128話 闇を掴む
辺りは針の筵だ。
僕を庇ったフェルナンドさんの甲冑には、幾本もの矢が刺さっている。いくつかは鎧の隙間から刺さり、血が流れていた。
「ヘイト様……離れて……」
彼はうずくまったまま動かない。
「へえ、耐えられるのねえ」
ウィリの弓が当たった教会員がふらふらと立ち上がり、武器を拾う。囲まれている。
「調子に乗ってんじゃねえぞ!C・フュル・フュールよ!契約を履行する!」
目が眩むような巨大な雷撃が敵の群れを舐めた。当たった教会員が弾け飛んで血飛沫になる。
「そこの阿婆擦れも食らいな!」
「アハハ、綺麗な花火ね」
フュールさんの雷撃は急成長した月桂樹に遮られた。スクブスがカウンターに放った矢はフュールさんに当たり、扉を突き破って部屋の闇に消える。
「フュールさん……」
破裂音が鳴った。スクブスは横に一歩動いて音速の矢を避け、2階から垂れた枝を掴んで身軽に高所を取る。
屋敷の入り口には"衝撃波"を構えたローマンさんが次の矢を番えている。
「時間を稼ぐ!フュールを!」
「は、はい!」
背後で響く破裂音を聞きながら、駆け出して、彼女が突き飛ばされた部屋へと入る。
フュールさんは壁に背を預けて座り込み、苦渋の表情を浮かべていた。
白い女の亡霊が、フュールさんの腕を掴み、指鉄砲を自らの顎に向けさせようとしている。
ウィリの弓の能力で自害させるつもりか!?
「やらせるか!」
走り、シャナの金糸を白い女に突き刺すと、亡霊は霧散する。彼女の腕が力なく垂れ下がる。
「クッソ……助かったよ、ヘイト」
脇腹に矢が刺さったまま、額に脂汗を浮かべたフュールさんはそう言う。
「もう大丈夫だから、戻って」
「……」
「早く」
「必ず戻ります」
歯を食いしばって迷いを振り切り、苦痛を堪えながら笑顔を作る彼女に背中を向け、エントランスホールへ向かう。
ローマンさんの放った一矢を避けてスクブスがエントランスホールまで降りてくる。
着地を狙ったショックウェルは急成長した月桂樹によって逸らされた。スクブスは軽やかなステップでローマンさんに肉薄すると、彼の繰り出す矢の斬撃を姿勢を低くして避け、ローレルの冠を彼の足首に括り付けた。
罠に引っかかったかのようにローマンさんが吊られるまで、数秒の攻防。
「とっても素敵な使徒様。私のものにならない?」
スクブスはローレルの冠から葉を毟るとローマンさんの口に押し込んだ。
あいつの才能を経口摂取することが、洗脳する条件か――
やらせない。
飛び出す。
"審理者の剣"を拾い、膝辺りの高さを狙い、遠心力を乗せて横薙ぎに斬る。刃が到達する寸前にスクブスはこちらを視て頬を緩めた。
邪魔しようと伸びてきた月桂樹がほとんど抵抗なく斬れる。が、スクブスの姿はない。左右に首を回して、
「後ろだ!」
ローマンさんの警告と同時に振り向いた。
スクブスは左手を首に回し身を寄せて抱き着いてきて、十字に割れた眼と眼が合い、もう片手に持った矢を僕の腹に刺し込んだ。
激痛に脳が発火する。
「う"あ"あ"ッ!」
呪いの鎧を着ていた時には感じなかった痛み。握ったガントレットがぬるりと滑る。
滲む視界に、一杯に、優し気な笑みを浮かべるスクブスが映る。
歯を食いしばった喉の奥から呻きが漏れた。
白い女が、黒い女が、亡霊が、悪魔が、囁く。
――死にたいなら手伝ってあげる――
「最適化!」
痛みと幻覚が引く。
女を突き飛ばそうとして伸ばした両腕は空を切った。もうスクブスは距離を取っている。
圧倒的に有利だったのに、覆された。
これが神伐の四騎士の力。
赤い馬も果てしなく強かった。
レガロの使い方が上手い。
重ねた年月が違う。
ここにいちゃいけない。
審理者の剣を杖にして廊下の闇を目指す。腹に矢が刺さっている異物感を、足を動かすたびに感じる。
早く、早く。
「そんな風に誘われたら、追いかけたくなるじゃない」
