133話 あなたが鎧を纏う理由
ザカリアスは落ちている剣を拾うと、逆手に持ち、鎧が裂けて肌が見えている僕の胸元へと、心臓に向かって真っすぐに切っ先を向けた。
さすが英雄だ。
親衛隊と違って、ザカリアスにだけは常に全力でぶち当たった。それでも最後に立っていたのは、目の前で剣を持つ彼だ。
瞼ひとつ動かせない。重そうに剣を持ち、ただただ肩で息をする疲れた顔を見るしかない。ザカリアスは剣の柄を両手で握ると、少し持ち上げた。そのまま切っ先を落とせば、僕の心臓は止まる。
力が及ばなかった。
こんなすごい男を、ここまで追い詰めたんだ。むしろ自分を褒めてあげたい。ここで消えるのが運命だと言われたら、むしろよくできた話だと思う。地獄にいる彼への良い土産話になるだろう。
素直な尊敬が、敗北を受け入れさせた。
ザカリアスは目をぐっと瞑ると、剣を僕に向かって降ろし――少しだけ皮膚を傷つけて止まった。
「使徒殿」
「?」
「何故、誰も殺さなかった」
「……」
この場所に来るまでの二か月間の光景が頭のなかで走っていく。本気で殺そうとしたのはムドーとスクブスだけだったか。それも叶わなかった。
「我々を罰そうとは思わなかったのか」
「……はい」
瞼が重い。夢現に揺蕩って、どこか不安そうな顔ぶれが、
親衛隊が、
アレホさんが、
森のなかで見逃した盗賊が、
僕と同じくらいの歳のザカリアスが、
こちらを見て、口を揃えて聞いてくる。
「何故?」
漠然とした問いに、掠れた声で、うわ言で答える。
「……殺しにきたんじゃありません」
僕がこの王都に来た理由。僕は誰かを殺しにきたんじゃない。
僕は、ヒルに頼まれて、伯爵を――
「迎えにきたんです」
「……そうか」
ザカリアスの切れた額から滴った血が、彼の目尻を伝い、僕の頬に落ちた。
「そうかっ…………」
切っ先は震えたまま、止まってしまった。
「そこまでだ。ザカリアス」
意識が飛ぶ寸前、どこかで聞いた声がザカリアスを制するように響いた。柔らかいが、芯のある声色に何とか目を開く。
いつの間にか、たくさんの白い甲冑に身を包んだ聖騎士たちが武器を携え、クーデター側の軍の武装解除を始めていた。
ザカリアスを意に介さず、淀みない足取りで近づく老人が僕の傍らに膝を付いた。豪華な法衣が砂埃で汚れてしまう。
「ヘイト様、ご恩をお返しに参じました。遅くなったことをお許しください。もっと早く戻ってくればよかった――――我が信仰を、この者を癒す力に」
暖かい言葉と共に胸へと手が置かれると、すっ、と呼吸が楽になる。ぼやける視界のなかに顔を捉えると、王都へ向かう道中、森で出会ったおじいさんだった。
「ペトロ司教……」
ザカリアスの呟くような声が聞こえた。
「よくぞ将軍を止めてくださいました。この場は私が預かりましょう。今はお休みください」
苦痛が和らぐに従って、暗闇が降りてくるのに抗えなくなる。遠くで僕を呼ぶローマンさんたちの声を聞きながら、どこか安心して、意識を手放した。
≪ザザッ、ザーー≫
≪ん?何をしている、ザカリアス≫
≪見て分からぬか。ロープを外しているウ≫
≪ふぅん。良いのかい?≫
≪良いさア……何を笑っている、ネバ≫
≪いやねぇ。君のような男でも、心境の変化があるとは≫
≪ふん。くだらん――もう要らんからな。それに、兄上から王都より出て行けと言われたア≫
≪フフッ、傑作だった。ホセ王の寂しそうな顔≫
≪親衛隊は残る。王都は問題ないだろう……吾輩は外から守ることにするさア≫
≪いつかは帰ってこられる≫
≪そうだな。
――――――ああ、その、なんだ、ネバ。お前も行く当てが無いのなら、共に旅行でも――≫
「ミックさんごめんなさい」
バキ、と無線機を握り折って壊す。いくら勝手に聞こえてくるとは言え、これ以上は無粋だろう。
「良いのですか?」
一緒の馬車に揺られているフェルナンドさんに聞かれて、2,3度頷く。ミックさんから貰ったものだが、帰ったらまた出してもらえばいい。
「フェルナンドさん、ザカリアスの家に無線機忘れてきてたんですね」
「いや、あのですね。あの時は急いでいて……申し訳ございません。聖遺物を置き去りにするなど」
ほんの少し揶揄ったつもりが、予想した数倍は落ち込んでしまう。真面目なひとだ。
