132話 最終ラウンド
芯を捉えた右腕を振りぬく。
勢いのまま背を向けたザカリアスの巨体から力が抜け、2,3歩歩くと地面に突っ伏した。
傍らに立つふたりの親衛隊員は、仰向けに倒れ動かなくなったザカリアスの姿を目で追う。
「ザカリアス様が」
「やられた……?」
まるで始めて台風を見たような呆けた眼で僕を見上げる。見開かれた瞳に髑髏兜を被った自分の姿が映っている。
2メートルを超える身長、限界まで鍛え上げた人間の筋肉をすべて鋼鉄に置き換えたような体躯。甲冑と呼ぶにはあまりにも生物的なシルエット。
「ハッ…………ハアァッ!」
どうにか正気を取り戻したふたりの親衛隊が斬りかかってくる。振り下ろされた刃は防御姿勢を取った前腕を滑った。
姿勢を低くして腹に掌底を入れると、ひとりがサッカーボールのように跳ねて転がった。もうひとりの腕を取って引き寄せ、軽く膝蹴りを当てると糸が切れたように沈む。
辺りを見渡すと、僕を見るネグロン軍の腰が引けている。恐れられているのか、この僕が。
自分の手を見て、握る。比喩ではなく、鋼の筋肉が全身を包んでいる。心拍はバクバクと乱れているが、まだ戦える。
倒れたまま動かないザカリアスの方へ、一歩進む。
ザカリアスを倒せば終わり。
ザカリアスを倒せば終わり。
「――ッ!ザカリアス様をお守りしろッ!」
僕の動きから不穏なものを察した親衛隊が叫び、発破をかけられた数人が勇猛果敢に襲い掛かってくる。
振り下ろされた刃が重い。殴り倒す。叩きつけられた戦棍が膝を笑わせる。蹴り飛ばす。
「ハア……ハア……」
身体が熱い。呼吸が乱れている。
ザカリアスの方へ一歩進もうとする度に、親衛隊が立ちはだかり、拳を振るって伸していく。
今の僕に勝てると思って立ち向かっているわけではないだろう。負けると分かっていて一切の迷いなく刃を向けてくる。
「お前が守ってやるんじゃないのか」
ザカリアスを倒せば終わり。
王国側の軍は無傷だが、クーデター側の兵は半数を切っている。クーデターはもう終わり。
「何時まで寝てるつもりだ」
パンチを食らった親衛隊員がよろよろと倒れこみ、仲間に支えられて、僕を睨んで立ち上がろうとする。
ザカリアス。
「親衛隊はまだやる気だぞ」
感情が制御できない。
「ハっ……ハア……」
クーデターを終わらせるとか、ホセ王がどうとか、スクブスがどうとか、今はどうでもいい。そこで突っ伏しているのが何故か気に食わない。まだちゃんと聞いていない。
「お前もまだ戦えるだろう」
――何を倒れていやがる。
「ザカリアアアアァァァァァアアス!!」
黒い拳が地面を叩いた。
「ザカリアス様……!」
親衛隊の声に歓喜が混ざる。
重力に逆らうようにして漆黒の獅子が立ち上がる。歯を食いしばり、必死の形相で、こちらを見ている。
歯を噛みしめたまま頬が緩んだ。
ザカリアスの両足に向けてタックルするが、エグゾカリバーによる大上段からの斬り降ろしが肩に入る。隕石にでも当たったかのようだ。
アッパーカットが守護者の鎧に突き刺さってザカリアスの身体を浮かす。一歩踏み込んでジャブとフックで顔面を弾く。
目玉が飛び出したかと思うようなエグゾカリバーのフルスイングが頬に当たる。よろけ、視界が宙を浮いて両手を地面に着いた。
腹を蹴り上げてくる爪先を掴み、ザカリアスの足を抱きかかえて振り回して投げる。立ち上がろうとしたところにラリアットを撃ち込み、巨木のような上半身をなぎ倒す。
「ハッ、カ、あクッ」
もう一発、と踏み込んだ足から力が抜ける。喉が詰まったかのように呼吸がしづらい。口を開けようとすると兜がガチャガチャと金属音を立てて邪魔をする。エグゾカリバーの一撃で壊れたか。
「ハア……ハア」
"夜宴の兜"の顎を力任せに引き千切り、新鮮な空気を肺へ送り込みながらザカリアスへ目線を向ける。
ヒビの入った守護者の鎧を剥がしたザカリアスは、震える身体を起こし、息を大きく吸うと、
「負けるわけにはいかアアアアァァァァん!!」
空に向かって叫んだ。
