13話 1月22日 決戦前夜
夕焼けが照らす道を、馬に乗ってゆっくりと進んでいる。
あのあと、アイシャさん、そして泥酔した教授と教会で別れた僕は、フベルトさんの神馬の子に乗せてもらって、街の外――
村の酒場に向かって帰っていた。
夕焼けが、農村を美しい赤色に染めている。
馬の手綱は僕が握らせてもらっている。自身の才能だからだろうか、フベルトさんには必要ないそうだ。感動的で綺麗な風景のなか、乗馬体験をしている訳で、浮かれてもいい状況なのだが――
僕の心は凪いでいる。
アイシャさん、教授とした、別れ際の話が気になっていたのだ。
「――いいか、ヘイト。他の連中には、才能のことを深く聞くな」
教授は今にもアルコールに負けそうになりながら僕にそう言った。
「?――使徒に質問するなってことですか?」
「さわりくらいはいいだろう。――連携とれんと困るしな。
だが、深く追求せんのが使徒間でのマナーだ。
使徒は、この世界に来てすぐにレガロを使いこなせるようになる。
何故だか分かるか?」
僕が答えに悩んでいると、
「レガロは――その使徒が歩んできた人生そのものだからだ、
あとは自分で考えろ。
そして――
仮面の才能に気を付けろ」
どういう意味ですか?と言う僕の質問に、返答は無かった。
教授はいつものように潰れてしまったのだ。
屈強な修道士二人に引きずられて、教授は教会に入っていった。
今晩は、ここに泊まるのだろう。
近くで会話を聞いていたはずのアイシャさんは、終始キョトンとした表情だった。
そこでハッとする。
あまりに自然だったし、会話の内容の方に気を取られて気付かなかったが、
教授は日本語で話していた。
教授が日本人には見えない。
どういったことになっているのか分からないが、
彼は何故か、アイシャさんに今の会話を聞かれたくなかったのだ。
「あ、あれは僕の母国語なんです。教授が話せるとは思わなかったけど」
とアイシャさんに慌てて言う。
「いくつかの言語を操れるということですか?ヘイト様の言葉は分かりましたが、教授の話している内容が分かりませんでした。教授は凄いですね」
「そうですね……確かアイシャさんに言葉が通じるのはレガロのおかげなんでしたっけ」
「はい。"基礎言語理解"というレガロです。使徒の皆様はこの世界に来る際、普段の生活に困らないようにレガロをいくつか授けられます。
他にも、"基礎体力向上"、"基礎免疫"、"基礎精神耐性"がありますね。これらは準才能と呼ばれています」
彼女はすらすらと使徒に関する知識が出てくる。本当に勤勉なのだ。
「なるほど、召喚されてすぐ病気になったりしたら困りますもんね……」
別の世界ということは、そこで進化してきた未知のウィルスなども有るかもしれない。それらをどの程度防いでくれるかは分からないが。
あっ!とアイシャさんが何かに気付いた。
「大変申し訳ございません。ヘイト様の鑑定をまだ行っておりませんでした。本来でしたら、召喚されてすぐに行われるのですが……ああ、どうしよう。今から聖遺物持ち出せるかなあ」
そう言ってアイシャさんはオロオロとしだしてしまった。
そういえば僕のレガロがどういったものか分からない。……が、今日の目的は別にあるのだ。
アイシャさんは今日休んだところで、明日からまた遮二無二働いてしまうだろう。
だからしっかりと釘を刺しておく必要があると、アントニオさんと話していたのだ。
教授はもういない。僕がしっかりやらなければ。
「構いませんよ。また後日にしましょう。――だから、
それまでにきちんと身体を治してください――
せめて、安息日くらいは休んで――
――また、会いに来ますから」
言えた!偉いぞ僕!