「デカい図体してめそめそしないでよ鬱陶しい」
「ギャッ」
眉根を寄せたダリアさんがフェルナンドさんへ文句を言って、僕の脇腹をビンタした。身体中に電気のような痛みが走る。どうして僕が打たれるのか。
イザベルさんが貧乏ゆすりをしながら仏頂面で口を開く。
「あの闘牛爺、どっかで見た面だと思ったら大聖堂の司教だったか。王都を抜け出してサボってた事実を亡き者にして、更に権力を固めるつもりだ」
無数の聖騎士を率いて現れたペトロ司教は、無抵抗のクーデター軍を捕縛してあの場を治めた。
好々爺とした見た目だがなかなかやり手だったようだ。とは言え、僕たちをまとめてすんなりと帰路につかせてくれたのだから、感謝しかない。
「あー、とてもムカつく」
「ギャアッ」
イザベルさんが僕の脇腹を引っぱたいた。悶えようにも全身の痛みで身動きひとつとれないので耐えるしかない。
泣きべそをかきながら、
「ローマンさん、助けて」
「無茶した罰だよ」
「そんな」
ローマンさんはいたずらっぽい笑みを浮かべて僕を見捨てる。
「音速の使徒からお許しが出た。くすぐり殺してやるから覚悟しな、不死の使徒」
ダリアさんが言い、イザベルさんがニタリと笑う。
「何か佐々木くんに苛め甲斐があるのは分かるけど、やめたら?」
「螺良さん!」
眉根を寄せて諫めてくれる。女神に見えた。
「そういや杏里はディマス騎士団と一緒に行かなくて良かったの?」
ダリアさんは僕から彼女へ興味を移した。
無事に脱出が叶った騎士団は、長いこと領地を空けすぎたと故郷へ戻るそうだ。
今まで彼らと行動を共にしていた螺良さんは王都で別れ、僕たちと馬車に揺られている。
「皆のことは心配だけど、一回、佐々木くんたちに付いていった方が安全だろうって。それと、伯爵から頼まれていることがあって――」
ディマス伯爵は別れ際、返しきれない程の恩義をいただいてしまったと、後ろ髪を引かれているようだった。
「『私の代わりに皆様の力になってくれ』って。アレホも騎士団に戻れるようにしてくれるみたいだし……お礼をしたいのは私も伯爵も、同じ気持ち。
皆さん、今回のことは本当にありがとうございました」
螺良さんは座ったまま頭を下げる。黒いポニーテールがするりと垂れ下がった。上がった顔には涙が浮かび、
「ローマンさんも、送還ギリギリになってしまって」
「いいさ、アンリ。実りの多い、良い旅ができたよ。送還祭にも間に合いそうだ」
「"衝撃波"は置いていくのか?」
「イザベル、いくら何でも不敬だぞ」
真面目な顔ですかさず言ったイザベルさんにフェルナンドさんが畏れ多いといった風に返し、どうでもいい会話の応酬が繰り広げられる。
「主からの贈り物です。いただけるモンならいただきましょう」
「それではザカリアスと変わらんぞ、浅ましい」
「フェルナンド、お前にくれるかもしれないだろ」
「なっ、それは…………いただけるはずないだろう!」
「やっぱり、欲しいんだね。浅ましいのはどっちだか」
ローマンさんは笑いながら話を聞いて、僕と目が合った。
「そんなになって、またアイシャに怒られる」
「ハハハ……」
乾いた笑いで返すと、ザカリアスに殴られた頬が痛い。呪いの鎧の代わりに包帯だらけになっていて、ミイラ一歩手前だ。アイシャさんには何て言い訳をしたらいいのか。
「――ヘイト、なんだか変わったね」
「そうですか?1年くらいじゃ変わりませんよ」
「いや、君は強くなった」
そうだろうか、成長は感じられない。昔と遜色ない気がする。
ローマンさんはどこか懐かしそうに眼を細めると、頬を緩めて、馬車の後ろに流れる景色を見る。
「もう私の弓が届かなくても大丈夫そうだ」
きゅっ、と突然心臓を締めてきた寂しさを振り払うように、僕も後ろを見る。
いい天気だ。
王都の壁はもう見えない。
随分と時間がかかってしまったように思う。
そう言えば、アイシャさんにお土産を買っていない。
土産話……は、ちょっと無茶苦茶で、それこそ怒られそうだ。
でも、問い質されてしまって、きっと全部話してしまうのだろうな。
「早く街の皆に叱られたいです」
ローマンさんが笑う。
馬車のなかを夏の終わりの心地よい風が流れ、頬を撫でた。