「我らが双肩には王都に住む10万の命が掛かっている!!負けるわけにはいかんのだ!!」
傷ついた親衛隊たちがザカリアスの声に応じて立ち上がる。
「主には頼らぬ!!我らの力のみで!!この都を守らねば!!」
ザカリアスの手に小瓶が握られている。
「吾輩は使徒の子ではなく!!」
30人ほどの親衛隊が一斉に懐へ手を入れて小瓶を手に取る。
「この国の英雄なのだ!!」
執念だけで立っているかのようなザカリアスたちは一気に小瓶を呷った。あれがすべて英雄薬か。
「大詰めだ」
悪魔の声が聞こえる。
握った右手を開くと、ロープのある家でネバさんから貰った、夕焼け色の液体が入った小瓶があった。
「最適化、オフ」
パキ、と瓶のくびれている首を折り、一気に中身を流し込む。
「来い!!使徒殿オオッッ!!」
身体中にまとわりついていた重さが霧のように消えた。
「貴様を倒し!!主の力など必要ないと!!」
凄まじい高揚感と万能感が脳を満たし、視界が夕焼け色に染まる。
「証明するウッ!!」
後先を考えないで殴り合う。
僕か、ザカリアスか、親衛隊か、いったい誰が咆えているのか。
剣撃を受けて手刀で薙ぐ。戦棍を受けて肘を繰り出す。
親衛隊の攻撃が当たるたびに身体の芯まで響いてくる。金属の筋繊維がほつれていき、一発一発に足の力が抜けそうになるのを堪え、反撃を繰り出す。
拳が空振った。
ザカリアスが親衛隊の襟首を掴んで避けさせ、入れ替わるように詰めてきてエグゾカリバーでの袈裟斬りが当たる。
ムドー・アーマーが割られた。厚い胸の装甲が斬られ、素肌が露出する。
構うものか。思い切り地面を蹴ったタックルをぶつけると、ザカリアスの身体が建物まで吹っ飛ぶ。
大柄な親衛隊員のグレートメイスの一撃が、意識と夜宴の兜を空へ飛ばした。さっ、と夕焼け色の空が視界を満たす。
まだだ。
後ろに重心が移動するに任せて地面から足を上げて、ショットガンドロップキックを放つ。腹を蹴られた親衛隊員がボウリングの玉のように他の連中をなぎ倒した。
攻撃が止んだ。
違うな。親衛隊は今ので最後だったのだ。辺りには伸びた兵士たちが散らばっている。やった。やり遂げたのだ。
息を吸い――
血を吐いた。
「ゴふっ…………」
呼吸の変わりに血反吐を吐いて吸い込む。口と鼻の中が鉄の生臭さでいっぱいになる。これが英雄薬の代償か。
脳が沸騰し、ぐらっ、と世界が傾く。とっくの昔に限界を超えていた、そんな感じがする。
地面に両手を着いて……建物の壁を背もたれにして座り込むザカリアスと目が合った。うつろになりながらも、こちらに視線を注いでいる。
やっぱり凄いな。あいつは二本目のはずなのに。
両膝に手を着いて、身体を押し上げるように立ち上がる。ザカリアスが立ち上がったのもほぼ同時だった。
これで最後だ。
縺れるように足を動かし、指で地面を弾き、全力で走る。
お互い、相手に向かって一直線に。
「アアアアァァァァアアアアァァァッッッ!!」
永遠のように、一瞬のように、肉薄する。
体重を乗せた渾身の拳がザカリアスの頬を打った。巨体が仰け反る。
――ザカリアスは倒れなかった。
反撃の拳が僕の頬を捉える。
目の前が真っ白になり、背中から地面に倒れた音がどこか遠くに聞こえ――
殴った勢いのままザカリアスも倒れた。
我ながら良い一発だった。
いつの間にか空の色は青色に戻っている。石畳に横たわったまま、身体に力が入らない。瞼を半分開いておくので精一杯だ。
少なくともクーデター側の軍は壊滅だ。あとはホセ王の国王軍が制圧するだけ。被害も小さく抑えられたのはないだろうか。こんな自分が、よく頑張ったと思う。
すぐ近くで物音がする。空を見上げたまま首も動かせないが、自分の運命を察する。
「お前の負けだな」
「……そうみたいです」
ゆっくりと、自らの身体を叱咤するように、ザカリアスが立ち上がった。
ザカリアスは近くに落ちた剣を拾う。逆手に持ち、肌が見えている僕の胸元へと、心臓に向かって真っすぐに切っ先を向けた。