これにはアントニオさんも合格点をくれるだろう。
アイシャさんは少しだけ驚いたような表情をして、
「はい」
と笑ってくれた。
「アイシャさんには言いたいこと言えました」
「じゃあ何で悩んでんの?」
と後ろに乗っているフベルトさんが聞いてくる。
「教授が言っていたことが気になるんですよね……」
レガロについては深く聞かない。
レガロは使徒の人生そのもの。
仮面のレガロに気をつけろ。
なぜ僕にしか分からないように日本語で話したのか、
それが分からないからフベルトさんには細かく伝えない。
酔っ払っていたからか――それとも――
「教授は何考えてるか分からない。だけど悪人じゃない」
「フベルトさんでも分からないんですね」
フベルトさんは言葉数が少ないものの、会話が滞ることはない。
頭が良く、察しがいい。いつも二手三手先を考えていると、最近になって気付いた。
初めはとぼけた男だと思っていたのだが……
「ヘイトは俺のこと、馬鹿にしてると思ってた。まあいいけど」
「うぐッ……」
こういうふうに図星をついてくるのだ。
多分彼は今、僕の後ろでニヤついている。
「あ、アイシャさんが、フベルトさんのこと褒めてましたよ!?素晴らしい使徒だって!」
図星をつかれた僕は、慌てて話題を変えようとする。
「アイシャは敬虔、使徒皆にそう言う」
「そういうもんですかねえ。あっ。今度こうやってアイシャさんをグラニに乗せてあげてくださいよ。きっと喜ぶと思うんですよね」
「バーカ」
「何故罵倒されるのだ……」
アイシャさんは、ジョストをするフベルトさんとグラニをキラキラした目で見ていた。
良い提案だと思ったのだが……またもやらかしたのだろうか。
「じゃあ今度は、アイシャとヘイトの乗馬デートだね。グラニ貸すよ」
「何故そうなるのだ……」
多分面白がっている。やはりふざけた男だ。
そう考えていると、フベルトさんがニヤつく気配がした。
嫌な予感がする――
「やっぱり馬鹿にしてる。許すのやめた」
彼は僕の腰を掴んだ。
「ん?何を、うわッッ!」
言い終わらないうちにグラニがあの爆発的な加速をした。
高速で景色が後ろに消えていく、このまま時間でも飛び越えそうな勢いだ。
美しい夕焼けに満たされた農村を、僕の悲鳴とフベルトさんの笑い声が、響き渡っていった。
酒場に着く頃には、悩みが綺麗さっぱり吹き飛ばされていた。
僕はヨレヨレと歩く。動かない地面は素晴らしい。
フベルトさんは僕の醜態で大満足だ。
この野郎。
「やあ、ヘイト。ちゃんとエスコート出来たか?」
僕とフベルトさんに気付いたアントニオさんが話しかけてくる。
「エスコート出来たかは分かりませんけど……僕なりに頑張りました」
今日はほとんど座っていたし、これからも身体を休めるよう言うことが出来た。
僕が答えると、彼は満足そうな顔をした。
「押し倒したか?」
「するわけないでしょッ!」
「ハハハ。冗談だよ。ちゃんとアイシャちゃんの手を取って言えたんだろ?」
「……ぃぃぇ」
僕が小さく答えると、彼の顔色が変わった。
「あぁ、そうだな。――ちゃんと目を見て、アイコンタクトして話したんだろ?」
嘘だと言ってくれ、ヘイト。そう言いたげな表情で彼は言う。
僕は黙り。フベルトさんが首を左右に振る。
「このヘタレ。お前は男として欠けているものがある。落第だ。何日かアイシャちゃんと一緒にいろ」
「そんなぁ。無茶ですよぉ。それにもうすぐ侵攻作戦でしょう?」
必死の話題転換は、どうせ効果なしだと思ったのだが――
予想は外れ、アントニオさん、ローマンさん、そして勘治先生の顔は暗くなってしまった。
雰囲気の変わりように僕が絶句していると、ローマンさんが、言葉を選ぶように切り出す。
「そのことについてだが――」
二日後、教授と合流した僕らは、街の南、農村の外れにある黒い森侵攻作戦の中継基地に来ていた。
物見櫓、基地本部、武器と道具庫、森に面した方角の柵、いくつも並んだテント、中継基地に使われている資材のほとんどが、黒い森から採られた木で賄われている。
