131話 ラウンド2
「腹心を手にかけた時、どんな気分だった?」
ザカリアスの血管が切れた音を聞いた気がした。
自分自身を包んでいた両翼を開き、上から抑え込んでいるラウンドシールドを右翼、"剛腕"の裏拳で払いのける。
大きく後ろへ下がったザカリアスへ左翼、"多腕"で追撃のフックを放つ。トラックに轢かれたように宙に浮いた巨体が建物の壁に叩きつけられた。
"栄光をその手に"の背中から生えた巨人の両腕に似た翼を引き戻して立ち上がる。膝を着いたザカリアスと目が合った。
奴は明確に僕を敵と認め、殺すことを決めたようだ。怒気の宿った猛獣の如き目線を向けられて足が竦みそうになる。
ラウンドシールドの面がこちらへ向けられた。円の中央に青く輝く宝玉が光を増すのを見て、多腕を伸ばして手近な親衛隊員の数名を捕縛する。
ザカリアスは舌打ちをして動きを止め、
「貴様ァ……」
「よく覚えていた。僕を撃てばお仲間まで丸焦げだからなあ」
鉄線が巻き付いたような円形の盾、神威招雷は雷撃を放つことができる。まともに食らえばタダでは済まない。だが、こうして自軍を掴まれている状態では味方まで感電させてしまう。
それにしても、電気が発明されていない世界にも関わらず、一度見ただけでよく覚えているものだ。ザカリアスの戦闘センスの高さを再確認する。同じ手品は二度と通用しない。
ザカリアスは冷却時間の終わったエグゾカリバーを構えた。鎧の内側で汗が垂れる。
「放せェ」
「放すさ。ほらっ」
驚きの声を上げる親衛隊員を引っ張ってザカリアスへ向けて放り投げる。
「ッ!!」
エグゾカリバーが来る。展開する赤い光に捕まらないよう剛腕で建物を掴んで身体を引き寄せ、一気に距離を取った。
大剣を中心にスローモーションの空間が広がった。ザカリアスは地面にゆっくりと落下する親衛隊全員を受け止めると、僕のがら空きの背中を見つけ、こちらの意図を一瞬で察した。
地面を蹴ったようだが、一足遅い。
広場に散開している親衛隊に急接近して剛腕を叩きつけた。いとも容易く完全武装の大の大人が転がって伸びる。
この鎧を着ていられるうちにザカリアスと一対一に持ち込めるようにしたい。そう、狙いは、ネグロン軍と親衛隊の壊滅だ。
ひとを握りつぶせるほどの剛腕を活かし、手刀を放って複数人を薙ぎ払う。無数の人形の腕を縒り集めたような多腕を伸ばし、十数人に鉄拳を撃ち込む。
親衛隊は普通の兵士とは一線を画す強さだ。練度も経験も士気も高い。しかしそれは人間の尺度での話で、ハンズ・オブ・グローリーはその両翼で人間のレベルをよじ登って超えてしまう。
剛腕を地面に着いて伸ばし、棒高跳びの要領で数メートル跳躍して、多腕の鉄拳をばらばらと雨のように降らせた。
「吼えろ!火尖鎗オオォォ!」
剛腕で防御姿勢を取る。火尖鎗の爆発を推進力にしてロケットのように加速したザカリアスにタックルされた。縺れ合い、地面に転がって、馬乗りにされる。
2,3発殴られて脳が揺れる。じわじわと焦りが滲む。懐に入られると反撃しづらい。
「使徒を名乗るくせにイ……我々をまた傷つけるのかア」
「矛盾してるのはお前も同じだろう。この国の英雄が王に剣を向けるのか」
身体を弓のようにしならせて頭突きを叩きつける。怯んだ隙に両翼で建物を掴んで膝蹴りを入れながら強引に立ち上がった。
多腕を親衛隊に叩き込む。すぐに立ち上がったザカリアスがエグゾカリバーで斬りこんできた。剛腕で刃を受け止める。
「王の味方だと言うかアッ!」
「お前の敵であるだけさ!」
多腕でアッパーカットを放つように持ち上げ、地面に叩きつけ――
「エグゾカリバー」
「チッ」
動きを遅くされた。
ザカリアスは拘束している多腕を力任せに引き千切って脱出すると、シールドの縁を腹に突き刺してくる。痛みと呼ぶにはあまりに深い衝撃に視界が霞んだ。鎧がなかったら身体が真っ二つになりそうだ。
ザカリアスが咆える。
「ならば死ねェ!!」
「――ッ口だけか!さっさと殺してみせろ!」
両翼を地面に着いて大きく飛び上がる。ザカリアスは雷撃を撃たんと照準を定めた。
空中で大きく前転するように身体を捻じり、両翼を祈るように合わせたハンマーを巨体の背中に叩きつけて吹っ飛ばす。
コンダクトシールドの雷撃が明後日の方向に迸った。
ザカリアスが起き上がるまで僅かな時間しかない。クーデター側の軍が集まっている中央に躍り込んで反撃に構わず2本の腕を振り回して暴れる。