スクブスが追ってくるのを感じる。
逃げろ。
「ほうら、頑張れ、ヘイト。私は踊り足りないわ」
「痛ッヅ……」
矢が肩を掠めた。マントが割けて傷を負う。
最適化ですぐに痛みは感じなくなり、傷のある違和感だけが残る。ドアノブを捻り、引き開けた扉に矢が突き刺さった。
ろうそくの灯りで仄暗い部屋に入り、急いで扉を閉めて錠をかける。
閉めた扉の隙間から月桂樹が入り込んでくる。
来るな。
願いは叶わず、蝶番は壊れ、扉は強引に破られた。
部屋に入ってきたスクブスへ審理者の剣を投げつけるが、いとも簡単に避けられてしまう。
スクブスは笑っている。
動悸がする。
「ねえ、貴方の悔悛の鎧、どこにあるの?」
「……何に使うつもりだ」
「ほら、みんな壊れちゃったでしょう?飽きちゃったし、新しく始めようと思うの。新しい信者、新しい組織、新しい伝道師」
「まさか……王太子と王女を……」
正解、とスクブスは小さく呟く。
「洗礼名はもちろんペニテント。不死の伝道師なんて素敵ね。貴方はどっちにするのが良いと思う?」
こいつ、どこまで。
「外道が」
歩いてくるスクブスの行く手を矢が走った。衝撃波だ。
「残念だけど、ハズレ。フフフ」
矢はスクブスに当たらず、纏った風がろうそくだけを消した。部屋に暗闇が降りる。
床に伏せて音を消す。高鳴る心臓に抑えろと命令する。
「今度はかくれんぼがしたいの?」
見付からないためではない。
数日、灯りを消して暗闇に満たしたこの屋敷で慣らした、
彼の邪魔をしないように。
しゃがれた声が聞こえた。
「ここはもう、貴様らの眠る共同墓地だ」
「えっ?」
かろうじてふたつの影が見える。
女の影が矢を持って、もうひとりの影へと振り降ろす。
処刑人が持っているかのような剣の影が降り上げられ、女の影を斬った。
刃が肉を斬る音と、ゴトリと何かが落ちる音が聞こえる。
返す刀が振り降ろされ、女の影を袈裟懸けに斬った。
女の笑い声がか細くなっていった。
ろうそくが灯る。
灯りが戻った部屋の隅、壁にもたれる女の右腕が肩から失くなっている。
黒いローブと傷口は一緒くたになり、赤い血がとめどなく流れている。どう見ても抵抗する力は残っていない。
「こんなに痛いの、12年ぶり……」
スクブスは息も絶え絶えにそう言った。
「頭目……グレイヴ・ワンの仇だ」
僕たちの切り札だった墓守のおじいさんが、スクブスへ審理者の剣の切っ先を向ける。
「またドラクルに治してもらわなきゃ……フフっ」
うわ言のようだ。
「地獄へ送ってやる」
赤い剣が振り上げられた。女から広がった血だまりが、墓守のブーツに触れる。スクブスは座ったまま動けない僕の方を向いて、
「楽しかったわ、ヘイト。また機会があれば誘ってね」
笑った。
「なにッ、くッ!」
血だまりから月桂樹が生え、伸びた。おじいさんは剣を振り上げたまま足元を掬われる。スクブスは左手に作った矢を、自らの腹に刺す。
白い女の亡霊が現れる。
スクブスはすっと立ち上がった。
「逃がすか!」
ろうそくが消える。
また暗闇に包まれる。
「ヘイト!」
「ローマンさん。ろうそく貸してください」
「どうするつもりだ」
「あの怪我です。遠くまでは行けない」
「そうじゃないだろ」
ローマンさんが僕の両肩に手を置いて、目を覗き込む。
「私たちは何しにきた?」
「あいつを……!」
殺しに。
「違うだろ……」
僕たちは、命を懸けてスクブスを殺しにきたわけじゃない。
伯爵を助けに、王都まできたのだ。
ローマンさんの顔からは血の気が失せていた。それだけじゃない。身体中に生傷を負っているのに気付く。
螺良さん、フェルナンドさん、フュールさん。
スクブスと戦って傷を負った皆のことが脳裏によぎる。直ぐに手当てして、ここから離れないと。
ズキズキと戻ってくる傷の痛み。
脈動に合わせて煮え立つ怒りを飲み下し、
掠れた罵倒を吐いた。