基地には千数百人から二千人ほどが集まっているらしい。今は昼休憩の時間で、交代で休みを取りつつ、それぞれが何かしら作業をしている。多くの人が居るが、広い敷地面積の一部しか使っていない。あと数倍の人数がいても問題ないだろう。
黒い森はすでに目と鼻の先にある。
すでに数名の使徒と共に先遣隊が森に入っている。偵察と工作を行なっているそうだ。
明日、鶏が夜明けを告げる直前に侵攻作戦が始まり、森へ突入する。
今日は、作戦前の最終ブリーフィングが行われる。普段はそれぞれの仕事が忙しく、会う機会がない重要メンバー同士の、顔合わせといった意味もあると聞いている。
重要な席に自分が居てもいいものか、場違いでは無いだろうかと心配だったが、侵攻を明日に控えた今からでは、混乱を招くだけなので作戦は変わりようがない、僕が居ても居なくても変わらない、
それに一度、商会の顔役を見ておいた方がいいだろう、とローマンさんに言われて参加することになった。
基地本部の会議室には、
海賊でもやってそうな強面で、屈強な男性。
煽情的というか、すごい格好をした女性。
戦いそうも無い、どこか神経質に見える細身の男性。
鋭い眼光で、スキンヘッドの女性。
他にも、肌の色も体格もバラバラな、バラエティに富む人たちが集まっている。
ローマンさん、勘治先生、そして僕は会議室の後方に陣取って座った。
「変わった人が多いですねえ」
「お前ほどじゃねェ」
「ふふ。森に入る前から完全武装だからね」
僕は中継基地に来てすぐ、アントニオさんに手伝ってもらって、本革のハーネスを身に付けていた。自分では外したら着けられないのでそのままにしている。
ハーネスに取り付けられたホルスターには、ナイフが二本と、斧を一本収めている。全て仕事を手伝った農家の方から借りたものだ。必ず返却しなければ。
――なにより僕は甲冑姿だ、気が早いどころじゃないな。
しばらく待っていると二人の男が姿を現した。
「皆様、ご注目ください。本日はお集まり頂きありがとうございます。これより最終ブリーフィングを行います―――」
と話し始める。
あれが現商会の顔役、シリノか。
五十代くらいだろうか。こってりと脂の乗った、不健康そうな肥満体の男がお付きの人を伴って立っている。丁寧な口調だが、こちらを見るその目からは呆れのような色が窺える。
よくあんな目でアントニオさんと先生に見られているから分かるのだ。
シリノが話し始めた内容と、ローマンさんにあらかじめ聞いていたことはほぼ同じだった。
ここ数日で、僕は今の状況と、黒い森侵攻作戦の説明を受けている。
二日前、ローマンさんは、あの酒場で話してくれた――
「そのことについてだが――
私たちが事後処理、それと調査に向かったのは知っているね?その時、木こりたちにも話を持ち掛けた。場合によっては黒い森の木を採って貰おうと思ってね。
彼らに、商会の状況を聞いたんだ――」
ローマンさんによると、今月の侵攻作戦において、想定以上に広がっていた黒い森に対応するには、単純に人手が足りない。
いつもだったら被害を少なくするために、国会や別の街に協力を要請して、応援を呼ぶような状況だった。
しかし――
利益を分散させたくないシリノの要求は、
人手は増やさない、しかしこれまでより多く木を切れ、だった。
国会に協力を求めると、来年の税率に影響があると言って、これも拒否。
当然、たくさんの死者が出るであろうこの要求に、木こりを始めとする商会所属の人々は抗議した。
シリノは抗議内容を受け入れたように見えたが、
寄越した人手は病人、孤児や未亡人などのお金に困った人が多かった上に、目標値はこれまで通りとなり、
ズルズルと話し合いを続けるうち、侵攻直前になってしまった。
そもそもこの男、王都で豪商をしていたが、何やらスキャンダルを起こし、二ヶ月ほど前にこの街に流れてきた、巷で"都落ち"と言われているアホらしい。
最近、商会の顔役が事実上のトップに昇進したことで空いた役職に、人脈と金を使って滑り込んで来たようだ。
つまりは、
