奇殺人だとは思ってもみなかったのだ。ひとがこんなことをするとは信じ難く、白い鎧の姿が頭をよぎり、影像の笑顔を思い出す。考えがまとまらない。
検視官は言葉を選んでから、
「それも私には判断しかねます。が、道具を使い、獲物を吊るし、血を抜く。これほど頭の良い魔物がいるのでしょうか?」
いない、のか。
知能のようなものを感じたドッペルでさえ、ここまで手の込んだことはしなかった。他の魔物を思い出してみても、こんなことができるとは到底思えない。
僕がまだ見ぬ特殊個体がいるのか、それとも白い馬の仕業か。
「私は魔物や魔法により殺害された遺体も多く見てきました。それらと比べ、遺体自体はそう特殊なものには見えません」
「拳銃を入手さえできれば、あとは気味が悪いだけ、か」
ミックさんが苦々しく言う。
「仰る通りです。ですがその気味悪さが、領地に吸血鬼の噂を立ち込めらせていると、そう思っています。この事件があったからなのか、噂ありきでこの事件に吸血鬼が関わっていると思われているか、断言できません」
ここで分かったことはそう多くはない。当然、同じようにここで話を聞いたであろうアントニオさんも同じはずだ。
「膨らんだ噂に不気味さを憶え、一抹の恐怖を抱く街の者は口を揃えてこう言います」
一刻も早く彼に合流して、力になりたいという思いが湧いてくる。
「これは吸血鬼の仕業だと」