戦えそうな兵は残り半分くらいか。
視界の端に黒い影が奔った。
脳に発した警戒が反射的に防御を取らせる。
「ラアアアアアァァァァッッ!!」
英雄の咆哮が空気を揺らす。
エグゾカリバーの斬撃を多腕で受けてしまった。
朱い刃は翼の半分ほどまで入り込んで止まる。途切れた多腕がバタバタと地に落ちた。
離れなければ、と繰り出した剛腕のストレートは身体を回転して受け流され――
勢いのまま斬り上げた一刀が剛腕に深い切り傷を付ける。
ザカリアスは嚙み砕きそうなほど奥歯を噛みしめ、充血したように黒く染まった眼で睨んでいる。
顔の皮膚の下で黒い枝葉が伸びていくさまは、まるで、使徒の使う才能のようだ。
「望み通り殺してやるさアアアァァァッ!」
「英雄薬……」
連撃を剛腕で受ける。一発一発がとてつもなく重い。
ネバさんのレガロだ。やはり持っていたか。服用すれば一時的に超人的な力を得られる薬。ただでさえ超人のザカリアスがさらに強くなった。
シールドで殴られ、仰向けに倒れた。意識が飛びかける。
大剣が嵐のように叩きつけられ、呪いの鎧が欠けていく。堪らず両翼で全身を包んだ。英雄薬の効果が切れるまで防御して――
暗闇に一閃の光が見えてしまった。
繭が割られた……?
両翼を開き、強引に後方へと飛び上がる。剛腕の人差し指に当たる部分が失くなっている。
「切り落とされた!?」
多腕をばらけさせて全方位から掴みかかるが、眼で追えない速度の腕が全て切り落とされる。腕をかなり消耗させられて牽制にしかならない。
生半可な防御も、攻撃も、通じない。
「化け物め」
恐れが身体を硬直させる。額と背中を伝っているのは汗か血か。
クーデター側にはまだ戦える者が大勢残っている。
「ディマスも!神罰教会も!使徒も!貴様もオ!!」
もう腹を括るしかない。
「我々に仇なす者をすべて殺して!吾輩は今度こそこの国を――」
「守れるものなら守ってみろ!」
ザカリアスへ背中を見せて飛ぶ。
「させるウ!ものかアアアァァァ!」
ザカリアスの怒号と斬撃を食らいながら親衛隊に両翼を降らせる。衝撃と立体的な動きで方向感覚はもう滅茶苦茶で、とにかく敵の影に向かって拳を振るった。
鎧が欠けていく。一本、また一本と腕と指が落とされていく。
まだだ。ザカリアスに削りきられる前に、ひとりでも多く親衛隊を倒す。
かち上げるようなシールドバッシュが身体を宙に浮かした。視界が青い空を流れる。コンダクトシールドがこちらに向いている。受け流さなければ。
最初と比べて随分と減った、僅かに残った多腕で建物を掴む。宝玉が光を増し――
「死ねエエエェェェッ!!」
今まで見てきたのが静電気だと思うほどの雷撃が、視界を青い奔流が埋めた。
「最適化ッ……」
ザカリアスの憎悪を表現したかのような、受け流しきれない雷に鎧が溶解を始めたようだ。多腕が千切れ、抗えない力に流されて身体が建物に突っ込む。
何も感じない。
「最終ラウンドへ向かうぞ、ヘイト」
「……………………」
「なんだ、どうした?お前の旅路はこれで終わりか?」
「…………」
「お前は何も変わらんな。友を喪ったあの時から」
「……鎧袖の悪魔よ、契約を履行する」
コンダクトシールドは灼けた鉄板のように赤熱し、白い煙をくゆらせている。ふっ、と空を見たザカリアスの身体から力が抜け、剣を地面に突き立て、膝を着いて倒れこむのを防いだ。
「ハア……ハッ」
流れる鼻血を拭うが、止まる気配がない。外傷ではなく力の代償なのだろう。
「ザカリアス様!」
親衛隊がふたり駆け寄ってくる。よく手入れされていた甲冑は砂埃で見る影もない。
「問題、ないイ……」
「王宮の親衛隊にも呼びかけましょう。ザカリアス様のお言葉を聞けば、きっとこちらの味方に――」
「いや、まだだア」
建物から飛び降りる。鉄の塊を落としたような轟音が乾いた空気に響いた。着地の衝撃はほとんど感じない。赤いマントが風にたなびく。
ザカリアスと目が合った。お互い息を深く吸い、相手の巨体に焦点を結ぶ。
「離れていろッ」
地面を蹴る。
一息で肉薄する。
勢いの乗ったボディフックをザカリアスは盾で防ぎ――
大鎧の銀色の左拳がコンダクトシールドを叩き割った。
ザカリアスの眼が驚愕に見開かれる。
右足を引いて指に地面を噛ませ、腰を回して、全体重を乗せた、
"無道の鎧"の右ストレートを顔面に叩き込む。