何処の馬の骨か分からない、やらかした男が、天下りしてきて重要なポジションに着き、現場を知らないのに無理難題を吹っかけてくる。
といった状況だと。
害虫が、ヘイトが頭やった方がマシだ、というのが先生の言だ。
傀儡にできるもんね、とローマンさんが言っている。
すでにあなた方のオモチャですもんね、と僕が言う。
「よく無理だという声も耳にします。余裕が無いのは理解していますが、やってもらわなければ困る。あなた方も生活が立ち行かなくなるのは問題でしょう?」
シリノはもっともな話をしているが、会議室に集まった人たちは冷ややかな目で見ている。露骨に嫌悪感を顔に出している人もいるし、馬鹿らしくなって鼻で笑っている人もいる。
―――終始、あの男の話しぶりは人を物というか、ただの頭数としか見ていないニュアンスを感じる。
実際に懸かっているのは人の命なのだ。シリノ自身は戦わないから、他人事でいられるのだろう。
話を聞いているだけなのに苛苛してくる。
「木こりの親方衆が人をうまく使えば、損耗率は8%に抑えられるはずです。それにこれだけの使徒が居る。期待しています」
あぁ?と、
勘治先生がイラついた声を出した。
それに気が付いたシリノはプライドを刺激されたのだろうか、突っかかってくる。
「どうかされましたか?何か意見でも?」
「態度がでけェな。俺たちには別に戦う義務なんて無ェんだ」
先生はシリノを完全にバカにしている口調だ。
「参加して頂かずとも構いませんよ?あなたが開けた穴は、他の者で補――」
「バカだな。作戦始まったらテメェなんぞ要らねェだろ。お前も戦えって言ってんだ。小遣いやるから剣でも買ってこいや」
先生はシリノの言葉を遮ってあげつらう。淡々とした口調だがその表情はキレた閻魔大王のようだ。もし自分に向けられていたものだったら失禁していただろう。
会議室中から、シリノを嘲笑う声が上がる。
チィッ、とこちらにまで聞こえてくる舌打ちをしてシリノは黙った。その表情は憎悪に満ちていたが、先生に比べれば不機嫌な犬に思える。
勘治先生の形相を見れば黙るしかあるまい。
先生ッ、もっと言ってやってくださいッ。
舌打ちを最後にシリノは悪態をつきながらどかどかと退出する。
お付きの人が一同に深く頭を下げてから、シリノについて行った。
建物を出ると、
おい、という不躾な声と共に、誰かが勘治先生の肩を荒く掴んだ。
二人の男が立ちはだかっている、知らない顔だ、タイミング的にシリノの部下だろうか。
校舎裏にでも連れていかれそうだ。
「お前、ちょっとコッ」
言い終わらないうちに先生のレガロ、鞘無が抜き放たれ、肩を掴んだ男の顎を砕いていた。
全く見えなかった。速すぎる。
先生のレガロを見るのは初めてだ、鞘と鍔のない、刀身が80cmちょっとの美しい日本刀。
何故、今の姿勢から長物で顎を狙えるのかさっぱりわからない。
男は哀れにも意識を持って行かれ、地面に倒れ込んだ。
峰打ちだ、安心せい。
もう一人が腰の得物に手をかける。
「貴様ッ!――」
「抜くな、殺すぞ」
すでに鞘無はもう一人の手首に当てられている。あのまま武器を抜けば、自分の力で利き手を切り落とすことになるだろう。
そうなれば、あとは好きに料理出来る。
「……はい」
男は力無く答え、脱力した。
失せな、三下。
二人を無視して僕たちは歩き始める。
「流石の速さだね、勘治」
ローマンさんが微笑みながら褒める。僕も全く同意見だ。
「お前の弓ほどじゃねぇよ」
と答える先生は淡々としたものだ。
ウチの先生はすごいのだ。
何故か僕まで得意な気分になっている。
「ヘイト」
「何ですか?先生」
「今から稽古だ、来い」
「……はい」
僕は力無く答え、脱力した。
こういう時、勘治先生の稽古は本当に荒れるのだ。
森に入る前に、死ぬかもしれん。
勘治先生の稽古と、話は、夕暮れまで続いた。
――――――もうすぐ夜が明ける。
黒い森侵攻作戦開始まで、もう秒読みだ。
紺色に染まる空の下で、先駆けの部隊は準備を整え、柵の外に並び、静かに合図を待つ。
僕は勘治先生、木こりたちと共に先陣を切って、魔物が蔓延る森に――――
――地獄に入る。